4-4.インザボックス
頭には角が生えていた。獰猛な獣のような牙も生やし、体表は薄らと毛が生い茂っている。何の動物をモチーフにしたのかと言われたら、何の動物でもないと答える化け物のような見た目だ。
それが世間一般の怪人に対するイメージの結晶だった。
その着ぐるみを身にまとっていたら、不思議そうに声をかけられることもあるかもしれない。そこまではミトも納得のできることだ。
問題は、その際の声のかけ方だ。見る限りに異形と言える姿をしているが、その着ぐるみが怪人であると認識できる人とできない人が当然いるだろう。
仮に認識できたとして、その姿を目にした際に、真っ先に口から出ることはただ一つ。
「怪人ですか?」
それだけだ。怪人であるかどうかに疑問を持ち、怪人であるかどうかの確認を取ることは十分に考えられるだろう。
しかし、たった今、ミトの耳に飛び込んできた声は違った。
「怪人組合の方、ですか……?」
はっきりとそう言った。怪人組合と口にした。この着ぐるみから、怪人組合という名称に繋がるまで、かなり迂回する必要があるはずだ。少なくとも、直線ルートで繋がる要素はどこにもない。
何より、怪人組合を知っている人物がそこまで多くはないはずだ。
恐る恐るという言葉が相応しい振る舞いで、ミトはゆっくりと振り返り、女性の声が聞こえてきた方に目を向ける。そこで小さなヘアピンが目に入る。水色を基調としたもので、そこには犬の顔に見えるモチーフがつけられていた。
「シベリアン・ハスキー……」
「えっ……?」
目にしたヘアピンに引かれ、ミトは思わず前のめりになっていた。そこに立つ女性に顔を近づけたかと思えば、着ぐるみ越しに女性の顔をじっと見つめて、さっきまでとは反対にこちらが質問を投げかける。
「犬が好きなんですか?」
「えっと……これ、ですか……? これはおばあちゃんからのプレゼントで、その……犬自体は好きです」
戸惑いつつも返答してくれた女性を前に、ミトはこの人が誰であるのか分からないが、きっと良い人だと勝手に確信していた。
ミトの様子に戸惑いを見せながら、女性は頭についたヘアピンを手で押さえ、少しミトから離れるように後ろに下がった。
「その……急にすみません。でも、人を探していて」
そう言われたことでミトは本来の目的をようやく思い出し、最初に聞かなければいけないことを口にする。
「すみません。もしかして、花厳あやめさんですか?」
ミトからの問いかけに、目の前の女性はゆっくりと目を見開いて、驚きに満ち満ちた表情を見せていた。それだけで言葉がなくとも、目の前の女性がカザリであることは明白だった。
「こんな格好ですみません。僕は怪人組合の者です。貴女を助けに来ました」
着ぐるみ越しにミトがそう声をかけると、カザリは少しずつ、凝り固まった表情を柔らかいものに変えていた。
もしかしたら、ミトからの告白を受けて、超人が飛び出してくるかもしれない。カザリが急に牙を剥くかもしれない。そういう可能性があったことを名乗ってから思い出したが、ミトの心配とは裏腹に、カザリは安堵したように崩れ落ちるだけで、それ以外には何も起こらない。
やっぱり、これが罠であるというヤクノの考えは杞憂だったようだ。そう考えながら、ミトはカザリに手を伸ばし、ソラ達と合流しようと、広場から離れるように歩き出した。
◇ ◆ ◇ ◆
「じゃあ、一曲目、行くで!」
マイクを持ったババが高らかに宣言し、ソラは表情を変えることなく、盛り上げるように手を叩いていた。ヤクノは苛立ちを隠せない様子で舌打ちをし、ミトとカザリは揃って面食らっている。
「えっと……その……どうして、カラオケに?」
ミトが疑問に思っていたことを代弁するように、カザリがそのように質問を投げかけていた。流れ始めた曲に合わせ、歌い出そうとしていたババはピタリと止まり、無言のまま曲を止めている。
「あれ……? 何か、すみません……」
空気を悪くしてしまったかとカザリが謝る中、曲を止め終えたババは椅子に深々と座り、カザリをまっすぐに見始めた。
「決まっとるやろ。いきなり助けてくれって言われて、それで無条件には助けられへん。あんたがホンマに怪人やとしても、何を考えとるか分からん。だから、何でも話せるように、人の入らん個室に来たんや」
確かにこの人数で入れる個室となると、カラオケは最適なのかもしれないが、今の時間帯を考えると、ミト達の来店は非常にリスクが高い。学生に見える年頃のミト達が平日の昼間からカラオケを訪れて、一体何をしているのだと聞かれたら、正直に話せることは何もない。
そのまま怪人であることがばれて、逃げ惑うことになれば、非常に最悪と言える結果だ。
しかし、ババはそのことを気にしていないのか、そもそも気づいていないのか、特に気にすることなくカラオケを選び、現状は取り敢えず、無事の様子だった。
「それは……何を話せばいいのでしょうか?」
「そやな……まずは何で怪人になったか説明してもらおか」
ババの提案にカザリは小さく頷きながらも、どこか少し緊張した様子だった。どうしたのだろうかと思っていると、カザリの口が少し開いて、ぽつぽつと小さく零すように話が始まる。
「私は……その……昔から気弱で、流されやすいところがありました……その性格もあって、大学の同級生に声をかけられた誘いを断れなくて、ある日……その……飲み会に参加したんです」
そこでババが不思議に思ったのか、思わず眉を顰めて、カザリの話に割って入っていた。
「ちょっと待って。あんた、いくつや?」
「今は十九歳です」
「やっぱり、ヒメノさんと同い年やんな? お酒飲まれへん年齢なんちゃうん?」
「それはそうで……その時も言ったんです。私はまだお酒が飲めませんって……でも、それでも、大丈夫だからと、飲めるかどうかは関係ないからと言われて、それで……断り切れずに参加したんです」
ミトはそこまでの話をただ聞いているだけだったが、ヤクノとババは何かを察したのか、少しずつ険しい表情を見せていた。その表情をミトが不思議そうに眺めていると、隣に座るソラがきゅっとミトの袖を掴んでくる。
「その飲み会で、一人の先輩に声をかけられました……逢ったこともない人で、凄くグイグイと来られて、私は怖くなって、その先輩を拒絶したんです……そうしたら、その人が怒り出して……そこで私はその飲み会がそういう場だったって知ったんです」
「そういう場……?」
話の流れからカザリの言わんとするところをミトは理解し切れず、思わず繰り返すように呟くと、ババが気持ち悪そうに答えてくれた。
「要するに、ヤるための場やったってことやろ?」
ババの呟きにカザリが小さく頷き、ミトはカザリが最初、話しづらそうにしていた理由をようやく察する。きっとヤクノやババは先に気づいて、だからこそ、話から醸し出される嫌な雰囲気に眉を顰めていたのだろう。
「けど、私は知らなかったので、嫌だからって帰ろうとしたんです。そうしたら、その人が他の人と一緒に追ってきて、それで怖くなって、必死に逃げようとしたら、その途中にあった階段で足を踏み外して……」
その先は聞くまでもなくミトにも分かった。階段から転落し、重傷を負ったカザリは治療を受けることになった。その治療がただの怪我の治療ではないと知ったのは、その治療を終えた後のことだろう。
「急に超人とか、怪人の話をされても、私には無理だと思いました」
「だから、逃げ出した」
ババの問いにカザリは頷き、ミト達はカザリが怪人となった経緯を理解する。
「因みに、怪人としての力はどんなもんなん?」
「大したものではないんですけど、指先からリラックス効果のある香りが出せます」
そう告げて、カザリがミト達の前で手を左右に振る。すると、確かに良い香りがしてきて、カザリの話を聞いたことでざわついた胸の内が、少しずつではあるが落ちついていく。
「なるほどな……さて、どうしたものか」
ババがヤクノに視線を向け、二人は真剣な表情のまま黙りこくっていた。恐らく、カザリをどのように判断し、屋敷に連れ帰ってもいいのか吟味している段階だろう。
ミトとしての意見は、カザリの怪人となった経緯的にも、カザリの力の無害さ的にも、屋敷に連れ帰ってもいいとは思うのだが、ミトの意見が通るかは分からない。何より、一番カザリが安全だと思う根拠が頭のヘアピンなのだが、それを言い出したら、十中八九通らないので、ミトには言える意見がないとも言える。
ここは大人しく、ヤクノとババが決めるのを待つかと思っていたら、ミトは少しずつ自身の膀胱を襲う尿意に気づき始めていた。恐らく、カザリを探していた時から、カザリの話を聞いている最中まで緊張状態が続いていたのだが、その緊張状態がカザリの出した香りによって解かれ、その落差で尿意が膨らんできたというところだろう。
「ご、ごめんなさい……少しトイレに行ってきます」
この状況で声をかけるのを申し訳なく思いながらも、ミトはババ達にそのように声をかけて、慌てて部屋から飛び出した。そのままトイレに駆け込み、溜まっていた尿意を一気に解放する。
これによって気持ちが更に落ちつき、帰る頃にはヤクノとババが考えをまとめているだろうかと思いながら、ミトはトイレから個室に戻る廊下を歩き出そうとした。
「ちょっと、そこの君」
そこで不意に声をかけられ、ミトの足が止まる。何か持っていた物でも落としただろうかと不思議に思いながら振り返ると、そこには二人組の男が立っていた。