1-10.パペッティア
荒々しく登場した狐目の男の存在に、ミトの理解は追いついていなかった。
目の前の男が誰なのか、今までどこにいたのか、そういう疑問が頭の中に浮かび上がり、それを押し流すように、最も重要な疑問が頭の奥底から湧いてくる。
この男はこの施設にどうしているのか、ミトは施設に広がる光景と共にそう思った。
「誰、ですか……?」
問いかけは馬鹿らしい。ミトの中でそう思う気持ちもあったが、疑問は止める暇なく、口から飛び出た。
ミトの本能は痛いほどに語っている。この場にいるこの男が只者であるはずがないと告げている。
一刻も早く、この場から離れるべきだ。
それは当然の忠告だった。
しかし、ミトの足は動こうとしなかった。
ただ目の前に立つ男を睨みつけ、その男の言葉を待っている。
そうしなければならないと思っている自分がいる。
「誰か……?その質問に意味があるとは思えないけども、どうしても聞きたいなら、教えようか?三頭晴臣くん?」
狐目の男は当然のようにミトの名前を口にし、それ自体が答えの意味を成しているようにすら思えた。
それでも、言ったことは忠実に守る主義なのか、それとも、ただ面白がっているだけなのか、狐目の男は律義に自身の名前を口にする。
ただし、それは本当の名前ではないとすぐに分かる名前だ。
「パペッティア。それが俺の名前だ。よ・ろ・し・く」
ニタニタと堪え切れない笑みを浮かべ、そう名乗った名前を聞けば、目の前の男に正体を聞くまでもなく、十分に悟った。
この男は超人だ。
それもミトの知らない、見たことのない超人だ。名前すら初めて聞いたものだった。
その超人がそこにいて、これまでに起きたことを考えれば、パペッティアと名乗った超人の目的が何にあるのか、頭を悩ませるまでもなく、すぐに分かることだ。
ミトがそう思っていたら、パペッティアがついに堪え切れなかったように、口元から膨れ上がるように笑い声を漏らした。
「いやいや、本当に来るなんて。まあ、可能性は高いと思ったんだよ。いろいろとある中で、一番身を隠せそうだし、繋がりも薄そうだし、俺達が探さないと馬鹿な怪人なら思いそうだって。でもさ、本当に来る?怪人になって、超人に探されて、いつ殺されるかも分からないのに、他人に助けを求めて来たわけだ?」
ミトを指差しながら、ゲラゲラと笑い声を上げ、パペッティアは大層面白そうに腹を抱えていた。
「怪人が馬鹿なのは知ってるけど、流石に愚か過ぎない!?あのさ、怪人を普通の人間が助けるわけないじゃん!?」
さも当然のようにパペッティアが吐き捨てる言葉をミトは黙って聞いていた。
そこに言い返せる言葉はない。
恐怖さんに教わるまで、教え込まれるまで、ミトも同じことを思い続けていた。
怪人は化け物である。その前提がある以上、人が怪人に手を貸すことはない。
パペッティアの指摘は当然と言えたが、その部分はミトからすればどうでもいいことだった。
ミトは馬鹿である。それは怪人だろうと、怪人でなかろうと変わらない。
それを証明するように、ミトがずっと気になっていたことを口にする。
ここから逃げろと、どれだけ本能が叫んでいても、ミトが足を止め続けた理由の質問だ。
「この施設の惨状は貴方が?」
ミトが静かに、気持ちを落ちつかせるように聞くと、パペッティアは笑いをピタリと止めて、不思議そうに首を傾げた。
「惨状?何を言ってるんだ?素敵な状況だろう?」
「素敵?」
「そう。味方だと思っていた人や可愛がっていた動物に襲われ、殺される。君にとって最高の状況だろう?羨ましいくらいだ」
ニタニタと隠し切れない笑みを浮かべ、パペッティアは楽しそうに語っていた。
その言葉の一つ一つをミトの頭は理解できない。理解しようとしていない。
「何を言って……?貴方は何をして……?」
「何をして?」
その言葉を聞き取った直後、パペッティアが倒れるコシバに指を向け、そこから細く長い糸のようなものを撃ち出した。
糸はコシバの頭にくっつき、その瞬間、コシバの身体が急に動き始める。
「大したことじゃない。こうして神経を飛ばして、繋がった生き物を自由に操る。それが俺の力さ。彼女や動物達は言ってしまえば、ただのマリオネットだね」
パペッティアの説明を聞きながら、ミトはぎゅっと拳を握り締めていた。
この男は何を言っているのだ、と頭の中ではずっと疑問が湧き続けている。
「人や動物を操って、人間を襲わせるって……それが超人のやることですか?」
最後の一線の上に立ち、残ったミトの理性が踏み止まるように疑問を口にした。
何かを言っていないと、別の何かを考えていないと、ミトは今すぐに超えてはいけないものを超えてしまいそうだった。
しかし、それを打ち崩すようにパペッティアは口を開いた。
「そうだけど?」
「えっ……?」
「だって、これは正義の行いだから」
「何を言って……」
ミトの拳がぷるぷると震え始める。
「正義はね。何をしてもいいんだよ。何をしても許されるんだよ。人を殺しても、物を盗んでも、気に入った女を犯しても、そこに正義って言葉がつけば許されるんだよ。正義という大義名分。それさえあれば、何をやってもいいんだ。そして……」
パペッティアは自身の顔を指差した。
「超人は正義」
それから、指はミトに向けられる。
「怪人は悪」
そして、背筋を寒気が支配するほどのゾッとした笑みを浮かべ、パペッティアは上擦った声で叫んだ。
「だから、超人は何でもかんでも殺り放題!こんな最高の立場を捨てるなんて、本当に怪人って馬鹿の集まりだよ!」
再びゲラゲラと笑い出したパペッティアを前にし、ミトは掌から血が滴るほどに強く拳を握り締めていた。
踏み止まろうと語っていた理性は消え、ミトの足は超えてはならないラインの向こう側に降り立つ。
(……殺す……)
明確な意思がミトの心の奥底に宿って、堪え切れない感情がミトの全身から溢れ出す。
(ぶっ殺す!)
消えることのない殺意を抱え、ミトはパペッティアを睨みつけた。