1-1.犬と犬と猫
まだ三頭晴臣が小学校の低学年だった頃のことだ。
家の近くにある神社の一角に猫が捨てられていた。
少しでも強く抱き締めたら、壊れてしまいそうなほどに小さな子猫で、くたびれた段ボールの中から寂しそうな鳴き声を響かせていた。
その子猫を偶然にも最初に発見したのが、近所に住む三人の子供だった。子供の無邪気さを盾に、質の悪い悪戯を仕掛けて回っている近所でも有名な悪ガキ三人組だ。
その三人がか弱い子猫を見つければ、そこから何が始まるかは考えるまでもないことだ。
そこからは純粋な実験と称した、過剰な動物虐待の時間だった。
子猫はぬいぐるみでも持つように掴まれ、ぶんぶんと振り回されたかと思えば、反応を楽しむように近くの小石を投げつけられ、弱った様子を見せたら、餌と称した虫を口に突っ込まれる始末だった。
だんだんと衰弱し、子猫は今にも死にそうになっていくが、悪ガキ共は面白がるばかりで、子猫を生かすつもりはないようだった。
その現場に偶然、通りがかったのがミトだった。
生まれたばかりのか弱い命を弄ぶ三人を発見し、ミトは考えるよりも先に近くの拳ほどの大きさをした石を掴んでいた。
何かを発することもなく、目の前で広がる間違いを正すために、駆け寄ったミトは手に持った石を悪ガキの一人の頭に叩きつけた。血が噴き出し、殴られた悪ガキは大きく揺れながら、その場に倒れ込む。
その姿に驚き、残りの二人が固まっている間に、ミトは他の二人にも石を叩きつけた。
相手が何かを言っていたが、それに聞く耳を持たず、悪ガキの行いを分からせるように、何度も、何度も、何度も、ミトは殴り続けた。
その後、悪ガキ共は救急車で病院に運び込まれ、一命を取り留めた。
殴ったミトは警察に呼び出され、いろいろな人から性格を矯めるように怒られ、結果的にミトの家族はその当時の家から現在の家に引っ越すことになった。
高校生になっても、ミトはこの時のことを忘れずに覚えているが、悪ガキ共を殴った後に様々な大人から怒られたことは、未だに納得のいっていないことの一つだった。
因みに、悪ガキ共に弄ばれた子猫は衰弱したまま、回復することなく死亡した。
◇ ◆ ◇ ◆
街外れまで自転車で向かうこと二十分。そこに至るまでに抜けてきた閑静な住宅街から一転、微かに犬や猫の鳴き声が聞こえてくる建物がそこにはあった。
そこは動物保護を目的とした施設で、現在、ミトはそこにボランティアとして通っていた。
施設で保護されている動物の大半は犬や猫だ。飼い主からの虐待、悪質なブリーダーによる過剰繁殖などの悪辣な環境から保護された動物や、飼い主の急逝によって身寄りを失ったペットを引き取っている。
それら動物の世話がボランティアであるミトの仕事だった。
「ああ、そうだ。ミトくん、今日だから」
ケージの掃除をしている最中のことだ。ミトと同じく、施設でボランティアとして働く、小柴絵子がそう切り出した。
ミトは少し手を止めて、何が今日なのかと考えてみるが、答えになるようなものは思い浮かばず、小首を傾げる。
その反応にコシバは朗らかに笑い出した。膨らんで耳のように見える髪の毛がコシバの動きに合わせて揺れている。
「ほら、ミトくんも楽しみにしてた子が来るんだよ」
「あ、ああ!あれって今日ですか!」
少し前のことだ。多頭飼いが原因で、真面に世話されていなかった犬が保護された。
その中の数匹をこの保護施設でも引き取ることになったのだが、一匹だけまだ施設に到着していない犬がいた。
どうやら、その犬が今日、この施設に来るらしい。
「どんな子ですかね?」
「可愛い子だといいね」
「ワンちゃんは皆、可愛いですよ!」
あまりに力強く力説するミトに、コシバは笑いながら賛同した。
しかし、施設にやってきた犬を最初に見たミトの感想は「可愛い」ではなかった。
「可哀相……」
思わずミトの口から漏れた言葉に、コシバも同意するように頷いた。
施設にやってきた犬は痩せ細り、立ち上がるのもやっとな状態だった。聞けば、ここに来るまで病院で治療を受けていたらしい。
「ちゃんとご飯、貰えてなかったんだね……」
「こんな状態になるまで放置するなんて……」
優しく犬を撫でるコシバの隣で、ミトは怒りに震え上がる。
人間の所業ではない。このようなことを平然と行える人を人間と認めてはいけない。
そう思ったミトがテレビで見たものを思い出し、わなわなと震える唇から声を漏らす。
「怪人ですよ……こんなことができる人なんていません……きっと怪人が飼ってたんですよ……早く超人に殺されてしまえばいいんだ……」
「ミトくん」
怒りに任せて言葉を発したミトを、コシバがやや怒ったような口調で諫めてきた。
「冗談でも、どれだけ酷くても、殺されればいいとか言ったらダメだよ。確かに、この子を飼っていた人の行いはあまりに酷いことだけど、それでも、殺されたらいいとか、怪人と一緒とか、そういう言い方をしたらダメ。それだとミトくんも同じになっちゃうから」
コシバの厳しくも優しい言葉に、ミトは感情に任せた言葉を反省する。
自分は怪人でもなければ、この子の飼い主だった人物とも違う。そういう暴力性は吐き出すべきではない。
コシバのお叱りに納得し、ミトは謝罪の言葉を口にした。
「すみません……」
その一言にコシバは笑みを浮かべ、空気を変えるように立ち上がる。
「じゃあ、この子のために落ちつける場所を用意しようか」
「はい、そうですね。そうしましょう」
コシバに続いてミトも立ち上がり、やってきた犬のためのケージを準備する。
この子が早く、ここで落ちついた時間を過ごせるように。
ミトもコシバも心の底から、そう祈っていた。
◇ ◆ ◇ ◆
施設内の掃除もある程度終わり、ミトはケージの中から三匹の動物を外に出した。
一匹は柴犬のわん太郎。いつも元気一杯で、とにかく食べることが大好きな子だ。
もう一匹はポメラニアンのチャッピー。のほほんとした子で、散歩に連れていくと犬なのに途中で帰り道が分からなくなって、ミトに助けを求めてくることが多々あった。
最後の一匹が猫のブリジットだ。白い毛並みをした雑種の猫で、気に入った相手には凄く擦り寄るのだが、それ以外の相手には牙を見せることも辞さない、二面性の激しい子だ。
その三匹にリードを繋いで、ミトはコシバに声をかけた。
「コシバさん。ちょっとこの子達の散歩に行ってきますね」
「ああ、うん。気をつけてね」
「はーい」
ミトは連れた三匹と一緒に施設を出て、近所の散歩に出かける。
これもボランティアとしての仕事の一つで、普段からミトはこうして施設の動物と一緒に散歩に出かけることがあった。
三匹を選んだ理由は特になく、順番に連れていく中で、今日はたまたま、この三匹を連れていくことにしたというだけだった。
先頭を歩くのはわん太郎だ。いつもわん太郎は走り出しそうな勢いで、誰よりも先を歩き出す。
その次がチャッピー。チャッピーはマイペースに、いろいろなものに興味を懐いて、鼻を近づかせながら、あちらこちらに歩いていく。
そして、わん太郎とは正反対の方向に歩き出そうとするのがブリジットだった。そちらに行きたいわけではなく、わん太郎とチャッピーにミトが構うのが気に食わず、自分に注意を向けるために反対に行こうとしている様子だ。
それらを束ねながら、ミトは大きく施設の周りを回り込むように歩いていく。
途中、少し大きな道路に面しているが、基本的に車は危険なものであると、三匹とも分かっているので、道路に自分から飛び出すことはまずない。
だから、ミトもわん太郎やチャッピーを必要以上に注意する必要もなく、反対側に歩こうとするブリジットを見る余裕もあった。
ちょうど、そういう瞬間だった。また来た道を戻ろうとするブリジットのリードに気づいて、ミトはそのリードを引きながら、ブリジットに声をかけた。
「ブリちゃん?そっちは来た方向だよ。行くのはこっち……」
そこまで口にした直後、ミトは不意にリードの一本を引かれ、大きく体勢を崩した。
どうしたのかと見れば、車道の中ほどに誰が捨てたのか、食いかけのフライドチキンが落ちている。
それを発見したわん太郎が勢い良く走り出したようだ。
「痛っ!?」
ミトはわん太郎にリードを引かれるまま尻餅をつき、それに驚いたチャッピーがあらぬ方向に走り出し、ミトを転ばしたことに怒ったブリジットがわん太郎に飛びかかっている。
「あっ、ちょっと皆……!?」
取っ散らかった三匹を押さえようと、手に持ったリードに意識を向けたことで、ミトは自分がどこに引かれ、どこで尻餅をついたのか、すっかり忘れてしまっていた。
そのことを思い出したのは、不意に甲高い音が聞こえ、そちらを向いたからだ。
そこでは、こちらに迫ってくる一台の車がクラクションを鳴らしていた。
(あっ……)
ここは車道だった。そうミトが気づいた時には遅く、止まり切れなかった車がミトの眼前に差し迫る。
次の瞬間、強い衝撃を受けた記憶を最後に、ミトの意識は吹き飛んだ。