正義の鬼
減点がなされた。
点数は−500になり、スタート地点よりはるか下。
現実世界に戻るという夢は失せ、ユズキは学園の中で暗く暮らすようになった。
「だって知らなかったんだもん。人を……心から愛することができないなんて」
もちろん彼女なりの愛し方で、ということだが。
つまりここでは、あらゆる暴力犯罪は犯せない。ナイフを向けられても痛みは感じないし、たとえ首を絞められたってなんらダメージはない。
ならなぜシンゴに殴られた時に衝撃が走ったのか。あれは『ショック』というシステムである。
人に危害を加えるような行動を取った生徒に与えられる罰のようなもの。実際、あれはシンゴが殴ったわけではなかったわけだ。彼はただ拳を握っていただけで、単なるユズキの勘違いだったらしい。
最悪だ。
あんなに何もかもうまくいっていたのに。あんなにも楽しかったのに。
部活は辞めさせられ、派閥のリーダー格であったはずなのに、仲間の子たちはみんな逃げてしまった。
スズカとも距離ができた。彼女の冷たい視線がユズキの心に刺さる。
「どうして? 私が何か悪いことをした!? 私の何が悪いの!?」
わからなかった。
誰もがユズキを無視する。心の中で嘲笑う。見下してくる。
こんなことなら死んでしまえればいいのにと思うが、ユズキには、いやここの生徒たちにはそれは許されていない。
ログアウトできる時期というのが設けられているのでその時に自殺すればいいのだが、一度殺人未遂行為をやったユズキは、卒業までログアウトが許されていない。
本体が心臓発作でも起こして死なない限りは、どうやっても死ねないのだ。
「死にたい」
こぼれる独り言。
「死にたい」
「死にたい」
「死にたい」
「死にたい」
「死にたいよ……」
何のために生きていかなければならないのか。
どうして人を愛したいだけなのに、こうも苦しまなければならないのか。
ユズキにとっては不条理すぎて、流れない涙を流したくなった。
このアバターには『泣く』というプログラムは設定されていない。だから泣くこともできやしない。
辛くて辛くて擦り切れてしまいそうだった。
――そんなある日のこと、大きな転機が訪れたのである。
「大丈夫か」
机の上に顔を埋めていたユズキは突然に肩を叩かれ、ふと顔を上げる。
するとそこには……。「シンゴくん?」
また胸が高鳴った。
愛せないのだともう諦めたはずなのに、まだ彼のことが好きだとでもいうのだろうか? ユズキは自分に苦笑した。
「お前、いじめられてるだろ」
ユズキは驚き、小さく肩を震わせた。「えっ」
「無視されてるだろ、周りから。暇さえあれば陰口ばっか聞こえてくるし。仮想空間でもこういうのって変わらんもんだな」
「うん」
「俺はそれを許容しない。――お前を助けてやる」
まるで映画かアニメか何かのヒーローのように。
シンゴはそう言い切って、ユズキの手をそっと握りしめてくれたのである。
ユズキはただただ呆気に取られ、彼を見つめることしかできなかった。
――『正義の鬼』というのは、シンゴの二つ名だ。
あらゆる悪を許さない。悪口も、いじめも、ハラスメントも、窃盗も、性暴力も、何もかもを。
一見正しいようにしか思えないそれらだが、彼は歪んでいた。
司法の代わりに悪に罰を下す。死をもって罪人たちを裁くのだ。
元々正義感が強い子供だった。
初めていじめを目撃した時、いじめっ子を屋上から突き落とした。その時からシンゴの『裁き』は始まり、それから何人もの罪人を殺めてきた。
その噂はたちまちに広がり、彼は無論のこと逮捕されて、ここ――バーチャル学園へと放り込まれた。
彼もそれには納得していた。言われてみれば自分は、正義の名の下に殺人を犯していたのだから。
やり直そうと思い、なるべく優しく周囲に接した。
悪を見つければ嗜めることでなんとか誤魔化し、また、皆を率いていくリーダーとして自分を律した。
だがある日、彼女が顔を真っ赤にしてやって来た。
「私、あなたを殺したいくらいに愛してる!」
絶叫とともに、突然、首を絞められた。
もちろん痛みはしなかったし、すぐにショックが与えられたのでたちまち彼女は崩れ落ちた。その時、シンゴは自分の本性が剥き出しになりそうだったので、慌てて自制したのだ。
それからというもの、彼女――ユズキは周囲から孤立し、貶されるようになった。
優秀の基準である点数も最下位になってしまっていたし、当然かも知れない。けれどシンゴは彼女へ向けられる悪を許せなかった。
ユズキを見ていてわかった。この前の行動は邪悪な感情によるものではなく、ただ純粋な愛に突き動かされてのことなのだろうと。
ただ、その愛し方が歪んでいるだけで。
なんとか助けてあげたい。いや、俺が助けなきゃいけない。
悪を罰するのではなく、被害者を救う。それが正しい正義のあり方だと気づいたから。
シンゴは使命感に駆られ、彼女の元へ行った。
「――お前を助けてやる。だから、ここから抜け出そう」
驚く少女に、シンゴは言い切ったのであった。