唇を重ねて
ガタリ、と視界が大きく揺れる。
それはまもなくの覚醒の予兆であろうと、ユズキは思った。
すぐに周囲が真っ暗になった。
そして遠ざかる意識の中、声がする。
「ど、どうしたのよ!?」
これは確か、スズカの声だ。先ほどまでスズカに、「シンゴに見捨てられて可哀想」とかなんとか、見当違いなことで笑われていたんだったか。
彼女には悪意を向けられてきた。でも、それでも、最後に一つだけ言わなければならないことを、少しだけ思い出す。
朦朧とする意識の中、ユズキはやっとのことでその言葉を声にした。
「スズカちゃん、ありがとう。さよなら」
いっときだけでも友達でいてくれた彼女を見つめ、ユズキは微笑みかけたのだった。
――目を開けると、すぐそこに少年の顔があった。
「ああ。想像通り、想像以上だ……」
うっとりしてしまう。あのアバターの彼も素敵だったが、本物の彼はさらに美しく見えた。
ユズキは躊躇いなく、彼に言葉をかけた。「おはよう、シンゴくん」
シンゴもユズキにじっと見入っている。
絡み合う視線はとてもリアルで、胸がドキドキした。これは仮想世界なんじゃない、本当の現実なのだ。
「可愛いな、ユズキは」
「ん。……愛してる」
割れたクリスタルからそっと身を出し、外の世界へ踏み出す。
照れ臭そうに笑うシンゴへ、思わず抱きついていた。
なんて温かいんだろう。人の温かさを感じ、思わず涙が出そうになる。
そんな彼女へ与えられるのは優しく甘い感触。驚いてそちらへ目をやると、すぐそこにシンゴの鼻と目があった。
そして唇は、しっとりと心地よいもので濡れていた。
「……キス?」
「はっきり言うなよ恥ずかしい」
もう一度静かに唇が触れ合う。
叫び出したくなるくらいに嬉しくて、思わず笑顔になった。
そのまましばらく、二人はそうして唇を重ねていた。
けれどそんな甘い時間は、そう長くは続かない。
そっと身を離し、シンゴがこんなことを言い出した。
「――逃げよう、どこまでも」
その言葉に驚きはしなかった。
『この学園から出たら、俺と一緒に逃げるんだ』というのは、事前に彼が言っていたことだから。
「でも、」
思わず反論しかけるユズキの口を、シンゴが大きな体で包み込んだ。
そして彼は言う。
「俺たちは自由だ。あんな空想世界で、仮想の檻に閉じこもってちゃいけない」
顔を上げたユズキは、彼の顔をじっと見つめた。
「……腕輪は、どうするの?」
「腕を折ればいいだけの話さ。なんら問題はない」
同時に、ボトっと気味の悪い音を立て、何かが床に落ちた。
見るとシンゴの千切れた右腕がそこにはあった。肘から先を失った本体の腕が、真っ赤な血をこぼしている。
「し、シンゴくん!?」
「クリスタルの破片で切っただけだ。気にするな。……さあ、行こう」
彼はユズキを抱いたまま、そっと窓の方まで連れていく。
一体何をするつもりなのか、ユズキにはすぐにわかった。
「大丈夫だよね?」
「大丈夫さ。これは正義のためなんだから」
正義とか悪とか、ユズキにはわからない。
でも彼の傍にいられればそれでいいと思った。
窓を開け、二人は手を繋いで飛び降りる。
この先一体何が待っているのだろうか。希望か、それとも絶望か。
それは何とも言えないけれど――。
「バーチャル学園、嫌なこともあったけど楽しかった」
友達ができたこと、彼ら彼女らと話したこと、一緒に料理を作ったりしたことも。
全て全て懐かしく、美しい思い出として頭の中に蘇る。
「私とシンゴくんがいなくなっても、元気でやっていってくれるといいな」
そんなことを思いつつ、ユズキの意識は闇に落ちる。
直後、彼女と隣の少年の体は真っ赤な花のように爆ぜていた。
〜完〜
ご読了、ありがとうございました。
途中からなんだか予想以上に暗い話になってしまいました。VRゲームジャンルよりヒューマンドラマの方が近いかも……などと思いつつ、でも一応VRMMOものということで(笑)
ブックマーク・評価・ご感想などいただけると嬉しく思います。