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王様ゲーム

作者: 瀬口利幸

ある日の飲み会の席で、僕は、会社の同僚の井部から風俗に誘われた。

僕は、井部いわく、「小文字のaカップ(Aカップよりさらに小さい)の胸」の彼女と付き合っていたので断ったのだが、井部は、そんな僕に勝手に同情して、しつこく誘ってきた。

そして、僕は、とうとう井部の執念に負けて、風俗店に行ってしまった。

やがて、そのことが彼女にばれて、僕たちは、けんかをしてしまう。

そんな僕たちを見て、責任を感じた井部は、何とか二人を仲直りさせようと努力する。

「いい店見つけたぞ」

週末の金曜日。

会社の飲み会の席で、隣にいる同僚の井部が僕に話しかけてきた。

「いい店?」

「ああ」

「何の店だよ」

「風俗」

「ふーん」

僕は気のない返事をしたのだが・・・・。

「いいぞー、一緒に行かないか?」

なんと井部は、そんな僕を誘うという暴挙に出た。

「いいよ、俺は」

「なんでだよ。あっ、分かった。これか?」

と言って井部は、右手の薬指を突き出した。

「なっちゃんに気使ってんだろ」

「そんなんじゃねえよ」

なっちゃんとは僕の彼女で、本名は奈津子。

なぜ井部が彼女を表現するのに、小指ではなく薬指を突き出したのか。

それは、彼女の職業が看護師だからだ。

「じゃあ決まりだな」

「なんで、そうなるんだよ」

「いいから、一回行ってみろって。いいぞー。なんたってエロの本場だからな」

「なんだよ、それ」

「野球だってそうだろ。日本のプロ野球と本場のメジャーじゃぜんぜん違うだろ」

「まあな」

「草野球とだったらなおさらだよ」

「草野球って失礼な。人の彼女捕まえて」

「じゃあプロかよ。プロの風俗嬢か?」

「そうじゃねえよ」

「じゃあ、草野球じゃねえか」

「・・・・」

「だから、一回行ってみろよ。心配すんなって、ばれたりしねえから」

「・・・・」

「確かに、なっちゃんはいい娘だよ。可愛いし、性格もいいし」

「・・・・」

「しかし!ただ一つ欠点があります」

「なんだよ、欠点て」

「胸」

「・・・・」

「胸が、おぞましいほどに小さい」

「おぞましいは余計だろ」

「俺がお見受けするところ、小文字のaカップ」

「Aカップよりも更に小さいってことだな」

「そのとおり」

「・・・・」

「そこでだ」

井部は、一枚の名刺を取り出して僕に渡した。

〈D~ えみ〉

「D~って店の名前かよ」

「ああ」

「変わった名前だな。どういう意味だよ」

「文字通り、Dカップ以上の娘しかいないってことだよ」

「本当かよ」

「ああ、これで君の悩みも一気に解決。今まで手持ち無沙汰だった両手に、スポットライトが」

「・・・・」

「お前知ってるか。動物ってな、日ごろ使わない部分はどんどん退化していって、最後にはなくなるんだぞ」

「その為だけに使ってるわけじゃないだろ、両手は」

その後も、井部の執拗なまでの攻撃は続いた。

とにかく、井部の、エロに対する懐の深さと執着心はすさまじく、他の追随を許さなかった。

結局、最後には、井部に押し切られる形になってしまった。



「どうだ。今週も行くか?」

週明けの月曜日。

僕が出勤するなり、井部が声をかけてきた。

「いいよ、俺は」

「なんだ、やっぱり、なっちゃんに気使ってんのか?」

「ああ、そうだよ。悪いかよ。お前こそどうなんだよ」

「なにが?」

「お前も彼女いるだろ」

「ああ」

「いいのかよ、風俗なんか行ってて。陽子ちゃんに悪いと思わないのか?」

「それとこれとは別だろ」

「どういう事だよ」

「お前、いつもなっちゃんの手料理食べてるだろ」

「ああ、毎日ってわけじゃないけどな」

「でも、たまには外食だってするだろ」

「まあな」

「で、そこのシェフが女だったとしたら、お前、なっちゃんに悪いなって思うか?」

「そんなことは思わねえよ」

「だろ。でもこれが、お前に他の女がいて、その女の作ってくれた手料理を食べてるとしたら・・・・」

「そりゃ駄目だろ」

「だろ。そういうことだよ」

「どういうことだよ」

「風俗嬢は、あくまでも、凡人には作れないおいしい料理を作ってくれるシェフであって、二股かけてる彼女じゃないってことだよ」

「・・・・」

僕は、このまま井部と付き合っていていいものかどうか、真剣に考え始めていた。



「久しぶりね、会うの」

「そうだな」

僕は、会社帰りに、馴染みのファミリーレストランで奈津子と会っていた。

「仕事、忙しかったみたいだから」

「ああ」

「もう、落ち着いたの?」

「まあ、なんとか」

別に、仕事が忙しかったわけではない。

気まずかったから会えなかっただけで。

僕は、奈津子の追及の手を緩めるために話題を変えた。

「先週のぐるナイ見た?」

「うん、見た見た。面白かったね・・・・え?」

「え?」

「先週のぐるナイ?」

「先週のぐるナイ」

「その日、残業があるって言ってなかったっけ?」

「え?・・・・あー、レコーダーに録画してたのを見たんだよ」

「あー、レコーダーね・・・・え?」

「え?」

「レコーダー壊れたって・・・・」

「あー、直ったんだよ。なんか、いろんな所いじってたら」

「ふーん、良かったね」

「え?・・・・何が」

「レコーダー直って」

「あー、レコーダーね。うん、良かった良かった」

僕は料理を食べた。

とにかく食べた。

これ以上この口を野放しにしておいたら、どんな墓穴を掘るか分からない。

とにかく今は、食べることが、僕にとっての最良の安全策だと思われた。



「どうだった?久しぶりのデートは」

翌日出社した僕に、井部が話しかけてきた。

「楽しかったよ」

「そうか、ばれたりしなかったか?」

「何が?」

「風俗行った事」

「ばれるわけないだろ」

「そうか、うらやましいな」

「何がうらやましいんだよ」

「まあまあ、その話は置いといて」

井部は、僕を手招きしながら先導していき、来客用の大きいソファーの前で立ち止まった。

「これ、持ち上げてみてくれないか」

「俺が?」

「ああ」

「一人で?」

「ああ」

「持ち上がるわけないだろ、こんなの」

「まあまあ、騙されたと思って」

「意味わかんねえよ」

「課長が模様替えしたいからって」

「なんだ、それを早く言えよ。でも、持ち上がらないぞ、一人じゃ」

「まあまあ、とりあえずやってみろよ。駄目だったら俺が手伝うから」

井部にそう言われ、僕は渋々持ち上げようと試みたが、やはり無理だった。

「無理だよ、やっぱり。手伝えよ」

「よし、わかった。じゃあ、お前そっちな。俺こっち持つから」

「せーの」

二人がかりで持つと、ソファーがやっと重い腰を上げた。

と同時に、

「下ろすぞ」

という井部の掛け声で、僕たちは、一歩も動くことなく、すぐにソファーを下ろした。

「何やってんだよ」

わけの分からない僕は、井部に抗議した。

「あー疲れた」

「模様替えは?」

「いいのいいの」

そう言うと、井部はまた、僕を手招きしながら自分たちの席へと戻って行った。

「いいか、今あった事を絶対に忘れるなよ」

「・・・・」

「今起こった出来事を充分頭に叩き込んだ上で、俺の話を聞いて欲しい」

「・・・・」

「じゃあ、さっきの話の続きをどうぞ」

「何だっけ?」

「何がうらやましいんだよ」

「ああ、そうか・・・・で、何がうらやましいんだよ」

「俺、ばれちゃったんだよ」

「え?」

「風俗行った事が、陽子に」

「なんで?」

「携帯チェックされちゃって」

「入れてたのか、お前。店の番号を」

「ああ。なんか、最近の俺の行動が怪しかったんだって」

「何で、店の番号なんて入れてんだよ」

「そりゃ入れるだろ。もし店に行って、俺のお気に入りのえみちゃんが休んでたらどうすんだよ。俺、途方に暮れるだろ」

「・・・・」

「そんなことがないように、事前に電話して確かめておくのが当然だろ」

「あっ、そう・・・・で、大丈夫だったのか?」

「まあ、なんとかな」

「へー、よく許してくれたな」

「最初のうちは、手がつけられなかったんだけどな。お前の名前出したら何とか」

「!?・・・・今なんて言った?」

「お前の名前出したら何とか」

「俺と一緒に行ったって言ったのか?」

「ああ」

こっちが拍子抜けするくらいあっさりと、悪びれることなく井部は認めた。

「なんで?」

「実例だよ。男っていうのはそんなもんだっていうことを、分からせないと駄目だろ。特に、陽子のお前に対する好感度は高いからな。あー、木田君みたいな人まで行くんだったらしょうがないなって思うだろ」

「ふざけんなよ、馬鹿。お前はそれでいいかもしれないけど、俺はどうなるんだよ。奈津子と陽子ちゃんは友達なんだぞ」

「知ってるよ、そんなこと。お前たちが主催したコンパで知り合ったんだから、俺たち」

「だったら、何で俺の名前なんか出したんだよ。筒抜けだろ、奈津子に」

「まあまあ、聞けよ・・・・そこで登場するのが、さっきのソファーの一件だよ。覚えてるか?」

「・・・・」

「お前さっき、一人でソファー持ち上げようとしたよな」

「ああ」

「でも、一人じゃ重くて持ち上げれなかった」

「ああ」

「しかし!俺が加わって二人になったことで、一人じゃ重くてびくともしなかったソファーを、軽々と持ち上げることが出来た」

「・・・・」

「そういうことだよ、木田君」

井部は教授気取りで、僕の肩に手を置いた。

「どういうことだよ」

僕は、その手を払いのけながら反論した。

「つまりだ。よく聞きたまえ、木田君」

「やめろよ、教授口調は」

「陽子の、あの巨大な怒りを、俺一人で受け止めるということは、あまりにも無謀で、あまりにも危険なことなんだよ」

「・・・・」

「しかし、お前と、怒りを分散して受け止めたことで。

いや、君というよき友と、痛みを分かち合えたことで、この危機を、無事乗り越えることが出来たんじゃないか」

パン!

「痛っ!」

頭を押さえて抱え込む井部の横で、僕も負けじと頭を抱え込んだ。



僕が恐れていたとおり、その日のうちに早速、奈津子から呼び出しを食らった。

携帯に届いたメールは、一見いつもと変わらないように見えたのだが・・・・。

そんなはずはない。

もうすでに、たれ込み屋陽子からの情報は得ているはずだ。

僕は警戒心を緩めることなく、取調室となるであろう、奈津子の部屋へと向かった。



着いてしまった。

奈津子の部屋に。

しかし、そこから先に進めなかった。

いつもなら、すぐにインターホンを押して、気軽に中に入って行くのだが・・・・。

10分くらいは経っただろうか。

いつまでもこうしていてもしょうがないと覚悟を決め、僕は、思い切ってインターホンを押した。

「はーい」

中からは、いつも通りの奈津子の明るい声。

そして、ついにドアが開けられた。

「いらっしゃい、どうぞ」

これもまた、いつも通りのやさしい態度で、奈津子は僕を招き入れてくれた。

しかし、そのやさしさが逆に、これから起こる惨劇を想像させ怖かった。

「ごめんね。今、ご飯作ってるから。ちょっと待ってて」

そう言って、奈津子はキッチンへと消えた。

僕は、心の中で神田川を口ずさみながら、リビングへ向かった。



リビングに着いた僕は、落ち着かなかった。

テレビを点けてみたが効果はなく、くつろぐ為のリビングなのに、用もなくうろうろと歩き回っていた。

そして、僕が、リビングの名誉を著しく傷付けた挙句に、たどり着いたところは窓際だった。

そこから見える夕暮れの街を眺めていると、少しだけ落ち着きを取り戻すことが出来た。

しかし、現実はそう甘くはなかった。

その時、もうすでに、魔の手は忍び寄っていた。

地球の自転という魔の手が。

自転は夕暮れを追いやり、夜を引き連れ,街を闇に葬った。

その結果、素通しだったガラスがマジックミラーへと姿を変え、僕の顔を映し出した。

目撃者から容疑者へ。

じょじょに心を開きかけていた窓ガラスにも裏切られ、気分を害した僕はカーテンを閉めた。

すると、

「ごめんね、遅くなって」

という声と共に、奈津子が料理を手に現れた。

そして、間もなくセッティングが完了。

「冷めないうちに食べて」

テーブルに着いた奈津子が、僕を促した。



僕は、テレビを見ていた。

いや、正確には、テレビの方を向いていただけだった。

内容などどうでも良かった。

どうせ、頭には入らないのだから。

ただ、点いてさえいてくれれば。

そうすれば、奈津子と目を合わさずに済む。

今の僕にとっては、テレビだけが、唯一の心のより所となっていた。

「どう?」

「え?」

テレビというより、奈津子の顔を見ない、ということに集中していた僕は、不意に問いかけられ、思わず禁じ手を破り、声の方に振り向いてしまった。

そこには当然、奈津子の顔が。

やばい!

僕は、慌てて視線を料理に落とし、何とか緊急避難に成功した。

そして、成り行き上仕方なく、料理を口に運びながら問い返した。

「何が?」

「料理の味」

テレビの内容も頭に入らない僕に、料理の味を聞かれても・・・・。

しかし、僕には、一つの選択肢しか用意されていなかった。

「美味しいよ」

今の僕の立場上、そう言わざるを得なかった。

中間管理職の悲哀を、疑似体験できたような気がした。



人間とは、緊張感や集中力を、そんなに長い間持続できるものではない。

僕も例外ではなく、今まで鉄壁だったガードが、時間が経つにつれ、だんだんと緩み始めていた。

それに加えて、いつまでも豹変しない奈津子の態度。

ひょっとしたら、陽子から、まだ何も聞いていないんじゃないかという思いまで頭をよぎり出す。

そして、デザートのキウイを食べ終えた頃には、完全にいつもの自分が出来上がり、僕は、リビングを満喫し始めていた。

こうして、気が楽になった僕は、ソファーに寝転がりながら、その日初めて、奈津子の顔をしっかりと見た。

すると、ある変化に気付き、僕はそれを素直に口にした。

「髪切ったんだな」

この何気ない一言が引き金になった。

「うん、今日休みだったから」

「ふーん。何で切ったんだ?」

「失恋しちゃったから」

その一言で、僕は飛び起きた。

「失恋!」

「うん」

「誰に?」

「幸二に」

「俺に!?」

「うん」

「何言ってんだよ。ちゃんと付き合ってるだろ、俺たち。今だって、こうして・・・・」

「今日が最後だから」

「・・・・なんで?」

僕は、恐る恐る聞いてみた。

「陽子から全部聞いたの・・・・だから」

「そんな、お前。陽子ちゃんの言うことだけ信じるのか?俺には何も聞かないで」

「聞かなくても分かるよ。今日の態度見てれば」

「・・・・」

「憎しみ合うのは嫌だから・・・・きれいに別れたいの」

「ちょっと待てよ」

「ごめんね・・・・私、女としての魅力ないから・・・」

言い終わらないうちに、奈津子の目には、涙が溢れて来ていた。

「いや、それは。だから、付き合いだよ、付き合い。男同士の。分かるだろ。断りきれなかっただけなんだって」

「ごめんね。辛い思いさせて・・・・」

奈津子は、テーブルに突っ伏して号泣し始めた。

僕は、慌てて近付いて行き、

「ごめん、俺が悪かった。謝るから・・・・」

と言って奈津子の肩を抱いた。

その瞬間、奈津子は鬼のような形相で体を起こしながら、僕の手を振り払った。

「触んないでよ。汚らわしい!」

そして次には、

「どスケベ!」

「変態!」

「死ね!」

ありとあらゆる罵声を浴びせながら、身近にある物を、僕に向かって投げつけてきた。

最初のうちはとんでもない方向に飛んでいたのだが、驚愕の学習能力によって、確実に、僕の体にヒットするようになって来た。

そして、投げる物も変化していった。

最初は、クッションのような軟らかい物だったのが、雑誌、リモコン、灰皿といった具合に、より強固で、より殺傷能力の高いものへとグレードアップしていった。

当然のことながら、時が経つにつれ、奈津子の保有する戦力は減少していく。

しかし、だからといって安心などしていられない。

残ったメンバーといえば、食事の時に使っていたナイフとフォークを始め、そうそうたる顔ぶれがずらり。

中には、殺人事件のニュースで一躍スターダムにのし上がった、鈍器のような物までも。

それら、奈津子率いる屈強な猛者軍団と、ごく一般的な僕の生命力。

二つを秤にかけた結果、僕には、逃げるようにこの場を後にするより他に、助かる方法は見つけられなかった。



「そうか、大変だったな」

翌日の会社で、僕の話を聞いた井部の第一声がそれだった。

「なに収まった口調で言ってんだよ。他人事みたいに」

「他人事だろ」

「ふざけんなよ。お前がばらしたからだろ」

「直接、なっちゃんにばらしたわけじゃないぞ」

「同じ事だろ。お前が陽子ちゃんにばらしたから、陽子ちゃんが奈津子に話して、俺がこんな目にあってるんだろ」

「被害妄想だろ、それは」

僕は、井部の首を絞めた。

「こういうのは事実っていうんだよ。ノンフィクション、ドキュメンタリー」

そして、法に触れる直前で放した。

「・・・・でも、しょうがないよな。実際に、風俗行ってる訳だから」

「お前がしつこく誘うからだろ」

「それは、冷遇されてるお前のことを、不憫に思った俺の善意だろ」

「どいうことだよ、冷遇って」

「冷遇だろ。小文字のaカップのなっちゃんと付き合ってるんだから」

パン!

「痛っ!」

「好きで付き合ってるんだよ、俺は」

「・・・・で、どうするんだ?これから」

「わかんねえよ、どうすりゃいいんだか」

「プレゼントでもしてみたらどうだ」

「プレゼント?」

「ああ、ちょっと高めのブランド品でも買ってやりゃ一発だよ」

「単純だな、お前は」

「そんなもんだぞ、女なんて」

「陽子ちゃんもか?」

「陽子は別だよ。あいつは物欲ってもんがほとんどないからな、いまどきの女にしては珍しく。ま、そこが好きで付き合ってるんだけどな」

「何のろけてんだよ。TPOを考えろ」

「もうすぐ誕生日だろ、なっちゃん」

「ああ、そうだな。後二週間ぐらいか」

「ちょうどいいじゃないか。誕生日にプレゼントすりゃ。時間的にも、そのくらい空けたほうがいいだろ。怒りもおさまってるだろうし」

「・・・・」

「そうすりゃ、表向きは誕生日プレゼントっていうことに出来るから、お前の面子も守れるし、プレゼントすることに抵抗もないだろ」



単純だと馬鹿にしてはみたものの、悲しいかな、頭は井部と同レベルらしく、他にいい方法も見つからなかった僕は、今こうして、10万の指輪を手に、奈津子の部屋の前に来ていた。

現在、時刻は午後6時。

井部の情報によると、7時から、陽子たち数人の女友達と、この部屋で誕生日パーティーをするらしい。

その前に、是非このプレゼントを渡して、出来ることなら仲直りしておきたかった。

僕は、一つ大きく深呼吸してインターホンを押した。

「はーい」

ちょっと早めに友達が来たとでも思ったのだろう。

奈津子は、のぞき穴から確認することもなく、すっとドアを開けてくれた。

ガチャ。

しかし、相手が僕だと分かると、すぐにドアを閉めようとした。

僕は、すばやく右足を滑り込ませる。

そして、激痛に耐えながら、何とか左手でドアをつかんだ。

「何しに来たのよ」

「謝りに来たんだよ。ちゃんと謝りに」

「いいわよ、別に」

「それくらい、させてくれたっていいだろ」

「帰ってよ。もうすぐ陽子たちが来るんだから」

そこで、プレゼントの存在を思い出し、僕は、ドアの隙間から奈津子に差し出した。

「何よ、これ」

「プレゼントだよ。今日、誕生日だろ」

奈津子は意外にも、すんなりと受け取ってくれた。

かと思ったのもつかの間、そのプレゼントを、ドアの隙間から外に向かって、思いっきり放り投げた。

「あ!」

10万の指輪は、廊下の手すりを飛び越え見えなくなってしまった。

そして、僕がそっちに気を取られている隙に、奈津子はすばやくドアを閉め鍵をかけていた。

次の瞬間、僕は我を忘れて、大声で叫びながら、力任せにドアを叩いていた。

「おい!開けろ。コラ!奈津子!」

どれくらいの間そうしていただろう。

いい加減手が痛くなってきた頃、背後から不意に両腕をつかまれた。

見ると、制服警官が二人。

「何だよ、放せよ!」

もがいてみたが、二対一ではどうにもならない。

「静かにしろ!」

「放せって言ってんだろ!」

更に暴れると、僕は、二人の警官によって廊下に押しつぶされた。

「おとなしくしろ!ストーカーのくせに」

「ストーカー?」

「ああ、ストーカーならストーカーらしく、もっとやり方があるだろ。こっそり後をつけるとか、電柱の陰からそっと見つめるとか」

「どういうことだよ?ストーカーって」

「さっき、この部屋の住人から通報があったんだよ」



「あはははは、やるなあ、なっちゃんも」

「笑い事じゃねえよ」

翌日の会社の昼休み、僕は、井部と社員食堂に来ていた。

「で、その後どうなったんだ?」

「警察署に連れて行かれたよ」

「へー、よく出てこれたな」

「そりゃ、必死で事情説明したからな。携帯の履歴とか、二人で写ってる写真見せたり」

「それで、信用してくれたのか?」

「いや、最終的には、奈津子の携帯に電話して・・・・」

「なんだ、なっちゃん証言してくれたのか。やっぱりまだ、お前のことが好きなんだな」

「違うよ、陽子ちゃんだよ」

「陽子が?」

「ああ、奈津子の代わりに電話に出て、事情を説明してくれたんだよ」

「ふーん、そうか・・・・まだ無理か、仲直りは」

「ああ・・・・もう、いいよ」

「もういいって・・・・別れるのか?」

「当たり前だろ。あんな屈辱受けてまで付き合ってられるかよ」



と、強がってはみたものの、一ヶ月もすると、奈津子への怒りは完全に消え去り、愛しさだけが、僕の心を支配していた。

会いたい。

会って仲直りしたい。

しかし、僕には、その術が見つけられなかった。

そんな時、会社帰りに、僕は井部から声をかけられた。

「今度の金曜日、陽子の誕生日パーティーやるんだけど、お前も来るか?」

「え?」

「なっちゃんも来るぞ。いいチャンスだろ、仲直りする」

「・・・・」

僕は、心の中では、満面の笑みを浮かべながら即答していたのだが、素直に、それを表に出すことが出来なかった。



パーティー当日。

僕は井部に連れられ、陽子の部屋を訪れた。

リビングに入ると、もうすでに、テーブルの上に料理はセッティングされ、メンバーも揃っていた。

井部と陽子がつき合うきっかけとなった、コンパの時のメンバーが。

その中には当然、奈津子の姿も。

奈津子は、僕に気付くとすぐに目をそらした。

僕は少し安心した。

久しぶりに見る奈津子の顔からは、以前のような嫌悪感は消え、僕の顔を見ても、怒って帰るようなことはしなかったからだ。

それは何故かは分からない。

僕に対して、悪い事をしたという思いからなのか。

この場の雰囲気を壊したくない、という思いからなのか。

どっちにしても、一歩前進したことだけは確かだった。

しかし、だからといって、そう簡単に埋められるほど、二人の間に出来た溝は浅くはなかった。

僕は、奈津子から一番離れた、対角線上の席に座った。



「飲んでるか?」

井部は、空になった僕のコップに、ビールを注ぎながら隣に座った。

「なっちゃん、意外と機嫌良さそうだな。もう怒ってないんじゃないのか?」

「だといいんだけどな」

僕たちは、そんな会話をしながら、陽子と喋っている奈津子を見つめていた。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

たぶん、さっき注文していたピザが届いたのだろう。

「あっ、来た」

と言って立ち上がりかけた陽子を、奈津子が制した。

「いいわよ、座ってて。主役なんだから。私が取ってきてあげる」

そう言って奈津子は、財布を手に立ち上がり、僕たちの視界から消えていった。

すると、井部が、僕の腕をひじでつついた。

見ると、その目は、必死で何かを僕に訴えかけていた。

しばらく考えた末に、やっとその内容を理解した僕は、奈津子の後を追って、玄関へと向かった。



「それじゃあ、ありがとうございました」

「どうも」

僕が玄関に着くと、ちょうどピザ屋の店員が帰るところだった。

奈津子はピザを手に、玄関の鍵を閉めチェーンをかけた。

そして、振り向いたところで、やっと僕の存在に気付き立ち止まった。

目と目が合った。

そして、奈津子は、何か言いたげに口を開きかけた。

しかし、結局は何も言わずに、そのままうつむいて行ってしまった。



僕がリビングに入っていくと、待ちかねていたように井部が手招きをした。

「どうだった?」

僕は、黙って首を横に振った。

「そうか」

その言葉の響きは、残念がっているようにも、何かを決意したようにも聞こえた。



「王様ゲームやろうか」

パーティーが始まって三時間が過ぎようとしていた頃、唐突に井部が切り出した。

そして、示し合わせてでもいたかのように、他の友人たちも、すぐにそれに呼応した。

「やろうやろう」

その流れに取り残されたのは、僕と奈津子だけだった。

僕には、井部の真意が理解できなかった。

僕たちは、今までこのメンバーで、王様ゲームをした事はない。

それはそうだろう。

カップルが二組もいるのだから。

そんな事をしたら、喧嘩の原因になることは目に見えていた。

かといって、ゲームの内容をセーブすれば、面白くもなんともない。

たぶん奈津子も、同じような事を考えていたんだと思う。

僕たち二人を置き去りにして、話はどんどん進んでいった。



「王様ゲーム!」

「イエーイ!」

盛り上がりが最高潮に達する中、井部は、割り箸の束を持って歩いて回り、友人たちに順番に引かせながら、僕の所へやってきた。

「何考えてんだよ、お前」

「まあ、いいから、俺に任せとけって」

そう言いながら、井部は、僕にも割り箸の束を差し出した。

仕方なく、僕は、そのうちの一本を引いた。



「みんな引いたな」

元の場所に戻った井部は、全員の顔を見回しながら言った。

「それじゃあいくぞ!」

「王様だーれだ!」

「はーい」

「なんだ、上野かよ。変なことやらすなよ」

「じゃあ、1番が4番にしっぺ」

「えー!」

「しーっぺ!しーっぺ!」

こうして、一回目の王様ゲームが始まった。



そして、二回目、三回目と異様な盛り上がりのうちに終え、迎えた四回目。

今回は今までと違い、陽子が、井部に代わって割り箸を手に歩き出した。

僕は、今までのゲームを見ていて、気付いたことが三つあった。

一つ目。

過去三回、王様になったのは、一番初めに割り箸を引いた者だという事。

二つ目。

王様になった者は必ず、命令を下す前に、ゆっくりとみんなの顔を見回すという事。

三つ目。

王様に見つめられた者は、僕と奈津子を除いて、必ず不自然でない程度の行動を起こすという事。

そして、今回、一番初めに割り箸を引いたのは・・・・。

「王様だーれだ!」

「はーい!」

予想通り、井部が元気よく手を上げた。

「どうしようかなあ・・・・」

そう言いながら、井部は、ゆっくりとみんなの顔を眺め回す。

何をするつもりなんだろう。

その時の僕には、まだ、井部の目的が分からなかった。

ただ、今僕に出来る事といえば、「まかせとけ」という井部の言葉を信じ、黙って見守ることくらいだった。

「そうだなあ」

井部が、やっと次の言葉を口にした。

「買い出しにでも行ってもらおうか。食べ物や飲み物少なくなってきたから」

「いいな、それ」

友人たちが同調した。

「誰にしようかなあ・・・・じゃあ、4番と6番。誰だ」

僕は、ゆっくりと手を上げた。

そして、もう一人は・・・・。



僕と奈津子が玄関で靴を履いていると、足音が近付いてきた。

振り返ると、井部が、紙切れを手に立っていた。

「これ、一応リスト書いといたから」

「ああ」

僕がその紙を受け取り、ドアに手をかけたところで、井部が、思い出したように声を発した。

「あっ、そうだ」

僕が振り返ると、井部は続けた。

「もう一つあったんだ」

「え?」

「命令」

「・・・・」

「一番大事なの忘れてた」

「何だよ。命令は一つだけだろ、普通」

「補足だよ、補足」

井部は、僕と奈津子の顔を交互に眺めながら、少しもったいぶって口を開いた。

「買い出しに行ってる間に、二人が仲直りすること」

「・・・・」

僕と奈津子は、思わず顔を見合わせていた。

「いいか、忘れるなよ。王様の命令は絶対だからな」



僕と奈津子は、コンビニでの買い物を終え、薄暗い路地を、陽子のアパートへ向けて歩いていた。

忘れた物はなかった。

ただ一つを除いては。

ここまでの時を、僕たちは、無言で過ごしてきていた。

もちろん、そうしたくて、そうしてきたわけじゃない。

僕の頭の中では、ありとあらゆる言葉たちが、我も我もと、強烈な自己アピールを繰り返していた。

しかし、そのどれもが、わだかまりという重くて硬い扉を開けることが出来ずにいた。

そうしているうちに、とうとう見えてきてしまっていた。

タイムリミットとなる陽子のアパートが。

早くしないと。

せっかくのチャンスなのに。

あせった僕が、思い切って話しかけようとしたその時、不意に、僕の左手に何かが触れた。

なんだろう。

久しぶりに味わうこの感触。

考えるまでもなかった。

それは、小さくてやわらかい、奈津子の右手だった。

僕が、驚いて奈津子を見ると、

「しょうがないでしょ・・・・王様の命令なんだから」

奈津子は、恥ずかしそうにうつむいたまま、そう言った。

そして、僕は気付いた。

奈津子の薬指に輝く指輪に。


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