スナギツネの顔になっていいでしょうか
「聖女様はお会いになりません」
王宮の中でまさかの門前払いを食らいました。
場所は【花の間】に続く渡り廊下です。王家の方々のお住まいとは別に、聖女様専用の離れがあり、ちょっとした貴族の別荘ぐらいの大きさがありました。
部外者立ち入り禁止の長大な廊下で繋がっているのですが、厳格な門番よろしく神官服の女性に遮られました。
フロレンシア大神殿の神官、で間違いないと思います。
聖アルシオン教において、神官とは神殿内の活動をメインとする司祭のことです。
本来双方は同格で区別はなかったのですが、教会で人々に神の教えを伝える司祭と、神殿で祭事を行う司祭を呼び分けるようになって、いつしか定着したものと言われています。
厳密には〝神官〟という位階はありません。ただ、その者の属する場所がわかりやすいように、司祭服と神官服は若干デザインを変えています。
【花の間】と呼ばれる建物の目と鼻の先で、立ち塞がったのは神官服の女性でした。
歳の頃はわたくしと変わらないぐらいか、多少若いぐらいかもしれません。
「聖女様は体調でも悪くされたのでしょうか?」
「あなたの知る必要はないことです。お帰りください」
「お身体の調子が思わしくないのでしたら日を改めもいたしましょう。が、そうでないのでしたら取り次いでいただけませんか?」
「聖女様はお忙しいのです。下々の者に気軽にお会いにはなりません」
取り付く島もないとはこのことでしょうか。
頑固な方ですねぇ。理由の説明もなく帰れと言われて帰ると思ってるんでしょうか? ところで「下々の者」って本気で言ってます?
ちょっとつついてみましょう。
「わたくしに会わないというのは聖女様のご意向ですか? それとも、あなた個人の見解ですか?」
「……どういう意味でしょう?」
「質問通りの意味です。聖女様のご意向でないのでしたら、引き返す必要はありませんよね」
「――……修道女ふぜいが、図々しいですよ」
おっと、「ふぜい」ときましたよ。
ここにいるのわたくしだけではないんですけれど、いいんでしょうか?
「どういうことだ? この時間に必ずお待ちいただくよう、聖女殿にはお伝えしてあるはずだが」
剣呑な声を発したのは、わたくしについて来てくれた近衛騎士でした。王宮内でわたくしが歩き回る際の案内役として、陛下がつけてくださった方です。
ついでに言えば〝非公式〟のお部屋にいらっしゃった方ですね。
「修道女殿の質問にも答えてもらおう。この件は陛下にご報告せねばならないからな」
「わ、わたくしを脅すおつもりですか!?」
いやいやいや脅すってあなた。報告は近衛騎士様の通常業務でしょうに。
不都合がなければ事情を説明してくださればいいんですよ。しないから訊いてるんです。
そもそもここは王宮ですよね? あなた神官ですよね?
わたくし達を通せんぼしていい権限あるのですか?
「…………」
「…………仕方ありませんね」
近衛騎士様の無言の圧に敗北したようです。いやいや「仕方ありませんね」じゃないでしょうに。
ここまでとんとん拍子でしたが、早くもと言いますかようやくと言いますか、問題の香りが漂ってまいりました。
流麗な彫刻扉の前で、同じ神官服の女性がわたくし達の姿をみとめ、何やらぎょっとしておりました。
神官同士で何やら目配せしております。
多分ですが、「なんで通すのよ!?」「仕方ないでしょ!?」みたいな会話をしているのでしょうね。こらこら、お客様の前ですよ~?
年の頃は、やはりわたくしより少々若いぐらいですね。
美しい花の紋様の刻まれた扉が渋々と開かれ、さあようやくご対面です。
どんな方が出てくるんでしょうね?
❖ ❖ ❖
「私は王太子のリオン。こちらが我が国の【渡り人】ユイカだ。――ユイカ、ご挨拶を」
「は、はいっ。あの、少し前にこの国に来ました、ユイカといいます。お待ちしていました、修道女様……で、いいんですよね?」
少し緊張気味に小首を傾げる少女は、それはもう可愛らしい御方でした。
つややかな長い黒髪、きらきら輝く黒い瞳。小柄で繊細そうな、小動物の愛くるしさを想起させる雰囲気をお持ちです。
お茶とお菓子を用意されたテーブルを挟み、こちらの椅子にはわたくしのみ。あちらの椅子には、聖女ユイカ様と王太子殿下が並んで腰を落ち着けておられます。
いや、絵になるお二人ですねぇ。
お噂に違わぬ愛らしさの聖女ユイカ様は、水色を基調とした清楚なドレス姿。清楚でありつつ、襟や袖もとにたっぷりとあしらわれたフリルや、ふんわりふくらませたスカート部分が可愛らしさを引き立て、ユイカ様にぴったりでした。
そして王太子殿下は、父王陛下をそのまま若返らせて、甘味成分を足したらこうなりますという見本のような方でした。黄金の髪に紫の瞳の、実に見目麗しいザ・王子様です。紫を基調としたお衣装は、例の素晴らしい刺繍で飾られ、豪奢でありながらシンプルなデザインが、これまたご本人にぴったりでした。
「よくできたな。それでいい」
「は、はい……」
微笑みと一緒に褒められたユイカ様、ぽーっと頬を染めておられます。ほうほう。
殿下はとてもきちんとした方のようで、わたくしに対しても物腰丁寧、視線や口調には一切棘がありませんでした。そして殿下がわたくしにお言葉をかけてくださる間も、その横顔にちらちらユイカ様の視線がそそがれておりました。
そこに嫉妬めいた感情は含まれておりません。ただひたすら、どんな相手でも優しく接する王子様を純粋に慕う様子が窺えます。
ところで、このお部屋の中にいる面子なのですが。
わたくしと聖女ユイカ様、王太子のリオン殿下。それから、わたくしの護衛兼案内人として同行してくださった近衛騎士様が部屋の隅に控えておられます。
給仕は先ほどの神官二人でした。
ほかにはどなたの姿もありません。
突っ込んでいいでしょうか。
殿下の侍従や護衛の方はどちらにいらっしゃるんでしょうか。
別室に控えている気配すらないのですけど。
このお部屋、扉が完全に閉じていましたよね。「お客様がお見えになりました」の瞬間まで、妙齢の未婚の男女が密室にお二人きりだったわけですよね。
そこんとこどうなのですか。
突っ込んでみましょう。
「イメルダ修道院より参りました、レティシアと申します。――ユイカ様は、お身体の調子がどこかお悪いのでしょうか?」
「え? どうしてです?」
きょとんとするユイカ様。
「何?」と聞き咎めた王太子殿下。
ぎょっとした神官二人。
なるほど、先ほどのあれは神官の独断ですね。
もちろん「いえ何でもありませんわ気のせいでしたわね御免あそばせホホホホ」なんて追及の手をゆるめてあげたりはしませんよ。むしろ何故わたくしがはっきりチク――お尋ねせず曖昧に流すと思っていたんでしょうこのお二人は。
「先ほどそちらの神官様が仰るには、『聖女様はお会いになりません』とのことでした。理由を尋ねても教えていただけませんでしたので、もしやと思いまして」
「そっ、それはっ!」
「えっ? どうしてそんなことをしたの?」
「そ、その……ですが、聖女様のご都合も確認せず、一方的に時間を指定してくるなど、無礼ではありませんか?」
「修道女殿に日取りと時間を指定したのは父上であり、すなわちこちら側だ。それを追い返すなど非礼であろう。何故そのような真似をした?」
おや、殿下。侍従がいないのはどうかと思いましたが、まともなことを仰せになりますね?
殿下が参戦して、一気に神官達の顔色が悪くなりました。
「もっ、申し訳ございません! ユイカ様と殿下のお二人の時間を、お邪魔してはならないと思い……!」
「えええッ!? ちょっ、も、もう、エマったら! そーゆーこと言わないでっ!」
「ですが、ユイカ様……」
「もうっ、今度からはそーゆーことしたら駄目なんだからね!? ねっ!」
「はい。申し訳ございません」
ぼふんと音がしそうな勢いで赤面し、ぷりぷり怒る聖女様。恥ずかしそうに両手で顔を隠しておられます。
そんなお姿を蒼白から一転、微笑ましそうに見守る神官達。
あぁ、初々しい十五歳の女の子の、ひょっとしたら本人隠しているつもりかもしれない仄かな恋心を応援してあげたいとかいう、もしやそういう。
「そなたらの忠誠心は立派だが、行き過ぎればユイカが困ることになるのだ。今後は重々気をつけよ」
「はい……」
殿下は苦笑しておられます。なんでしょう、よくあることなのでしょうか。
真っ赤な顔で羞恥に耐える聖女様の前で、あまり厳しいことは言えないと、そういう感じでしょうか。
「ご、ごめんなさい、レティシアさん――でしたよね? 王様から、神様へのご奉仕の一環で、遠くから私とお話するために来てくれたと聞きました。全部答えられるかわからないけど、でも、何かお役に立てることがあるなら、できるだけお話ししたいと思います。なんでも訊いてください」
ん?
あれ?
話が先へ進んでしまいましたよ。
もしや先ほどの件、あれで終わりですか?
追い返されそうになった客人への謝罪はナシですか?
どなたか神官のお二人に、「謝る相手が違う」と指摘してくださる方は――この部屋には不在なんですね。
過度の謝罪の要求は醜く、それを強要する行為は罪とすら言えましょう。
ですがわたくしに関するこれは、礼儀の範囲でしょうに。
聖女ユイカ様は【渡り人】。別の世界からやって来られた方ですから、この世界の常識や礼儀をあまりご存知なくとも無理はありません。
神官とのやりとりにしても、同年代のお友達との気の置けない会話、そのひとつとしか捉えておられないご様子です。
気を回された結果、殿下とお二人きりになっていた意味も。
陛下からお達しのあった客人を、自分につき従う者が独断で追い返しかけ、それを一切咎めないことがもたらす結果も、おそらくユイカ様はおわかりでない。
親しげに「エマ」と呼ばれた神官が、わたくしと視線が合った瞬間、ふっ、と勝ち誇った笑みを浮かべました。
ああ、これは……よくありませんねぇ……。