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御心のままに、慈悲を祈れ  作者: 咲雲
第二章 黄昏の王国の勇者
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12話 道化の騎士 (後)


 鈴の音が重なる。

 ころころと心地よく、つい耳を澄ませたくなるような。

 時間はさらに遠くへ遡り、どこかへと意識が流されてゆく。


『あら、あの方……ほら、また――――様に纏わりつきたそうな目で……』

『本当。まるで〝愚かな騎士〟のような方……』

『――――様はどなたにでもお優しいだけですのに……』

『ほんの少しお声をかけてさしあげただけで、すっかり勘違いなさって……みっともないこと……』


 甘い香りがふわりと包む。

 ぼやけて、向こうがよく見えない。


『皆様……そのように仰らないでくださいませ。あの方はただ、お心が真っすぐなだけと存じますの。……あの方もまた、この国に忠実な、ご立派な騎士様の一人ですのよ……』

『まあ、――――様ったら……』

『あのような者にまで、なんて慈悲深い……』

『仰せの通りですわね……うふふ……』

『……ふふ……クスクス……』


 困ったように少しだけ眉を下げ、それでもなお――――様の清楚な笑みは損なわれない。


 そう、あの方もあの時、微笑んでおられた。

 鈴の音の中心で。

 〝愚かな騎士〟を憐れみながら。




❖  ❖  ❖




 第二騎士団寮の自室で目覚め、バルトロはしばらく仰向けになったまま動けなかった。

 徐々にここがどこかを思い出すも、全身に奇妙な重苦しさがまとわりついて動く気になれない。


 言い渡されたのは復帰を前提とした謹慎。ただし第一隊隊長の任からは外され、身体が訛らないよう、ひたすら自主訓練に勤しむことを命じられた。

 当然ながら風当たりは強い。けれど良くも悪くも逆境に慣れているバルトロは、己に集中する陰口や白い視線自体はさほど気に留めていなかった。


 ずっと引っかかっているのは、どうして、何故自分はあの日、あのような行動を取ったのかということ。


(何故私は、答えられなかったのだろう?)


 あの修道女の一行がこの国に害なすものであると、何故かあの時のバルトロは疑いもしなかった。

 その上、何故そう確信していたのか、詰問されても答えられなかったのだ。


(わからぬ。ただ、どなたかから、恐ろしい存在だと聞いた……気がする)


 それを排除せよと命じられたのか?

 もしくは頼まれたのか?


 違う。


 恐ろしいと、そう打ち明けられた……相談されただけ。

 恐怖心を打ち明けられ、バルトロ自身が勝手に、「それを排除せねば」と強く感じただけだ。

 命じられても頼まれてもいない。不思議とそんな確信だけがあり、なのにそれが誰だったのかは憶えていないなど、包み隠さぬバルトロの態度は、却って何者かを庇っていると疑われた。


 そうして命じられた騎士寮での謹慎。これは近い場所でバルトロを監視しつつ、泳がせる目的で下された処分だった。

 ベルトランなどは上の方々の思惑に勘付いているものの、バルトロは単純に寛大な処分だと感謝している。


 幸いにも迷惑をかけた例の修道女には、一度だけ謝罪の機会を与えられた。けれどそれ以降は自分の暴走で振り回してしまったタケルも含め、一切の面会を禁じられている。

 仕方のないことだと、バルトロはしょんぼり受け入れていた。

 ただ、どんな単純思考であっても、流し去るには大き過ぎる違和感があった。


 あれが誰であり、自分が何故そんな行動を取るに至ったのか。


 昔からひとつの物事に熱中すれば周りが見えなくなるたちだったバルトロの集中力は、意図せず彼の頭にかかっていたモヤを少しずつ払ってゆく。


(……あの御方が? まさか……何を考えているのだ私は。そんなわけ……)


 ころころ、クスクスと耳に心地よい、鈴の音のごとき貴婦人方の笑い声。

 実に愉しそうに。愉しそうに。

 そう、彼女らはいつだって、愉しいことを探していて――……



 コンコン。



「っ?」

「俺。ちょっといいか?」

「……た――」

「しーっ。静かに」


 寝台から飛び上がり、扉を開ければ果たして、思った通りの人物が立っていた。


「悪い、もう寝てたか?」

「い、いや、起きたぞ?」


 寝ていましたと白状したようなものだ。呆れた顔で再度「悪いな」と謝りつつ、タケルはさっさと部屋に足を踏み入れる。


「ちょっと邪魔するぜ。今んとこ近くで聞いてる奴はいないけど、あんまり大きな声だと響くから、静かにな」

「あ、ああ……」


 タケルはぐるりと部屋を見回し、「のぞき穴も盗聴穴もねえな」と呟いた。


「は? 何を……」

「なあバルトロ、ここって隊長になった頃から使ってる部屋だろ? 別の部屋に移れって言われなかったのか?」

「言われているぞ? 降格処分を受けた者に反省を促すための部屋でな、ここより半分ほど狭いそうだが、まあ仕方あるまい。今までそこが埋まっていたのだが、数日中には空くことになったのでな、すぐにでも移る予定だ」

「あ、そうなの。ふーん……」

「?」


 何だろう。タケルはいったい何をしに来たのだろうか?

 困惑する部屋の主にス、と視線を戻し、何気ない挨拶を告げるようにタケルが言った。


「俺な、ここ出るわ。その前にひと声かけとこうと思って来たんだ」

「――――」

「で、だ。おまえも一緒に行かねえ?」

「……は?」


 咄嗟に、何を言われているのか呑み込めなかった。

 タケルはいつもの人懐こい笑みを浮かべて、じっとバルトロを見据えている。


「……私、が?」

「おう」


 何度か反芻するうちに、徐々に実感を伴ってきた。

 心の臓が早鐘を打ち始め、バルトロは自分を指差し、ぱくぱく口を開閉させた。

 タケルはそれにこくりと頷き、ますます衝撃は大きくなる。


 どうして、とか。

 どうやって、とか。

 頭の中がまとまらない。

 けれど、本気なのはわかった。


 いくらベルトランが事前にその可能性を示唆してくれていたからといって、いざタケルから本気でここを出るつもりと聞かされれば、新鮮なショックに打ちのめされずにいられない。

 冗談ではなく、彼は本当に、ここのすべてを捨てていくつもりなのだ。


 いや、捨てる以前に、彼が大切に思えるようなものを、誰も彼に与えなかったのだ。

 何ヶ月もこの国にいてもらいながら、あっさりそんな判断を下せる程度の価値しか示せなかった、その結果が今日という日なのだ。

 〝この国の勇者〟ならば、ずっとこの国にいて当然であろうと。

 ここにいてもらうための努力を、ここを好きになってもらう努力を、誰もがずっと放棄したままで、自分達の期待に応えることのみを求めた。


 なんと、情けないことか。


 しかしバルトロの胸に生じたのは悔恨ではなく、凄まじい〝歓喜〟だった。


 一緒に行こうと声をかけてくれた。

 ほかでもないこの自分に、ほかでもない〝勇者〟が。


 いや、この際〝勇者〟かどうかはどうでもいい。

 勇者であろうがなかろうが、バルトロという人物を認め、ともに行こうと誘ってくれた者が目の前にいる。


 いつでも自信たっぷりのバルトロは、自分が不出来である自信もたっぷりとあった。それが長年、父や家人達を悩ませていたことも知っている。

 それでも変われない自分に悩むほど上等な頭の持ち合わせがなかったので、落ち込んでも長続きせず、さっさと前へ向き直って突き進んできた。

 正解だったか間違いだったかなど、そんなこといちいち考えない。


 それが、どうしたことか。

 目頭が熱くなってきた。


「おいおい。おまえほんと、感動屋だなあ……」

「グズッ! ううっ、放っておくのだッ。男ならば見ぬふりをせよッ」

「へいへい。――んで、答えは?」

「うむ。残念だが断るッ」

「だと思ったよ……」


 バルトロには守るべき家がある。その家に勤めている人々がいる。

 どうしようもないバルトロをずっと見放さず、信じて仕えてきてくれた者が何人もいる。

 彼らを置いて、自分だけが胸躍る冒険へ繰り出せるはずがなかった。


「ぬ? わかっておるならば何故、声をかけたのだ? いや嬉しいのだが?」

「そりゃ、声かけたかったからだよ。ダメ元ってやつ。まあ俺がおまえを友達だと思ってて、一緒に行けたらいいな~と思ってたことは憶えといてくれや」

「ぐううッ!」

「おい、ちゃんと顔洗っておけよ? 明日までに治るかなそれ……」


 涙腺がますます崩壊し、顔面はすっかり情けない有様になっていた。


「大丈夫だっ。明日は、休養日だ、からなっ」

「そうかい、もうちょい静かにしような?」

「ぐぬぬ。誰のせいだとっ」

「へいへい。――じゃあ悪いけど、あんま時間ないから、そろそろ行くわ」

「まま、待て待て待て待てっ」

「ん? ほんと時間ないんだけど……」

「少しだけだっ。……私は行けんが、ベルトランを連れていってやれぬか? あやつを――」

「お断りします」

「なにっ?」

「おまえが行かねえのに、ベル君が来るわきゃねえだろうよ」

「い、いや、しかしだな……」

「おまえがそんなん言ってたって知ったら、ベル君、めちゃくちゃ怒り狂うんじゃね? 『勝手に僕の将来(さき)を決めないでください〙とかなんとか。怖いぞ笑顔で怒る奴って」

「…………」


 過去の心当たりを大量に思い浮かべ、バルトロは青ざめた。

 ほらな? と肩をすくめ、タケルは再度扉に手をかけようとする。


「――っと、そうだ。なあバルトロ。別の部屋に移ったら、そこでの内緒話は控えておけよ」

「ぬ? わかったが、何故だ?」

「ベルトラン君にも、俺がそう言ってたって伝えといてな。多分あいつには通じるから」

「???」

「あと……まあ、これはいいか」

「ぬぬっ? なんだ、気になるではないかっ」

「いいんだよ。――じゃ、またな」


 また。

 それは、再会を約束する言葉。


「お、おお! 次は我が家総出で大歓迎し、この国のおすすめを端から端まで味わわせてくれるわ! 覚悟しておくがよい!」

「だから声でけぇっての。ま、楽しみにしとくわ。言うまでもないけど、ベル君以外に俺がここへ来たことは内緒な」

「むろんだ!」


 ひらひら手を振りながら、来た時と同じぐらいあっさりと、タケルの姿は扉の向こうに消えた。


「…………」


 彼がこれからどこへ向かい、どうやってこの城を出るつもりなのかは知らない。城門は閉ざされ、夜中でも見張りの兵はあちこちにいる。

 けれど、タケルがそうすると言った以上、できるのだろう。彼は控え目な少年の皮を被っていた頃でも、できないことをできるとは決して言わなかった。


 バルトロはしばらく呆然と立ち尽くし、ややして、部屋の隅の水瓶を見やった。頭から水をぶちまけようかと一瞬魔が差したものの、昔それをやって風邪を引いたことを思い出す。

 鼻水の止まらない自分を見おろし、忠実なベルトランが「何やってんですかあんた」とにこやかに圧を加えてくる光景を想像して、バルトロは青ざめた。


(うむ、怖いからやめておこう! 出来心は身を滅ぼすのだ!)


 お上品に水で濡らした布で顔を覆い、汚れを拭いつつ火照りを冷ます。

 しばらくそうした後、もう一度寝台へ横になった。


 目覚めた直後の重苦しさが、何故か消えていた。

 自分の状況は何ひとつ改善されていないのに、どうしてか、どうにでもなりそうな万能感が胸に満ちる。

 今ならばどんな怪物へも突進していけそうな高揚感。

 ――いやもちろん、ベルトランを怒らせるほどの蛮勇は発揮できないが、それはそれだ。


(……はて? そういえば先ほど、何やら寝覚めの悪い夢を見たような気がしたのだったか。……うーむ。……うむ、思い出せん。まあ良いか!)


 夢とはそんなものだしな!

 再び重くなってきた瞼を感じ、快い睡魔に身を委ねた。





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