8話 元公爵令嬢の旅路と葛藤 (後)
今回は長めです。
『え。……馬車がない?』
乗合馬車の座り心地は最悪だった。
硬い、揺れが酷い、全身がたがた掻き回されて吐きそう、そんな弱音を真っ青になっているであろう顔の下に押し隠し、ひたすら耐えた。
が、次の町ではもっと最悪なことが待っていた。乗り換えの馬車の車輪が壊れ、修理中で使えないというのだ。
『車輪が溝に落ちた際、全体が傾いで亀裂の入った箇所もあるそうですから、直すのに日数がかかるそうです。歩きましょう』
『べ、別の馬車はないのですか?』
『ないそうです』
『で、では、行き先の同じどなたかの馬車に乗せていただくことは? あの荷馬車など、私達の馬車と並行して来たではありませんか。もしくは馬だけでも譲らせれば』
『あのご老人の荷馬車にわたくし達を乗せる余裕はありません。馬も老いていますし、酷使してはすぐ潰れてしまいます。それから、馬は貴重なもの。どなたであろうと簡単に譲ってもらえると思ってはいけませんよ。ましてや、譲らせるという上から目線の言動はおやめなさい。聖アルシオン教の名を笠に着た横暴になってしまいます』
『……はい』
お言葉は厳しいが、内容はもっともだった。
それとなく周囲に目をやれば、徒歩の者が溢れている。騎乗している者はおらず、二頭立ての馬車も見当たらない。
馬は貴重。普通の民にとって、予備の馬を持つ余裕などない。気軽に馬を使えるのなら、皆そうしている。できないから歩く。そういうことなのだ。
(傅かれていた頃の感覚で振る舞っていたら、反感を買うのは必至だわ。うっかり出てしまわないように、気を引き締めなければ)
大丈夫。ただ歩くだけだ。何ほどのことがあろうか。
……前向きに考えるというより、甘く見ていた。
わずか一刻の後。
(歩くって、こんなにキツいものだったの……!?)
たかが徒歩。されど徒歩。足が悲鳴をあげ、あまりの痛みに冷や汗が噴き出た。
まず、道が悪い。王都の綺麗な道しか知らなかった私にとっては、街道はとんでもない悪路だった。
なのに、これでも舗装された上等な道なのだという。
『そうでなければ、馬車など行き来できませんよ』
レティシア様が慣れた口ぶりであっさりと言う。
それは、そうなのだろうけど。
背負った荷物の重みが、時間の経つごとにズシリとくる。
これでもレティシア様やレナートが幾らか引き受けてくれた分、だいぶ軽くなっているはずなのに。
(王都と公爵領の道の状態はどうだったかしら。……駄目だわ、憶えてない。ずっと馬車に揺られていたんだもの。窓から外を眺めはしたけれど、わざわざ見おろして確かめたりはしなかったわ。でも、そうね……公爵家の馬車が往復する道なのだもの、とても綺麗に保たれていたはずよ。お父様の視察にお付き合いした時も揺れに辟易させられたけれど、あの乗合馬車に比べたら、乗り心地は天地の差だったわね)
物語には旅の剣士やら名もなき旅人やらがよく出てくる。
現実にも、旅慣れた修道士や修道女は時々いた。
修行のためとはいえ修道院を出て各地を渡り歩く者はそう多くはない。高位貴族として、旅の修道士や修道女を手厚くもてなすのは、敬虔さと器の広さを示すために推奨されている。
私も彼らと同じテーブルで食事をとり、「長き旅路にお疲れでしょう」などと、労りの言葉をかけたことがあった。
けれど、彼らがどれほどの苦難を乗り越えてきたのか、本当は全然わかっていなかったのだ。
(痛い、痛い、ああ痛い……信じられないくらい足が痛いわ!)
行く先々の村や町で、私のことはどこまで知られているのかしら?
平民の食事を家畜のエサと嘲っていた者がいたけれど、そんなに酷いのかしら?
――なんて、あれもこれも、今やどうでもいい。
そんなことより、あの客人達が省略していた何の面白みもない〝どこかへ立ち寄るまでの道中〟こそが、一番つらい本番だったなんて!
歩いて歩いて歩いて歩くだけ。
途中からは意識が朦朧とし、頭の中は「痛い」だけでパンパンになって、やがて「あるく」以外のすべてが消えた。
右足を出したら、次は左足を出して、次は右足を……ひたすら無心で繰り返す。
みぎ、ひだり、みぎ、ひだり……。
『休憩にいたしましょうか』
きゅうけい。
って、なんだったかしら?
どこか遠くから聞こえる声にぼんやり頷いて、導かれるまま腰を下ろした。
道端の切り株の上だ。ただ切り倒しただけでなく、誰かが座りやすいように表面を軽く削ってある。休みやすい地点はだいたい似通ってくるらしく、この切り株の加工も先客の置き土産だった。
途端、ドッ……っと頭上から足元まで、全身に鉛のごとき凄まじい疲労がのしかかる。
一度意識してしまうと、もう動けない。
空っぽのお腹がしきりと主張してくるのにも、羞恥を覚える余裕すらなかった。
『お食べなさい』
与えられた欠片は、ナイフで小さく切り分けられたパン。
カチコチで質の悪いパンだ。平民が口にする食べ物だ。水と一緒に与えられ、小さな欠片ごと口に含んだ瞬間、気付けば二つめ、三つめと、夢中で放り込んで咀嚼していた。
味気ない。ボソボソしている。これが食べ物なの? そんな代物だったのに。
鼻の奥がツンとしてくる。
わけもなく目の前が滲んだ。
『失礼いたします』
『?』
おもむろにレナートが跪いて、丁寧な手つきで私の片足に触れた。
(あ、なに?)
貴婦人として、婚約者や夫以外の殿方に足を触られるなど、言語道断。
だったのだけれど、その時の私は口の中に食べ物が入っていたのと、頭の働きが本調子ではなかったせいで反応が遅れた。
レナートは慎重に私の靴の紐を解いた。足首の少し上までを隠す靴だ。
紐を解いてゆるんだ靴を慎重に脱がし……現われた靴下は、真っ赤に濡れそぼっていた。
『……!!』
さすがに驚いて、咀嚼中だったパンをごくりと飲み込んだ。
さらに靴下をゆっくり脱がされる。
『ひっ』
『……申し訳ありません』
あまりの惨状に思わず目を逸らしたら、何故かレナートに謝られた。
『?』
『あなたがどこまで耐えられるのか、様子見をしておりました。そのうち癇癪を起こされるだろうと……心より謝罪いたします。殴っていただいても構いません』
私への警戒が潜んでいたはずの目は、今は伏せられている。
『苦手意識は払拭できましたか? レナート様』
レティシア様の問いかけに、彼は慙愧に耐えないといった溜め息をついた。
『……少なくとも、私の心得違いであったことは思い知りました。己の不明に恥じ入るばかりです』
『ですから、申し上げましたでしょう。あなたは殿下をお守りする立場からの視点で、アマリアさんに瑕ひとつない完璧さを押しつけ過ぎなのです。この方の本質は根性のある頑張り屋さんなのですよ。妃教育の厳しさを殿方はろくにご存知ないでしょう? 幼い頃から音を上げず立派にこなしてきたお嬢さんなのですから、むしろ我が儘のひとつやふたつ言わせて差し上げるべきなのです。殿下はこの方の努力をご覧になっていたからこそ、ギリギリまで庇われていたのではないですか?』
『仰る通りかと。……耳が痛いですね』
『ついでにお顔も痛くなりましょうか。大丈夫ですよアマリアさん、遠慮なく殴っておしまいなさい。もしあなたの繊手では難しいようでしたら、いつでもわたくしが代理をつとめますからね』
レティシア様が冗談めかして拳を握り。
いつも澄ましているレナートの顔が、どう見ても本気で、盛大に引きつった。
……そんなに怖がることかしら?
この男でも、女性に叩かれるのは怖いのね。
彼のそんな表情を見たことがなかったから、つい痛みも忘れ、少しだけ吹き出してしまった。
❖ ❖ ❖
――という話を、私は今、サロモン王国の城の離れ、その前庭の井戸端でタケル様にお聞かせしている。
何故かタケル様が「ひぃっ!?」と乙女のような悲鳴をあげ。
「レナートさん、顔っ!? 顔は無事!?」
「ああ、タケル殿。幸いにも、アマリア殿が鉄槌不要と仰ってくださったのでな」
「よかったっすね……!!」
レナートが真面目くさって答えるのに、タケル様は大袈裟に喜んでいる。
顔が無事だなんて、手形ひとつない頬をご覧になればすぐおわかりでしょうに……。
(……なんなのかしら、これ)
タケル様にご挨拶をした翌日、お師姉様は善は急げとばかりに再度の謁見を願い出た。前回から非常識とも言える間隔しかあいていないけれど、あちらは渋々応じてくださったらしい。
そして本日、私とレナートのみがタケル様のお住まいを訪れていた。見習いに過ぎない私や、従騎士のレナートは陛下の御前に姿を晒せる身分ではないから……と、お師姉様が気を回してそういうことにしてくださった。相手は私達の元の身分を承知しているから、気まずいでしょう、と。
言葉を交わしてみると、タケル様はあの少女とまるで違っていた。単純に性別の違いだけではない。表情にも台詞にも血が通っており、こちらの言葉がどこかへ滑って消えてゆくような、あの少女に感じた不可解な通じなさが彼にはなかった。
一見すれば同い年くらいだけれど、訊いてみればやはり年上。でも、レナートに「失礼だが外見や言動がこちらの基準ではやや幼く見える」と指摘されても、「まあそうっすね」とあっさり頷いてムキにならないところがやはり年上だと感じた。
それから、レナートに反応を見られているのにも勘付いている。
バルトロという男に振り回されがちで、謙虚で押しの弱い、お人好しそうなタイプ。そんな第一印象は、彼がお師姉様に素を出した瞬間に粉砕された。
なんというか……かなり、ガラがお悪い。
俗語の罵倒を平気でポンポン放つし、どこまでも〝いい子〟だったあの少女と重なる部分など、むしろ探しても見つからない。
レナートは私への勝手な苦手意識を謝罪してくれたけれど、私こそ勝手に【渡り人】様を一括りにしていたのに気付かされた。
それに私は、レナートが私の監視役と決めつけていた。でも実際はそうではなく、彼は本当に護衛を命じられただけなのだそうだ。
王家と聖王庁の間で何やら取引が交わされたのか、お師姉様も噛んでいるのか、それについてはレナートも知らないらしい。
おそらく、私達が知る必要のないこと。
だから私に、レナートを殴らねばならない理由も、権利もなかった。
お師姉様が脅してくださって溜飲が下がったのもあるけど。
それはそうとして。
今日、私達はフロレンシアからこの国へ来るに至った経緯をタケル様にお話ししている。
この方を旅路のお仲間に引きずり込……加えることに大乗り気なお師姉様が、腹を割ってお話できるようにしておきなさい、とお命じになったからだ。
人は後ろ暗いことを隠そうとする。そして私が修道女見習いになった経緯は、何ら後ろ暗い過去ではないとお師姉様は断言してくださった。
どうしてそんな風に言ってくださるのかわからないのだけど……嬉しかった。
『自らに愚か者と暗示をかける時間が長引く分、自縛は強まって吐き出すのが難しくなるものです。これに関してはレティシア様に従われたほうが良いと、私も思います』
レナートも、前は私に対してどことなく緊張感が漂っていたのに、あれから硬質な雰囲気がなくなって、心なしか視線や口調がやわらかくなっている。
それに背を押されて、というのは、我ながら単純なと呆れなくもないけれど。
(あと、タケル様の雰囲気かしら。この方ってなんとなく、隠そうとするほうが馬鹿らしくなってくるのよね……)
この方も、アマリアという元貴族令嬢を馬鹿にしたりはしない――不思議と、そんな確信を抱かせる方だった。
「レティシアさんの拳なんぞ埋められたら、首から上の骨ぜんぶ逝っちまうじゃないですか」
「逝くだろうな。――やはりわかるか?」
「あー、実は俺、まあまあの精度でそういうの見抜けるみたいなんすよね。まあまあだから完全にじゃないですよ?」
「謙遜することはない。それだけではないのだろう?」
「……ないですよ。その人の能力とか得手不得手みたいなの、多分レナートさんよりちょっとばかり多めに見抜けます。あと、視える範囲がちょっと広めですね」
「……ほう」
「ここのクソッタレどもには内緒にしておいてください。あ、クソッタレってわかります? 陰険と虚栄心が服着て歩いてる方々のことです」
「クッ。その俗語はわかるが、言い直したほうが酷いな」
「やー、これでも表現抑えてますよ? こっちに来てから生えた俺の特技、連中にも少しばかり話したんですが、理解してもらえないどころか早々に役立たずの烙印押されましてね、ご覧のとおり隅っこに追いやられました。その後いろいろ試して結構有用なのがわかったんですが、今さら奴らに価値を見いだされても面倒だし、おとといきやがれって感じなんですわ。例外は今んとこ、バルトロと騎士見習いのベルトラン君だけっすね。上の身分の奴から問い質された時に隠し通せっていうのは酷なんで、あいつらにも秘密にしてますけど」
「ベルトラン殿は知らんが、あのバルトロ殿が?」
「意外でしょ? バルトロってああ見えて唯一、俺の味方です」
「意外だな」
……なにかしら。この二人、ひょっとしてもう打ち解けているの?
私の時と違い過ぎるじゃないの?
…………殿方ってずるいわ。
するとタケル様が思いもよらないことを言い出した。
「にしても、その聖女? って子より、なんかアマリアさんのほうがヒロインっぽいなぁ」
「私が?」
「歩き慣れてないお嬢様がめっちゃ酷い靴擦れ起こして、真面目な騎士に手当してもらって、とかさ」
……。
歩くだけでいいなんて楽だわと楽観した挙句の、無様な出来事としか思えないのだけど?
「それのどこが女主人公らしいの?」
「俺に他意はなかったが……」
「ん? あれ? ……あ~、こっちではないのか。そっか、そうだよな、こういう展開は一般的じゃないのか……箱入りお嬢さんをひたすら歩かせる場面なんざ貴族受けしないだろうし、庶民向けの劇でそんなのやったら通報案件になるかな……」
「タケル様?」
「あ、ごめんごめん。俺の個人的な感想だから気にしないで。ていうかレナートさん、人が悪いなあ。歩き方で痛いの察してたろ? なのにアマリアさんが爆発すんのを待って放置ってさ」
「ぐ……猛省している。本当に申し訳なかった」
「そ、それはもういいわよ。だいたい、お人の悪さではお師姉様だって負けていないんだから。だってレナートが私を試すのを黙認してらしたんだもの。しかも手当てをしようとしてくれた彼の横から、治癒の奇跡であっさり治してしまわれたの。おまけに『痛みは消えましたでしょう? では、そろそろ歩きましょうか。次の町までまだ長いですからね。大丈夫、靴下の替えはあります』と、こうよ?」
「Oh……レティシア姐さんの鬼度が上だったか……」
あら? タケル様の言葉が急にわからなくなったわ。
あれかしら、【渡り人】様は実際には私達と異なる言語を話されていて、どうしても変換し切れない部分が奇妙に聞こえることがある、ていうの。
ともあれ、あれは苦行だったわ……あの後も本当に歩かされたのよ。
私の内面に懐疑的だったレナートとは逆に、お師姉様は私の耐久力を調べようとなさった。
私のこの身体がどこまで保つかを。
先を見据えて限界を知っておくのは大事なことではあるけれど、でも、治して歩いて、また痛くなって、治して、歩いて……見かねたレナートが私を背負うと申し出てきたほどで、さすがに断ったけれど、あれから彼の態度がぐっと優しくなったのよね……。
……。
はっ?
いけない、気が遠くなりかけたわ。
「ともあれ、私が女主人公なんて無いわ。向いていない自覚はあるもの。やはりそういうのは、健気で清らかな心の、可愛らしい娘か姫君の役割なのよ。ユイカ様がそうなさっていたみたいにね」
「それについては大いに異議があるのですが」
「でも、殿方はそういう女性がお好きなのでしょう? だってどんなお話も、そんな姫君が皆から愛されて祝福されるのよ?」
「物語の姫君に憧れる男がいることは、物語の貴公子に憧れるご婦人がおられるのと同様、否定はいたしません。貴族社会で恋をたしなむ方々が、たびたびそのように物語を演じておられることも。ただ現実には、そういった傾向を苦々しく感じる者も少なくはなく、私もその一人であることをご承知おきくだされば幸いです」
「……あなたはたくさんのご婦人から忠誠を欲しがられそうと思っていたけれど。もしや実際にあったの?」
「わざとらしく熱のこもった視線を送られた経験は数えきれず、時には直接的なお言葉で望まれたこともあります。私以外にも近衛騎士団では多いのですよ。なので皆、他の騎士団員よりご婦人方を見る目は厳しくなりました」
「あらまあ……そうだったの」
確かに、ご婦人の集団から獲物を見るような目で取り囲まれている方もいた。
近衛騎士は王族の警護がお仕事だから、身分や見目の良さばかり着目されがちだけれど、何よりも決して篭絡されない人格が求められる。つまり騎士として女性への礼儀はおざなりにしないものの、女性にだらしのない方は不適格とされていた。
それを勘違いしてすり寄ってくる女性など、まともな騎士ほど職務の邪魔としか感じられなかっただろう。
「あのー、ごめんアマリアさん。ちょっと訊いてもいいかな?」
タケル様が遠慮がちに、でもやけに真剣な目で問いかけてきた。
「なにかしら?」
「さっき、女の人の名前口にしてたよね。それ、誰?」
「ユイカ様? 先ほどお話しした、フロレンシアで聖女様と呼ばれている方よ」
「…………」
「タケル様?」
タケル様のお顔から、すとんと表情が消えた。
ど、どうしたのかしら?
人懐こい少年がいきなり無表情になると、とても怖い。
「タケル殿、どうかしたのか?」
「あー……是非、外れてるならそう言って欲しい。むしろ外れろ外れてしまえ」
「?」
「聖女さんて、さ。細くてこのぐらいの背丈で、髪の長さはこのぐらいで、もじもじからの上目遣いを常備してて、人と争いたくないから自分の代わりに攻撃を受け止めてくれる危なそうな相手用の盾と書いてお友達を日頃から確保してて、お勉強は得意じゃないけど頑張る系の決意詐欺が常套句で、見た目はキラキラふわふわ可愛らしいお花ちゃん、みたいな人?」
「決意詐欺………………う、む。当てはまっている、な」
「盾と書いてお友達………………そ、そうね……そういう方だった、わ」
「で、名前が〝ユイカ〟さん?」
「ああ」
「そうよ」
「――滅べ悪魔。地獄へ還れ」
「タケル殿!?」
「た、タケル様!?」
タケル様が感情の消失したお顔のまま、先ほど汲み上げたばかりの冷たい井戸水をこくりと飲んだ。
一瞬、頭から浴びそうに見えたのは気のせい?
「いいか? レナートさん。それは無害な小娘の皮を被った悪魔だ。俺は奴の弱点をよく知っている。奴の得意技を封印する方法もな。これから教える悪魔対策をすべて、フロレンシアの王子様に伝えてやってくれ」
「……知人だったのか?」
「『お姉ちゃんはタケルのためを思って言ってるのよ』が口癖の、弟を無駄なく使い倒し、弟の獲得した利益をことごとく吸い尽くそうとしていた、生物学上は姉という名称の何かだったがそれが?」
や、闇が深いわ!?
レナートも絶句している。
「俺より先に生まれた利を容赦なく生かして真っ先に両親を落とし、次に隣近所の住民を洗脳し、俺の友人の一部をいつの間にか下僕と化して俺の言動を逐一報告させ、奴の監視の行き届く範囲に俺の味方はゼロ。最高権力者【親】が奴の俺管理を全面支援していたせいで、悪魔祓いは絶望的な戦いを強いられていたがな……。だが、どうやら風向きが変わったようだ…………ククク……」
ちょ、タケル様!?
あなた〝勇者様〟よね!?
いえ、あの〝聖女様〟だって大概だったけれど!?
万一人違いであれば大変なので、念のために確認してみたけれど、聞けば聞くほどタケル様が「奴」とか「悪魔」とか「生物学上・姉」と呼ばれる方は、あのユイカ様と同一人物で間違いないと確信が深まるだけだった。
そしてタケル様は、かの聖女様の弱点や封印方法を懇切丁寧に教えてくださった。それはもう徹底的に。レナートがちらりと教えてくれたけれど、リオン殿下があの聖女様に行った封じ込めより深い考察に及んでおり、戦慄したそうだ。
「まさか異世界くんだりまで来て奴の悪行を耳にするとは……世界が変わろうが他人様の彼氏にコナかける悪癖は治らなかったようだな……だが向こうのやり方をそのままこっちに持ち込んでどうにでもなると甘く見たのが奴の年貢の納め時だ……クックック……己の武器が通用せぬまま錆びついてゆく現実に打ちのめされ絶望するがいい……!」
……。
ええと……。
頼もしい味方ができたわ。で、いいのかしら?
レナートに目で尋ねたら、重々しく頷いてくれた。
そうね、それでいいということにしましょう……。
……。




