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御心のままに、慈悲を祈れ  作者: 咲雲
第二章 黄昏の王国の勇者
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プロローグ


『どうか、無事で……』


 シャラ、と揺れる耳飾りを握らせながら、彼女は声を詰まらせ、最後まで言えなかった。


 無事で戻って来て欲しい、とも。

 無事でいてくれるならばそれでいい、とも。


 安易な願いを口にすることはお互いにできなかった。

 何故なら彼が戦場より帰還を果たせるその日まで、彼女もまた生きていられる保証はなかった。


 この場所が既に戦場。

 白々しい安請け合いなど、到底口にできるものではない。


『……君も』


 どうか無事で。それしか言えなかった。


 今も、後悔している。


 連れて逃げればよかった。

 たとえ失敗に終わるのが目に見えていたとしても。






❖  ❖  ❖




「――アビスモの部族の矢尻です。ここまで侵攻してきたようですね」


 墓守が生業と言われても違和感のない陰鬱な男が、地の底から響きそうな言葉を紡いだ。

 亜麻色の髪の青年が、皮肉気にも愉快そうにも見える微笑みを湛えて返す。


「しょせん蛮族は平原を越える前に力尽きる、と偉そうに言っていた割にこれか。追い返せたからといって誇れる話ではないし、さてあの国はどうする気かな?」


 侮っていた下賤の部族に、端の一部とはいえ領土を荒らされたのだ。日和見王はいつまで呑気にしていられるだろうか。


「仰る通りで……」


 この世の不幸が押し寄せそうな声音と顔色で相槌を打つ部下に背を向けながら、青年は顔を上げた。

 天の輝きは灼熱の溶岩だった。西方の空を緋と黄金で染め上げ、彼方の稜線を黒く焦がす。

 地は(あか)く染まり、底無しの穴のように影が果てなく伸びて、一歩踏み外せば奈落が待ち構えているような錯覚をもたらし、その場から動けなくなる。


 この(あか)は天から垂れ落ちたものか。それとも。


 愚にもつかぬ想像に浸る感傷的な己を、冷静でつまらない己が嗤った。

 そんなはずがない。流れ出た血は、時が経てば変色するのだから。

 辺りに散らばり、積み上がった屍は、とうに鮮度をなくして幾日も経つ。一日の仲で最も絢爛な斜陽の世界は、今やカラスと鼠の楽園と化していた。


(寄り付く魔物を恐れて、同胞の屍は放置か。哀れなものだな)


 足もとにある割れた兜を蹴飛ばした。

 墓守の男――いや、部下が眉をひそめた。


「さすがに不謹慎かと」

「いつでも()()()に交ざってもおかしくない私に、お行儀の良さを求めるのが間違いというものでね」

「…………」

「だいたい聖王庁はどういうつもりだ? 花の王国でやったように、また横槍を入れたら彼女は怒るぞ。大人しく他人任せの顛末を受け容れて平然としているようでも、消化不良は後々まで尾を引いているだろう。関わらせておいて、最後はのけ者なんだから」


 墓守風の男は、沈鬱な面持ちで目を伏せた。

 男にとっては聖王庁の意向など、この上司以上にわかるものではないのだから、意見を求められても役に立てない。

 しかし、苛立ちには共感できるのだった。


(やり方が気に入らないのだろうな)


 その通りだった。

 扱いに困る面倒な【渡り人】を、彼女に押しつけようとしている。そうとしか見えない。

 こちらの利益、もしくは目障りな膿が湧いて出れば、彼女に無断で回収にかかったのがいい証拠だ。


(実行するのは私であり、私の部下なんだよ。隠したところで、彼女がいつまでも気付かないわけがないだろう)


 ましてや、二度目をどこまで見逃してもらえるか、試したいとは思わない。


「嫌われたくないんだよ、私は」

「――――……」


 片方の耳でしゃら、と揺れる飾りが光を弾き、湿り気のある風が吹いた。


 雨が来る。




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