傲慢な無垢の代償 (後)
ご来訪ありがとうございます。
今回長めです。
「王太子殿下はご公務のためお会いになれません」
今日もまたリオン王子に会えなかった。
この前は他国の外交官との会食、その前は視察で不在。
ここ連日王太子宮へ通い詰めているせいで、王太子宮の侍女の視線が「またか、いい加減にしろ」とうんざりした色を帯びてきた。
「ユイカ様、あちらの侍女の心証が非常に悪くなっております」
還りしな、ユイカ付きの侍女が諫めてきた。これはもう何度目かもわからない台詞だった。そして彼女の目にも「うんざり」と書いてある。
本来なら、まずは侍女が王太子宮にリオン王子の予定を確認し、ユイカが会いたいと希望している旨を伝え、この日この時間なら大丈夫と返答をもらうのが正しい手順だ。
相手の予定などお構いなしに直接宮へ押しかけるなど、マナーが欠片もなっていないと思われても仕方がない。
ないのだが。
(そんな手順踏んだって、忙しいとか調整がつかないとか言って、結局会わせてくれないじゃない!)
今まではリオン王子のほうから都合をつけて会いに来てくれたのに、それがぱったりとなくなった。
最初はちゃんと侍女を通じて、あらかじめ伺いを立てるようにしていた。けれど、返答はいつも冒頭のあれだった。
こちらは一刻も早く会いたいのに。
(ホントはこの人達、私をリオン様に会わせないようにしてるんじゃないの? 私の手紙も伝言も、実はリオン様には全然伝えてくれてないんじゃない?)
レティシアにいろいろぶっちゃけたことが、時間差で不安になってきたユイカだった。
今さらながら、ぶっちゃけ過ぎたかもしれない。どうせこの人とはもう会うこともないんだし、自分の立場も変わるんだから、この人が後から何を言って来ようと、誰も耳を貸しはしないだろうと。
ところが、それが大きな勘違いだと、当のレティシアに突き付けられた。
司教レティシアの言は、王族の妃より優先されると。
身分として上と下を明確にできない場合、聖職者の発言力のほうが大きくなる。
妃ですらない婚約者であればなおさら。
蝶よ花よと育てられた王女や貴族令嬢の中には、ユイカと同じ勘違いで居丈高に振る舞う者もいたが、アマリアはそこを間違えなかった。
レティシアと対等に話していいのは父の公爵であり、その娘に過ぎない自分は、司教に対して常に謙虚でいなければならないと心得ていた。
ユイカはそのすべてを後になって知った。
(あの人、この人達に全部喋っちゃったのかもしれない。だとしたらまずいよ。超やばい)
そもそもどうして、バラされる心配をしなかったのだろう?
どうせこれが最後だからと。でも、最後じゃなかったら?
ただの修道女に発言力なんてないと思っていた。レティシアが何を言ってきても、自分が否定すれば皆は自分を信じてくれるだろうと。
全部勘違いだったら?
だいたい、「レティシア殿がこのように言っているが本当か?」と確認してくれる者がいれば、それは誤解だと否定しようもある。
けれど、誰もそれをユイカに確認してくれなかったら、そもそも否定するタイミング自体がないということに――……。
(この人達、絶対レティシアさんの味方タイプだし。まさかリオン様に告げ口とかしてないよね? リオン様が私に会いに来てくれなくなったの、そのせいだったりしないよね……?)
だが、そのまさかだったとしたらまずい。
もはや王宮の人間すべてが疑わしかった。
(……ううん、大丈夫。だって私、これがあるんだから)
ユイカは心の中で唱えた。
――ステータスオープン。
氏名:ユイカ
性別:女
年齢:十九歳
種族:渡り人
天賦:治癒師
称号:フロレンシア王国の聖女
HP:98/98 MP:3568/3568
スキル:【治癒魔法】A
最初にこれが浮かんだ時、「うっそぉ!」と笑いを堪えるので必死だった。
まさかねと思いながら心で呟いてみたら、本当に目の前に出てきたのだ。
そして他人の目には、これが映っていない。
――まじでこんなことあるの? 弟が好きだったアニメとかゲームみたい。
社交的なユイカと違い根暗だった弟は、こういう話がとても好きだった。
ユイカはどちらかといえば乙女ゲームや恋愛系のライトノベルが好きで、弟とは好みが合わなかったけれど、話には聞いていたから知っている。
あいにく、他人のステータスを見られる【鑑定】はなかった。
そもそもこの世界の人々は、ステータスやスキルの存在を知っているのか疑問である。一度も話題にのぼったことがない。
そういう時は、こちらからベラベラ喋ってはいけないのが相場だ。
(てゆうか、とっくの昔に説明してる人はいて、でもこの世界の人にはステータスの概念が理解できないから広まんなかっただけ、ってことかもしんないけど)
でもやっぱり、単純に知らないだけかもしれないから、訊かれない限りは黙っておこう。
肝心のスキルが、とうに知られている【治癒魔法】以外になく、ろくに活躍の場がなくて失笑を買いそうだし。
ユイカは侍女を呼び、神殿に行きたい旨を伝えた。
新しい大司教様にご挨拶をしたい。ユイカは前の大司教と親しかったのだから、不自然ではないはずだ。
ロドリゴ大司教は、裏であくどいことをやっていたらしい。でもユイカはそれに一切関わりがなかったのだからセーフだ。
それから、エマとミレイアはどうなったのか。侍女達からは、あの二人が見習いになったとだけ聞いているけれど、今どうしているのか詳しい話は聞けなかった。
(これだったら神殿のほうがマシだし、なんとかあっちで暮らせないか頼んでみよう。そしたらエマとミレイアをお付きに戻してもらえるよね。それに考えてみたら私、初日にちょっと魔法使ったきりだし、そりゃ有難みも薄れちゃうよね。そこんとこも大司教様にアピールして)
自分の稀少価値の高さを売り込むのだ。
お爺さんが相手なら可愛い孫娘のように。中年ぐらいのおじさんなら、健気な娘っぽく。しょせん皆そういうのに弱いのだから。
ユイカは自分の外見が相手に与える印象をよく知っていた。
(大丈夫。会えさえすれば、どうにでもできるんだから!)
ユイカの意気込みをよそに、外出許可が下りたのは一週間後だった。出かけるたびにこんな手間と時間がかかるなんて、やはり王宮住まいは面倒である。
王宮侍女が二人、護衛騎士が四人。自分ひとりに六名もの人間がつけられて、以前ならVIP待遇に有頂天になっただろう。
ロドリゴ大司教が先導して行われた、聖女お披露目のパレードも楽しかった。
けれど今のユイカには、そこから既に現在の落とし穴に繋がっているように思えてならなかった。
六名もの人間が周りをかためていたら、つまり自分がこの連中から逃げたくなっても逃げられないということだ。
そして運よく逃亡が成功したとしても、あのパレードで姿を知られてしまっているユイカはすぐに見つかってしまう。
日の当たらない惨めな籠の鳥生活なんてごめんだ。
なんとしても、神殿で引き取ってもらわなければ――。
「わたくしが大司教のオリビアです。わたくしに挨拶をしたいとのことでしたが」
「…………」
ユイカは口元がひくつきそうになった。
(――ない。ないわ。ない。これ絶対ムリ)
新しい大司教は…………初老の女性だった。
それも、いかにも規律に厳しそうで、うかつに私語などしようものなら、ネチネチえんえんと説教されそうな。
ユイカはもとの世界で、これとよく似た女性を知っていた。
(高校時代の、生活指導の、陰険ババア……!)
これは絶対に攻略できない。
どうあっても攻略できない。
スカート丈やリボンの形に文句をつけたそうなこの顔。
注意される前に直しなさいあなたいくつになったの、学年とクラスと氏名は? と今にも詰問してきそうなこの視線。
小娘への慈悲など地獄の犬にでも喰わせてしまえと言わんばかりな。
(これに監視されながら暮らすとかムリだから!!)
ユイカは早々に神殿をあきらめた。どう考えても、今より凄まじいストレス生活が待っている。
治癒師として働く選択肢も消えた。治癒院は聖アルシオン教の管轄、すなわちトップがこの生活指導の親玉だ。
仕方なく、時間を割いてもらったのを詫びて、口実どおり当たり障りのない挨拶をし、ついでにエマとミレイアの近況を尋ねた。
「あの二人は懲罰牢に入っております。沙汰が下り次第、追放か投獄のどちらかになるでしょう」
「ええっ!? ど、どうして!?」
「信徒の金品を盗みました。嘆かわしい」
「は――」
ユイカは呆気にとられた。
聖職者ではなくなり、見習いへ降格処分となったエマとミレイア。
寄進で購入していた装飾品類はすべて没収。ろくに修行もしていなかったがために神聖魔法は一切使えず、今までより格段に質素で、勉学に修行にと余裕のない日々を送らねばならなくなった。
自業自得だが反省の気配はなく、そしてとうとう先日、教会に訪れていた商家の奥方の荷物から、耳飾りと首飾りを抜き取った。
『何よ! あんな年増じゃなく、わたくしのほうが似合うじゃない!』
『こんなところで人生終わるなんて冗談じゃないわ! わたくしは王太子の側室の侍女になるんだから!』
それは奥方が、娘の生まれ月の特別なプレゼントとして用意した品だった。
現行犯で捕まり、大勢の信徒が眉をひそめる中、叫びながら引きずられていったらしい。
…………。
(何やってんの、あんた達……)
実のところ、エマとミレイアがそういう腰巾着なのはわかっていた。
自分が得をするために、調子のいいことを言う女達。
そんなのはいくらでもいる。
でも。
(あんた達も、私が側室になるって思ってたわけね)
婚約者がいるのにと、遠慮がちに呟くユイカを、あの二人は何度も「そのようなことございません、殿下にはあなた様こそが相応しい」と焚きつけてきた。
あの頃から、王太子妃ではなく、側室の侍女としてのんびり優雅に暮らす未来を描いていたのか。
二人に会う気は完全に失せた。一生、牢に入っていたらいい。
オリビアに当たり障りのない挨拶をし、結局なんの収穫もないまま帰ることになった。
でも、そうだ――ユイカは思い出した。王宮や神殿にこだわらず、市井で暮らす選択肢もあったのだ。
生活レベルが落ちるかもしれないけれど、それなりの生活費は望めるはず。
今日は歩いて帰ろう。歩きながら街並みを観察して、目につく住まいや店について教えてもらおう。
侍女は最初、貴人女性の徒歩に難色を示した。
が、ユイカは〝まだ〟貴族ではない。それに、王都について知りたいと一生懸命お願いすれば、最終的に折れてくれた。
護衛対象が歩いているのに騎士達が騎乗するわけにいかず、彼らも下りて手綱を引いている。
そんな一行は当然ながら目立ち、そこかしこでひそひそ囁くのが聞こえてきた。
「おや、聖女様だ」
「え、聖女様? あの黒髪のお姫さんがかい?」
「俺、お披露目ん時に見たぜ」
「噂どおり、可愛らしいお方だねえ」
「性格も健気で可愛らしいんだってさ」
ユイカはつい、にんまり笑みを作りそうになった。
上々な評判である。
が。
「残念ながらおつむはあんまし良くねえんだってな」
「そうなのかい?」
「だってほら、今もお姫様なのにほぇほぇ呑気に歩いてっだろ。護衛騎士様がせっかく馬連れてるってのによ」
「あたしも聞いたよ。なんでもお勉強が苦手で、余所の国の【渡り人】ならほんの半月ぽっちで憶えちまうようなこと、つい最近になってやっと習い始めたってさ」
「そうそう、俺っちも聞いたぜ。厳しくされんのが苦手で、小難しいこたぁよくわかんねえってさ」
「でもいい子だって聞いたよ。おつむは弱いなりに、王子様の邪魔んならないよう出しゃばらずに頑張ってるとか」
「んでも全然成果が上がらねえらしいぜ」
「で、あんまりにも出来ねえ子なのを不憫に思った王子様が、ご側室様に召し上げてやることにしたんだと。働かずに大事にされて、美味いもん食ってりゃいいんだから幸せだよなあ」
「俺も隣の爺さんからそんな話聞いた。爺さんは王宮勤めの奴から聞いたっつってたな」
「けっこういろんな奴がウワサしてるぞ。俺のダチも妹が王宮の下働きやってて――」
ユイカは徒歩を心底後悔した。
馬に乗らなかったのは、騎士達がそれを申し出なかったせいでもある。護衛騎士は全員男性なのだ。向こうから言ってくれないと、ユイカのほうから二人乗りは頼めないと一応気を遣った。
ユイカだけ馬に乗り、騎士が馬を引くという方法でもよかったはずだが、最初に彼女が「歩いて帰りたい」とごねた。しかしだからといって、一人ぐらいそういう気を利かせてくれもよかったのではないか?
(っていうか!! どこのどいつよこんなデマ流した奴は!?)
市井で暮らす選択肢も消えた。
羞恥と屈辱に苛まれながら、途中で足が疲れたと言い張り、結局は馬車で戻ることになった。
先に王宮へ返されたはずの馬車が何食わぬ顔で横の通りから出てきて、この展開を読んでいた侍女に敗北感を覚えるユイカだった。
それから十日。
やっとリオンから時間が取れたと連絡があり、逸る心を抑えながら王太子宮に向かった。
場所は応接間ではなく執務室だった。多忙で会えないというのは事実だったらしく、ユイカは少しほっとした。
今は少し仕事が落ち着いているらしい。
(王子様、まだ十八歳なのに働き過ぎでしょ。いくら出来る王子様だからって、周りも仕事押しつけ過ぎ。注意してあげなきゃ)
自分がその〝仕事〟のひとつに含まれている自覚はなく、ユイカはうきうきと王子様に会いに行った。
執務室では数名の側近がおり、リオン王子は書類と向かい合っていた。
顔を上げ、整った顔に優しげな笑みを乗せる。
ユイカは彼の容姿が最高に好きだった。実年齢では年下だが、そうは見えない。
大人っぽくて、無骨ではないが女性っぽくもない、つくづくユイカ好みの絶妙な美青年だった。
けれど、うっとり見惚れていられたのも束の間。
(……ええと。誰?)
美しい女性が座っていた。数名の侍女に囲まれ、そのうちの一人が赤ん坊を抱いている。
「王妃様です。お声は出さず、最上の礼をお取りください」
「!!」
ユイカ付きの侍女が小声で、叱るようにささやいた。
そういえば、実家で第二王子を生んだ王妃が戻ってくるという話だった。
いつ戻っていたのだろう?
ユイカは焦りつつ、叩き込まれた貴婦人の礼をとった。目上の貴人女性への礼はこれでよかったはず。
それから、身分の低い者から声をかけてはいけない、だったか。リオン王子はともかく、初対面のこの王妃様に〝ついうっかり〟はきっと通用しない。
マナー以前に、女の勘である。一瞬の視線でわかった。
この王妃は、ユイカのことを好ましく思っていない。
「……では、そのようになさい。後でまたゆっくりお話しましょう」
「はい、母上」
瞼を伏せているので、母子がどんな表情をしているのか、ユイカには見えなかった。
王妃はユイカに一言もかけることなく、執務室をあとにした。
挨拶どころか嫌味のひとつもない。完全な無視。
(……うざ。姑の嫉妬とかやめてよね)
思い通りにならないことばかり続き、ユイカはどんどんささくれていた。
でも王妃の退室後、顔を上げるように言ってくれたリオン王子は、いつも通り表情も声も優しい。
やっぱり彼は自分の味方なのだ。
「お久しぶりです、王子様。会いたかったです」
そうか、とリオン王子は微笑んだ。
が――王子の側近の瞳が瞬時に冷たさを増し、ユイカの背がひやりとした。
面倒だけれど、侍女に叱られるからではなく、真面目にこの口調は改めよう。
昔から異性に対してはこの言葉遣いだったのだが、貴族社会においてはいい印象を与えるどころか、逆効果になっているようだと薄々感じていた。
(ああもう、失敗した。無知で無邪気なお嬢さんで許される段階はとうに過ぎた、ってことね)
急に直すのも不自然だから、徐々に直していこう。
それから王子に、自分以外の女性を迎えないで欲しいとおねだりしよう。
せめて五年は待ってもらう。こうなったら死に物狂いで妃教育を受けてやろう。せめてその間だけは、自分ひとりだけの王子様でいてほしい、そんな約束をもぎ取るのだ。何が何でも。
「ええと、お忙しいのにごめんなさい。……今は何のお仕事をなさってるんですか?」
「これか? これは新たな妃候補の選定に関する書類だ。ユイカを虐めそうにない女性を選ぶのに時間がかかっていたが、もう終わった」
「え」
挑む前に終了であった。
(――ちょおっと待って!? 婚約破棄して何日よ!? 嘘でしょ、ありえないんだけど!?)
喉からほとばしりそうな絶叫を押しとどめ、息も絶え絶えになる。
「どうした?」
「あ、あ、あの……リオン様……」
「ん?」
「あの、……リオン様……その……私、お妃様は…………私以外、迎えないで、欲しいなって……」
当たり前だと力強く頷いてくれる。
自分を信じていないのかと怒ってくれるかもしれない。
以前なら、そう期待できた。
でももう終わったとかなにごと?
王子はきょとんとし、次いで笑った。
「それはできんよ。知っているだろう?」
王子の側近も笑顔だ。
己の唇から、かすれた声のような息のようなものが漏れるのをユイカは聞いた。
リオン王子の笑顔は変わらない。
「安心するがいい、ユイカにわずらわしい役目など与えん。公務は妃に任せ、今まで通り【花の間】で楽しく過ごしていればよい。――私が何人の妃を迎えようと」
ユイカは絶句し、あえいだ。
そして、やっと気付いた。
気付いてしまった。
この時になって。
自分が何を、決定的に、間違えてしまったのか。
(まさか……まさか、この人って、まさか…………ほんとは…………)
本当は、この人の胸にあるのは……。
読んでいただいてありがとうございます。
ユイカさんの名前、同名の方がヒットしないようキラキラっぽい名前にしようかとかなり悩みました。
が、今後自縄自縛に陥りそうなので、逆にありそうな読みをカタカナ表記に……。
次が第一章のエピローグになる予定です。




