いいですよね
今回長めです。
「そんなの知らない! 嘘でしょ、冗談やめてよ……?」
まあ、悪い意味で外さない御方でしたね。
ユイカ様は震える指でカップをつかみ、ほどよく冷めた中身をごくごくと喉に流し込みました。
空になった器をことさら乱暴に置き、ふっと息をついて、
「レティシアさん、私に嘘ついてません? からかってるんでしょ」
もはや隠しようのない苛立ちと怒りを、視線に乗せてぶつけてきました。
「嘘をつく理由などわたくしにあるとお思いですか? 第一に、わたくしは聖職者でございます。悪質な冗談で虚偽を並べ立てはいたしません」
「……っ」
悔しげにギリリと睨まれましても、わたくし正真正銘、真っ向、全力で真実を述べておりますよ。
――だって真実のほうが残酷ではありませんか。
あなた様のために、甘い嘘でやわらかく棘を包んでさしあげる努力なんて、これっぽっちも必要性を感じませんから。
「じゃあなんで誰も教えてくれなかったんですか、そんな大事なこと?」
「さほど大事な事柄ではございませんでしょう」
「は? 意味わかんないです。結婚ですよ? 人生の一大イベントでしょう? それより大事なことって何かあります?」
――この方は本気で仰っているのかしら。ついじっくり見返してしまいました。
家と血を守るためにどんな犠牲でも払う王侯貴族の主張ならばまだしも、ご自分がどこのどちら様か本気でお忘れでいらっしゃいますか。
「な、なんですか?」
「太陽は東から昇り西へ沈む。海があり、大地があり、河川がある。水辺に植物が茂り、人が集まり、村や町や国がある。あなた方の世界と同じように」
「……は?」
「そしてあなた方の世界とは異なる民族があり、異なる生物が棲み、異なる国、異なる法があり、魔法や呪いや神の奇跡が実在する。あちらにあってこちらにないもの、こちらにあってあちらにないものは、数え上げればキリがありません」
「……だから? 何が言いたいんです?」
「それらを踏まえ、この世界にいらして間もないあなた方に、まず重点的にお教えすべき内容をまとめた手引書がどの国にも必ずあります。どの身分ならば配偶者を最高何人まで得られるといった知識の優先順位など、最後の項におまけで書かれている程度に低いのですよ」
「低くないです!! どうしてそんな勝手に――」
つい声を荒げた直後にハッ、と口を押さえ、焦った顔で扉を見やるユイカ様。
壁は厚く扉も頑丈そうですが、あまりに大声を出すと廊下まで響きかねません。
「……どうして、そういうの勝手に決めるんですか? この世界の人達って、みんな親切で優しいと思ってたのに、こんな人達だったなんて……! 誰です、そんなワケわかんない一方的なこと書いた人?」
「ユイカ様の同胞、過去の【渡り人】様です」
「なっ……」
絶句してぱくぱく口を開閉させる様は、水辺で顔を突き出した魚にそっくりでした。
「中でも五百年ほど前、ある国の【渡り人】様が作成してくださった手引書は有名ですね。彼らが訪れる時期は決まっており、なおかつ全員が同じ時代のニホンという国の出身者ですから、百年後であろうが二百年後であろうが充分参考にできるのです。その方の二つ名は勇者――現在、どの国にも一冊は写本があるはずです」
「勇者って……なにそれ、イタい……」
「痛い? どうなさいました、聖女様?」
「っっ!」
グッと詰まって更に痛そうなお顔になりました。
ちなみにくだんの勇者様の将来の夢は、災害救助なんとかという職業につくことだったそうです。
こちらにない概念が相当混ざっていたために、たまたまお話を聞いていた者には単語のほとんどが聴き取れなかったそうですが、救った民の命が三桁を越えたあたりで、自然に周りから『勇者様』と呼ばれ始めたのだとか。
こちらの【渡り人】様とは随分――いえ、比較してはいけませんね。
そして、ふと気付きました。
異世界人の特徴について、陛下やリオン殿下はわたくしよりもっと細かくご存知だったはず。
おかしいですよね。
わたくし達には、若く見られやすいんでしょう?
けれどユイカ様、わたくし達の感覚で、十五歳と言われて違和感のない外見なのですよ。
ならばユイカ様がニホンにお住みだった頃の基準では、大人っぽい外見だったということになるのでは?
けれど何かの拍子に、ついうっかり前の感覚で、可愛らしさの演出か何かで「私ちょっとだけ子供っぽいから」みたいに、陛下や殿下の前で口走ったとすれば。
「て、手引書とか一夫多妻とか、そんな設定関係ないです! リオン様が一番愛してるのは、私なんだから……!」
設定? また変なことを言い出されましたね。
「設定とやらは存じ上げませんが、よいことです。第二位以下のお妃様の最も重要なお仕事は、第一王妃様を立てつつ、健やかな御子をお産みになることと存じます。それならばお役目はすぐに果たせましょうから」
「いいかげんにして! 二番目も三番目もないの! お妃は私だけなの!」
「それは有り得ません。――そもそも、あなた様はご存知なのですか?
リオン殿下の主なご親族のお名前は? 家名は? 位は?
陛下の主なご親族のお名前は? 家名は? 位は?
何代前の王や王族のどなたが、どの国でどのようなお付き合いをされていたか、あるいはお付き合いを好まれなかったのか。
どなたがどのような偉業を遺され、あるいは王家のタブーとなるほどの醜聞を撒き散らされたのか。
それらは妃になる者にとって、把握しておかねばならない必須事項です。
たとえば、他国の要人から「〇〇王の時代より親しく交流させてもらっております」と話を振られた時、よほど遠方の国でもない限り、その当時の世界情勢まで瞬時に記憶を呼び起こし、適切にお答えできねばなりません。
そういう教育を幼い頃より受けてきたご令嬢の中で、最も身分の高い者が、同じ身分ならばより優れた者が、第一王妃に選ばれる。
ゆえに、ユイカ様がお妃様の第一位になられる未来は、まず有り得ません。
「三番目でも四番目でも、リオン殿下のご寵愛さえ深ければ、ユイカ様はどんなことでも頑張れるのでしょう? ただ、殿下は長年のご婚約者様を遠ざけられた御方です。ご婚儀の日まで、ご寵愛を保ってくださればよいのですが……愛はうつろうものと聞き及びますしね」
いえ、リオン殿下がそのような不実な御方とは申し上げませんよ? あくまでも一般論でございます。
ですがユイカ様には説得力があったようで、ざああっと音がしそうな勢いで青くなっておられました。
「そ、そんなことない。リオン様はそんな人じゃないです。誠実で公正だし、身分差とか関係なく、私を大切にしてくれてるんですから」
「よろしゅうございました」
「だ、だいたい、何かにつけ身分だの立場だの、そんなのはくだらないじゃないですか? レティシアさんも、ここの人達も、もっと柔軟な考え方を身につけるべきなんです。それに私、聖女っていう扱いなんですから、養子縁組なんて必要ないじゃないですか。結婚した後だって、いくらでも学べるんだし」
「すぐにご公務が始まりましょう。付け焼刃でどうにかできるものなど、ひとつたりとございませんよ」
国を支える主だった方々のお顔とお名前、お家柄、ご領地、お仕事、国の法律や売り出し中の特産品、お手紙の書き方。
ご身分とは、その方がお受けになった教育の質を示す指標でもあるのです。
「あなた様はご自分のお立場を『全部選びたい』と仰っておいででしたが、現実問題として不可能である以上、それは『選べない』と同義です。そのためにあなた様は令嬢教育はもちろん、いわゆる聖女教育すら施されてはおりませんでした。さらに申し上げますと、あなた様は正式な聖女でさえありません」
「!?」
「正式な聖女とは、法王庁により認められた存在。あなた様のそれは、あくまでも〝聖女という呼称をフロレンシアの大司教により正式に認められた〟だけであり、要するにこの国内でのみ通用するあだ名ですね」
「あ、あだ名……!?」
ユイカ様のお顔から血の気が引き過ぎて、白っぽくなってまいりました。
「何より聖女教育は神々にお仕えするためのもの。あなた様が王族の妻を選択された以上、ご婚儀の前に相応しい教養を身につけていただくのは必須の義務。殿下はおおらかで公正な御方なのでしょうけれど、宰相様や大臣様方、高位貴族の方々に加え、諸外国の方々にまで『後でもよい』というお考えを受け入れていただけるとお思いですか」
「そ、そんなの……意識を変えて、変えてもらうよう、頑張れば……」
「そもそも、変えるだけの意義があるのでしょうか。お招きしたお客様方に対し、『あなたの国のことはよく存じませんので無礼があっても大目に見てください』を押しつけてよいと? 先ほどからあなた様が仰っておられるのは、そういうことです」
「そ、そんな……」
「ですが、お妃様としての義務を免除される方法がなくもありません」
「え?」
「ご側室様です」
「っ……」
彼女の好む素敵な恋物語に、それは出てこなかったのでしょうか。
「私よく知らないから」「これから頑張る」に留まり、一歩も前進されてこなかったツケが、今ここにドンと巡ってきたわけでございますね。
「ご側室様ならば、お妃様教育もご公務もありません。ご婚儀は執り行われず、あなた様に正式なお立場や権利はなく、ついでにフロレンシアの法では側室の御子に王位継承権は認められませんが、些細なことでしょう。あなた様にとって、身分や立場にこだわるなど、くだらないことなのでしょうから」
「!!?」
「ああ、そういえば先日から、市井の皆様の噂話があちらこちらから聞こえておりましたね。王宮の聖女様が、とうとう殿下のお側に上がられるらしい、と。正式なお妃様に対しては、あまり使われない言い方でございましたね」
ならば殿下も初めから、あなた様をご側室にされるおつもりだったのかも。
そう告げれば、ユイカ様の震えがどんどん酷くなりました。
否定したいけれど否定できない、そんなところでしょうか。
……本番はここからでございますよ?
「ところで、フロレンシアの法において、一度側室になられた方は、その後どれほど偉業を達成されようと、正式なお妃様になることはできません。これは過去、野心ある側室やその親族達が、お妃様方への暗殺未遂や、国を揺らがすほどの争いを何度も繰り広げ、それを防ぐために禁じられたからです。もしお妃様になることをお望みでしたら、その前に偉業を成されることが急務となりますが、ユイカ様にはおそらく不可能でしょうから、無謀な高望みは控えられたほうがよいとご忠告申し上げます」
「馬鹿にしないで!」
テーブルを叩きそうになり、すんでのところで堪えられました。そうそう、大声や大きな音は外に聞こえてしまいます。
「あなた知らないでしょう? あっちの世界、ここよりも進んでいるんですよ? だから――」
「存じておりますよ? 各国歴代の【渡り人】様の著書が、たくさん遺されておりますから。わたくしも一部ですが目を通したことがございます」
「で、でも、だったら!」
「まず、あなた様が奏上されるおつもりだった観光立国ですが、少なくともわたくし達が生きている間は実現できません。花畑を楽しむためだけに、わざわざ外国から足を運ばれる余裕のあるご身分や財力の方々となると、かなり限られます。悪路でお迎えしてはなりませんから、街道の舗装や建築物の増改築を行わねばなりませんし、滞在される場所の美観の確保はもちろん、治安維持も急務でございますね。実際のところ、綺麗なお花だけでご満足いただける方々ではないでしょうから、それ以外にも見どころとなるものを多数準備する必要があります。どれほどの費用がかさむことか」
いくらあちらの世界が進んでいようとも、ユイカ様ご自身には、たいして何も身についていなかったのが明らかです。
表面的な言葉だけを漠然と覚え、それがどういう性質のものなのか、多少なりとも理解を深めようという姿勢が、おそらくは前の世界にいらした頃からなかったのでしょう。
「フロレンシア王国は現在、長年続く深刻な食糧不足に悩まされ、ほとんどの民が疲れ果てております。観光立国など、それを解決するための手段にはなりません。民の腹を満たし、生活を向上させて初めて実現できるのが観光政策です。それなくして強引に進め、各国の方々にフロレンシアの窮状を宣伝し続ける事態になれば、早晩、戦を仕掛けられるでしょう」
「いくさ!? そんな、大袈裟な……」
「大袈裟ではありません。諸外国と長らく戦乱に明け暮れていた時代があり、それぞれの国が限界を迎え、自然に鎮静化したのです。その後、各国の関係が改善されたと聞いたことはありません。にもかかわらず平和が保たれておりますのは、どの国も自国の立て直しに集中していたからです。そんな折、よその国から大々的に人を呼び込んでごらんなさい。彼らは皆、『フロレンシアの国力は現在どの程度まで戻っているのか』に興味津々ですよ」
畳みかければ、ユイカ様は土気色になりました。
まだありますから倒れないでくださいね?
あなた様が口先だけは謙虚に、しかし内心ではどうやら「私はこんな案が出せるのよ!」と得意げに披露してくださった、ふんわり案の数々を片っ端から潰してゆきましょう。
「まず、途方もないお花畑。これは既に有名ですから、今さら宣伝するまでもありません。付け加えますと、この国の食糧難を長引かせた原因です。『イモや麦より美しい花を育てろ』とやってきたわけですからね。民衆はそんな布令を出させた元凶たる過去の聖女様に対し、悪感情しか抱けません。ゆえに、聖女様だからと無条件に慕われる下地は、この国にはございません」
今後は街道や目につく場所など、国力の宣伝になりそうなところは残し、目につかない田舎などではどんどん縮小され、食糧畑に替わっていくでしょう。
いえ、もう推し進められているでしょうね。
「それから、養蜂業や花を活かした化粧品、その他製品の開発など。あなた様の提案よりも遥か以前から公爵領にて着手されており、既に商品化の段階に入っているそうです」
あなた様のふんわりした「こんなことできたらいいな」を聞かされた方々、内心でうんざりするか、せせら笑っておられたんじゃないでしょうか。
「最後に。王侯貴族にとって、これだけは欠かせない、必ず力を入れねばならないものがあります。今のあなた様にもありますが、それが何かわかりますか?」
「…………」
「お衣装です」
返事を待たずに、答えを告げました。
財力を、権力を示すために絶対なくてはならないもの。これが如何に素晴らしいかで、身につけている者の格が決まると言っても過言ではありません。
ですから陛下や殿下、お二人が信頼をおく側近の方々は、王侯貴族の戦闘衣たる〝この国独自の素晴らしいお衣装〟に力を入れてきたのだと推察できます。
養蚕業、紡績業、織物業、染色、そして刺繍やレースなどの職人の育成。宝石を大量につければ財力は誇示できましょうが、ともすれば厭らしくなり、気品やセンスを疑われます。
誰もがハッと目を瞠り、感嘆の溜め息をつかずにいられないお衣装。観光は高位貴族でもごく一部の方が、せいぜい年に数回楽しめればよいほうですが、お衣装は国内外にかかわらず、どんな貴族でも年中無休で求めるものです。
この国にしかない、この国の職人でしか作ることのできない技術をもって仕立てられたお衣装。
その価値は計り知れないのです。
たとえそれが一時休戦中の敵国であっても。
もっと遠くの国々であっても。
その価値が知れ渡るほどに、近隣の国々はフロレンシア王国へ容易に攻め込めなくなるでしょう。
戦をしかけようとしたら、お衣装を手に入れられなくなるのを恐れた他の国々から、怒涛の勢いで非難されるでしょうからね。
「………………」
ユイカ様はあえぎ、視線がどんどんあやしくなってゆきました。
この方の好まれた、異世界から訪れる聖女様の物語。紆余曲折を経て幸せになられるそうですが、ユイカ様の敗因は、肝心の〝紆余曲折〟の解釈を勘違いされていたところにあるのではないでしょうか。
想像の域を出ませんが、その物語のヒロイン達は、異世界の知識を役立てるべく、苦悩や努力をしていたのではないかと思うのです。結果としてその行いが人々に愛され、素敵な殿方から求愛される結果に繋がったのではないでしょうか。
もしくは斜め読み、飛ばし読みをされていたのかも。
都合のいい部分だけを読んで、「ヒロインはこういうもの」と解釈し、形だけをなぞっていた。そういうことのような気がします。
「大司教様、は……」
不意に、ユイカ様が絞り出すように言いました。
「ロドリゴの、お爺ちゃんなら。私の、味方になって、くれます。きっと……そう、後ろ盾。エマや、ミレイアだって、味方になって、くれる……そしたら、ただのあだ名じゃ……本物の聖女に……」
「ロドリゴ元大司教でしたら、破門になりました」
「は、もん?」
「フロレンシア大神殿の私物化、一部貴族との癒着、聖職者としてあるまじき贅を尽くした怠惰な生活。信徒からの寄進で宝石類を購入し己を飾り立て、聖アルシオン教の祝祭と何ら関わりのない日に大勢の旅芸人を呼び寄せて盛大な宴を催すなど、余罪も大量にあるそうです。聖職位は剥奪、現在どう過ごされているかは存じ上げません」
「……うそ……」
「エマ様やミレイア様も、見習いに降格処分となりました。そもそも彼女達は、王宮で相当な数の貴族令嬢を敵に回しておりますから、むしろ味方になっていただかないほうがよろしいかと思いますよ」
絶句する少女――いえ、女性でしたね。
実年齢を知った今も、この方はやはりお子様なのではないかと感じてしまいますが。
「あなた様には、後ろ盾になってくれる存在などいないのです。あなた様は聖女ではなく、この先も法王庁に認められることはありません。今後はリオン殿下のご側室様として、決して表に出ることなく、王宮敷地内のどこかで生涯を過ごされることになるのでしょう。気を付けておかねばならないことは、ひとつだけ。ご側室様として、相応しい振る舞いを心掛けること。それだけです」
公的な義務はありませんが、主張できる権利もほぼありません。
殿下からの関心が薄れたとしても、ほかの殿方にふらつくのは言語道断です。
それが、あなた様の選んだ道なのです。
「神々のご加護を」
震え続けるユイカ様を尻目に、わたくしは【花の間】をお暇いたしました。




