このイキがいいのをシメていいですか
…………。
……は?
今なんつった?
なんつった? この小娘。
十九歳?
――十九歳?
「私の生まれた国ってね、細くて小柄な人が多いんですよ。私は標準よりちょっと小さいぐらいかな? でもこの世界の人達には、すごく若く見えるみたいなんですよね。こっちへ来て最初に『十五歳ぐらい?』って訊かれて、否定しなかったらそれが定着しちゃいました」
ぺろ、と舌を出すユイカ様。
「だから私、あなたがお子様扱いするほど何にも知らないわけじゃないし、意外と大丈夫なんですよ、レティシアさん。この世界の女の人って世界せまいっていうか、教育のレベルが低いっていうか、アマリアさんですらあれなんだから、私のほうがもっとうまく立ち回れると思うんですよね、な~んて。……ふふっ、言っちゃった♪」
「――――……」
――この方は。
謙虚でも無邪気でもない。
本当はそうではなかった。
争いごとが苦手だから、相手を傷付けたくないから、エマ様やミレイア様の背中でおろおろしていたのではなかった。
様子を見ていただけ。
どんな振る舞いが自分にとって得なのか。
自分本位で、傲慢で、
己にとって都合のいいストーリーを進めようとした、
無害で無力な聖女を装った、
ただの悪女。
だったと。
――なんてことでしょう。
なんて――
「神よ、感謝します……」
「はい?」
ユイカ様が怪訝そうに首を傾げました。
わたくしは構わず、お茶のカップに口をつけました。
荒ぶる心を少しでも落ち着けるためです。
だって、
だって、
だって、
わざわざご自分から白状してくださったんですよ!?
ああ神よ、心から感謝を捧げます!!
これわたくしに「オッケー手加減無用、やっちゃいなヨ♪」って、びゅんびゅん追い風送ってくださってますよね!?
「許す、心折っちまえ♪」って仰せですよね!?
なんて素晴らしいんでしょう……!!
だってちょっと前まで、さすがに十五歳のお嬢さん相手には加減しなきゃ大人げないですよねえとか、ぶっちゃける範囲の線引きに悩んでたんですよ!?
貴族女性の結婚適齢期は十五~十七歳ぐらいとはいえ、大人からすれば十五歳なんてまだまだ未熟もいいとこです。
おまけにユイカ様は異世界人。あらゆる物事に対し、無知ゆえに覚悟が足りず、ご性格もふわふわとしていらっしゃるから、いきなり夢も希望もない灰色の現実を一気に詰め込んでも消化しきれそうにない不安があったのです。
で、す、が!
純粋な少女を演じる悪女の素養があるならば、「この部分は暈したほうがいいかしら?」なんて遠慮は一切しなくていいのです!!
わたくしの気分的な問題、全解決ですよ!!
なんてやりやすくなったんでしょう……!!
「あんまり動揺しないんですね?」
苦笑しながら、ユイカ様が小首を傾げました。
この仕草、ご自分が可愛らしく見えると自覚してやっていますね。実年齢を告白してくださった今は区別がつきます。
わたくし、小さな子や可愛いものや頑張り屋さんは好きなはずなのに、何故か今までユイカ様には軽くイラっとするばかりだったのでなんでかなーあれぇ? って不可解だったのですよね。
理由わかってすっきりしました!
本日のお昼ごはんも美味しく食べられそうです。
「残念。さすがのレティシアさんでもびっくりさせられると思ったのに、全然変わらないんだもん。慈悲とか慈愛が大切な聖職者なのに、そんな氷の人形っぽくていいんですか? 直したほうがいいんじゃないです? 誰とも仲良くできませんよ、そんなんじゃ」
いいーええー、めっさ驚いてますともー?
友人知人や身内からは、おまえは中身暑苦しいから見た目氷河で丁度良いとよく言われておりますとも。
わたくしが見た目と中身を一致させたら空気薄くなりそうで近付きたくないとも言われておりますので、むしろこれがベストなのです。
一見すればいつもと変わらぬフツーの態度でお茶を飲んでいましたら、ユイカ様の機嫌が徐々に低下してゆきました。
ニコニコ笑顔が消えております。
先ほどまで「ぷりぷり」とこれ見よがしなふくれっ面でしたが、あまりにわたくしが無反応なので表情に困っているようです。
これまではユイカ様の言動に、必ず何らかのリアクションをしてくれるお優しい方々ばっかりでしたからね。
ユイカ様の正体が、急激にわかってきました。
まんまとヒロインになってのけた悪女、かといって悪意はなく、積極的に誰かを陥れたのでもありません。ただ〝悪役令嬢アマリア〟に対し、常に受け身を貫いていただけであり、この方自身が何をしたわけでもない。
それで充分、己に都合よく事が運ぶとご存知だった。
昨日今日の話ではなく、おそらく〝ニホン〟にいらっしゃった頃から、ご自身のお姿が相手に与える印象を熟知しており、ご自身に有利な振る舞い方を実践なさっていたのでしょう。
何年もずっとそうして、息を吸うように、己に都合よく周りを動かしてこられたのなら、それはもう厳密には演技と言い切れず、わたくしが読み切れなかったのも道理なのです。
ただし残念ながら、悪女としてもさほど熟してはおられないと言わざるを得ませんね。
だってあなた、己の優位をわたくしに知らしめたい衝動を我慢できなかったのでしょう?
さんざん駄目出しをした初日のこと、実は根に持っていたのですね。
ほかの優しい方々と違い、わたくしはずけずけ言いましたから。
実はこの国の女性より教育レベルが高いと自惚れていらっしゃったこと、先ほど明言されましたものね。
だからあなたは最後の最後に、「これが本当の私なの♪ どうレティシアさん、悔しいでしょう?」と、わたくしを高みから見下ろしたくなった。
ですがねえ…………真実、手に負えない恐ろしい悪女は、ここで馬脚を露わしたりしないものですよ?
なんで知ってるかって?
わたくしのお師姉様には、現役時代に血みどろ陰惨な権力争いを生き抜いてきた猛者がたくさんいますからね!
凄まじいですよ~若かりし頃の武勇伝!
わたくし一介の修道女生まれでほんと良かったです!
まあ、そのお話はさておき。
そんな子供じみた誘惑に抗えなかった時点で、ユイカ様の悪女レベルも底が知れるというものでして。
フワフワとお花畑な夢ばかりご覧になり、お言葉は常に上滑りして説得力がなく、投げかけた問いに対する答えはあさっての方向へ飛んで、会話のたびに徒労感と違和感が残る。
結局のところユイカ様の本質は、そこから大きくズレていないのです。
修正した印象が以前より悪質になった分、わたくし個人としてやりやすくなったぐらいです。本当にただ善良なだけのお嬢さんだったら、やりにくいったらありゃしませんよ。
おそらく今日のユイカ様が調子に乗ってしまわれたのは、この世界でも上手くやれた、誰にもずっとバレなかったと、過剰な自信をつけてしまわれたからなのでしょうね。
実際、ロドリゴ元大司教にもバレていなかったと思うのですよ。ユイカ様は王宮敷地内の【花の間】に住まわれていて、顔を合わせる機会がそう頻繁にはなかったはずですし、元大司教がユイカ様をポヤポヤ娘と内心侮っていたとすれば、それ自体は普通に間違ってませんから。
ですが多分、殿下はお気付きだったんじゃないでしょうか。
わたくしがこの国を訪れる一ヶ月以上前から、あの方はユイカ様とほぼ毎日のように、高い頻度で直接顔を合わせておられた。
陛下には包み隠さずご報告されているでしょうから、陛下もご存知ですね。
海千山千の猛者を相手に、あなた程度で隠しおおせるわけがないでしょうに。
ああ、そうでした。
あなたはこの世界を、素敵な恋物語の世界と捉えておいでなのでした。
どうしてそんな勘違いができるのか、まったくもって理解不能ですけれど。
「いつまで黙っているつもりなんです? それとも、私が本当は子供じゃないんだって、嘘ついてると疑ってるんですか?」
しびれを切らしたユイカ様が、やや剣呑に尋ねてきました。
「いいえ? わたくしは今、とても安堵しているのです」
「?」
「以前、申し上げましたでしょう。子供っぽいか大人っぽいかは関係ありません、と。ユイカ様の御年は十九歳とのこと、すなわち今まではことさらに子供っぽい言動を心掛けておられただけなのでしょうから、これからわたくしが申し上げることにも十全な対処が可能となるに違いありません。よろしゅうございました」
「……どういう意味です?」
お菓子がさくさく。美味しいですねえ。
アマリア様のお土産に包んでいただけないものでしょうか。
「ユイカ様は先ほど、『王子様のお妃様になる』と仰いました。それはリオン殿下のお妃様で相違ありませんか?」
「は? ……当たり前でしょう? この国にリオン様以外の王子様なんていないじゃないですか」
「おられますよ? もうすぐ御年六ヶ月になる第二王子殿下が」
「――えっ?」
「王妃様が公爵領に里帰りなさっていたでしょう。その際にご懐妊が判明したそうです。出産直後に長距離の移動は母体にも御子様にもよろしくありませんので、ずっとご実家に滞在されていたそうですが、医師の許可が出たのでそろそろこちらにお戻りになるそうですよ」
「へ、へえ……そうなんだ。弟さんが、いるのね。なら私、王妃様と弟さんの、お出迎えの準備をしなきゃ……」
ユイカ様は笑おうとして明らかに失敗なさっていました。
初耳よ!? とお顔いっぱいに書いております。
「っていうか! 私が赤ちゃんのお妃様になるわけないって、常識的に考えればわかるでしょう? 馬鹿にしてるんですか?」
「王家の常識に照らしましたら、赤ん坊の婚姻は歴史上いくらでも出て参りますよ。むろん政略であり、現王陛下はそういったことを好まれないでしょうけれど」
「そ、そうだとしても! やっぱり、レティシアさん、私が嫌いですよね。いいんですか? あんまりこういうこと言いたくないけど、私、王子様のお妃様になるんですよ?」
「わたくしもこのような言い方は好みませんが、その場合でも、わたくしのほうが格上ですね」
「えっ……」
嘘? と、小さく呟かれました。嘘ではありませんよ?
国によって若干の差異はありますけれど、このフロレンシアでは王族の妃より、わたくしのほうが上と見做されます。
「で、でも私、聖女って呼ばれてるし……普通の貴族のお嬢様なんかとは違うし……」
「フロレンシア王国における【渡り人】様の地位は、功績がとりたてて何もなければ伯爵位相当。何らかの目覚ましい活躍があれば侯爵位以上に成り得ます。ですので、功績のないあなた様がリオン殿下のお妃様になるのは、本来ならば不可能です」
「!?」
ああ、そうではないかと思いましたが、やっぱりここでも勘違いなさっていたんですねえ。
ユイカ様にとっての聖女像とは、ただそれだけで価値があり、王族にすら蔑ろにすることが許されない貴重な存在――すなわち、物語に出てくる〝聖女様〟だったのでしょう。
エマ様やミレイア様にさんざん持ち上げられ、先入観に過ぎなかったそれに確信を与えられてしまった。
だから多少の無理も、「私は聖女だから」で押し通せると高をくくっていらしたのかも。
「ですが、ご案じなさいますな。さして複雑なことはございません。まずは侯爵以上の有力貴族との養子縁組をなさればよいのです。その家ではお妃様教育の基礎を、最低でも三年はかけて学ばれることになりましょう。幼少の頃より王太子妃教育をこなされてきた、公爵家の令嬢アマリア様ほどの高いレベルに達するのは難しいでしょうから、最低限の基礎に絞ってぎりぎり三年です。その後、ある程度の応用をさらに一年ほど実地で学ばれたのち、他のお妃様方のご身分を考慮され、改めてご婚儀の日取りと、ユイカ様のお住まいになる宮の選定に入るでしょう」
「え、え?」
「ご婚儀の格式、お客様方のご身分、ユイカ様のお衣装などは、第何位のお妃様になられるかでだいたい決まっておりますし、細かい部分は長くお仕えの方々が心得ておりましょう。皆様方にお任せし、ユイカ様はお妃様として相応しい知識、お振る舞いなどを学ぶことに専念されるのがよろしいかと存じます」
「え、え……ちょ、ちょっと待ってよ!?」
両手を前に突き出してブンブン。
うーん、お言葉遣いとお作法の教育、三年で足りるんでしょうか?
「どうなさいましたユイカ様?」
「ほ、ほかのお妃、って」
「当然ながら選別されましょう」
「は!? え、何でよ!?」
「先ほど申しましたように、順当にご婚儀の日を迎えられたとして、最短でも五年後の見通しになります。これまでは公爵令嬢アマリア様がご身分も能力も抜きん出ておられましたが、あの御方が外れた今、次点の婚約者候補であった妙齢の姫君方が繰り上がることになります。リオン殿下は既に御年十八、五年間も未婚のままではいられません」
「――――」
おや、ユイカ様、顔色が急激にお悪くなりましたよ。
まあ、【渡り人】様の故郷たる〝ニホン〟は身分にかかわらず一夫一妻制だと、文献にはございますがね。
まさか、この国の王族が一夫多妻だったのを今の今までご存知なかった、な~んてことはございませんよね?




