さくっと旅立ちました
フロレンシア王国の王都にやって参りました。
【導きの枝】のある国のひとつで、わたくしの生まれ育った修道院から最も近いのです。
近いといっても一日、二日の距離ではありません。途中でいくつかの町や村を経て、本日ようやく都の門をくぐりました。
道中、いろいろとございました。道を塞いだ倒木を粉砕し、獣退治をし、魔物退治をし、鼻息の荒い殿方の集団を涅槃に送りと、大変ではございましたが村々の皆様にはとても感謝され喜んでいただけましたので、過ぎてみれば良き思い出と言えましょう。
今は宿をとり、お夕食をいただくところです。
わたくしはレティシア、歳は二十三。ごく平凡な一介の修道女に過ぎません。
特筆すべきところなどございませんが、強いて言うならば、生まれた時から修道院にいる点でしょうか。
というのも、わたくしの実母が、修道院に入った時点で身ごもっていたのです。
わたくしの出産後に身体を壊したらしく、幼心にずっと寝台にいる方という印象が強く残っています。
けれどもともと敬虔な方でしたから、祈りの日々をとても安らかに、幸せそうに過ごしておられました。
母を亡くしてからは、マヌエラ院長様やたくさんのお師姉様方に、厳しくも大切に育てていただきました。
時おり外から来られた方に、「こんなべっぴんさんが勿体ない」などと言いがかりをつけられますが、わたくしのマヌエラ様や神々に捧げる感謝と敬愛を小一時間ほども聴いていただければ、ほとんどの方は誤解を解いてくださいます。
岩?
あの程度、敬虔な方々が修練を積めば、どなたにでもできますよ。
何故か皆さん積極的に学んでくださらないだけです。
祈りとは力、そして果てなき可能性。せっかくの可能性から目を逸らされるなんて、皆さんは勿体ないことをされているとお伝えしているのですが……なかなか伝わらないようです。
わたくしが未熟者だからですね。今後も精進いたしましょう。
ところで、今回わたくしが神々より賜った崇高な使命についてですが――あ、ちょうどお料理が来ました。
さすがは王都の食事処、よいお料理を提供しておりますね。道中はお料理のお店どころか、宿や食べ物すら……という所がよくあったのですが。
しかし王都はどこを見ても賑やか、華やかです。王都ですからね。
じっくり煮込んだお野菜の深い味わい。それになんといっても、タレをつけて焼いたお肉の素晴らしいこと。
お店に代々伝わるタレを使っているそうです。切り分けて咀嚼しますと、肉汁と一緒にじゅわりととろけて……。
…………。
はっ。
あやうく天に召されるところでした。
お仕事を始める前から昇天してどうするのでしょう。これではマヌエラ様や神々に叱られてしまいます。
しかし罪深いのはこのお肉なのですよ。わたくしから理性と意識を奪おうとするのですから。
罪深い、イケナイお肉です。
はもはも……ごくん。
もぐもぐもぐ……。
…………。
「日々の恵みに感謝いたします」
お料理の代金は宿代に含まれており、とても良心的でした。大通りから少し外れているためだそうです。
寝床も清潔でしたし、掘り出し物、というのでしょうか? 幸先の良いことです。
さて、お腹もたっぷり八分目になったことですし、本題に戻りましょうか。
およそ千年ほど昔。世界中の人々は秩序なく、あらゆる悪徳にふけっておりました。
醜い裏切りや無意味な暴力のはびこる世の中を憂いたアルシオンは、ある日神々に問いかけ、【奇跡の枝】を授かりました。
その日からアルシオンには神々の声が聞こえるようになり、不思議な力も振るえるようになりました。
彼はその後、各地で奇跡の御業を用いて、神々の教えを説き、世の中を安寧に導いてゆきました。
アルシオン亡きあと、遺言に従い、七人の弟子が枝を分け、新たな大地に植えました。
枝はみるまに大樹となり、弟子達はそこに大樹を祀るための神殿を築いて、騎士達が国を興しました。
アルシオンの遺した教えは〝聖アルシオン教〟として後世に伝わり、没した国は聖法国と呼ばれ、現在は法王聖下が治めておられます。
その、弟子達の植えた枝こそが【導きの枝】なのです。
つまり【枝】という名の樹があるわけですね。
【導きの枝】には不思議な力がありました。百年に一度、その樹に導かれ、異世界からやってくる人々がいるのです。
彼らは【渡り人】と呼ばれ、世界と世界の境界を越える際に何らかの力を授かり、この世界にさまざまな影響を与えてきました。
【導きの枝】によって授かる能力の傾向は違いますが、聖女や勇者として活躍し、歴史に名を刻んだケースもあります。【渡り人】の立場がどの程度高いかは国によりますが、だいたいは高位貴族と同等の扱いだそうです。
それから、繋がる異世界はニホンという国の、ほぼ同じ時代に固定されているのだとか。
理由は不明ですが、神々にはわたくし達では推し量りようもない、深いお考えがあるのでしょう。
【渡り人】の中には、聖アルシオン教と深く関わり、教義にも影響を与えてきた方々がいると聞きます。
教義といっても、何も難しいものではありません。ごくシンプルなものです。
この世の物事はすべて原因と結果に繋がり、人々は多くの苦しみを抱え込みます。
生きている間にさまざまな苦難が立ちはだかり、どのような生涯を送ったかによって、次の生が決まるというのです。
新たな生において、前の生は記憶にありません。ですがわたくし達は、その苦しみの輪廻の中にいるのです。
日々のささやかな幸福に祈りと感謝を捧げ、あらゆる苦難の原因を排除し、やがて解脱へと至る――それがわたくし達の大いなる目標なのです。
わたくしは今回、【渡り人】を見極めよと命じられました。
見極めて、それからどうするかはわたくし次第とも。
何故その必要があるのか、何故神々はわたくしにお命じになったのか、何もわかりません。
この先の道のりには、たくさんの試練が待ち構えているのかもしれません。
ですが神々よ、ご安心ください。
わたくしはすべての苦難を打ち砕き、破壊し、粉砕し、みごと大役を果たしてご覧にいれましょう。