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御心のままに、慈悲を祈れ  作者: 咲雲
第一章 花の王国の聖女
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道化師の舞台


 ロドリゴ大司教は馬車の中で瞑想に耽っていた。



『あの修道女の態度が冷酷なことといったら! ユイカ様があんなにも頑張っておられるのに、これっぽっちも斟酌してくださらないばかりか、これ以上のご負担をおかけしようなんて……!』


 ユイカ付きの神官の片割れが大慌てで泣きついてきたのは、レティシアが彼女らにとって不都合な授業予告をした、その直後のことだった。


 口と裏腹に、その瞳は「予告通りにされてしまったら我々が困ることになる」と必死で訴えていた。そこには、〝お気に入り〟の自分が望めば無下にされはしないという増長も滲んでいる。

 利用価値があるからこそ目をかけてきたという大人の事情を、素直な娘達はついぞ理解することがなかった。


(だからこそ扱いやすいのだが)


 それ以外にとりたてて美点のない、少々おつむの出来に難のある小娘をおざなりにあやしながら、ロドリゴは表向き熟考する素振りを見せて、その実、あっさりと対処を決めた。


 レティシアの思惑は簡単に想像がつく。聖女ユイカの頭に滔々と現実を流し込み、強制的に夢のお花畑を押し流す気でいるのだろう。この国に属さぬ余所者だからこそ可能な荒業でもある。

 そうなれば具合が悪いのは間違いではなく、ゆえにロドリゴは、聖女ユイカがつまらぬ講義に付き合わされずに済むよう、努力家の小柄な少女に、疲労なり知恵熱なりで一時的に寝込んでもらうことにした。


 ユイカが得意とするのは〝怪我の治癒〟であり、毒や病には適性がない。

 その期間を利用し、〝やりすぎ〟なレティシアを遠ざける流れを作る。それも、直接的な手段は避けるべきだった。


 ――あの修道女が真に司教であるのなら、本人に仕掛けるのは得策ではない。


 フロレンシア王国の司教ならばまだしも、レティシアはそうではなかった。彼女が聖アルシオン教において組み込まれている権力層は、ロドリゴの築きあげてきたそれではなく、ゆえに彼の支配が及びにくいのである。


 命に危険がない程度の発熱を生じさせる秘薬を渡し、就寝前の飲み物の器に入れるよう指示をして、姫君の侍女気取りの小娘をユイカのもとに返らせた。


 ところが後日、耳を疑うような噂が飛び込んできた。

 罰当たりなならず者が、例の修道女を襲おうとして捕縛されたというのだ。


 捕えられた犯人を密かにさぐらせてみれば、案の定であった。

 さらに、今までそちら方面の仕事をさせていた〝影〟が、一人消えている。


 なるほど、どうやら自分を追及するための〝罪〟をつくりあげたか。

 

 舐められたものだ。ロドリゴは溜め息をついた。

 ()()()がその気で来るならば、迎え撃ってさしあげようではないか。

 仮にあの〝影〟が消されたのではなく、そもそもあちら側の二重間者だったとしても、ロドリゴが長年築き上げてきたものはそうたやすく揺るぎはしない。

 いかにもロドリゴが糸を引いていそうなタイミングも、「何者かが大司教様をはめようとしたのではないか」と誰かが漏らせば、あっという間に真実として広まるだろう。


 ――ところが、またもや予想を大きく外れる展開になった。


 聖女ユイカも招待された王宮の夜会にて、公爵令嬢アマリアが断罪されたという。

 聖女ユイカの味方をし、自分に説教を垂れてきた修道女が気にくわなかった――そんな呆れた動機で、暴漢を差し向けたというのだ。


(馬鹿な。有り得ぬ)


 表裏はさておき、聖職位を与えられた者は俗世と縁を切っている。その最たる王族主催の夜会に大司教が招待されるはずもなく、彼は〝影〟からの報告によって、奇妙でいて不気味な〝茶番〟のことを知った。

 今日はそれを直接、聖女ユイカ本人に確かめてきた、その帰りだった。


『まさか、アマリア様があんなことをするなんて……私のことが嫌いなら、私だけに言ってくれればいいのに』


 自分のせいで関係のない者が傷付けられるところだったと知り、何も手につかず、しばらく勉強も休んでいるらしい。

 食欲も落ちているが、茶と甘い菓子なら口に入るそうだ。


(食事は喉を通らず、菓子ならば通るか。よくそれで国の未来など堂々と語れるものよな。恥を知らぬ子供は気楽でよい)


 エマとミレイアからの報告はなかった。それどころか、これがロドリゴの力によるものと誤解しているふしがあった。

 曲がりなりにあの二人も聖職者であり、したがって状況をつぶさに観察できていたわけではない。どうせものの役には立たなかったろうが、邪魔者が消えたと単純にはしゃぐ様子に、そろそろ首を取り換える頃合いかとロドリゴは思った。

 

 あの二人の実家は王家派の撹乱によく働いてくれたが、小物の常として、図に乗った挙句の自滅を招きやすくなる。その傾向が徐々に表れてきていた。

 ユイカと同年代の娘は他にもいる。エマとミレイアでなくともいいのだ。


(標的は最初からあのわがまま娘だったとなれば、公爵家の力を削ごうとした政敵の思惑、という線もあるか? しかしそれならば〝影〟が消え、使われたのがあの屑どもであったことに説明がつかぬ)


 だが、何故アマリアが?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。


 馬車は万人に開かれた大教会の正面を素通りし、聖職者専用門を通って直接大神殿に向かった。敷地内で双方は繋がっているが、利便性のために門が分けられている。

 一流の庭師に整えられた花壇は季節の花が咲き誇り、白く塗られた神殿は斜陽の下で黄金に輝いている。

 昔は建材そのままの青灰色がともすれば寒々しく、何代か前の大司教が白く塗らせたところ、この世のものとも思えぬ美しい神殿に生まれ変わった。


 あの小生意気な王太子が生まれる以前から、ロドリゴ大司教はこの荘厳な城の(あるじ)だった。

 この先も君臨し続けるつもりでいる。


 だが――胸の内側をガリガリ引っ掻く、この感覚は何だろうか。


 馬車を下り、つとめて悠然と足を進めた。

 一歩下がって左右を補佐役の司教が追従し、衣擦れの音を撒く。さらに護衛として十名の神兵が固め、彼の進む道は万人が脇へ寄って(こうべ)を垂れた。


 建物の中に踏み入った瞬間、陽射しの熱が去り、わずかながらひんやりとした空気が纏いつく。

 大神殿は一般の信徒は立ち入り禁止であり、奥まるほどに位階の低い者は弾かれ、くまなく巡ることができるのは大司教のみであった。

 無垢で愚かな信徒達のために、日中は大教会へご神体や聖遺物などを置いているが、それらは衆目に晒しても構わない程度の価値しかなく、大神殿にはもっと貴重なものが大量に祀られ、厳重に保管されていた。それらを自由に目にできるのも、触れられるのも、大司教にのみ許された特権であった。


 すべてが彼のものであり、すべてが彼に従う者だった。


 自室前で見張りをしていた神兵が左右から扉を開き、しもべ達が一斉に頭を下げる。ロドリゴはしばらく考え事があると人払いをさせ、ひとりでしんと静かな部屋に入った。

 天井が高く広い部屋。この国の王でさえこれほどに広く、贅を尽くした部屋には住んでいないだろう。白い花々の咲き誇る内庭を臨む居間に、執務室に書斎、寝室、使用人部屋も繋がっており、卓上のベルを鳴らせばすぐに――ベルがない?


「やあ、大司教様。お帰りなさい♪」

「!?」


 声のほうを振り返った。いかにも人を小馬鹿にした、女達には甘い顔立ちと呼ばれるであろう優男が、安楽椅子に足を組んで座っている。

 一流の職人につくらせた逸品だ。

 まるで自分こそがこの部屋の主であると言わんばかりのくつろぎっぷりに、怒りよりも背筋がヒヤリとする。


(どこから入った? 何者だ?)


 この男は〝影〟だ。何者かの〝影〟――直感的にそう思った。

 それも、この城に張り巡らされた、ロドリゴの〝影〟の防衛網をものともしないほどの。


「大声を張り上げても構いませんよ? ほんの壁一枚向こうにさえ届きやしませんからね。今ここ、私の【箱庭】の中ですから。無駄に叫んでも喉を傷めるだけなのでお勧めできませんが、試してみたければどうぞご自由に」


 ちりんちりんとベルを弄びながら、にこにこと愛想よく、男はぞっとする言葉を吐いた。

 年の頃は二十代そこそこだろうか。若造だ。そのはずなのに……遥かに老獪で、得体の知れない怪物が突然出現したような錯覚に陥る。


(目的は何だ? 暗殺ではない。殺す気ならば、わざわざ姿など見せんだろうし、とうに手にかけられているだろう)


「目的は暗殺ではありませんよ? それならば姿など見せる必要ありませんし、あなたがそこに立った時点で片付いてますからね」


 ぞわりと肌が粟立ち、ロドリゴは反射的に身震いしそうになるのを堪えた。

 視線を外した瞬間に喉笛を切り裂かれそうな気がして、くすくす笑う青年を凝視したまま身動きが取れない。


 ふと、その男の纏う衣に、どこか見覚えがあった。


 ロドリゴの心臓が大きく跳ねた。

 見覚えがあるはずだ。()()()()()()()()()()

 本来あるべき聖衣には、宝石や過度な装飾品はなく、刺繍も神々のシンボルを織り込まれたものであり、ロドリゴ達の身につけている衣類のように、純粋な装飾目的で刺されたものはない。あってはならないとされている。

 その、本来あるべき聖衣の、白を黒に反転させた衣装――。


(――審問官!? 聖王庁の――しかも、これは――)


 男が「よいしょ」と立ち上がり、ロドリゴの推測に確信を与えた。

 色を反転させ、装飾を統一すれば、これはロドリゴの聖衣と同じ――。


「…………何故」

「何故?」

「……審問官が、私に、何のご用でしょう?」

「おや。お心当たりはたっぷりあるのでは?」


 そうではない。

 しらを切って通じる相手ではない。

 そうではなく、何故、今、なのか。


「ふむ。もしや、『何故今さら』という意味でしょうか? あ、一応言っておきますが、私に読心魔法なんて使えませんよ。だいたいこういうのはパターン化してくるんです。あなたは内心こう首を傾げているんじゃありませんか? 『今までずっと咎められなかったのに、何故今になって』と」

「…………」


 ロドリゴはあえいだ。

 パターンという言い方に含まれた嘲笑を嗅ぎ取り、激昂しそうになるも、青年の不気味さに水を浴びせられ、長く続かない。


 あらゆる手を使ってのぼりつめた。王侯貴族さながらの日々を送り、邪魔者は排除し、定期的に王宮に混乱を起こさせ、王家の力を削ぎ続けてきた。

 他者の功績を我がものにし、他者に罪をなすりつけても、ロドリゴを罰する神はただの一柱もいなかった。

 ゆえに彼はかなり早い段階から、この世の神々の不在を確信し、たとえそれらしい何かが顕現したとしても、神話に記されているほどの偉大な存在ではないと悟っていた。

 そんな自明の理に気付きもせず、愚直に、純朴に、ひたすら祈りを捧げる信徒が、真に善良な聖職者とやらの姿が、どれほど滑稽であったか。


 ――それが今、覆ろうとしていた。


「答えは実に単純なのです。この世の悪徳はね――蓄積されてゆくのですよ。あなたが『どうせ誰も罪に問えないから大丈夫』と調子に乗って繰り返してきたそれ、本当はずう~っと積み重なって貯まり続けておりましてね。中には心境や行動の変化次第で相殺されるのもあるんですが、とりわけ聖典に記された聖職者の戒めなんか破ったら、もう絶対消えない。完全アウト。()()()やるなと明記されてるんです。あなた個人が勝手に何を悟ろうと、聖アルシオン教が産声をあげた瞬間から、この世界そのものがもうそうなっているんですよ。残念でしたね?」


 言っていることがわからない。いや、わかりたくもなかった。


「私は、…………何故、私なのだ」

「私以外にも罪人(つみびと)はたくさんいる、なのにどうして私を、ですか? そんなの、ご自身の今までを振り返ってごらんなさい。あなた、ご自分の敵対勢力を一掃する時、小物だけぷちぷち一匹ずつ潰してました? そうじゃないでしょう。大物小物が出揃って、ある程度まとまった所を一気に。それが効率的だ。違いますか?」

「そ、それは……!」

「悪徳にまみれた人間の周りにはねえ、さながら砂糖に群がる蟻のように、ご同類が自主的に大量に寄ってくるんですよ。って、そんなのご存知でしょう? あなたの〝日常〟なんですから。我々もそう。各地に分散している小悪党を一匹ずつ始末するなんて非効率で、時間や人手がいくらあったって足りやしない。それなりの数が餌に食いついたら、まとめてポイが一番早いんです。ですのでご安心ください、お友達も後からたくさん同じ所に行きますからね。あなただけじゃありませんよ」


 くつくつと嗤う得体のしれない何かに、ロドリゴは後退った。


「わ、私がいなくなれば、この国の聖アルシオン教徒すべてが大混乱に陥るぞ! よいのか!?」

「いいですよ? 別にどうなっても」

「なっ!?」

「っていうのは冗談でぇ、ちゃんとそのへんも準備してきたに決まってるでしょうが。盤上の駒を動かす私悪い、最強、素敵! そんなお花畑な夢からはもうお目覚めなさい。あいにくあなたは舞台上で踊る道化なのですよ、ロドリゴ殿。……我々と同じくね」


 恐ろしい台詞をそれ以上聞いていられず、目を逸らせば首を落とされる感覚を勢いで振り払い、しかし、再びぎくりと硬直するはめになった。

 黒衣の人間がいきなりそこに増えたからだ。


 いや、違う。おそらく、彼らは初めからそこにいた。

 意識外から横滑りして、突然湧いて出たと思うほうが錯覚であり、最初からずっとそこにいた彼らに、ロドリゴが何故か気付けなかっただけだ。


 聞き流していた【箱庭】という言葉をその時になって思い出した。

 反転した黒衣を呆然と眺めながら、「こ奴らは司祭か」と、どうでもいいことが頭に浮かぶ。


(馬鹿な。こんな……)


 目の前に墓守が似合いそうな陰気な男の顔をみとめ、ロドリゴは呟いていた。


「……わかった。潔く罰を受けよう。ただ、最後にひとつだけ慈悲を望みたい。我が位階を考慮し、毒杯を――」


 背後から猿轡をかまされ、両腕を捻りあげられた。

 そのまま下町の罪人のようにどこかへ引きずられてゆく。

 数人がかりで押さえられ、呻いても暴れてもびくともしない。


 そんなはずがない。自分はこんな屈辱的な終わりを迎えていい人間ではない。

 自分はもっと貴重で、王族さえ排除の困難な、不可侵の。だからもっと、自分に相応しい終焉の形があるはずで。


(馬鹿な。嘘だ。神よ、お慈悲を……!)




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