目指すものは何なのでしょう
廊下を行く途中、アマリア様とすれ違いました。
軽く会釈をしますと、あちらも会釈を返してくださいます。
わたくしが聖女様の臨時教師になったことはとうに伝わっているでしょうが、それについて何ら思う所はないようです。
取り巻きのご令嬢方、侍女の皆様も同様。日参するようになっても、わたくしは彼女らの敵意に満ちた視線や態度に晒されたことが一度もありません。
どうやら彼女らは、わたくしの修道服を好意的に見てくださっているようでした。
寄進で飾り立てた名ばかり神官と、エマ様やミレイア様に対する辛辣なお言葉の数々から、アマリア様の一派はこの王都の聖職者が好きではない。逆にシンプルを極めた修道女姿のわたくしは、それでこそ聖職者に相応しいと思っていただけたようですね。
正直に申し上げまして、裏庭に呼び出される展開を少々心待ちにしていたのですが、そんな気配すらありませんでした。
陛下は「ひょっとしたら突っかかってくるかもね」などと人に期待を抱かせ……いえ、案じてくださりましたが、思えばそこまで本気の口ぶりではありませんでしたし。
臨時教師をしていても、わたくしが〝ユイカ様派〟になったわけではないと、アマリア様はきちんと見通していらっしゃる。
本来教師役を果たすべきであった神官二人が何もしておらず、わたくしがそれをやることになった経緯もご存知なのでしょうね。
個人的には、アマリア様の憤りがものすごおぉ~く理解できます。
本日、ユイカ様の授業中にロドリゴ大司教様がいらっしゃいました。
お忙しい殿下は、さすがに毎日ユイカ様につきっきりというわけにもいかず、その日はご不在だったのですけどね。
以前わたくしを無視した冷淡さが嘘のように、好々爺めいた〝ロドリゴお爺様〟に大変身しておられました。
ぽっちゃりしたお身体に纏う大司教の聖衣は、王族のご衣装かと見紛う豪華さ。
仕立て担当者の腕が良いのか、下品ではありません。ですがこれは到底、聖職者を名乗る者が身につけてよいものではないでしょう。
位階の高い者ほど、お衣装が若干豪華になってゆくのは致し方ない面もあるのですが、明らかに仕方ないを逸脱した有り得ないレベルです。
ユイカ様は一般的な大司教様用のお衣装をご存知なく、日頃から殿下や陛下、王侯貴族の方々と顔を合わせていますから、コレに違和感を抱けないのかもしれません。
大司教様はその日、優しそうなお爺様のお顔でユイカ様を労られた後、お帰りの際にわたくしへこんなお言葉をくださいました。
「ユイカ様の御為に、しっかり務めるように」
しっかり務めよ?
わたくし、あなたの部下ではないのですがね?
確かに聖職者の位階は大切ですよ。でもですね。
例えばどこぞの侯爵家の当主様が、よそんちの公爵家の側近をしている伯爵様に対し、「うちの子のためにしっかり尽くせ」などと言いつけたりしないでしょうが。
そのぐらい履き違えた台詞ですよ。
でもって、エマ様とミレイア様にはお咎めのひとことも無しですか?
無しでした。終始にこやかに去って行かれました。
あの後頭部を手刀でカチ割ったらどうなるかなと少し想像してしまいました。想像だけですよ。
お部屋が汚れるじゃありませんか。お掃除係の方が可哀想です。
とにかくこれら諸々については、ユイカ様にきっちりがっつりお教えしてしまいましょう。それがよいです。
根本的問題解決のためには、この方に現実を知っていただくのが一番です。
「ユイカ様。次の授業では、一般的な聖職者のお衣装や生活についてと、この国を取り巻く簡単な国際情勢などをお話しします」
侍女もどきの神官二人がギクリとしましたが、知りませんよあなたがたの都合なんて。
後者については、ほかの先生方のお仕事と遠慮していましたが、聖女様への〝配慮〟でお教えしていない部分がかなりあると確認済です。
ユイカ様派とアマリア様派、その裏で大司教派と王家派に分かれている現状、うかつなことを教えられないといった事情もあったようですが、わたくしにそんなしがらみはありませんからね。
「はぁい……」
ユイカ様は卓に突っ伏しつつ、お返事は明らかにしゅ~んとしておられました。
お勉強苦手の部分が出てきたようですね。
ユイカ様は、基礎的な学力自体は確かに高い方でした。けれど、記憶力や理解力が飛びぬけて高いわけではない、普通のお嬢さんです。
ですから、時おり高度な専門用語を用いて未来への展望をあれこれ語られる割に、いまいち説得力に欠けているのですよね。
一生懸命がんばる! という気合が空回りな状態と申しますか。
幼さと、知識がしっかり定着していない不安定さ。
総合的に、この方は未熟です。未熟で無知ゆえに、その立ち位置が非常に危うく、ご自身が火種になっているとすらお気づきでない。
その点、アマリア様は王妃教育で優秀な成績をおさめられていただけあり、知識も立ち回りもユイカ様より圧倒的優位にあるはずなのです。
けれどアマリア様は、攻撃的に過ぎる。
そして殿下から一度ならず止められていながら、ユイカ様への攻撃をおやめにならない。
殿下のご婚約者として、未来の王妃たる者として、殿下の傍らで幸せそうに微笑む可愛らしい少女が気にくわないと、何度も周囲に知らしめようとなさる。
わたくしが遭遇する前から、きっと相当繰り広げられている光景なのでしょうから、もう過去の分についてはどうにもなりません。
おそらくアマリア様の突き進む先には――
「……本日はこれで失礼いたします」
「はい。ありがとうございました」
ユイカ様の丁寧なご挨拶に会釈を返し、【花の間】を後にいたしました。
エマ様とミレイア様は、深々と頭を下げないわたくしに不満そうでした。
そのうち「跪きなさい」とでも言い出しそうですね。困ったものです。
「修道女殿。今お帰りか?」
「殿下。――ええ、本日の授業時間は終了いたしましたので」
「……私も同席できなくてすまない」
おや。
もしや、ロドリゴ大司教様が本日こちらに来られていたのを知り、お忙しい合間に来てくださったのでしょうか。
「さして問題は生じませんでした。ご案じなさいますな」
「そうか」
殿下の瞳にほんの瞬きの間、わたくしを探る色が浮かび、次いでほっとしたような苦笑に変わりました。
ええ、痩せ我慢ではなく本当に大丈夫でしたよ、殿下。あなたにそのようなお顔をさせるなんて、ロドリゴ大司教様の日頃の人徳のほどが窺えますね。
手刀が後頭部に伸びそうになりましたけどね。
やりませんでしたから無問題ですよ!
「ところで、殿下にお尋ねしたいことがあるのですが」
「ん? なんだ?」
「あなたにとって、最も大切なものはなんですか?」
クールに徹した侍従の方が、わたくしにちらりと視線を向けてきました。
そう、本日は侍従がいるのです。というか、いるのが当たり前なのですよね。
傍目にも真摯に誇りをもって殿下にお仕えする方ばかりで、なのに何故か【花の間】には、いつも殿下がお一人で訪ねられる。
たまに侍従の方がいても、ご用を済ませたらすぐに退室してしまうのです。何故なのでしょうね。
ユイカ様のお傍に神官二人が侍っているからとしても、あのお二人がこの方々に信用されているとは到底思えません。
近衛騎士様の視線も少し感じます。
「もちろん、この国の民だ。私は民のため、この国をよりよき未来へ導いてゆくために生まれてきたと思っている」
迷いの一片もない笑顔でした。
「不躾な質問にお答えいただき、感謝いたします」
「構わぬ。大袈裟に感謝されるほどのことではない」
わたくしは深く頭を下げ、お仕事に戻ってゆく殿下を見送りました。
❖ ❖ ❖
ユイカ様も、「この国のみんなのために頑張りたい」と笑顔で夢を語っておられます。
アマリア様も、「わたくしこそがリオン様とともに、この国の輝かしい未来をつくってゆくのです」と何度も口にされています。
同じ場所を目指しているはずの言葉。
けれどわたくしの耳には、それらすべてがまったく異質な、まるきり別のものを示す台詞にしか聞こえません。
麗しく公正なリオン王太子殿下は、陛下の贔屓目を差し引いても優秀な王子殿下でした。
そして努力家です。王宮の方々はもちろん、市井でも殿下の人気は非常に高い。こうして歩いていても、耳に入ってくる噂話は、とても明るく弾んだものばかりです。
そんな殿下に対し、このような印象を抱くなど不敬極まりないでしょうが。
――あの方は天才ではなく、秀才です。
努力により花開いた秀才。そしてご自身でも自覚はあり、その上で何ら鬱屈がなく、陛下もそういうご子息こそを誇りに思っていらっしゃる。
求めるのは完璧さではない。最善を尽くせ。
そんな御方。
あのような方が王太子殿下で、フロレンシアの民はきっととても幸運です。
ですから、なんとなくわかってまいりました。
アマリア様を人前で叱責された殿下のご様子。あの時に覚えた違和感。あれ、殿下らしくないなあと感じていたのですよね。
いくらアマリア様が何度言い聞かせても聞く耳持たない方だからといって、わざわざ耳目の集まる場所で〝ユイカ様を庇いつつアマリア様を叱る〟行為、まずいと思われなかったのでしょうか、と。
それにあの時の殿下は、恋に溺れてユイカ様の肩を持ったようにも、わたくしには見えませんでした。
あの方の意図が見えてきた気がいたします。
わたくしの気のせいかもしれませんけれどね。
物思いにふけりながら小教会へ戻りましたら、どこか見覚えのある殿方がおりました。
「やあ、おかえり! 今日も美しいね」
見覚えがあるなと感じた気がしますが、気のせいかもしれません。
「ちょ、ちょちょっとレティ殿!? なんで無視するのかな!?」
お部屋に戻ろうとしたら通せんぼされました。
「ああ、やはりセフェリノ様でしたか」
「どう見てもそうでしょ!? 変装なんてしてないよ!?」
「知人に誉め言葉をいただいたと勘違いをしてお返事した瞬間、実は他人の空似だったら非常に気まずいでしょう。聞こえなかったフリをして部屋に戻るのが最善と判断いたしました」
「それ最善じゃない、最善じゃないよ……!」
セフェリノ様がガックリと崩れ落ちました。
いちいち面倒な方ですね。
「要は普通に話しかけてくださればいいのですよ、普通に。あのままお返事をすれば、わたくし美しいのよと認めている勘違い女のようではありませんか」
「返事をした上で注意してくれたらいいだけじゃないか……」
床でイジイジいじけるセフェリノ様、鬱陶しいですね。女性に好まれやすい容姿をお持ちのはずですが、台無しですよ。
「あの……」
「おや、エルナン様、セリオ様、ただ今戻りました。お見苦しいものをお見せして申し訳ございません、すぐに片付けますので」
「はあ」
「いや待って片付けないでくれ。というかレティ殿、せっかく祈りに来た信徒への態度を改善すべきだと思うよ。つまりきみはもっと私をほんのちょっぴりせめてこのぐらいは大事に扱って、世間話ぐらいは聞いてあげるべきだ!」
セフェリノ様が人差し指と親指で〝ちょっぴり〟を作りました。
「まあ、そのぐらいでしたら……」
「本当かい! 言ってみるものだなあ!」
「え、それでいいんですか? それっぽっちで?」
「レティシア殿……」
なんでしょう?
ご本人が嬉しそうにしているのですからよいではないですか。
というかわたくし、この小教会で信徒の方にお会いするのって、ひょっとしたらこれが初めてかもしれません。
セフェリノ様は地元の方ではありませんから、実質、わたくしが王都に到着してからずっと、王都の方はどなたもこの小教会には祈りに来られていないことになります。
エルナン様もセリオ様も人柄がよく、好まれそうな方ですのに。
いつも飄々としているセフェリノ様は、意外にも真摯に祈りを捧げておられました。
ああしていれば、とても真面目な好青年に錯覚しますね。
わたくしは邪魔をせぬよう、小声でエルナン様に尋ねました。
「エルナン様」
「なんでしょう?」
「わたくしはこの小教会を、とても居心地のよいところだと感じております。ですが……不躾な問いで申し訳ありませんが、何故ここでは近隣の方々すら、一度も立ち寄られないのでしょう?」
「それは……」
「みな本当はここに来たいのさ。でもできない。こちらのエルナン司祭様が、王様の乳兄弟だからね」
答えたのは、いつの間にか顔を上げていたセフェリノ様でした。




