導入部
導入部
幻想①
ダクトが吐く吐息は灰黒く、それよりも苦しそうに…
室外機の呻きは膜も震わせず、それよりも弱々しく…
ビル陰に咲いた花は首折れてヘドロに沈み、それよりも惨たらしく…
少女の頭はいつかの花瓶のように割れていた。
少女が臥せるアスファルトはどこまでも赤く潤い続けていた。
それでもなお、彼女の残った右側は、ボクという幻想から眼を離せずにいた。
ここは人に創られた世界の中だ。それでもここで死ねば、現実でもきちんと死ぬことができる。そうすればボクも消えよう。呪いもそこまでだ。懸命に息を吸おうとするからいけない。このまま止めれば楽になれるのだ。
震える瞳には童子の姿が映っている。神はそのほとんどが、この様な人殻に封じられた。
人格があれば、八百万の機構の変化でしかない神も法に縛り、また裁くことができるようになるからだ。ただの少女の幻覚でしかないボクが、なぜそのような姿をしているのかは分からない。
けれども、少女がまだ『 』に執着するというのであれば、どれだけ醜い肉片になろうが、姿だけは美しく元へ戻そう、それこそ神様とやらの如く。当然ボクに人を再生させることなどできないのだが、少女には思い出してもらうだけでよいのだ。ボクの声は少女の幻聴である。
「大丈夫ですよ?」
ボクは、硝子の様な眼で少女を見下ろす。
「苦しむ必要はありません。痛がる必要はありません。」
少女は応えるかのように途切れ途切れに口を震わした。
「傷つく事ができるものは、カタチあるものだけ」
死に抗う若い少女の唇は血で何度も濡れる。
「オマエにそんなものある訳ないだろう?」
ポク…ポクと、周りの血だまりがゆっくりと泡吹き始める。
「人の成りをする愚かしい虚仮だ」
赤い水玉は宙を漂う無数の目玉。そこに映るは少女が一人だけ。
「オマエに己なぞあるものか」
少女の華奢な輪郭が炎のように揺らめいた。
「オマエなんかこの世にいない」
自他の境界が曖昧な躯はゆっくりと起き上がる。
「オマエは…」
少女の零した血は尽く燃え、白骨色の花弁と転じ去ってゆく。
「私は、ただの呪いです」
少女の欠損した左頭は、まだ白い炎が噴き出るばかりであったが、それでも彼女はボクに微笑むのであった。
「私が凶弾に倒れた時、誰も現れなかった、…それで間違いないよね?」
陽炎あと引く少女の問いに、ボクはコクリと頷いた。倒れる前と違い、今は迷いなく歓楽街の一本小径を真っすぐに進んでいた。
ボクはここに来た時の当初の様に「この街には如何わしいお店があり過ぎますッ!」という理由で腕で目を覆うようにヘッドロックされて、腰をもう一つの腕で抱き抱えられるヌイグルミ状態になっていた。
少女の行動を考察する事は今日で丁度百日前に停止させたので、少女が満足している様なら良しとしている。「わぁ少し成長したね?ちょっとだけ背が伸びったっぽいよ」なぞ幻覚相手に何を言っているのか分からない。
路地裏とは打って変わり、ここは色で溢れていた。現実の光景を模倣しているようで、ボクにはどこが外で内かは見分けがつかない。右も左も店ばかり続き、どこまでも旗が此方を手招き、電光が縦横無尽に流れては主張を競い合う。
―――した。続いてのニュースです。本日、八件目となる体内発砲事件が起き―――
香水の匂い、コーヒーの匂い、肉が焼ける匂い、酒が誘う、癒しが、刺激が、蠱惑に情を撫でてくる。
―――です。そもそも、体内から銃弾が発砲されたとしか考えられない、半貫通痕のあるこれらの遺体は―――
愉快な歌が聞こえる。美しい旋律が流れてくる。優しい声が、懐かしい声が、妖艶な声が、逞しい声が、静寂が、こっちにおいで、と語りかけてくる。
しかし、人は誰もいない。在るのはこの空間を覆いつくす情報ばかりである。この異世界に来るものは迷い人だけだ。地面の影だけが迷い人とすれ違って歩いている。
少女は最初、途方もない数の宣伝文句の中に、何かこの世界の創造主に繋がるものがないか探していたが、結局何も分からず彷徨っていた。そんな徒労の中、賑やかな道の継ぎ目のような暗く静かな路地裏を見つけ、それをこの世界では異なるものだと思った少女は、始めて街路から外れることとなった。それがアノ顛末である。
「そりゃ、そうだよね…。だって迷い人の中には私みたいな陰キャもいるんだろうし…あの何もないとこも、そういうトコが好きな人向けの罠でしかないんだよね…」
少女は、ここに在る店は見え透いた罠でしかないと考えている。でも何も知らない迷い人は、不安からか、誘惑されてかは、いずれにせよ、道から店へと入ってしまうのだと。
「一度、殺されてもう思い知った…かも。この世界はやっぱり…一本の道しか存在しない」
この世界には、この道しか無いのだと言う。つまりこの道から外れれば、簡単に外に、つまり元来の世界に戻れる。しかし、この道はただの道では無いためオマケが付いてくる。
少女いわく、この一本道は〝弾道〟であるという。この世界は創造主が一発の銃弾を射たことにより形成された。その軌跡を顕したもの。道を歩むものは必ずその軌跡に存在する。
「ここは酷く単純な世界…」
この弾道は装飾されてはいるが一次元的な意味しか持たないそうだ。真っすぐに飛ぶ銃弾の時間軸。ここでは時間を区切れば区切るほど無数に弾が概念上並んでいる。この世界ではただそれだけだ。迷い人は皆、直ぐに道を外れてしまう。
それは軌道上の銃弾と、存在が重なった状態で元の世界へ出てしまうということ。この異世界と元の世界では理りが違う。元の世界では、その人も銃弾も物質でしかない。物質であれば元の世界の物の理に沿って皆因果へ還る。銃弾は体内から突き抜けて行き、致命的な箇所を抉られたその人は人体の活動を停止させ死ぬだけである。
「自分を裏切るものを、殺すための世界」
ここはそんな、たった一発の無限の殺意が並んでいる。
少女には既に、この世界を創った者の、元の世界での情報を入力していた。ボクはいつでも《現世》を再現している『生命の実』から記録を外部出力することができた。
その者が何を行い、何をされその度にどのような反応を起こしたか、は知れる。だが、どうしても識れない領域がある。人の中にぽっかりと観測できない暗闇がある。それが異世界の種となっている。ボクにはソコが理解できない。
だが少女はそれを想像することができた。だから、入れた。必要になる度に、他人を少女の中へと。それは朽ちさせずに生を輪廻するようなものだろうか。当然、人間はそのような規格でできてはいないのに。幸いにもこの少女の性質がよかったのだ。
「…あれぇ?この場所さっきも通らなかった~?…って、月並みなことを言ってみたり?」
余程退屈なのか独り言をよく聞く。細い腕の締め付けを優しくギュウギュウと強弱をつけているのは、コチラに構って貰いたいようだが、さっきから何故だかボクは、少女に対して無性に口もききたくなかった。
そんな調子で繰り返し繰り返し、色の散る砂嵐の様な風景の中を二人で、いや一人で、正確には誰も居ないのかもしれないが、歩いていた。
どのくらい進んできたのだろうか、周りの煩雑さは消えて辺りは一面霧で覆われていた。
それでも少女は真っすぐに道を歩んでいた。方向も良く分からないが、少女にとっては状況は先ほどと大して変わりがないのかもしれない。向こうが満足するまで歩くしかないのであろう。
向こうとは、この世界の創造主であり、恐らくはこの軸の原点である。原点の場所は変わらないだろうが、縮尺を変えれば無限に時間を稼ぐこともできる。仕組みが単純故に絡みずらい。絡まなければここを侵すことはできない。
「ねぇ?何かチー君珍しく機嫌悪い?」
良く分からない質問であった。ボクに機嫌なぞある訳がないのに。
「私が自分で自分の頭割っちゃって倒れたの心配してくれてたの?」
少女は一度この道から外れてしまっている。それが先ほどの顛末なのだが、少女は放っておけば自ずと抜けていく弾を、自分の手で強制摘出していた。狂乱の中、少女が叫んでいた金切りの雑音を言語化するならば〝これ以上、私の中に入ってくるな〟だった。
「でもね大丈夫だよ?もう終わるから」
少女はボクを解放し、白無垢の面を被る。以降彼女の表情は一切想像となる。
眼前には観測できぬ暗黒の一面だった。その中心に天を突き抜けて聳え立つ大樹が一つ。その巨大な幹に大穴があり、その中心には樹の管に埋もれた男の顔があった。
「よくぞ我が試練を乗り越えた。稀人よ」
男の顔の前には管に絡まった銃があり、そのスコープから耽々と弾道を眺めている。
「ここまで辿り着いたなら間違いはあるまい。我を継がせるに値する」
高らかに語るも、こちらには一切見向きもしない。
「至高の宝を授けよう。貴殿が女性で大変助かった。こればかりは運命と言わざるをえまい」
樹の麓から一本の蛇の頭の様な根が生えてコチラに鎌首をまたげた。先端に小さい穴が開いている。あそこから水でも吸収するのであろうか。「最悪…」と少女が呟いた。
「さぁ前に。名は何という?」
「名前なぞございません。私は閣下の為の者。ご自由にお呼びください」
「ハハッ、愛いやつめ。ならば貴様は『シノ』と名を授けよう」
その名には記録があった。この創造主がまだ《現世》の人間だった頃の初恋の相手である。少女は根に寄り添いため息をつく。
「閣下は、待ち望んだ相手が現れても、こちらを見られないのですね?」
そしてその名は、この者が初めて殺した相手のものだ。
「私は、嘗て首尾一貫に信念を貫き通しし者の英霊が、審神者へと昇華した者である。私は常に正しき者を見極めなければならねのだ」
その名の者は、この者と理想同じく《現世》で活動していた。仲間も日々増えていった。
「正しくない者とは何でしょう?」
この者は、その名の者がいつまでも同じ道を歩むと、信じて疑わなかった。
「単純明快なり。道から外れし者のことだ。人はあらゆる煩悩に惑わされる。目指すべき所へ辿り着く道は常に一直線だというのに、惑わされた人間どもは寄り道ばかりし、何も成さずに腐ってゆく。アレは酷く醜い」
周りも笑って頷く者が増え、この者の自信は強くなっていった。それはとても心地が良かった。自分の理想を叶える為に出来ることが増えていった。
「…そうですか、閣下は常に醜いものを見るのに、ずっとご夢中だったのですね?この世界でたった独り、幾千年にも我を顧みず」
その中、拡大していく活動に付いてこれなくなる者が出てくる。他の者には別の活動もあるのだ。しかし、この者には、自分の道しか見えていない者には、理解の及ばぬ話である。
「…何だ?お前は何を言って…」
「閣下はご自分の姿を見れますか?」
この者は、去ろうとする者を《秘密結社の洗脳を受けた者》として、《洗脳解除》と称する拷問を行うようになる。
「見るまでもない。貴様が歩んだ一切の蛇行なき道こそ我が象徴である」
自分の道が正しい。だからその道から外れることを止めるのは正義。何をやったって仕方がない。その人の為だ。
「他人は心の鏡と申します」
我城の中で過激さを増すこの者に、とうとうその名の者も離れていく。
「…何が言いたい?」
その名の者に特別な感情を抱いていたこの者は、どうにか穏便に説得できないかと四苦八苦した。
「そういえば、ここは『原点』なのですよね?学校で習いました、ならばこの先と地下は『負』の領域なのですね?」
名誉を与えよう。
「それがどうしたのだ?」
地位を与えよう。
「気になりませんか?閣下が振り向きもしない陰に一体何が籠っているのか」
財を与えよう。
「…話にならぬ。貴様は失格だ。失せよ」
思いつく限りの物で誘った。欲しいモノなら何でも揃えると。
「ほら、この下です。腐った根共がぐにゃりぐにゃりと曲がりくねっているのではありませんか?」
この者には、自分を満たす全てがあったから、何でも与えられると思った。
「だまれ」
けれども、その名の者を留めるには至らなかった。だから、道から出てしまう前に…
「毎日自分の道と違えた者を殺しては、元の世界の自分を慰めるために必死で、のたうち回らせていたのでしょう?」
殺した。
「殺す」
地面が天へと爆ぜた。
うんと巨大な八つ首の大蛇が、皆怒髪して顕れたのである。少女は吹き飛ばされ、転じて着地し、地雨を避けては、その堆積を登り、丘の上から大蛇を眺めた。八本の災いが雷雲嵐を呼び、道しか無かった世界を天変させてゆく。
一本目が再び地底へ帰るかと思えば、突然少女の足元からその極めて歪な咢が襲い掛かる。その事に硬直してしまった少女は、出鱈目な牙に裂かれながら喉奥の赤黒い闇へ落ちていってしまった。
それを横目で見ていたボクはため息をつく。世話が焼けるにも程がある。少女は自分の弱さを分かっていない。そう、どうしようもなく彼女は弱いのだ。その存在自体が。無き者に近く亡き者に近い。本来ならばとうに消え失せたハズのもの。炎の様に周りを浸して灯影されるだけ。
「そんなものを一体誰が壊せよう」
そんな、幻聴と同時に、少女は血飛沫と共に、一本目の首から飛び出て行った。髪の、袖の、裾の先がユラユラと空間を侵し、遺る灰が風に流れていく。一本目は裂け目が突如開き、仰向けに崩れ墜ちていった。
二本目は少女の頭を噛み千切らんと、弾みをつけて飛来した。空中を裂く雷が光った瞬間には眼前を、赤黒い舌が埋めていた。
先ほどと違い、あらゆるシガラミが抜けた少女は、流麗にこれに応じ、半身を翻して棒が自然に倒れる様に地面に伏せた。二本目の咢は当然空を切った。少女の足は身を翻すと同時に地に溜まる影を掬っていた。そのまま足刀は振り上げられ、少女の上を通る二本目の首は、黒い半月に切断された。
天を衝いた足刀は振り抜かれ、捻じれた上半身起こして回り、二本目の死角から迫っていた三本目を去なしては、旋回して生じた少女の尾火で斜状に薙いだ。
斜めに拓かれた視界の先では、四本目と五本目が綾を描いて近づき、少女を挟み討たんとする。
何億もの鎧肌が地面を滑っては谷が生まれる。少女の地平は常に傾くか、反転し、また消失した。しかし少女は止まらない、傾けば傾くままに、転じれば転じるままに、消失すれば墜ち、追う首を受け刎ねる。己の体を〝不安定〟そのものに預けていた。
雷霆の間で光景が闇景になり、大河の紆曲に飲まれても、引き摺られつつも抜け、ままに地を駆け、運河飛び越え誘い、旋じて間を抜け斬り臥せる。
少女は当然魔物を殺す膂力は無く。翻弄する魔力も無い。ただただ〝創造主の恐怖〟に己を委ね続ける。広大な化身が崩れ荒む砂塵の中で、歪な少女の影は、血で虚構の剣を描き、御鎮めの神話を舞い続けた。
しかしこの度鎮められるものは、この世界の主であっても人間である。自分を滅ぼそうとする者に調和なぞしないであろう。
「ガァァアァッ!ガァ!化け物めぇえ!!!」
男は必死に樹から引きずり出していた腐臭漂う体を命一杯使い、血眼になって壮大な影絵へ銃を向けた、少女撃ち殺さんと、その動きに合わせて黒ずんだ手で銃口を振る。その行動を何度も、何度も祈りのように繰り返し続けた。
「巫山戯るなッ、お前のせいで何もかもが滅茶苦茶だッ!死ね!責任取れ!お前も裏切り者だッ!責任取って何べんでも殺されろッ!」
一発目は、大蛇の交差を仰け反り躱し、背面の鱗に剣突き立てる、少女の頭へ。
「いっつもいっつも何で?何だァ!?どうしてこうなるッ!俺だけがッ!かつての同志はどこだッ!?」
二発目は、反るままに転じていた少女の胸へ。
「俺は常に真っすぐに進んだのにッ!俺が間違っているかァ!?違うだろうッ!?なのに何故ここには誰もいないッ?いないッ?…ハァハァ全員ッ!全員だッ!」
三発目は、最後の首を両断した背へ。
「だったら全員ッ!世の中全員俺の裏切り者だッ!裁かせろよッ!邪魔してんなッ!頭大丈夫かよッ!聞いてんのかッ!効いてんなら死ねッ!」
四発目は、舞台が崩れ去り落ちてゆく少女の腹へ。
男の膝がガクリと折れ、男は両手を合わせて祈りの成果を見守った。しかし、男の汗が地に落ちるよりも早く、
「はい、とっても痛いです。死んでしまいそうです」
少女は黄昏の残滓をヴェールに、男の前へと降り立った。
怒り狂った血管を総出に浮かび上がらせた男は、筋骨隆々に膨れ上がった が、ヘッドショットを見舞われ萎み倒れていった。
「分からないんです。どうしてそんなに自分を肯定できるんですか?」
倒れた男を少女は転がした。欠損だらけで白炎が補う両腕の先には、四つ剣菱紋が灯る拳銃が握られていた。
「分からないんです。ごめんなさい。私とっても弱いから…、正しさとか分からなくて…」
血の気を失いつつある男の背に二発目が撃ち込まれ、大いなる悲鳴が木霊する。
「悪いのは分かってます。ただ痛いから、痛くて痛くてたまらないから」
もう一度転がされた男に少女が跨る。三発目は胸を砕いた。
「分かって欲しいんです。どれだけ痛かったか…だから撃ち込まれたもの全部、きちんとお返ししたいんです」
銃口が正中線を下り腹部に当てられる。
「…まて、……話せば分かる…」
「…ごめんなさい……コミュ障なんです」
パンッと、乾いた音、響き鎮む頃にまた一つ、世界は閉じた。
線路はまだしばらく一本の様で、列車は駅で対向車が通り過ぎるのを待つばかりであった。
他に人は誰も乗っておらず、ボクは少女の隣に正座で座り、彼女の疵を看ていた。少女の特異な傷跡はお札の様な包帯で隠されていたが、今回は直りが順調で、列車が出る頃には剥がし始めることができそうだった。
「心配しなくても全然平気だよ…、だって、すごくチョロかったじゃない…あのオジサン」
駅のベンチに留まる小鳥の目の中には、少女が一人いるだけだ。
「虚仮の話なんかに耳を傾けちゃって、自分で世界を不安定にしてくれるし」
小鳥は何もない所をつついては、ちょんちょんと移動する。
「食べられてから、私の血でちょっと演出かけてすり抜けて出てきたら勝手に、大蛇を切り裂く化け物だと認識してくれるし。世界を創ってる奴にそんな認識持たれたら、嘘でもそういう事になっちゃうのにね?」
小鳥は同じところを行っては来たり繰り返す。まるで〝何もない〟という事を何度でも自分に認識させている様にみえる。
「後はいつもの様に、衣を纏って舞うだけのことで…」
小鳥が飛んで失せた。同時に、白い袴が境界を跨いで来たのだった。
「流石は御評判の《ミコミコ詐欺》殿。《ヴァージンバースの魔弾》も貴女の毒牙に掛かった訳ですな」
繊麗な老人が少女の前に立った。老人だと判断したのは、その白髪と顔の皺からだったが、背骨が一直線に立った白い和装のシルエットからはとてもそうには見えない。少女の神経は熱を持ってざわつき始める。
「失礼、私は深金木ジュンヤと申します」
深々とお辞儀をする。《深金木》は確か『死』を司る神であった。
世界の八百万の事象を司る機構は、先の大戦で人為的に顕現させられ、挙句の果てには《特別戦犯》などと裁きの対象とするべく、童子の姿をした人の殻へと封じられていたが、《深金木》はそれとは別であった。
そもそも機構の中に『死』を司るものなぞいない。人間が望んで生み出した現人神と呼ばれるモノの一つだ。『死』の考え方は人其々であるため、奴らは何人でもいる合議体だし、『死』を司るものが『死』を識らぬ訳にはいかないので、奴らは産まれては老いていずれ死ぬ。取り敢えず人間が扱える権威の、置き所のために創られたような一族であった。
一方少女は未だに〝声を掛けられているのが自分ではない〟可能性を模索するのに必死だった。
「…《ミコミコ詐欺》とは貴女の事です。私が名付けました。ふむ、実際お目にかかってみたものも、驚きました」
死神は、お辞儀の姿勢を戻さねままに満面の笑みで迫り、冷や汗に苛まれる少女を観た。先ほど死神が言った《ヴァージンバースの魔弾》もこいつが変に名付けた、どれかの異世界のことなのであろう。
「私の銘打つ二つ名は最早予言レヴェルッ!私、貴女に会った事ないんですよ?なのにここまで本人そのままを表せる何てッ!?あァ!愛おしいッ!私の才能が」
意味不明な自画自賛を演じる死神。一体何が目的なのだろうと仰ぐボクと、チラリと目が合った…様な気がした。
少女は〝私はいない、私はいない、私なんかいやしない〟譫言のように涙目で呟き続ける。
「いや、実は私これから第七保護区へ仕事で行くんですよー」
少女は目線を変えぬようにした。
「これまた厄介極まりない仕事でねー。神隠しに遭った人間を生きてる死んでる区分けせねばならんのです」
「…あ、あのあそこはその《神隠し》を無形文化財とされた…ところですよね。ずっと前に……。何で今更そんな調査を…?」
落ち着かず少女は問うた。内心ではこれで話が良い方へ転がらないか祈っていた。
「いやー。私って死議会の中で一番の嫌われものですからねぇ。本院からできるだけ遠い所へと、彼是屁理屈浸けられて島流しさせられてしまうのですよ」
皺が上向きに歪む。
「あー、それに予定にない神隠しも起きているようですしね?」
皺が細くなる。
「しかもそれが最近、毎日のように頻発しているようです」
皺が振られる。
「え?」
少女は初めて老人と目を合わせてしまった。
「寧ろ本命の調査はそっちですね」
少女は下を向く。
「しかしこの調査、どうして中々、幸先がよろしいかと」
少女は恐れた。
「こうして、まず一人目を発見できたのですから」
少女の中で翁は笑う。能面の様に。