カツアゲですわぁ〜!⤴
路地裏は、昼間だというのに薄暗かった。
表通りでは焼きたてパンの匂いが漂い、子どもが走り回り、商人が値切り合っている。
だが一本裏に入れば、石畳はひび割れ、壁には剥がれた張り紙が何層にも重なり、湿った空気が淀んでいる。
俺は本来、こんな場所を通る予定はなかった。
ただの近道だ。
ほんの数分、時間を縮めるためだけの選択だった。
――そこで声をかけられた。
「あなた」
やけに澄んだ声だった。
振り向いた瞬間、まず視界に入ったのは髪だ。
くるくると巻かれた縦ロール。陽を弾く金糸。明らかに場違いな、丁寧すぎる手入れ。
その下には、これまた場違いなドレス。
淡い色合いの布地に繊細な刺繍。裾はほとんど地面に触れている。
そして。
腕を組み、いかにも「そこに立ちなさい」と言わんばかりに顎を上げた少女。
「少々よろしいかしら?」
周囲を見回す。
他に誰もいない。
つまり、俺か。
「……何だ?」
少女は一歩前に出る。
路地裏の影の中で、その姿だけが妙に浮いていた。
「貴族令嬢として、見過ごせない事態が発生しておりますの」
嫌な予感しかしない。
「簡潔に頼む」
「財布をお出しなさい」
数秒、理解が追いつかなかった。
「……は?」
少女はため息をつく。
「ですから、財布を」
言い直しても意味は変わらない。
俺はもう一度、周囲を見回す。
仲間が飛び出してくる気配はない。
刃物も見えない。
威圧感もない。
ただ、縦ロールの少女が一人。
「……お前、何やってるか分かってるか?」
少女は胸を張った。
「ええ。カツアゲですわ」
堂々とした宣言だった。
その自信満々な顔を見た瞬間、俺は確信した。
――面倒なのに絡まれた。
「なんでそんなことしてんだよ」
「貴族令嬢がカツアゲしてはいけない理由がございますの?」
男はしばらく黙った。
貴族令嬢。
目の前の少女は、胸を張って当然のように頷いている。まるで「空は青い」と言った後の顔だった。
「……いや、だからな」
男はこめかみを押さえる。
「カツアゲってのは、普通は立場が弱い側がやるもんだろ。貴族がやる理由になってない」
「偏見ですわね」
少女は即答した。
「貴族とて資金繰りは重要ですの」
「資金繰りで路地裏に立つな」
「領地経営というのは常に出費との戦い。節約意識は幼少より叩き込まれておりますのよ」
誇らしげだった。
誇るな。
男はため息を飲み込み、改めて少女を観察した。
服装は明らかに上等。所作も妙に洗練されている。だが――。
「じゃあ聞くけどな」
「はい?」
「なんでターゲットが俺なんだ」
少女は一瞬だけ視線を泳がせた。
それから、すっと指を立てる。
「直感ですわ」
「帰れ」
「お待ちなさい!」
少女は慌てて男の袖を掴んだ。
「違いますの、理論はありますのよ!」
「ほう」
「まず、あなたは反撃しなさそうでした」
「理由として最低だな」
「次に、財布を落としても気づかなさそうでした」
「もっと最低だな」
「そして――」
少女は少しだけ声を落とした。
「……優しそうでしたから」
男は言葉を失った。
路地裏の空気が、急に間の抜けたものになる。
少女は咳払いを一つして、取り繕うように顎を上げた。
「ですので、多少の融資をお願いしようかと」
「カツアゲを言い換えるな」
「上流階級的表現ですわ」
男は天を仰いだ。
――面倒なのに絡まれた。
そう結論づけて立ち去ろうとした、その時。
少女の腹が。
ぐぅぅぅ、と、恐ろしく正直な音を立てた。
沈黙。
少女は微動だにしない。
だが耳だけが真っ赤だった。
男は数秒耐えたあと、負けたように言った。
「……飯、食ってないのか」
「……本日は、まだ」
小さな声だった。
さっきまでの尊大さが、嘘みたいに消えている。
男はもう一度、深くため息をついた。
「……来い」
「勝ちましたわね」
「違う。人助けだ」
少女はにやりと笑い、裾を摘んで優雅に一礼した。
「では、善良なる市民殿。案内をお願い致しますわ」




