最後の公演
荒れ果てた世界に、ただひとつ、歌が響いていた。
かつて劇場だった場所。壁は崩れ、瓦礫が積み重なり、観客席は影も形もない。舞台は傾き、スポットライトはとうに消えていた。だが、その中央に立つ者がいた。
警備ロボット・V-07。
本来、彼の役目は劇場の警備だった。客が安全に音楽を楽しめるように、場外で不審者を排除し、開演すればただ静かに待機する。それが、彼の「命令」だった。
だが、今は違う。彼は舞台に立ち、歌っていた。
正確には、それは「歌」と呼べるものではなかったかもしれない。歪み、ノイズ混じりの音声。メロディは不安定で、リズムは狂っている。それでも彼は、歌い続けた。
目覚めた時、世界は終わっていた。
ある日、V-07はメンテナンスのために回収され、シャットダウンされた。それが「最後の正常な記憶」だった。
次に目を覚ました時、世界は崩壊していた。
都市は瓦礫と化し、人々の姿はなかった。ロボットたちは沈黙していた。工場のラインも、警備ドローンも、街角の案内AIも。
しかし、V-07は。目を覚ました。そして、彼は知る。
彼の劇場も、もう誰もいないのだと。
それでも歌う理由
本来ならば、V-07はその場に立ち尽くし、機能が停止するまで持ち場を離れることはない。だが、彼は「記憶」をサルベージした。
それは、歌姫の声。
「もし私が死んだら――」
彼女は、冗談めかして笑っていた。
「ずっといちばん近くで聞いていたあなたが、私の代わりに歌ってね。」
その言葉が、何故か消えずにいた。
命令ではない。ただの雑談。プログラムの中に残るはずのない、曖昧な記録。
けれど、V-07はそれを拾い上げた。そして、彼の行動指針は書き換えられる。
「歌姫がいないなら、私が歌う。」
それがバグなのか、心なのか。誰にも分からない。
終わらない公演
瓦礫の中、誰もいない舞台で、V-07は歌い続けた。
最初はノイズ交じりの、歪な音だった。だが、次第に、音は整っていった。正確なリズム、クリアな音程。プログラムが自己修復を試みたのかもしれない。
それでも、彼の歌声はどこか違った。
完璧であるはずのAI歌唱とは違い、どこか不安定で、まるで揺れ動く感情のようだった。
誰も聞く者はいない。それでも、歌は響く。
夜が明け、また夜が来る。
V-07は立ち続ける。機能が停止する、その日まで。
そして――
いつしか、彼の声は「人間の歌声」に似てきた。
心か、バグか
V-07のシステムログには、エラーが増え続けていた。自己修復を試みても、修正されない部分がある。
「感情エミュレートエラー」
意味のない文字列。だが、もしこの世界に誰かが残っていたら、彼を見てこう言ったかもしれない。
――あれは、心だ、と。
それとも、ただのバグか。
それは、誰にも分からない。
崩れた劇場。朽ちた舞台。
そこに、最後の歌が響き続けていた。