死神さんも笑うんですね
秋の夜風が肌寒く、空は星一つ見えない曇天だった。
私はひとり、町外れの公園のベンチに座っていた。
周囲には人影もなく、ただ冷たい風が木々を揺らす音だけが響いている。
今日という日は、人生で最悪の日だと言っても過言ではない。仕事で失敗し、上司に怒鳴られ、友人との約束もキャンセルされ、心の重さに耐えきれず、ここへ逃げてきた。
「ここ、空いてる?」
突然、静寂を破る声がした。振り向くと、黒いローブをまとった奇妙な人物が立っていた。顔の半分は影に隠れているが、白い歯が不気味に光っている。
「ええ、どうぞ」
なぜか断る気になれなかった。その人物はゆっくりと私の隣に腰を下ろした。
「ずいぶんと暗い顔してるね。何か嫌なことでもあったのかい?」
冗談めかした口調だが、どこか安らぎを与えるような声色に私は苦笑しながら答えた。
「そうですね。今日は本当にひどい日で大変だったんです。ところでお名前をうかがっても?」
彼はゆっくりとローブのフードを下ろした。驚いたことに、彼の顔はまるで骸骨のよう...いや、骸骨そのものだった。しかし、その闇に染った眼窩にはどこか親しみやすさが感じられた。
「私かい? 私は死神さ。ただ、今夜は少し休憩中なんだよ」
「死神…さん?」
冗談だと思いたかったが、その雰囲気に嘘はなさそうだった。それに、恐怖よりも興味の方が勝った。
「君みたいに、人生に疲れた人たちと話すのが、意外と楽しいんだよ」
「楽しい?」
「そうさ。人間って面白いんだ。どんなに絶望してても、ちょっとしたことで笑うことができるだろう?」
私は思わず眉をひそめた。
「でも、私は今、笑う気分じゃありません」
死神は軽く肩をすくめた。
「まあ、そうかもしれない。でも、そんなときでも笑えることがあるんだよ。ほら、例えば…」
彼は手を差し出し、何かを握りしめているように見せた。
「何も持ってないじゃないですか」
「いやいや、これをよく見て」
そう言うと、彼は空っぽの手をひねった。すると、手のひらには小さな光る玉が現れた。それは星のように輝いていた。
「これは?」
「これは君の希望のカケラだよ。さっきまで隠れてたけど、ちゃんとここにあるんだ」
驚きとともに、私は思わず微笑んでしまった。それを見た死神は満足そうに頷いた。
「ほらね、君だって笑えるじゃないか」
「…あなた、変わった死神ですね。わざわざ、こんなことして回ってるんですか?」
「まあ、死神も退屈するんだよ。仕事だと絶望してる顔ばっかりだから君たちの笑顔を見るのが、私にとっての息抜きさ」
その言葉に私はふと、肩の力が抜けるのを感じた。不思議な安心感が心を満たしていく。
気づけば、死神の姿は消えていた。ただ、その場には星のような光の玉が一つ残されていた。それを手に取ると、不思議と胸の内が軽くなった気がした。
「死神さんも笑うんですね…」
そうつぶやくと、私は再び前を向いて歩き出した。明日はきっと、少しだけいい日になるだろうと思いながら。