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色々ありましたね③未来への讃美歌

難産だった………

プロローグ


少女が物心付いた時。手にしていたのは血にまみれた短刀だった。

親は知らない。ただ自分を育てたのは世の中では人殺しと呼ばれている男だった。そんなことはどうでも良い。寝床と食事を与えてくれる。それだけで良かった。他にも何人も子供が居たが日に日に帰ってこなくなった。それもどうでも良かった。

少女はあらゆる人殺しの手段を教え込まれていた。少女は何人も殺した。善悪の区別すらつかない。誰も教えてくれなかった。

ある日少女は国の騎士団長を殺してくるように命じられた。いつも通りさっさと殺して帰るだけだ。そう思っていた。

闇に紛れ騎士団長の屋敷に潜り込み標的を見付け短刀をを喉に突き刺そうとした瞬間、背後に気配を感じた。

生まれて初めて背後を取られた。汗が滲む。

少女は後ろを振り返る。知らない女性が立っていた。

少女には生まれつき持った特殊な能力がある。人の心がある程度読めてしまう能力。女性の心を読む。ありえない程の殺意と怒りが流れ込んでくる。

少女は初めての感情に襲われた。恐怖。

少女は立ちすくむ。震える手で女性に立ち向かおうとするがどうあがいても次の瞬間自分が殺されるビジョンしか浮かんで来ない。初めての感情に初めての経験。

「そこで殺されかけてるのにグースカ寝てるポンコツオヤジはね、一応私の愛する旦那なのよ」

女性が発した声に少女はさらに萎縮する。

「って子供じゃないか。まったくこんな子供に暗殺させるなんて外道ってのは本当にろくでもない」

女性からの殺意がわずかに緩む隙に少女は窓から飛び出した。ガラスが割れ体を傷付けたがたが構わない。静まった街中を走り回る。初めての失敗、初めての逃亡。やがて育ての親である男の住み家に戻るがそこには男の仲間達の死体が転がっていた。そして奥には傷を負いながらも大剣を振るう騎士。上半身裸なのはこれまでの戦闘で服が裂けてしまったのだろう。千切れた布が脱ぎ捨ててある。

先程仕留め損ねた騎士団長だ。たった一人で乗り込み何人も切り捨てたようだ。

「さらってきた子供を使う暗殺組織。やはりここだったみたいね、調べておいて良かった」

少女の肩を誰かが掴んだ。先程の女性だ。だが殺意は感じない。

「このど腐れ外道があああ」

騎士団長の剣が男の体を弾き飛ばす。そして怒りをぶつける様に何度も男を切り裂く。何度も剣を突き立てる。叩き潰した肉塊が転がっている。

「ローレン、やり過ぎ。まったくすぐ先走るしもっとスマートにやりなさいな。それに子供が見てるんだから」

女性の声に騎士団長、ローレンは手を止めた。

傷を負い血を流しながらも剣を振るい続けた大きなたくましい背中は少女には頼もしく見えた。目が離せなかった。

「マロワ、俺はコイツらが許せん。殺しても殺しても殺しきれん。子供は………愛して育むものだろう。それを使い捨ての殺しの道具にするなんぞ俺は耐えられん。救えなかった自分も許せん」

泣いているのか背中が震えている。

「私だって許せないさ。でも助けた子、唯一助けられたこの子の事を考えよう」

少女の事だ。

ローレンは振り返るとこちらに歩いてきてしゃがみ少女の手を握る。そして涙を流しながら無理矢理笑顔を作る。

「来るのが遅くなってすまなかった。今までのは悪い夢だ。これからはもう大丈夫だ」

少女の目から涙が溢れた。握られた手が暖かい。生まれて初めて泣いた。ローレンに抱き締められる。

「サリア、じゃなくて今はサキアだった。教会につれてこうか。きっと大丈夫。あの司祭長なら任せられる」

翌朝。

少女は騎士団長夫婦に教会に連れていかれた。そこには紫色の髪の女性が待っていた。

「てな訳でよろしく」

「はいはい、お義母さん、て呼ぶのはダメなんだった。マロワ様の頼みは断れないしね。で、この子の名前は?ジュリア2号?」

少女には二人の関係性は分からなかったが親しいようだ。

だがよくよく考えたら少女は自分に名前が無い事に気が付いた。今まで気にしていなかった。

「名前すら無いとは………とりあえず私の苗字と………そうだ、遠い国で聞いたんだけど見付けたら幸せになれるって言うマーニの花って言うのがあるんだって!だからマーニちゃんってどうかな?マーニ·マリアライト!良い響き!お嬢ちゃんの名前、今からマーニちゃん、私の家族だよ!」

紫色の髪の女性に勝手に名付けられ勝手に家族にされた。だが不快感は無かった。むしろ不思議な暖かさに満たされた。

こうしてマーニ·マリアライトの人生は始まった。


城の食堂。

「ぶへっ!………重っ、マーニちゃん過去重っ!」

アイカは食後のお茶を思わず吹いた。

今はマロワとアイカしかいない。

「そんな訳でちょっと特殊な子なんだよマーニちゃんは」

「ちょっとどころじゃないよ!何だそれ、聞いてないし!」

アイカは叫ぶ。どこかへ向かって。お茶吹きっぱなしで。

「そんな子に中身がないとか自分を持てなんて偉そうに語ったとか………笑えない」

アイカは頭を抱え黄昏れながら呟いた。

「何が笑えないんですか?」

ニュッと手が延びて背中から誰かが抱き付いて来た。

変態アホアホ百合騎士では無い。ジュリアはブロンデル商会の仕事で出掛けている。アイカ絡みになるとただのアホだがあれで商会の仕事となると交渉事から資産運用までなかなか優秀なのだ。

「おかーさん」

甘えるようにささやきながらすりよって来る。

「だから私はマーニちゃんを産んだ記憶はございません」

「だってアイラ様からはおかーさんの匂いがするんです。本当の母親を知らない私でも分かります!アイラ様はおかーさんです」

マーニ·マリアライト。暗殺者として人を殺していた壮絶な幼少期を持つ神官長にして国の頭脳担当。

旧貴族街爆発炎上事件からすでに2ヶ月たった。異世界に来て一年と3ヶ月くらい。アイカは26になった。

レイエンダとデュートも飛び込んできた。

「アイラ様はおかーさん!」

「アイラはおかーさんなのだ!」

方や次期国王、方や魔王なのだが相変わらず小さい。

「ですよね皆様。アイラ様はおかーさんです。決定」

マーニが押し切る。レイエンダもデュートも幼い頃に母親を失っている(デュートはそう思い込んで居るだけで実際は冥界の女王にして真域の神、スカーシャが母親である)

マーニがこうなったのはマロワからその生き方が歪んでいると言われたからだ。

「マーニちゃんはさ、まともな幼少期を送ってないのに普通どころか立派過ぎる大人になった。ただ物心付く前に染み付いた本能は消せるものじゃない。歪みが生まれて当然。そこに気付けなかった私やサキアの見落としだね。今回の事件は私達の責任だよ」

旧貴族街爆発炎上事件での凶行(爆発炎上させたのはアイカ、マーニは外道共を殺す一歩手前まで傷付けた)をマロワは責めなかった。それどころかマーニが抱えた闇を見抜けなかった自分の責任と言いきった。

「一度さ、難しい事忘れてやりたいように生きてみれば?そうすりゃ本当の自分になれるんじゃないかね」

マロワなりのアドバイスだった。

その結果、マーニはアイカから母性を感じおかーさん認定した。

「確かに家族みたいな物とは言ったけど………」

ここまで変わるとは予想外だった。

(凍り付いた微笑はどこ行った)

まとわりつく3人にもみくちゃにされながらアイカは思った。

(まあ、どっちもマーニちゃんなんだろうな)

ガタッ

アイカが立ち上がる。まとわりついていた3人に向かって叫ぶ。

「あんたらいい加減母親離れしなさい!」

「全員撤退!」

マーニの掛け声に年少組2人は頷いた。

「影歩!」

「えいほー!」

「それではアイラ様ごきげんよう」

3人は影から影へ移動していった。

影歩。マーニの育ての親、サキアが暗殺者時代に編み出した影から影へ移動する魔術を使う移動術。物理法則すら無視。ただしこれは自然ではなく神の力を借りて行う難しい物だ。マーニはサキアの真似をして覚えたがサキアは自分から見えない影まで感じとり広範囲に移動出来たと言う。

「魔王ちゃんはともかく、何でレイエンダちゃんまで使えるようになってるのよ、若い子怖い!」

「私から見りゃアンタも充分若いよ。まあレイエンダ様はグランレイとエンダ妃の娘だからね。あれくらい才能だけで出来てもおかしくはないよ」

マロワは簡単に言うがその言葉にアイカは問う。

「じゃあ何で私は出来ないのよ!何でよ!」

「アンタはこれ以上いらん能力出さんでいい!ただでさえアホみたいな才能と人間なのか疑う身体能力に無駄出力の神気、爆発に巻き込まれても傷ひとつ付かない肉体。ろくに力の制御も出来ないのに高次元の魔術とかやろうとせんでよろしい。まったくアンタが一番よく分からないよ」

「ぶー、ただのちょっとやんちゃな可愛すぎて美人過ぎる未亡人ですー」

むくれた。だがアイカ自身、異世界に来てから次々目覚める謎の能力に戸惑いはある。たまに自分自身が怖くなる。

「やっぱり今から元の世界に帰っちゃ駄目ですか?駄目ですよね!ですよね………これだけ関わって今さらとか無しですよね!」

空に向かって妙な事を叫ぶ。

「急に何を言い出すんだろこの子は………」

マロワはやれやれと言った顔だ。

「そうだ!チビスケに私の力の事聞いてみよう」

アイカは便りになる相棒のところへ向かった。だがチビスケにすらわからないと言われ終わった。


第一章~愛と告白~


忘れられがちなもう一人の主人公が住むいつもの洞穴。

「あ、そこは!ダメだ」

何やら艶っぽい女性の声が響く。

ボサボサの長く伸びた黒髪の青年、小石川時雨。異世界ではジーグ·リトルストーンリバーと名乗る。無名の存在だけど。

そして銀髪碧眼の美人、戦女神のヨルデ。

この2人がまぐわっていた。夫婦の夜の営真っ最中だ。

「ごめん、痛かった?もうすぐだもんな。無理言ってごめんな、ヨルデ見てると忘れる」

時雨が指摘するのはヨルデが臨月に近いのに全然お腹がふくらまない事についてだ。

「はあ、はあ。これはそのあれだ、神様の不思議パワーだ」

頭がボーっとしているヨルデは適当に答える。ヨルデ曰く

「ジーグはすぐ死ぬが下半身だけは超英雄級、いや超神級」

だそうだ。もしその下半身を解放したら世界中が時雨の子供で溢れかえるだろうとヨルデは言っていた。

「いや、妻として、女として求められるのは嬉しいぞ」

ほぼ押し掛け妻のヨルデを受け入れた時雨をヨルデは心の底から愛している。

時雨もアイカを追って来たはずなのに今ではすっかりヨルデに心を奪われている。ヨルデは妻として色々頑張っているが元々戦ってばかりの戦女神だったため女性としてやや?ポンコツさんである。そんな所も愛おしくて仕方ない。

要するにラブラブ新婚夫婦なのだ。

「しかし何で俺のはこうなったんだろう」

思い返せば現世にいた頃はこんなに元気な下半身ではなかった。

「推測にすぎないがジーグはこれまでたくさん死んだだろう?」

異世界に来て一年と3ヶ月、三桁回数は死んだ。

「生物は死に際に子孫を残そうと繁殖力が高まる。ジーグの場合死ぬ度に繁殖力が高まりそれが蓄積されたのではないかと私は思う、ある意味特殊能力が生んだ副産物だな」

別にいらない能力だった。普通の下半身でいい。

「俺さ、エメルに何の能力も感じないって言われたんだけど何でそこだけ覚醒しちゃったんだ………」

「ジーグからは今まで努力して伸ばした力以外は何もないのは変わらないな。相変わらず魔力もまったく無いぞ」

時雨は下半身以外も何か覚醒したのではと期待したが相変わらずのようだ。

「その、私で満足出来なかったら他の女としても構わないぞ。最終的に私のところへ戻って来ればそれで良い」

言葉とは裏腹に寂しそうな顔でヨルデは呟く。

そんなヨルデを時雨は抱き締めた。

「アホなこと言うな。ヨルデが居なくならない限りそれはない」

時雨は言いきる。

「例の探し人と再会しても?」

アイカの事だ。時雨はアイカを思い出す。引き締まった体に女性的な胸と尻………下半身が反応した!

「………下半身は正直だなあ」

ジト目で時雨を睨む。

悲しい男の性であった。

「そう言えばグレッグは大丈夫かな」

話題を逸らした。

グレッグとはこの洞穴のもう一人の住民のもじゃもじゃ頭のおじさんだ。色々器用で洞穴を快適住居にしたり野菜を作ったりしている。今は洞穴入り口脇に小屋を建てそこに住んでいる。

「新婚さんの邪魔するほど俺は野暮じゃあねえべ」

そう言い残しさっさと小屋を建てた。

「大丈夫だ。グレッグ殿の小屋だけでなくこの周辺に魔除けの結界を張っておいた。これからは外でも野菜が作れる」

何て有能な嫁なんだろうと思う、だがますます自分が情けない。

「よし、今度から買い出しは俺が行こう」

洞穴生活で足りないものは今までヨルデがいつも王都に買い物に行っていた。

「大丈夫なのか?」

時雨は未だに一人で王都にたどり着いた事が無い。歩いて30分くらいの距離なのに何故か王都に行こうとすると毎回死ぬのだ。

「俺だって努力したぶん強くなったんだ。今なら行ける!何より出産間近の妻に行かせるなんて出来る訳がない!」

ヨルデはめちゃくちゃ不安そうだが夫のやる気を削ぐのも違う気がするので止めなかった。

ジーグ·リトルストーンリバー事、小石川時雨19才。初めてのおつかい、一人で出来るかな?が始まるのであった。

(絶対途中で死んでそう)

ヨルデは普通にそう思った。


翌朝、時雨はグレッグと畑を耕していた。

「いや~ヨルデちゃんのおかげで外でも畑が作れるとは………ヨルデちゃんは女神か何かなんっぺか」

「いや、だから本当に女神なんだってば」

「神様って言ったらアイネス·エメル様だけだっぺ」

相変わらず本当にエメル以外を神だと信じないグレッグ。

「神様だって色々格が有ったり領域が有ったりするんだって」

「ん~確かにヨルデちゃんの姉妹も不思議な人達だべ。だがな~、オラの育った村ではエメル様以外の話は聞いたことながったっぺ。なかなか信じられん」

グレッグの故郷はダニ王事ガワダーニの愚政策で焼き払われてしまった。グレッグが王都に行かないのは今でも国が信じられないからだ。

「ノーソーン村だっけ?」

「ああ、緑と川に囲まれたすんげえ綺麗なとこだった。いつか再建したいっぺ。ジーグはどんどん強くなる、ヨルデちゃんは母になるために頑張ってっぺ?オラもいつまでも立ち止まっとる訳にゃいかねえ」

グレッグの顔はモジャモジャ頭のせいで半分隠れているがきっと瞳は輝きを取り戻したのだろうと時雨は思った。

「そう言えばジーグはヨルデちゃんに何かあげたりしたっぺか?きちんと形あるもので」

「あー、あれ?何もあげてないかも」

時雨はヨルデにもらってばかりだ。子種と童貞はあげたが。

「ならばちょうど良い、ちょっとオラの散歩に付き合ってくれ、もしかしたら良いものがあるかも知れん」

「どこに行くんだか知らないけど付き合うよ。ヨルデはまだ寝てるから今のうち行くか」

ヨルデが聞いたら心配だからと必ず付いてくるだろう。身重の体でも。

「まあたいした距離じゃねえがら大丈夫だべ」

時雨とグレッグは農具を片すと水筒と念のため武器を持って出掛けた。草の茂みをかき分け進む。しばらくして森に入った。ヨルデの張った結界からは出てしまったが幸い魔物に出くわす事はなく小一時間程で目的地についた。

「ここは………」

「ああ、本当に何も無くなっちまったんだなあ」

森が開けて小川を渡ると朽ち果てた焼け跡に着いた。煤けた石造りの建物、焼け落ちた家屋の焦げた柱。それに骨と化した人や家畜の遺体。息吹あるものは雑草ぐらいしか生えていない。

「ひどいな」

「オラの育った村だべ。場所は覚えてたんだが情けない話1人で来るのが怖かった」

「……………」

一年以上前、前国王時代に騎士団の焼き討ちにあいグレッグのみが逃げ延びたと時雨は聞いていたが絶句してしまう。廃村から惨劇の悲鳴や苦痛を感じてしまう。

グレッグは悔しいのか拳を握りしめる。

「オラはな、あれは悪い夢で実はみんな生きてていつも通りのゆっくり流れる時間を過ごしてるんじゃないかって思う時もあった。やっぱり現実なんだべな」

グレッグは焼け跡の中へ進む。

「ここにオラの家があった。小さな家だが気に入ってたべ」

焦げた木材を掻き分ける。小さな煤けたスコップが出てきた。

「ちゃんと残ってたか。これはオラがちっこい頃に親父からもらったもんだ」

煤を落とすと鈍く輝いた。

「ガキの頃から土いじりが大好きでな。オラの宝物だべ。見つかって良かった。あの日まではずっとこの村で畑いじりして生きてくんだろなって思ってたよ」

時雨はこの世界に来て何度も理不尽に苦しみ死んでいるが生き返るからまだマシだ。ここに居た人達は理不尽に殺されもう生き返る事もない。平凡な日常すら簡単に奪われる世界。

「オラが前に進むために一度見ておきたかった。湿気たもんに付き合わせて悪かったべ」

「いや、俺もこの景色を忘れないよ」

誰かが、何かを、一歩間違えばこの村のような惨劇が起こる。そう思い時雨は胸に刻んだ。幸い今のこの国の王はかなりの善政を行っているが同時によくうっかり何かやらかしているとヨルデに聞いている。ヨルデは面白い王様と言っていたが獅子王とはどんな人物なのか少し気になった。

「ジーグ、こっちだ。良かったべ、今年も咲いとる」

雑草の中に見たことのない綺麗な白い花が咲いていた。

「これはな、マーニの花と言って遠い国でしか咲かないらしいがどういう訳かオラの村でも毎年咲くんだ。詳しいことは知らんべが幸せを呼ぶって話だ」

グレッグは丁寧にスコップで花を土と根ごと掘り持ってきた小さな鉢植えに移し変えた。

「これ、ヨルデちゃんにあげな。きっと喜ぶべな」

だから自分を連れてきたのかと時雨は理解した。

「綺麗な花だ。もう少し持って帰っても良いかな。ヨルデは武器とか鎧とかばかり欲しがるけどこの花なら似合うと思う」

グレッグは頷いた。少し多めに刈り取る。

そして花の一部を焼かれて壁だけ残った教会の祭壇に捧げた。

誰のものか分からないが小さなエメル像が残されていた。これと同じものを時雨とグレッグは首にかけている。時雨のは野盗崩れ時代のグレッグの仲間の物だ。2つある。野盗と言っても似たような境遇の3人組でほぼ洞穴に隠れ住み切羽詰まって初めて襲ったのが異世界に来たばかりの時雨だった。色々あった後グレッグ以外は2人とも殺されていた。死体もいつの間にか埋められていた。きっと通りがかった優しい誰かが埋めてくれたのだろう。

(時雨は知らないがアイカとチビスケである)

「こうして生きてるのはジーグのお陰だべ、ジーグの特殊能力が無かったらオラは人殺しだ。きっと本当に殺してたら耐えられなくなって今頃気が狂ってたかも知れねえ」

「まあ、そう言う意味じゃあのパンツ一丁へっぽこ貧乳女神のお陰かもな。俺だってグレッグには感謝してるよ。異世界に来てすぐに住みかまで得られた。俺は勢いでこの世界に来たけどこっちのお金も持って無かったし今よりもめちゃくちゃ弱かったからどっかで野垂れ死んでたと思う。いや、生き返るけどすぐ死ぬし異世界甘くねえなって思う」

「確かに会った時はモヤシみてえだったな。すっかり逞しくなりやがって。そういえば死ぬといつも車とか言うのの中で生き返るんだろう?それ動かせるなら洞穴に持ってくれば良いんじゃないか?」

「あ、それ思い付かなかった。確かにそのほうが楽だ。何で死ぬたびに思い付かなかったんだろう」

「まあそーゆーこともあんべな。そろそろ帰るか」

時雨の肩をポンポン叩く。

その時だった。黒い何かが地中から沸きだしグレッグにまとわりついた。伸びて千切れた影のような異様な何かが何体もグレッグに絡み付く。

「裏切り者がどこへ帰る」

「1人逃げ延びた卑怯者が」

「逃がさない、許さない」

時雨は剣を構える。刃は対神特効のグングニル改(ヨルデ作)だが鞘は1からヨルデが作った戦女神の特製だ。鞘を抜かなくてもある程度の物は斬れる。

「グレッグから離れろ!」

時雨は剣を振り下ろすが黒い影はヒラヒラとかわす。

「剣………騎士団………熱い、苦しい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

「ジーグ!やめてくれ!こいつらは多分ここで殺された村人の霊魂だ!本当は悪い奴らじゃねえはずだ!」

「ってもグレッグが危ないのを放っておけるか!」

黒い影はどんどん増えグレッグを包み込む。危険だ。

(あ~クソ!ヨルデが居てくれたら、いや、いつまでも頼りきりじゃダメだ。このくらい何とかしなきゃ)

時雨は剣を再び構える。

「おおおおお、農耕流!連続ハエたたき!」

ダッサイ名前の技を繰り出す。剣で斬るのではなくペチペチ黒い影達をを叩く。

グレッグから影が離れていく。

「農耕流?聞いたことねえな」

「かなりダサいな」

霊魂にすらバカにされた。

「ダサくねえよ!もっぺんひっぱたくぞオラ!」

「ジーグ落ち着け。聞いてくれみんな!オラは確かに逃げた、だがこの村の事を忘れたことは一度もねえ!いつかこの村を再建してえんだ!今はまだそっちに行くわけにはいかねえ!」

グレッグが叫んだ瞬間、ズンとした地響きと共に影よりはるかに強い圧がかかった。

「良く吠えた、その………えーと………毛玉のオヤジ殿!」

黒いセミロングの髪に刀と武者鎧。この世界では異物感半端ない容姿の女性が時雨を踏み潰し降り立った。

「ジーグ!また死んだか?」

時雨は地面に埋もれながら親指を立てた。

「………ギリギリ生きてる、問題ない」

「あ、すまない。着地に失敗した」

時雨は首を曲げまた親指を立てた。

「気にするな。袴の隙間から覗く純白レースのパンツ、ヨルデには勝てないけど悪くないぜ」

げしっ

再び頭を踏みつけられた。

「まったくこれだから男は。ん?お前、エメル様………それに違う神の臭いを感じるな。微弱だが」

時雨は死んだのか気絶したのか分からないが土にめり込んだままだ。答えないし動かない。

「まあいいか、良く聞け!拙者はアイネス·スカーシャ様の命により魔王様に仕える………あ、これ秘密だった。えーと神域に至りし魔神………あ、これも秘密だった。通りすがりのただの武士だ!決して神とかそーゆーのではないからな!」

霊魂達やグレッグは頭に?を浮かべた。意識を取り戻した時雨はまた変な神様出てきちゃったなと思った。相手にするとめんどくさい気がするので気絶したふりをする。

「神様ってエメル様だけじゃ………」

「スカーシャ様って言うエメル様と対をなす存在が真域に居るのだ!冥界の女王でもある。あ、拙者とは無関係だがな!」

霊魂達はささやく。

「無関係なのに何でそんなに詳しいんだろう」

「そもそも見た目があやしい」

「でも凄い強そうだよ?」

様々な反応を示す。

「とにかく!そなたらはここに居座り続けると悪霊になってしまう。だから拙者が迎えに来た!これを見ろ」

一枚の紙を掲げた。

「不当な死を迎えし者達よ。我が冥界で働かぬか?各種福利厚生完備。転生保証、週休2日制、年末年始、長期休み有り。冥界施設使い放題。冥界の女王スカーシャより」

と書かれていた。

「今、世界中がよく分からぬが荒れていて死人が増えた影響で冥界は人手不足!らしい。そこでスカーシャ様の元で働く冥界スタッフ募集中なのだ!そうだ」

なのだ!と言われても急すぎて困る。

黒い影が一ヶ所に集まる、会議を始めたようだ。

「どうする?」

「殺されたのは別にグレッグのせいじゃないしなー」

「何となく八つ当たりしてみたけどやっぱり違うよなー」

「悪霊にならないで済むなら冥界とやらに行ってみるか?」

「そうしよう」

思ったより早めにまとまったようだ。

「決まったようだな!では冥界に案内しよう」

自称ただの武士は指で空間に文字を書く。それを刀で切り裂くと空間にヒビが入った。

そこに黒い影達が吸い込まれていく。不思議な光景だ。

最後に二体だけ留まる。

「グレッグ、今もどこかで畑をやっているのか?せっかく助かったんだ。体には気を付けろよ、生きてりゃいいことあるっぺ」

「オヤジ?」

「グレッグ、怖がらせてごめんなさいね。本当はみんな生き残りが居たこと喜んでるのよ」

「母ちゃん!」

グレッグは慌てて影に近寄る。

「オヤジ、母ちゃん!やっぱり居たのかよチクショウ、ジーグみてえに生き返れないのか?」

「それはスカーシャ様やエメル神にすら出来ぬ。ましてや拙者は未熟者ゆえに余計無理だ。蘇生は生と死、魂の冒涜だ。この世界の最大の禁忌に触れる。この青年はどうやら最初の死の前にエメル様から祝福を受けていたようだな。特殊な例だ、と思う」

自称ただの武士は淡々と告げる。

「………そうか、無理なのかやっぱり」

「そうしょげるな。死んじまったもんは仕方ねえ。お前は手先は器用だから出来る限り色々やってみろ」

「その代わり性格が不器用だけどね。孫を抱けなかったのは残念、でもお友達はできたみたいね」

時雨のほうを見る。

「ああ、オラの大事な親友で恩人だ!すげえ良いやつだ。オラは、オラは大丈夫だから2人とも早く楽になってくれ」

それを聞いた黒い影二体は名残惜しそうに一度だけグレッグの回りを飛ぶと空間の裂け目に吸い込まれていった。

「毛玉のオヤジ殿、あまり役に立てなくてすまなかったな」

自称ただの武士はグレッグの手を握る。

「いんや、じゅうぶんだ。オヤジにも母ちゃんにももう二度と会えないとおもっとったべ」

グレッグはグスリと鼻をすする。

「通りすがりのただの武士さんありがとな」

グレッグは土にめり込んだ時雨の体を引っこ抜くと担いだ。まだ気絶しているふりをしているようだ。死んではいない。とにかくこれ以上めんどくさい神様には関わりたくないのだ。

「じゃあな、オラ達は帰るよ。今度来た時は亡き骸埋めてやんないとな。いつまでも晒しとく訳にもいかねえ」

そう言うとグレッグは来た道を引き返して帰った。

自称ただの武士、魔神ちゃんが残される。

「焼き討ちされた村か………拙者の生きた世界でもよく見たがやはりいつ見ても気持ちのいいものではないな」

魔神ちゃんは村を見回し呟いた。

「せめてこの地に平穏を」

そう祈ると魔神ちゃんは飛び去った。


買い出し日の朝。時雨は元気よく王都に向かった。

そして

「変では無いかな」

「いやよく似合ってるべ。どっからどう見ても素敵なお嬢さんだ。いつもの服も似合ってるがさらにべっぴんさんだあ」

純白のワンピースにリボン付き麦わら帽子のヨルデがグレッグと話している。基本が青い服に白いスカートの甲冑服のヨルデだからイメージがガラッと変わる。麦わら帽子には時雨に渡されたマーニの花が飾り付けされている。

それと左手の薬指に銀ベースに金の装飾が加えられた陽に輝く太めの指輪が嵌められている。時雨が車を回収した際にいつだか忘れたがどこかから飛んできて後部座席に放り投げてあった金銀の斧を溶かして作った。時雨は鍛冶は出来ないがグレッグに教わりながら必死に作りなんとかそれなりの形になった。

「こ、これが伝説に名高い結婚指輪………」

どんな伝説か知らないが時雨とのペアリングにヨルデは大層喜び毎日何度も手をかざしては見とれていた。

ついでに車に積んであったもっと凄い伝説がありそうなエクスカリバーもヨルデが回収した。

「何でこんなところにあるのだろう。まあいいか、私が使おう」

もののついでで伝説の剣はヨルデの物になった。

今日はロンギヌスもエクスカリバーも持っていない。戦女神であるヨルデにそこらの魔物は素手、もしくは軽い神気で充分だ。

「尾行するなら一緒に行けば良かったっぺに?」

「ジーグが許してくれなかった。でも心配だからここに居ても落ち着かない」

グレッグはニコニコしている。

「はあ、まったく二人とも不器用な愛だべなあ」

ヨルデは照れ隠しに言う。

「グレッグ殿は結婚しないのか?」

「オイラは一度野盗崩れまで落ちた人間だべ。それにヨルデちゃん達見てるだけで幸せだあよ」

グレッグは過去に訳あって一度時雨を殺している。だが基本良い人なのでもったいないなあとヨルデは日々思っている。

「む、さっそくジーグに妙な気配が近付いている」

女神を嫁にしたことで元々あまり無かった幸運を使いきった時雨はとにかく理不尽な目に会いやすい。ヨルデのそばに居れば緩和されているが。

「じゃあ行ってきます」

てってこ走り出したまに振り向きグレッグに手を振りながら出掛けていった。

そこへ入れ替わるように黒い髪に深紅のドレスの甲冑姿の戦女神が降り立った。

アサデ。ブリュンさんちの戦女神三姉妹の長女だ。ヨルデが末の妹である。

383才にして383年間彼氏が居ない残念な姉。美人だが酒乱で怒りやすく性格に難ありだからか………。

「おはようグレッグ殿。妹、ヨルデは居るか?」

「さっき出掛けちまった」

何度か面識があるのでグレッグは空から人が降りてきても驚かない。もう慣れた。

「そうか、そろそろ出産が近いと思って様子を見に来たのだが」

困ったなと言う顔をする。

「ちょっと買い物に行っただけだべ、すぐ戻ってくるっぺ。茶でも用意するから中で待つか?」

アサデは頷いた。

「お言葉に甘えるとしよう。出来れば酒、何でもない。ところで野菜のおじさん頭がもじゃもじゃすぎないか?」

グレッグの頭はもじゃもじゃと言うより爆発に巻き込まれた後のように癖っ毛が伸びている。

「良ければ茶の礼に私が切ろうか?これでも妹達が小さい頃は私が切っていたから多少は心得がある」

「何だか悪い気がするがお願いすっぺかな」

特に何も考えずに軽く答えたグレッグだが後に農耕の神となる運命の分岐点であった。


王都の城の廊下。

ジュリアが硬直していた。

「何してんの?今日は商会には行かなくて良いの?」

アイカの問いにジュリアは正気に戻る。

「お姉様、最近のマーニはやけに元気だったりまるで子供のようだったり様子が変ですが今日は完全に壊れているようです」

「一年中壊れてるアンタが言うのも何だが」

厳しい突っ込みすらスルーしてジュリアは指を指す。

そこには純白のフリル付きのドレスに気合いの入った化粧をして鼻歌を歌うマーニが歩いている。似合いはするものの違和感は拭えない。

「………追うか」

「追いましょう」

アイカとジュリアは気付かれないように後を追う。

マーニは城を出ると街中を歩き旧コロシアム、現兵舎にやってきた。真ん中では訓練中の兵士と指導中のローレンがいた。何故か訓練に混じってる鎧武者、魔神ちゃんも居た。

(こんな汗臭い所に何の用だろう?)

まったく見当がつかない。

(おじーちゃんに何か用かな)

マーニはズカズカ遠慮なくローレンに近付き背中に触れた。

「相変わらず変わりませんね。大きくてたくましい」

「ふむ?マーニちゃんか。どうしたんじゃこんな所に」

ローレンは不思議そうな顔をしている。

「私はあの日この背中に救われました。あの日血を流していた背中。私を救いだしてくれた背中。私の憧れの背中」

「はっはっは、あの日か。懐かしいのう、もう10年以上前か」

「はい、あの日が無かったら私は名無しのまま死んでいたか未だに殺しを続けていたかも知れません。間違いなく今の私が居るのはローレン様とマロワ様、それにサキアお義母様のお陰なんです。なのに自分の、マーニ·マリアライトとしての原点を見失い恥を晒してしまいました」

それは旧貴族街爆発炎上事件の日の事だろう。

「そして実はずっと秘めていたものがあります」

「ふんふん、なんじゃろうな」

「ずっと、ローレン様をお慕い申しておりました」

さらっとスルッと爆弾を落とした。

(マジか)

(おじーちゃんとマーニか~。別にいんじゃん?………あれ?)

(バカかお前は!おばーちゃん先生はどうするの)

物陰から見てるほうが慌てている。

「ワシもマーニちゃん好きじゃよ」

(あ~おじーちゃん先生分かってない、理解してない)

(おーめでたしめでたし?)

(だからお前は本当にアホだな)

孫はどこまでも残念だった。

マーニは背伸びしてローレンの首に手を回し抱き付くとそのまま思い切り口づけをした。

ローレンは固まった。

(………)

(………お姉様としたいなあ)

見てるほうも固まった。

「異性として、ずっとローレン様が好きでした。もちろんマロワ様が居ますから叶わぬ恋なのは分かっています。これは今までの私と決別するためのけじめです。どうしても伝えたかった」

「………はぇ?」

ローレンは情けない声を出すのが精一杯だ。

(ふーん、おもしろい事になってるじゃないか)

アイカとジュリアの背後に一番来てはいけない人物、マロワがいつの間にか居た。

(あぎゃあああ、おばーちゃん先生落ち着いて。血は見たくないです、はい。人殺し良くない)

(何を言っているのアンタは。ローレンはあれでも昔からモテたからね、このくらい慣れてるよ)

ローレンはマーニの肩をそっと押し戻した。

「………むう、まさかそっちの好きだったとは。気持ちは嬉しいんじゃがワシにはマロワがおるしこんなジジイのどこが良いのか分からんがそれはいかんよ」

「年齢など関係ありません。ローレン様は私を救いだしてくれた素敵な方です。年老いてもこの背中は変わりません。いつまでも私の憧れの、傷付いても何度も立ち上がってきた背中です。正妻にして下さいなんて言えません。愛人でも良いです」

ローレンの背中に手をまわしさわる。

もはやマーニは強引に押しきろうとしている。

ローレンはマーニの頭をポンポンした。

「すまんな。ワシはマロワ一筋なんじゃよ。マロワ以外は考えられんのじゃ。それにマーニちゃん、自分を安売りしたらいかん」

あっさりと、だが完全にふられてしまった。

「どうしてもダメですか?」

「ダメじゃ」

「どうしてもどうしてもダメですか?」

マーニはローレンに迫る。

「どうしてもこうしてもダメったらダメじゃ!絶対ダメ」

ローレンは焦りぎみだ。押しきれそうな気もする。

「うう………分かりました。これ以上ローレン様を困らせる訳にもいきません」

マーニが先に引いた。マーニは涙を滲ませながら走り去る。マーニだってローレンを困らせたい訳ではないのだ。

(やばい、こっち来る!)

(柱の影に隠れようお姉様)

(やれやれまったく)

3人が隠れた瞬間マーニは通り過ぎた。一瞬こちらを見ていた気がしたが………

「ふふふ、さすがマリアライトを継ぐもの。しっかり私に殺意をぶつけてきたよ」

マーニは3人に気付いていた。暗殺者時代の勘は鈍っていない。さらにマロワにのみ殺意を放ったのだ。

「うへー、ドロドロ展開はやめてね」

アイカは呟いた。

「大丈夫、マーニちゃんは一時的な感情だしね。ローレンも私にベタ惚れだから他の娘には手を出さないし」

「まあ、私も恋愛と言うより敬愛なのかなって思うけど」

それを聞いたジュリアが異論を唱えた。

「あれ?おばーちゃん。おじーちゃんは騎士団では処女をたくさん後悔させた男だって有名だよ」

いらん爆弾を落とした。空気が凍りついた。

「………へー、初耳だね。その辺は本人に聞いてみようかね」

今度はマロワがローレンに向かって歩き出す。そしてローレンを引っ張るように奥へ消えた。確か奥は騎士団が罪人を拷問する部屋があったはずだ。

「………………………ジュリアちゃん、本当なの?」

「うん、処女後悔のプロって呼ばれてるよ?」

アイカはため息をついた。

この国には王都から少し離れた海沿いの港街に騎士団の海軍がある。マロワが海賊を殲滅してからほとんど海から外敵は来ないが漁師や貿易船が困らないように海の魔物などを討伐している。

ローレンは現役時に何隻も処女航海を成功させてきた。

「ジュリアちゃん、国語の勉強。やり直し」

「何でーーー!」

アホの声が響き渡った。


幕間~神官のお仕事~


ちょっと時間は戻って旧貴族街爆発炎上事件から数日。

マーニは懐かしい夢を見た。マリアライトとなった日からの記憶。サキアの養子となりジュリアと出会い共に過ごした日々。最初は戸惑ったがゆっくりと馴染んだ。父母が居なくても真っ直ぐなジュリアが眩しかった。サキアは厳しくもあり優しくもあった。暗殺しか能の無い自分に人の心を与えたのは間違いなくこの二人の存在が大きかった。感情が乏しい幼少期だったが二人のおかげで徐々に色々覚えた。

そして見てしまったサキアの黒爪としての凶行。

マーニが司祭見習い、ジュリアが騎士見習いになった頃。

ある日の晩、外が少し騒がしいので起きてしまった。マーニは気配を消して教会を抜け出した。月明かりの影から影へ移動する。

高い屋根の家に数人の黒ずくめの人間が入って行く。何故か黒い軽装の騎士達もそれを追うように動いていた。

(先頭に居るのはマロワ様?)

普段と違い目立たない格好だがマロワに違いなかった。マーニは封じていた瞳の神気を発動する。

(黒爪、今日は逃がさないよ)

マロワの思考を読む。堕ちた聖母黒爪。マーニも噂は聞いている。何でも不正や犯罪を行う貴族や役人を狩る凄腕の暗殺者。

マロワも心配だし自分も元は暗殺者。気になり後を追う。高い屋根の家の中で黒ずくめの集団と騎士団の戦闘が始まった。どちらも精鋭なのだろう。互いに壮絶な戦闘を繰り広げ互いに倒れていく。最後にマロワと黒爪のみが残された。建物内をバルコニーから覗いていたマーニは息を飲んだ。まったくの互角に見える。

マロワは神気を纏い黒爪に攻勢をかける。だが黒爪はそれすら躱す。息を飲む攻防に釘付けになる。黒爪が一転攻勢にでる。何度も攻防が繰り返されるが互いに決め手が無い。

双方傷付け合い血を滲ませる。

「死地死地四十九葬!」

無軌道に七本の爪が七度、常人なら見えない速さで襲いかかる。

(凄い技、一体何者なの?でもマロワ様が殺られてしまう)

だがマロワは青く光る刃の剣、湖の精霊から授かり後にジュリアが受け継ぐ霊剣ブロンデルで弾き返し防ぐ。神気に回していた力を収め剣技のみですべて押し返し黒爪の面を弾いた。

(マロワ様も凄い!ただ強いだけじゃない)

「軽い!殺気を感じない!なめてるのかいアンタは!」

面を弾かれた黒爪が答える。

「いや、だって殺せるわけ無いじゃ無いですか~。それにこっちだって本気ですよ?マロワ様相手に本気じゃなかったら私とっくに死んでますよ~」

気の抜けた声を黒爪が発した。

「!!サキア………何で」

(お母さん!お母さんが黒爪なの?)

「あ!」

驚きのあまりうっかりバルコニーから落ちそうになる。

黒爪、もといサキアが窓を突き破りマーニを抱き締めながら地面に落下した。転がるように衝撃を緩和する。

「いたたた、まさかマーニにまでつけられてたなんてこりゃ本格的に潮時かな?」

痛みを堪えマーニに微笑む。

「一体何のつもりなのか、答えてもらうよ」

マロワが建物から降りてきた。

「ん~?騎士団って動きが遅いから先にさっくり隠れた悪い奴殺してただけだよ?」

あっけらかんと答えるサキアにマロワは呆れた。

「まったくこの自由人は本当に昔から変わらないね」

とりあえず場所を変えようと言うことで深夜の教会に戻った。二人は何か取り引きをしたようで殺し合いの続きにはならなかったのでマーニは安心した。そしてその夜起きた事、見た事は3人の秘密になった。

それから数年後、サキアは流行り病で亡くなった(事になっているが実際は生きている。マーニは知らない)


「………ずいぶんと懐かしい夢」

むくりと起き上がりマーニはぼんやりと夢の内容を思い出す。

国立大教会のマーニの部屋だ。サキアと共に暮らした部屋でもある。急に暇をもらったので自室で色々考えていたが途中で眠くなり仮眠を取るつもりが本格的に寝ていたようだ。

ふと部屋の隅の棚から少し埃を被った箱を開け封筒を取り出す。

中から一枚の紙を取り出す。サキアが亡くなった際にマロワに渡されたマーニに宛てられた手紙だ。

「愛する我が娘へ。

貴女がこれを読んでいると言うことは私はうっかりぽっくり逝ってしまったと言うことなのでしょう。

最後まで面倒見れなくてごめんなさい。でも貴女は過去に負けず私の想像以上に強く真っ直ぐ育ってくれました。

これからも司祭を続けるもよし、違う道を進むもよし、自由に生きて幸せになりなさい。それが私からの最後のお願いよ?自分の意思でしっかり生きてね」

(自分の意思………)

短い文章だがサキアの愛を感じる。だが

「あれ?封筒の裏に何か書いてある」

マーニは今まで気付かなかった。

「あ、書き忘れた!一番大事な事。間違っても黒爪を継ごうとか思わないように!人殺しはダメよ?」

汚い字で殴り書きしてあった。

「………何で一番大事な事をこんなところに適当に書いてるんですか!もう手遅れですよ!」

人を殺しさえしなかったものの黒爪の真似事をしてしまった。

「ああ、分かりました。何故アイラ様にきつく当たってしまうのか。お母様に似てるんですよ。強い癖にいい加減なところとか達観しているようで幼稚なところとか!なんだかよく分からないうちにだいたいどうにかなるところとか!」

マーニは封筒を箱にしまい棚に戻す。

「そっか、お母様か。ならばいっそのこと………」

こうして甘えマーニが誕生した。


国立聖エメル大教会。

マーニが神官長を務めるアイネス·エメルを崇め祈りを捧げるエメル教の総本山である。子供に教育をしたり孤児を育てたりもしている学校と孤児院を併せ持っているのでかなりの規模の建物だ。

アイカが国王代理になるまで男が神官、女が司祭と分けられていたため神官長、司祭長と二人の長がいたが

「何だその男女差別、くっだらない」

とアイカがさっさと無くしてしまった。

で、働きすぎのマーニに暇を与えたためアイカやマロワが代わりに礼拝堂隅の懺悔室で懺悔を聞いていた。懺悔室は相手の顔が見えないように出来ている。他にも子供の勉強を見たり一緒に遊んだり他の神官達と協力してこなしていた。

「まあ、国民の声を生で聞けるって言うのは重要ね。声の届かない国政なんて意味がないもの」

何かを皮肉るようにアイカは吐き捨てる。

「むうー、何度見てもここのエメル像には違和感を感じる、特に胸。あの変態痴女神全裸のまな板だぞ?」

誰の趣味なのか知らないが豊満な胸の像がある。

それとは別に教会裏の墓地には冥界の女王スカーシャ像がある。

アイカは冥界なんて本当にあるのか知らないが魔神ちゃん曰く

「あるぞ、拙者は冥界から神域に至ったからな。毘沙門天様はすごく強いぞ。拙者などとは比べ物にならない。アイラ殿も手合わせしてみても良いかもしれない」

何故か魔神ちゃんはスカーシャの事を毘沙門天だと思っている。

「今日はどんな話が聞けるかな」

一応司祭服に着替えたアイカは呟く。ちなみに今までは

「国王代理が喧嘩を抑えようとして逆に混じって乱闘になって周りの民家が破壊された」

「国王代理が街に現れたはぐれモンスターを倒そうとして広場の噴水を陥没させ一面水浸しに」

「国王代理が橋で暴れて………」

「国王代理が畑で………」

等の苦情が多いが

「すべてはエメル神の導き、皆で乗り越えよ」

で片付けていた。

またある日は

「私にはお慕いしているお姉様が居るのですがどうすれば結ばれるでしょうか?」

(ジュリアちゃん………)

「脈無し!諦めましょう」

「あとお姉様の下着盗みました。毎日拝んでます」

「拝むなバカ!返せ。いや何か嫌だからいらない!捨てろ」

またある日は

「城に女性ばかり増えて居場所が無いんじゃが。特に国王代理のアイラと言う娘さんがやたら薄着だったり風呂上がりにほとんど裸でうろついたり目のやり場に困る」

(確かに居心地悪いよね………おじーちゃん先生すいません)

「え、あーえーと何かすみません。気を付けるようになるとエメル神が言っています」

またある日は

「アイラ様がこの国にいつまでも居るようにお願いしたいです」

(うう、レイエンダちゃんごめん)

「その方には大事な娘さんが居るようです。いつかは居なくなるでしょう。居なくなっても大丈夫なように頑張りましょう」

またある日は

「俺をやたらチンパンジーって呼ぶやつが居るんです」

(ゲロスも教会来るのか)

「だってチンパンジーじゃん」

またある日は

「面白い王様、今日も城に居なかった、会いたかった」

(ん?この声は確か………よく私に会いに来る強そうな美人さんだ………確かヨルデちゃんだっけ?)

「きっとまた今度は会えるよ、王様も忙しいみたいよ?」

「そうだな、王様だもんな。また来よう。それと実はもう少しで出産なのだが初めての子なんだ。やはり大変なのだろうか?少し不安だ。それに子育てもあまり自信がない」

「え~とちょっと待ってね、思い出すから。そうそう、私はお腹痛いな~って思ってトイレに行こうとしたら産まれちゃったから参考にならないわね。普通は出産は大変らしいけど子供はめちゃくちゃ可愛いから頑張ろう、きっと大丈夫。旦那さんと一緒に素敵な家庭を気付いてね」

同日

「もうすぐ父親になるんだ。正直俺なんかが父親になれるか分からない。自信がない。なにしろ俺は妻と一緒じゃないと王都に来れないくらい弱い。何故か何かしら起きてポンポン死ぬんだ、じゃなくて死にかけるんだ」

(さっきの美人さんの旦那さんかな?夫婦そろって不安みたいね。あれ?この声どこかで聞いたことあるような)

「とりあえず妻を残して死なないようにね!お嫁さんを未亡人にしたらダメだからね!きちんと幸せにしましょう」

相談者は思った。

(この声、アイカ姉にそっくりだな。まあアイカ姉がこんなところで司祭やってる訳ないよな)

またある日は

「拙者、魔王様、あ、これ秘密だった。とある方を守る仕事をしているのだが何だかよく分からない異様に強い人間に負けた。自信を失った」

(魔神ちゃん、じゅうぶん強いよ)

「大丈夫、たまたま負けただけよ」

またある日は

「なー司祭さんはこの国の王様代理のアイラって知ってるよなー。どうやったらアイラみたいに色々大きくなれるんだ?」

(魔王ちゃん………確かに500年生きてるのにすごい可愛いちんちくりん………)

「そのままで可愛いから大丈夫!むしろそのままで居て」

とまあ懺悔と言うよりより何でも相談室状態だった。

そして今日もまたアイカが懺悔室当番だった。

(マーニちゃん、色々知ってて当然ね。いろんな話聞けるもの)

「しっかし私、働きすぎじゃない?国王代理に神官長代理。それ以外にこの世界の調査。さすがに疲れるわ。帰ったら寝よ」

正直めんどくさ!って思っていると今日の相談者が現れた。

「私は本来話を聞く側なんですが………」

(お?マーニちゃんか。今日は懺悔室当番私だって知らないんだっけ?さっき振られたばかりだしきちんと答えないと)

「とある方に私は中身が無いと言われました。思い返せばその通りで今まで私は何と未熟で薄い言葉を返していたのかと思うといたたまれないのです」

(まずい、やっぱりまだ気にしてたのか)

「いやいやいやそれで救われた人もたくさん居る訳でそんなに気に病まなくて良いんじゃないかな~」

「はあ、そうなのでしょうか………あと今日はずっと憧れていた殿方に振られました。分かってはいたのですが正直その方の奥方を殺してしまいたいと本気で思いました」

「殺人良くない。やめなさい。あ~え~っととりあえずあれね。疲れてるんじゃない?城に居る大きな黒い犬あたりに相談しなさいな、癒されるから」

どう答えれば分からないのでチビスケに丸投げした。



第二章~神気って何?~


「着いた…………………」

夕暮れ時。

王都入り口に傷だらけのボロ切れみたいな青年が居た。

朝にほら穴を出て常人なら30分の道のりを約10時間かけて踏破した時雨だ。

大体490回災難に見舞われた。

5メートルごとに何かしらエンカウントした。

モンスターに襲われたりどこかから物が飛んできたり竜巻が起きたり地割れが起きたり急に川が氾濫したり時雨が通る時だけ何かしら起きる理不尽。

特に危険だったのが前方からモンスターの群れ、後方から地割れ、左右から降り注ぐ岩やら大木、上空からはワイバーン、地中からサンドワーム、四面楚歌どころではない。

だが時雨も成長している。左右から降り注ぐ物体を大剣で薙ぎ払い上空から迫るワイバーンを叩き落としサンドワームに喰わせてモンスターの群れは地割れに誘導してかわした。

「へ、へへへ。ついに、ついに着いたぞ!待たせたな王都!」

乾いた笑いを浮かべる。苦節1年3ヶ月、ついに一人で王都にたどり着いた。

「よし、買い物するぞ!晩御飯までには帰るぞヨルデ」

妻の名前をつぶやき王都に足を踏み入れる。

するといかにも悪そうな肩に入れ墨の入った男が現れる。

逃げ延びた偽黒爪団の残党だ。

「兄ちゃんボロボロだが妙に金の匂いがするなあ。それにその剣かなり上等なもんに見える」

十数人、似たような連中が時雨を囲む。

「金と剣置いてきな。俺達ゃあのクソ王のせいで文無しなんだよ、ちょっと恵んでくれや」

だが時雨は怯まず進むと男を殴り飛ばし剣を突き付けた。

「こっちは神様に鍛えられて来たんだ、今さらお前らに負けるか!可愛い嫁が家で待ってるんだよ。邪魔するなら殺す」

時雨は本気だ。人殺しはしたくはないが愛するヨルデのためなら躊躇せず殺すだろう。

時雨から放たれる異様な殺気、愛と言う狂気に男達は動けない。

「俺の名はジーグ。名前は覚えなくても良いけど次俺達夫婦の邪魔したら全員殺す。それは覚えとけ」

そう吐き捨てると時雨はさっさと街中に入って行った。

それを物陰から見ている女性がいた。ヨルデだ。

「かっこいいぞジーグ………惚れ直した、大好きだ!」

後をつけながらいつ死ぬかひやひやしていたが時雨の成長ぶりに感動していた。

「さてジーグより先に帰らないとな、あれだけひどい目に会ったんだ。幸運も少しは戻っただろうし帰りは大丈夫だろう」

ずっと時雨を見守り何度手を出そうと思った事か。

「今度は女だ!ひんむいちまえ」

まだ居た黒爪の残党共はヨルデに襲いかかる。だがヨルデはピンと指を弾いた。空気が弾かれる。男達は秒で吹き飛んだ。

これが人間と神様の違いだ。圧倒的な差。

「だから夫婦の邪魔はしちゃいけないって言われたばかりだろう。あ、私がジーグの妻だって名乗ってなかった。まあいいか」

そんな事より時雨の愛と成長が嬉しいヨルデはさっさと王都中心部に向かう。

(せっかくだし面白い王様にだけ挨拶してから帰ろう)

鼻歌混じりにふわふわ気分で城に向かった。


真っ赤な夕暮れに散らばる瓦礫。

世界が赤く染まっている。夕陽のせいだけではない。人々が血を流し倒れている。おびただしい数の死体。

ひしゃげた車にひび割れた道路。倒れたビルに炎上する建物。その向こうには同じく破壊され燃え上がるフッカーヤ王国の王都。

その中心に一人の女性が跪いていた。左腕には焼け焦げた子供の亡骸を抱えている。

「こんな、こんなはずじゃ無かったのに!こんな小さな子供まで巻き込んで!」

無念からか右手の拳を何度も地面に叩き付ける。

それを青年が止めた。

「………………のせいじゃないよ」

女性は首を振る。

「あたしが間違ってたんだ!あたしのせいだ!あたしの思い上がりだったんだ!こんな……こんな世界ーーー!」


「うへあ!はあはあはあはあ………」

昼寝していたアイカは飛び起きた。身体中から汗が滲んでいる。

(吐き気がひどい)

城の食堂に向かい水を飲む。そして城の屋上へ向かった。

「良かった、いつも通りだ」

街はいつも通りの夕暮れ時の賑わいを見せている。燃えてなどいない。

(何だったんだろう。世界は混ざってたしあんな世界私は知らない、でも嫌な感じは確かにした)

赤く染まる世界。いつもは夢など記憶に残らないのにやけに鮮明に脳裏に焼き付いている。

(それにあれは)

女性を止めた青年、どことなく見覚えがある。だが考えれば考える程頭が痛む。

『どうした獅子王』

後ろから声が響く。グレンデルだ。銀の鱗が夕陽に輝いている。

「ん、ちょっと変な夢を見ただけ」

適当に笑って誤魔化す。

(そう言えばこの竜もチビスケと同じ神域の存在なのよね)

アイカはグレンデルに聞いてみた。

「ねえ、アンタからから見て私ってどう映る?」

『黒いのに聞けばよかろう』

黒いのとはチビスケの事だ。

「今貸し出し中」

あの後ローレンに振られたマーニは懺悔室で言われた通りに城内一の癒し系、チビスケに泣きながら話し愚痴をこぼしてそのまま寝てしまった。落ち着くまでしばらく放っておくことにした。

「それに私を知らないアンタから聞きたい」

グレンデルはめんどくさそうに答える。チビスケと違いグレンデルはマロワやジュリア以外にはあまり愛想がない。

『小さき国の小さき王だな』

ぶっきらぼうに答えた。だが続ける。

『と、言いたいところだが我があるじとは違った強さを感じる』

グレンデルは右腕を振り上げ銀に輝く爪をアイカに振り下ろす。

「ちょ、急に何を!」

アイカは思わずグレンデルの爪を蹴りあげた。爪は折れそのまま屋上から地面に落ちた。

『すまぬ試した。我があるじなら神気を纏い受け止める。普通ならそうでなくては受け止める事すら出来ぬだろう。だがお前はそれすらせず我の爪を折った。はっきり言おう。我にすら分からぬが普通では無いことは確かだ。強さの質が根本から違う』

何となくアイカは気付いていた。チビスケはアイカが不安にならないようにはぐらかしていたが。

「そっか、普通じゃないかー」

アイカは少し考えた。そして問う。

「化け物なのかな………」

銀の竜は答える。

『不安になるのは分かる。だがこの世界にはあの黒いののように話す犬もいるし我のように話す竜もいる、神だって悪魔だっている。何が居てもおかしくない。固定の概念にとらわれてはいけない。お前はお前、それで良いではないか』

「うーん、そっかー私は私か。気を使ってくれたのかな?ありがとうペヨングル」

『グレンデルだ』

「ごめん、普通に間違えた。ありがとう話聞いてくれて」

アイカは城内に戻る。

気が付けば日はくれて夜になっている。

残された銀の竜は月を見上げる。

『エメル神よ、貴女なら何か知っているのか』

一人つぶやいた。


青い空間にちゃぶ台と敷き布団。

エメルは布団の上でごろごろしていた。手にはタブレットPC。当然銀の竜の問いかけなど聴いていない。

「むう、この常に全裸の女神、我に似てないか?」

遊んでいるゲームは変態コレクション。略して変コレ。何故か神々の間で流行っているろくでもないゲームである。

「我はパンツ履いてるし他人の空似じゃな」

むしろパンツしか履いていない。バリボリお煎餅をかじる。

「ところでお主、どこかで会った気がするんじゃが」

背後にエメルのパンツを脱がそうとしている男がいた。ボサボサの長い黒髪に筋肉質の体。やや白髪混じりだ。顔も悪くは無いがボロボロの服を着ておりくたびれた印象を受ける。年齢も詳しくは分からないがおっさんと言われてもおかしくない風貌だ。不審者と言われても仕方ない。しかもすでに下半身丸出しになっている。かなりたくましい下半身だ。

「女神を勝手に抱こうとかとんだ無礼者じゃな、まあワシ美人だし欲情するのも分かるが」

「ああ、久しぶりに見るが美人なのは確かだ。溜まりすぎてうっかり入れたくなった。我慢出来なかった。すまない」

悪びれた様子もなく言う。

「何者じゃ?我の許可無しにここに来れるとはお主、ただの変態ではないな?どこかで会った気もするが」

「こっちの世界の僕と会ったんだろ?僕は本来ならこの世界に存在してはいけないと言う自覚もあるが他に飛べる場所が無かったのでね。あなたの気配を便りに飛んで来た。他の気配を辿っても良いのだが会ったら殺されそうだからやめた」

男はエメル、もしくはスカーシャしか操れないはずの真域端末を開く。青い空間に映像と文字が流れ始める。

「そうか、こっち僕は違う道を選んだようだな。ちゃっかり子供まで作るとはなかなかやるな。やはり僕だ、しかしまだ若いのになかなか強そうじゃないか。そこは僕とは違うようだ」

「お主、まさかあの青年なのか?いや、あやつが自らここに来れるはずはない。年齢も違う!本当に何者じゃ?悪い気配は無いがそれを見れるのは天秤の三柱を持つもののみぞ?」

空間、次元、そして時間。エメルとスカーシャで一つ半ずつ持っている。だが

「これが見えるか?」

男は歪んだ小さな柱時計のような天秤を取り出した。

「な、それは………天秤じゃと?小さく砕けているが間違いない!何故持っている!まさかスカーシャを殺したのか?」

男は首を振る。

「これは終わった世界の残りカス。だが僕を繋ぎ止める大事な物だ。だがこれさえあればいずれ空間も次元もやがて生まれる。そうだろう?」

エメルは息を飲む。その通りで時間さえ進めばいつかは空間や次元は生まれる。だがエメルの管理している二つの世界以外からの来訪者は初めてだ。エメルは小さく壊れた時間の柱におそるおそる触れた。

「!」

頭に浮かぶのは一面の赤。

「なんじゃこれは!こんな世界知らぬ」

「こちらではではあなたが終わる寸前に何回も巻き戻してるのだろう?。こんな世界は知らなくて当然だ」

「むう、壊れているとは言えやはり天秤を持つ者。分かってしまうか。しかしお主の世界は何故ワシがおらんのじゃ?」

「僕の世界ではあなたは神の座を譲ったんだ。気に入らないからやり直しなんて我が儘だと言われ自ら降りた。代わりに彼女が神になり世界を救うために頑張って頑張って頑張り続けて擦りきれて疲れてしまったんだ。そして感情に身を任せて救い様の無い世界を終わらせようとした。僕は彼女からこの天秤の欠片を奪い世界を繋げた。まさか彼女が世界その物になってしまうとは思わなかったが彼女を見ている事しか出来なかった僕に出来ることは再び動き出す世界でせめて彼女がもう間違えぬように彼女の隣に居ることだけなんだ」

エメルは少し考えてから頷く。

「そうか、ワシの手から離れ一度滅びたのか………どうりでワシにも観測出来んはずじゃ。確かに繰り返しはワシの我が儘じゃ。始まりと終わりは表裏一体。そう言われればワシも我が儘は言えん。納得じゃ。ところでいつになったら下半身しまうのじゃ?」

男は相変わらず丸出し状態だ。

「よっこらせ」

男はエメルの背後に回り込むとパンツ越しに股間を押しつけた。

「実はこの世界、あなたが女神を続けてるこの世界に希望の種を撒いた。うん、文字通り種を撒いた。彼女が暴走しないように。今のところは上手くいってるようだ。それはそれとして僕もかなりご無沙汰でね。収まりそうに無いんだ」

エメルの慎ましやかな胸を揉む。

「おい、バカ!やめい!お主には想いびとがおるのじゃろう。浮気じゃないのか?あっ」

思わず声が出てしまう。

「こっちの世界じゃ僕は存在しないはずの死人のようなものだ、カウントに入らない」

「どういう理屈じゃ!」

……………………

数時間後、男はすべてをエメルに吐き出すとやることがあると言って去って行った。なんだかんだエメルもかなりご無沙汰だったので何回もしてしまった

ぐったりしているエメルは呟いた。

「うぐう、受け入れてしもうた。やはり元々は同一の存在、超英雄級………いや、神すら凌ぐ。まったくさっぱり避妊しないとは無責任なヤツじゃ、女神だって普通に妊娠するんじゃからな………出来ちゃったらどうするんじゃ」

エメルは下半身とお腹を撫でながら精根果てて眠りについた。


アイカはチビスケの寝床に来た。

マーニがチビスケに寄り添い寝ている。

「チビスケさんや、今度はわからないじゃ済まさないから」

アイカはチビスケの前で仁王立ちだ。

『………あの銀トカゲ、余計な事を』

チビスケはため息をついた。耳が良いので当然聞こえていた。

「お姉ちゃんの力についてだよね。わからないって言うのは本当なんだ。初めて見るし」

「結局のところ神気って何なの?謎の便利パワーくらいにしか思ってなかったけど」

アイカはチビスケの鼻筋を撫でる。

『無から有を生み出す神様と同じ力。例えばマロワさんやジュリアさんは武器や鎧に宿すよね。そうすると本来の材質に関係なく斬れたり防げたりするけどずっとは使えない。体がもたない』

「分かりやすいわね」

アイカは頷く。チビスケはマーニに視線を向ける。

『このお姉さんは瞳に宿してる。神気を使う事で人の思考を読むなんてあり得ない能力を生み出す』

「ずっと隠してたみたいだけどね。チビスケは気付いてた?」

『全然。生まれつきでもずっと使ってると人間の体じゃもたないからね。やっぱり必要な時だけ使うみたい』

「そっか。やっぱり副作用があるんだ」

『うん、でも人間の体もそれに対抗するために肉体の衰えを抑えたりする。マロワさんが年齢より若いのはそのせいだと思う。なるべく全盛期の肉体を保とうとする。寿命が伸びる訳じゃ無いし完全には無理だけど』

アイカはすやすや眠るマーニを見る。ジュリアやマーニは今が全盛期の肉体だからそんなに変わらないのだろう。

『魔神さんは神様だから当然問題なく使える。魔王さんやレイエンダさんも素質はあると思う。出来れば普通の魔術を使ったほうが良いけどね。神様じゃないのに神気を使いすぎるといつか肉体が崩壊する可能性があるから』

「じゃあ私も?副作用で崩壊しちゃうの?」

『………お姉ちゃん、落ち着いて聞いてね』

アイカは息を飲む。もしや強大な力を使いすぎて気付かないうちにすでに崩壊が始まっている可能性がある。

『お姉ちゃん今28だよね』

アイカはチビスケの鼻をつまんだ。

「26よ!同じアラサーだけど勝手に増やすな」

『ごめん、間違えた。お姉ちゃんは26なんだけど………』

「うん、26才超絶美人未亡人ね」

『そう、超絶美人未亡人さん。それで再会した時、つまり1年と3ヶ月前より若返ってるの。多分二十歳前後の肉体。これは僕も初めてだからわからないんだよ』

アイカは気付いていた。どういうわけか神気を初めて使った時から肌艶は良くなるし身体の動きは軽くなるし不思議だった。血染めの獅子時代に戻ったように感じていた。

『細胞がどんどん若返ってる。崩壊するどころかすぐに再生されてる。老化が遅くなったりする人は見てきたけど若返る人は初めて見るんだ』

「うん、やっぱりそうなんだ。そんな気は自分でもしてた。チビスケに言われたら間違いないよね。あはは、どこまで若返るんだろうね………」

アイカは乾いた笑みを浮かべる。

「そう言えばさっきグレンデルの爪、神気無しの蹴りで折ったんだけど」

『うえっ?』

チビスケは驚いた。名のある業物なら神気無しでも爪くらい斬れるかも知れないが蹴って折れる程神域の存在は脆くない。

「やっぱりさ、私、普通じゃ無いのかな………」

アイカはうつむきながら呟く。そしてチビスケに寄り添いながら寝ているマーニの横に並ぶように座りため息をついた。

『お姉ちゃんがお姉ちゃんであることに変わりは無いんだから別に良いんじゃないかな』

チビスケはあわててフォローする。

普通じゃ無いはショックが大きいだろうと考えたからだ。

だがアイカは首を振る。

「いやね?普通じゃ無いとかは良いの別に、たいして気にしてない。大事なのは私ね、ぶっちゃけこの世界のヒロインなんじゃないかなってずっと思ってたの」

『……………』

チビスケはアイカが何を行っているのかわからない。

「確かに子供はいるよ?でもさ、私って美人だしこの世界でそのうち私のピンチを救う人が現れて恋とかして愛とかに発展するんじゃないかな~とかちょっと期待してた訳よ」

『……………はい』

一応その候補は居たが違う女性と結ばれてもうすぐ父親になる。

「ところがどっこい!出てくるのはおじーちゃん先生を除けば変なおっさんとか変態オヤジとか腐れ外道とかそんなんばかりな訳よ!ろくなんいない!」

アイカは立ち上がり力説し始める。

「しかもだいたい自分で片付けちゃうからそもそもピンチにならないの!何よ国王代理って、城は確かに美人揃いよ?可愛い系から人妻までそろっててハーレム状態よ!でも私も女だから意味無いじゃん!何よ神気って!そんな力いらんし訳分からんし!だいたいそんなん主人公属性じゃん!やっぱりもう帰って良いですかね?普通にただのちょっとヤンチャな美人過ぎて可愛すぎるお母さんに戻っちゃダメですかね?」

アイカはアイカなりにストレスがたまっていたようだ。

「だいたい獅子王って何よ!カッコいいけどどうせなら絶世の美人女王とかが良いわよ!百年くらいたったらどうせ獅子王なんて男として語り継がれるわ!」

『落ち着いて下さい』

チビスケがなだめるがアイカは止まらない。

「だいたい世界の終わりだかなんだか知らんけど何でもいいから来るならさっさとしろっての!そんなん私が蹴り飛ばしてやるわ!そしてさっさと帰って………ん?」

アイカは何かに気付いた。みるみる青ざめていく。

外をふよふよと飛ぶ白い何かが通りすぎた。

「あああああ!何でもは良くないです、ごめんなさいごめんなさい!幽霊だけはやめてください!」

アイカは幽霊だけは苦手である。

「チビスケ見た?」

『うん、強い力を感じた。それに一人なのに二つの魂が見えた気がする。お姉ちゃんがうるさくてよく分からなかったけど』

アイカはマーニを揺さぶり起こした。

「コラ神官長!寝てる場合じゃない!出番よ、アンタあーゆーの相手の本職でしょうが」

「ふえ?ローレン様離婚したのですか?では私と結婚………」

どんな夢を見ていたのか知らないがマーニは寝惚けている。

『悪い感じはしなかったけど』

「良い悪霊だって居るかもしれないじゃん」

チビスケは良い悪霊って何だろうと思ったが今のアイカには何を言っても無駄だろうと諦めた。

「はあ………もうこんな時間ですか。寝過ぎてしまいました。本当に神狼様の傍は落ち着きますね」

マーニはあくびをしながら立ち上がる。

「よし、起きたなマーニちゃん。早速仕事だ!」

「晩御飯で呼びに来たのじゃないのですか?」

マーニはなんの事か分からないがとりあえず青ざめているアイカの話を聞くのであった。


時雨は王都で買い物を済ませ洞穴に帰る途中であった。

行きは散々災厄に見舞われたせいか帰りはわりと順調である。

「買い忘れは無いよな。ヨルデが待ってるだろうし早く帰らなきゃな。心配かけちゃいけないよな」

ついでにヨルデにプレゼントも買った。

(ブロンデル商会か、獅子王ルックとか言う服を扱ってたけど何か元の世界と同じような服売ってたんだよな。まあ動きやすそうな服だし大丈夫だよな。きっとヨルデに似合う)

普通なら午前中に帰れる行程だが時雨の場合常に死がお隣さんなので夜になってしまった。

「ヨルデ、それがお前の選んだ女の名前か?」

不意に声がした。

時雨は買い物してきた荷物を降ろすと剣を構えた。

「まあ待て、僕はお前の敵では無い」

「ならヨルデに何か用か?」

胡散臭いボサボサ頭の痩身のおっさんが時雨の進路を阻む。

「いや、まったく知らない。君は君だ、誰を選ぼうと勝手だ。小石川時雨」

「!」

時雨はたじろく。

この世界に来てから自分の本当の名前は名乗っていない。女神であるヨルデは時雨の本名を知っているがその他はアイカくらいし知らないはずの名前。

「獅童アイカと結ばれなかった世界線、僕とは違う時間軸。その世界線の小石川時雨を見てみたかっただけだ」

時雨にはこの男が何を言っているのか分からない。グングニル剣も反応していないから神である訳でもない。なのに自分の名前に憧れの存在。色々と知りすぎている。気味が悪い。

「なんなんだよお前は!」

時雨は斬りかかる。

「まったく、敵では無いと言っているだろう。まあ悪くは無い。僕もお前くらいの年の時に鍛えていればと後悔している」

振り下ろされた剣は男に右の拳で止められた。ヨルデ特製の斬れちゃう鞘を人差し指と中指で挟み掴んでいる。少し血が滲む程度で受け止めている。

「だがそれでは、それだけでは足りない」

「ゲフォ」

見えなかった。見えない速さで時雨のみぞおちに左手がめり込む。さらに強烈な蹴りが頭部を襲う。徒手空拳で戦うタイプのようだ。さらに何度も殴り蹴られる。

「まだまだ弱いな。やはりしょせんは小石川時雨か。それでは誰も救えないし守れない。僕と変わらず何も出来ずただ見ているだけで終わる運命。世界との契約すら果たされない………」

男はため息をつきながら時雨を蹴り飛ばす。

蹴られ転がりながら時雨は思い出す。世界との契約。おそらくアイカを救う英雄になると言う願い。

「そう………世界との契約を果たせず産まれたのが僕と言う終わったはずの世界の矛盾」

「何が言いたい!分かるように言えよ」

「次元も空間も消えた世界ですら僕は残された。いや、僕と言う概念だけは残っていた。この身体に戻るまでにどれだけの時間がかかったのかすら分からない。ずっと彷徨い続けた。存在しないはずの存在と言う矛盾を抱えながら」

「何の話だよ!」

「それでも僕はいずれ目覚める彼女の隣に居たい。今度こそ救いたい。この願いだけは消えないし変えられない。きっとその願いだけが僕を繋ぎ止めたのだろう」

時雨はこの良く分からない男にシンパシーを感じた。ヨルデが居るがアイカを救う願いは別だ。アイカにはきちんと元の世界で幸せになって欲しい。もちろん娘の紫苑も含めて。紫苑の父親は亡くなっているがアイカならまたいい人を見付けて今度こそ幸せな家庭を築くだろう。

時雨は起き上がると血の混じった唾を吐きすてた。

「!」

ふと急に何故か紫苑の父親、アイカの亡くなった夫を思い出そうとして頭に激痛が走った。そうだ何故気付かなかった。何故アイカ本人を含めて父親の存在を忘れている?アイカは思い出そうとするともやがかかったようになると言っていた。しかしアイカ程の女性が愛した男を忘れるだろうか。答えは否だ。いや、何故それを考える事すらしなかった?まるで存在していなかった様ではないか。しかし紫苑と言う結果は出ている。過程が抜けている。誰と結婚して誰の子を成したか。肝心な部分が抜けている。

「存在しないはずの世界の存在………そういうことか………存在していないなら記憶に残るはずもない」

時雨は再び剣で斬りかかる。またもや拳で受け止められる。だがそれは計算のうちだ。あっさりと剣を手放し怒りを込めて顔面を殴り飛ばす。男は防ごうとしたがそれすら打ち抜いた。

「お前が何なのか分かった。終わった世界だか何だか知らねえけどお前も小石川時雨なんだろ!何のためにアイカ姉と結婚して妊娠までさせた!何で居なくなった!嫌いになったのか?」

時雨は気付いた。この男は自分とは違う道を選んだ小石川時雨だと言うことを。年齢も違うし何故この世界に居るのか知らないが確信した。そしてこの時雨の言う彼女とはアイカの事だろう。

男、終わった世界の時雨はニヤリと笑う。

「半分は正解だ。だが今はそれで良い。すべてを知る必要はない。君は君だ。羨ましい若さだ。まだまだ成長出来る。余計な事を知る必要はない。それにやはり君は僕とは違う。僕のようになるなよ。あくまでこの世界の小石川時雨は君だ。後悔はして欲しくないんだ」

そう告げると去ろうとする。

「待てよ、答えになってねえよ」

時雨はもう一人の自分を呼び止める。

「お前についてはあえて何も聞かない。そっちのアイカ姉に何があったのかは気にはなるけどそれも聞かない。終わった世界も別にいい。だが一つ答えろ」

「なんだ?」

「お前はアイカ姉を愛していたのか?本当に愛していたのか?」

「当たり前だ。無論僕の世界の彼女がいつ目覚めるか分からないし本来なら干渉してはいけない事だと言う自覚もあった。だがこっちの彼女を見たらどうしても我慢出来なかった。思わず声を掛けて、付き合い結婚までしてしまった。やはり僕はアイカ姉が居ないと駄目なんだ。だが所詮は終わった世界の亡霊のような俺を、あやふやな存在をこの世界は許さなかった」

「分かったもういい」

「すまないな」

「謝る相手が違うだろ」

「そうだな。だが今さら会えない」

「何でだよ」

「実は別の世界に存在を認めさせるにはどうすれば良いのか色々試したのだがその世界の神とまぐわう必要があるようだ。さっきまぐわって確信した」

「………つまりあの貧乳神と」

「やってきた」

時雨は頭が痛くなった。

「最低じゃねえか」

「他に手立てが無かった………と思う」

「もしアイカ姉が知ったら」

「間違いなく死ぬ、殺される。この世界では亡霊のような僕だが間違いなく痕跡すら残さずに消されるだろう」

「………お前分かってねえな!愛した男が生きてるって知ったら喜ぶに決まってるだろ。しかし知らない世界の亡霊じゃなあ………結局アイカ姉未亡人じゃん。はあ、もういいや。やっぱりお前は俺じゃねえや。だがせめて約束しろ。終わった世界だか何だか知らねえけどアイカ姉は居るんだろ?せめてそっちのアイカ姉だけは幸せにしろ」

時雨は拳を突き出した。

もう一人の時雨も拳を突き出し合わせる。

「分かった。約束しよう、必ず彼女を救うと、幸せにすると」

「俺も約束する。アイカ姉を………そう言えばこの世界に来てからまだ会ってもいないんだった」

「………違う女を選んだのは別に構わないが会わないのはさすがに酷くないか?言えた口じゃないが」

「いや、何だか会えそうで会えないんだよ不思議と。でも貧乳神エメルは叶わない願いは受理しないと聞いた。アイカ姉に何かしらあれば必ず会えるはずだと信じてる」

「信じる………そうか、僕はそれすら出来なかったんだな。もしも僕がアイカ姉を信じ共に世界を支えていたら。いや、たらればは言っても仕方ない。もう起きた事は変えられないし変えちゃいけないんだ」

もう一人の時雨は拳を握りしめる。

「浮気した事実も変えられない」

もう一人の時雨は目をそらしあえてスルーした。

「そうだ、まだアイカ姉は存在しているんだ。今度こそ掴んで見せる。でなければ僕の存在する意味がない」

時雨はもう一人の時雨に買ってきた荷物から乾燥肉いくつかを渡した。

「食えよ。見た感じちゃんと食ってねえな」

「忠告しに来たつもりが施しまで受けるとはな。君は本当に僕とは違う小石川時雨なんだな」

「ただ毎日必死に生きてるだけさ。じゃあ俺は行くぜ」

時雨はヨルデの待つ洞穴に向かって歩き出した。

もう一人の時雨はそれを見送りながら乾燥肉をかじった。

「うまいな。しかしあの時雨なら大丈夫だろう。どうか僕とは違う結末を見せてくれ」

突如地面からサンドワームが飛び出してくる。だがもう一人の時雨は咄嗟に飛び退きサンドワームに掌底を入れる。

「もうお前ら程度ではあの時雨の敵ではない」

倒れるサンドワームにさらに蹴りで追い討ちをかける。

「僕もまけていられないな。一応この世界には楔を打ったつもりだが。やれるだけやってみるとしよう」

そう言うともう一人の時雨は荒野の闇に溶けるように消えた。


第三章~地下迷宮の幽霊?~


安全靴にヘルメット、手にはチビスケが渡してくれた松明を持ったアイカがへっぴり腰で地下通路を歩いていた。

チビスケの毛を使った特製松明は消えないし明るい。かなり広範囲を照らしている。さすが神狼。

「何で私も行くの?マーニちゃん一人でよくない?」

「いえいえ、この際ですからアイラ様にも教えておこうかと、ここは緊急時の町の外への脱出路なんです」

「………いやいや、私逃げませんし必要無いです、帰ります」

あの後、アイカとマーニとチビスケは白いふよふよの後を追うと旧王城後の抉れた大地に残された瓦礫の下に穴が開いているのを見付けた。マーニ曰く

「ああ、ここはもともと王家の墓があったあたりですね。誰かさんが城ごと吹き飛ばしたせいで歴代の王家の方々が怒りで幽霊となり出てきてしまったのかも知れません」

アイカは回れ右して帰ろうとした。

「冗談ですよ。あくまでここは隠し通路を隠す墓石だけの偽物なので。本物は教会にありますから大丈夫ですよ」

マーニは笑顔でアイカを掴み穴に引きずり込んだ。チビスケは入れないサイズなのでお留守番になった。

「こうなったらさっさと適当に終わらせよう」

アイカはズカズカ進みだした。震えてるけど。

「あ、アイラ様。慎重に進まないと」

突如壁から刃物が飛んできた。

「痛っ」

脇腹に刺さった。

「追手が来ないようにところどころにトラップがありますから気を付けて下さいね」

「先に言ってよ!」

アイカは刃物を引き抜いた。血が流れる。

「それ、致死性の毒も塗ってあるので今治療しますね」

マーニが解毒と回復の魔術を使おうと術式を展開するがアイカはそれを止めた。

「マーニちゃんは悪霊と戦うまで魔力温存しといて」

そういうとアイカは松明を傷口に差し込む。

「んぐぎぎぎぎ、出産の痛みに比べればこれくらいなんてことない!はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、止血と消毒完了!」

マーニは驚きと言うより呆れた。

(もはや強い弱いとかでは無い気がしてきました)

それでもこっそり念のため解毒の魔術だけはかけておいた。

「マーニちゃん先に歩いて」

アイカはマーニの後ろにピッタリくっついて歩き出す。

「最初からそうしてください。適当はダメです」

マーニは脱出経路をしっかり記憶しているので比較的スムーズに進む。たまにアイカがうっかり余計な物をさわって地面から槍が生えたり矢が飛んできたりしたがアイカは直感、マーニは元暗殺者の技能でかわす。

途中で広間に出た。行き止まりだ。

「何ここ?」

「はい、ここでは魔術を使ったちょっとした仕掛けがありまして中央に石像があるんですが」

「あ、これね、何だこの偉そうなじーさんの石像」

アイカはとりあえず叩いてみた。

「だから何でそう適当にさわるんですか!」

石像の目が光り出した。

『汝、我が名を答えよ。さらば道が与えられん』

「は?知らないわよ、誰よアンタ!変な石像じじい」

「アイラ様!だから適当に答えないで下さい!」

石像は巨大化し広間に両手を広げる。

『侵入者は排除する』

「うるさい、こっちはいそいでんの!こんな不気味な地下道さっさと出たいんだから」

アイカは巨大化した石像の胴体に蹴りをかました。一撃必殺。バラバラに砕け散る。すると偉そうなじーさんの立体映像が浮かび上がる。

「あああああ幽霊だ!すいませんごめんなさい悪気は無かったんです!マーニちゃん出番出番」

「はあ、ネーギーシャキシャキうんたらかんたらほにゃららへもへもへっちょりんこフッカーヤ初代国王様ですね」

立体映像は頷くと消えた。不思議なことに粉砕した石像も元に戻る。まるで手品のようだとアイカは思った。

「幽霊じゃなくて魔術を応用した装置ですよ。初代国王様の名前を答えると扉が開くんです」

「あ、そう………名前長くない?」

「最初に初代国王と答えれば別に大丈夫ですよ?間違えたり壊したりすると正式名称を答える事になります」

(覚えなくていいや、ここ私の石像にして答えも超絶美人国王代理獅子王アイラにしちゃお)

アイカは密かに企んだ。

ゴゴゴと部屋全体が揺れる。

「何?地震?」

「いいえ、奥への入り口が開かれる音です」

揺れが収まると………特に何も変わらなかった。

マーニは部屋の奥に進むと広間の一角に向かう。

「はい、ここから奥へ進めます」

ドアノブがちょこんと出ていた。

(これだけ?え、ここの設計したやつバカなのかな)

カチャリと軽快な音を立てドアノブを捻り押す。一見石の壁の一部に見えるドアが開くと水流が見えた。

「おお、地下水路か」

「いえ、自然の地下水脈ですね。ここから海まで一直線ですよ」

なかなか流れが激しい。川下りしたら楽しそうだが暗いので少し怖いなとアイカは思った。幽霊が出そうで。

「アイカ様の言う悪霊さんには出会えませんでしたね」

「うーん確かに見たんだけどなあ。チビスケも不思議な感じがしたって言ってたし」

アイカは足元を見る。何か液体が垂れていた。

「マーニちゃん漏らした?我慢してるならそこらでしてきなよ」

「漏らしてません!しかしこの液体は何でしょう?」

「何か見たことあるようなないような」

アイカは水脈を松明で照らした。ほとりに歩ける場所があり液体が間隔をを開けて垂れていた。

「悪霊さんの跡では無いですよね」

「うーん、わざわざ痕跡残さないよね。もしかしたら罠かも知れないけど」

「もう少し進むと脱出用の船着き場があります。たまには船の様子も見たいですし行ってみますか?」

アイカはしゃがみながら何やら真剣に水脈を覗いていた。

(ここもトーネ川と繋がってるのかな、ほんの少し嫌な感じがする。気のせいかも知れないけど)

「どうかしましたか?」

「ん?何でもない」

突如電子合成音と

『アホ毛むしり虫~』

と歌が流れた。

「ひゃあ!」

「え?」

アイカもマーニも驚いた。

「あぶない!」

水脈に落ちそうになるマーニの手をアイカが掴み抱き寄せた。

(………やはり、人の温もりは良いものですね)

マーニはアイカの体温を感じ安心している自分に気付いた。

『アホ毛むしり虫~♪アホ毛大好きむっしりたい~♪』

変な歌はまだ流れ続けてる。

アイカはジーンズのポケットを漁った。

「ごめん、私のスマホの着信音だった。何かうちの娘がやたらハマってる幼児向けアニメの歌なの」

(すまほ?あにめ?初めて聞きます。アイラ様の世界の科学とか言うものでしょうか?)

マーニはアイカの取り出したスマホをまじまじと見る。この小さく薄い板で何が出来るのだろうと思った。

通話は出来ないがアイカは保存されている娘の写真や動画を見るのに使っている。充電はチビスケが魔術でしてくれる。

「一応持ち歩いてるけどこの世界じゃ使えないはずなのに」

アイカは画面を見るが何やら文字化けしている。

「あ、悪霊からかな………」

恐る恐る通話ボタンを押す。

『あ、ワシじゃけど』

能天気な女性の声が響いた。

『あれ?通じてないのかな、おーいワシじゃよワシ!ワシワシ、シワシワじゃないのじゃ』

聞き覚えがある。アイカは頭に銀髪全裸の女神を思い浮かべる。

「どこのワシだよ!ワシワシ詐欺か!」

『おお!お主か!久しぶりじゃの。何でお主に繋がっとるんじゃろ?もしかして近くに教会の姉ちゃんおる?』

(そう言えばマーニちゃんは神託って大層な呼び方してたけどあのアホ女神の声が聴こえるんだっけ)

どうやらエメルはマーニに念を飛ばしたようだがアイカのスマホが何故か念を拾ったようだ。

「居るけど今忙しいから後にして」

アイカは通話終了ボタンを押そうとした。

ずっと片手で抱き締められたままのマーニがアイカの手からスマホを抜き取る。

「ええとこれに向かって話せば良いのですか?」

「上下逆かな?こっちを耳に当ててごらん?」

マーニはぎこちなくスマホを耳に当てた。

『あ、ワシじゃけど聞こえとるかのう?』

「!エメル様!もしかしてこちらの声も届いているのですか?」

神託はいつも大体マーニの夢の中で一方通行なので初めてエメルと話すことになる。マーニは感涙している。

(あのアホ女神、そんなに凄いのか?嬉しいか?あれと話せて)

アイカはすでにエメルを殴ったりしたのでへっぽこなイメージしか持っていないし異世界に引きずり込むしむしろただの迷惑極まりない全裸の変態だと思っている。

『聞こえておるよ~。いつも祈ってくれてありがとうなのじゃ』

「もったいないお言葉。今日は何のご用ですか?」

『おお、お主らに警告しておこうと思ってな』

アイカはスマホをスピーカーモードに切り替えた。

「あれね!ついに世界の危機の原因が来るのね!待ってました!いや~これで帰れる目処が立つわ」

『全然違う。いや、全世界の女性の危機かも知れぬ。おそろしい凶器をぶら下げた男が現れた。お主らの所にも現れるかも知れぬし一応伝えてやろうと思ってな』

アイカとマーニは顔を見合わせる。何の話か分からない。

「それ、悪いヤツなの?」

「悪いと言うかなんと言うか。このワシですら39連戦はきつかった」

エメルは一応最高位の女神だ。

(何よそれ、めちゃくちゃ強いじゃない)

アイカは武者震いした。今のアイカが全力を出して戦える相手はなかなか居ない。

(あ、だから私は何で戦闘民族みたいな考えしちゃうのよ)

自戒する。

「その、おそろしい凶器とは何なのでしょうか?」

『うむ、とにかく耐久性が凄い。そして太く大きく力強く黒光りしてまるでグングニルのようじゃ』

「グングニルって何?」

「どこかの神話に出てくる主神が持つ他の者の魔力や神気を吸いとると言われる槍ですね」

「それはちょっと厄介ね、まあ普通に蹴飛ばせばいいか」

アイカは別に神気が無くても戦えるので気にしない。

『そして………その、気持ちよかった………途中からあまり記憶ないのじゃ。ワシ、そのうち産休を取るかもしれぬ』

「ちょっと待て、何の話だ」

アイカは嫌な予感がしたのでマーニの耳をふさいだ。

『だからな下半身が………』

エメルはとある男に強引に迫られ抗えず39回致してしまった事を赤裸々に話した。聞いてもいないのにわざわざ一回一回の内容まで詳しく聞かされた。とてもじゃないが経験のないマーニには刺激が強すぎるだろう。

「………バーカ」

そう告げるとアイカは電話を切った。

「マーニちゃん。王国全域に不審者情報出しといて。エメルのアホはどうでも良いけど女の敵が現れる可能性があるわ」

マーニは不思議そうな顔をしているがまあ未経験者に詳しく話しても伝わらないだろう。

アイカはエメルから聞いた人相や服装をマーニに伝えた。

「で、このかたは何が危険なんですか?」

「強いて言うなら変態、見つけ次第去勢ね」

「はあ、よく分かりませんが分かりました」

マーニは曖昧な返事をする

「さて、下流に向かいましょ。何もなければそれで良し。悪霊が居たらマーニちゃんがやっつければ良し」

アイカとマーニは水脈沿いを歩き出す。垂れている液体は川下に向かっている。

「お?」

液体に赤いものが混じっている。

「血、ですかね………」

「よし帰ろう」

アイカはまわれ右した。怖いので。

「アイラ様、霊体なら物理的な血は流れませんよ?」

「………そういうもん?」

「普通の霊ならそうですね」

「じゃあこの液体は少なくとも肉体を持つ何かが垂らしたわけね!さあ、さっさと行くわよ!」

今度はずんずん進み出した。

液体の垂れている頻度が増えている気がした。

「うう………」

突如うめき声が聞こえた。

少し先に白い服の女性がうずくまっている。

「あの娘………よく会いに来る強そうな美人ちゃんじゃない!確かなんとかヨルデちゃん」

「悪霊じゃなくて良かったですね」

アイカは駆け寄る。

「ちょっと、大丈夫?」

うずくまっている娘、ヨルデは顔を向ける。

「あれ?おもしろい王様、何でここに?」

「アンタこそ何でこんなところに」

「ここ通ると私の家とお城が近いんだ、いたた」

再びヨルデはうずくまる。

「なんだかお腹がすごく痛いんだ」

「拾い食いでもした?私は昔お腹空いた時にそこらに生えてた知らない草食べたらすんごくポンポンペインになったけど」

「そんなことは………したことあるかも知れないが最近はしていない。結婚してからは一度も無い………と思う」

アイカはうずくまるヨルデの足元を見る。

「これ、まさか!破水してる?妊娠してるようには見えないけど。マーニちゃん!教会って出産も出来たわよね?」

一人なのに2つの魂を感じたとチビスケが言っていたのを思い出した。

(そう言うことだったのか)

アイカは納得した。

「はい!でもここから教会に向かっても間に合いません」

「そこを飛び越えれば私の家だ。一見ただの壁だが結界でそう見せているだけだ」

ヨルデは脂汗をかきながら水脈の反対側を指差した。もはや息遣いも荒い。

「ちょっと我慢してね」

アイカはヨルデを抱えた。

「超絶美人キック!」

アイカはためらうことすらなく抱えたまま飛び蹴りをして水脈を渡る。凄まじい脚力だ。

結界すら蹴り破りそれなりに広い空間が広がる。台所らしきものがあり生活感が漂う。

マーニも音もなく水脈を飛び越えてきた。

「何だこの家と言うか洞窟!何か快適そう」

「そっちに寝室がある」

ヨルデの指示通りに進むと布団が敷いてあった。とりあえずヨルデを降ろし寝かせる。

「私はお湯とか色々探して準備するからマーニちゃんよろしく」

アイカは出産経験はあるがあくまで産んだ側だ。ましてやここは病院ではない。その点マーニは教会で何度も出産に立ち会っているはずである。

だがマーニは青ざめて震えていた。

「マーニちゃん!」

「すいません、私には出来ません」

マーニは硬直している。

「なんでよ!」

アイカの問いにマーニは自分の手を見つめながら答える。

「私の手は何人も人を殺めた汚れた手。無垢なる命には触れられません。手順は分かりますが他の神官に任せていました」

「分かるならやってよ!」

アイカが怒鳴る。だがマーニは首を降る。

「やはり出来ません!私には………私の汚れた手では無垢なる命を触れるなんて許されません」

青ざめて震えている。

(ダメ、無理。手がまるで汚泥に包まれたように動かない)

マーニはもう一度自分の手を見る。

どす黒い血に染まって見えめまいすら感じる。心臓は早鐘のように鼓動を刻み息苦しくなってきた。

だがアイカがマーニの頬を平手打ちした。アイカに平手打ちされるのは二度目だ。

「あ」

「いい加減しっかりしなさい!目を醒ましてマーニ·マリアライト!許す許さないなんて誰が決めたのよ!名も無き少女はたくさん人を殺めたかも知れない、でもマーニ·マリアライトはそんなことはしてないでしょう。このままじゃお腹の子はもちろんこの娘すら危険なの。今この場でこの娘を救えるのはあなただけなの!それともこのまま見殺しにするの?」

マーニは早急な決断を迫られる。だが葛藤してしまう。

ヨルデは呼吸も乱れ大量に汗もかき苦しそうだ。このままでは母子共に危険なのは目に見えている。

(救える命を見殺しするのは殺人と同じ、ならば私は)

答えは出た。

「マーニ·マリアライト。やらせていただきます!」

(何故でしょうか、アイラ様が居ると側に居ると落ち着きます。自信も湧いてくる。やはりこの方は何かを持っている、おそらく一国の王で収まる器ではありません………いえ、今考えるのはそれではなく目の前に集中しなくては)

マーニはヨルデの下半身を覗き確かめる。

「アイラ様は準備をお願いします」

「よしきた!」

「落ち着いて、呼吸を整えてください。大丈夫です。私が、マーニ·マリアライトが必ず成功させて見せます。合図をしたら力を入れてください」

「わかった。よろしく頼む」

とりあえず大丈夫そうなのでアイカは準備のために走り出そうとする。だがすぐに赤ん坊の鳴き声が響いた。

「………産まれました」

「はやっ、3秒くらいじゃない!私だって出産は3分かかったのに、負けた」

何の勝ち負けだか分からない。

「私の知る限りでも最速記録です。いえ、3分だって聞いたことも見たこともありませんが。え~と、生えてないですね。元気な女の子です」

マーニはとりあえず近くにあった汚れていない掛け布団で赤ん坊を包んだ。そして精神的な疲れからか深く呼吸する。

「良かった、本当に良かった」

マーニは涙ぐんでいる。

「何と美しく純粋な生命………」

「………助かった。ありがとう神官様。それにおもしろい王様も」

ヨルデは息を整えると礼を言う。そして疲れと安堵からか気を失うように寝息をたて始めた。

アイカはマーニの頭を撫でた。

「どう?今の気持ち」

「何故でしょう、とても、とても………言葉に出来ません」

マーニは涙を流す。アイカはマーニを後ろから抱きしめた。

「生命の誕生って不思議よね、私にもよく分からないけどきっとすごく尊い物だって言うのは分かる」

マーニは神気を使い赤ん坊の心を読む。だが伝わって来たのはとても澄んだ透明な物だけだった。

(何て美しい)

「さて、いつまでもこのままじゃ可哀想ね、何が必要かマーニちゃん分かるんでしょ。私がその子抱いてるから探してきて、子育て経験あるから大丈夫だから」

マーニはアイカに赤ん坊を預けると洞穴の中を探索しに行った。

アイカは抱えた赤ん坊を見つめる。赤ん坊も泣くことなくアイカを見つめ返す。

(はあ、可愛いわ。紫苑が産まれた時を思い出す)

アイカはより早く紫苑の元へ帰りたくなる。

マーニは洞穴を探索する途中で妙な組み合わせの二人組に遭遇した。

「誰だっぺおめえさんは」

天然パーマの頭を短く刈り上げた日焼けした肌に白い歯が光るなかなかたくましいおっさんと黒髪に深紅の鎧に白いスカートの気の強そうな美人がいた。

「騒がしいと思えば………まったく侵入者か」

「それどころじゃありません!ヨルデさんと言う方が出産なさいました!あなたがたはここの人ですか?新しい布や熱いお湯が必要なんです、手伝って頂けますか?」

おっさんと美人は顔を合わせる。

「産まれたっぺか!」

「私はヨルデの姉だ、もちろん手伝うぞ」

洞穴のどこに何があるか分かっている二人はさっさと準備して寝室に向かった。


一段落ついた。赤ん坊は布団から上半身を起こしたヨルデの腕のなかですやすや寝ている。

「これが私の子か、なんだか信じられない。夢のようだ」

周りにはアイカ、マーニにアサデと知らないおっさんがいた。

「いや~よかったっぺな無事に産まれて」

「………なんとなく聞き覚えがある声だな。グレッグ殿に似ている」

ヨルデが呟く。

「え?似てるもなんもオラがグレッグだべ。ヨルデちゃんボケちまったべか?」

ヨルデは今朝見送ってくれたモジャモジャ頭に無造作に髭を生やした野菜を抱えたおじさんを思い浮かべる。

「………」

「グレッグ殿は頭がボサボサモジャモジャ過ぎただろう?だから少し、いやかなり髪の毛を切って髭も剃った」

「なかなかのイケオジじゃないの」

アイカが口を挟む。

日焼けした肌にくっきりとした目鼻。なかなかの端整な顔立ちに輝く白い歯。あの毛玉のおじさんはどこに消えたのか………

「………まったく気付かなかった」

「うむ、私も途中までまったく気にならなかったのだが整えれば整える程男前になるではないか」

ふんふんとヨルデは頷く。

「そしたらだ。何故か私の胸が高鳴り始めて何とも言えない気分になって………気付いたら口づけをしていた」

「あ~オラもいきなりでびっくりしたっぺ」

「その、おめでたついでになるが私はグレッグ殿と結婚を前提にお付き合いする事になった。もちろん清い交際だ。お前のように色々すっ飛ばして妊娠とかではないぞ、ちゃんと段階を踏んでだな、まあ………その………いずれはそう言うことも………」

アサデは照れながらそっぽを向いた。

ヨルデは涙ぐみながらアサデとグレッグを祝福する

「グレッグ殿、姉をよろしく頼む。怒りっぽいし堅物だし酒乱だし他にもどうしようもなさすぎてこのままずっと独り身でおばあちゃんになるんじゃないかと思っていたんだ。何しろ383年も彼氏すら出来なかった処女こじらせた行き遅れだから」

「はっはっは、ヨルデよ。赤子がいなかったら思わず殴りそうになっていたぞ」

アサデはこめかみに血管が浮かんでいる。

だがそれを聞いていたマーニとアイカが何故か不機嫌になっていた。

「へー、好きになった殿方とすぐに結ばれるなんて羨ましい限りですね~本当に」

マーニは今日振られたばかりだ。

「はいはいおめでたいですね、どうせ私はこの物語のヒロインじゃありませんよーだ。まったく色恋沙汰なんぞなんにもありゃしない。いや、ちょっとヤンチャなものすごく可愛くて美人な未亡人ではあるけどね!娘いますから幸せですけどね!」

アイカはアイカで拗ねていた。

あまりにも冷たい対応にアサデとグレッグは悲しくなり黙ってしまった。

「そうか、王様子供居るのか。では母親の先輩だな。色々ご教授願いたいものだ」

ヨルデは頭を下げる。

「うおう、素直なよい子だ。よし!任せなさい。ところで旦那さんはどこに居るの?」

「そういえば数刻は過ぎましたががまったく見かけませんね」

アイカとマーニは不思議な顔をしている。

「ああ、私の夫は買い物に出掛けている。そろそろ帰ってくると思うのだがもしかしたら帰りにその辺で死んだかも知れない」

あっけらかんと言うヨルデにアイカは慌てる。

「いや、死んじゃダメでしょ。未亡人は私だけで良いわよ」

「未亡人?王様の旦那さんは亡くなったのか。それはさぞかし辛い思いをしたのだろう」

ヨルデは時雨の居ない世界を思い浮かべた。

「ダメだ、私には耐えられない。王様は心が強いのだな」

「いや、何かよく覚えてないの。それに子育てで精一杯だったしまだ学生だったし忙しくて振り返る暇がなかったの」

今度はヨルデが不思議な顔をした。

「思い出せない程辛かったのだろうか?だが私の夫は大丈夫だ。何しろ死んでも死んでもそのうち生き返るから」

「………その方は本当に人間なのでしょうか」

マーニは口を挟む。蘇生は神ですら禁忌とされ決して行えない行為である。

「間違いなく人間だ。だが世界との契約があるようだ」

世界との契約。その言葉にアイカは反応した。

「それってもしかしてあのへっぽこ女神………エメル関係?」

「だとしたらアイラ様と同じですね」

「だとしたら同じ私と世界から来た人かな。誰だか知らないけどへっぽこ女神にスカウトされたのね、可愛そうに」

前に城に侵入した不審者も日本から来た人間だったし魔神ちゃんもおそらくそうだしチビスケも同じだ。

(スカウト基準が分からないけどあのぽんこつ女神なら考え無しに適当に連れてきてそうよね)

なんとなくアイカは納得した。

「まあ生き返るなら心配無いわね」

「ええ、エメル様は嘘はつきませんから。そろそろ帰りましょうかアイラ様」

「そうね、晩御飯まだだしね。て言うより朝御飯になりそうな時間よね。多分」

アイカとマーニはそろそろ帰ることにした。悪霊は居なかったしお腹も空いてきた。

「とても世話になった。ありがとう王様。神官様。あなた達が居なかったら無事に出産出来たか分からない。良ければまた来てくれ。夫も紹介したい」

「そうね、時間がある時にまた来るわ」

「教会にもいつでも来てください」

そう告げて来た道を戻るのであった。

水脈を過ぎ地下通路に戻ったところでアイカはマーニに話しかける。

「ねえ、マーニちゃん気付いた?あのおじさん以外の二人、アサデちゃんにヨルデちゃんなんだけど」

「はい、やはりアイラ様も気付いていたのですね。あのお二方からは圧倒的な神気を感じました。おそらく人ならざる存在。それと僅かですが隠しきれていない戦場の血の匂いもしました。おそらく神界の戦女神様あたりではないかと思われます」

「そこまで分析してたのね。戦女神ね。何だかカッコいいわね響きが。んー、戦未亡人………いまいち。可愛くもかっこよくもないわね。ボツ。まあ産まれてきたあの子の未来のためにも世界の危機とやらを乗り越えないとね」

そう呟くアイカの横顔を見ながらマーニは思った。

(ですがその基準で言ったらアイラ様の神気も………いえ、まだ確かでは無いですし後で考えましょう)


「なあヨルデ、さっきの二人だが」

「やはり姉様も感じた?」

グレッグには何の事だか分からない会話を始める。

「神官様からはなかなか強い神気を感じた。何かしらの能力の持ち主だと思う。問題は面白い王様の方、私にはよく分からなかった。前々から強いだろうと思ってはいたが前とは質が変わっていた。分からないと言うより計れなかったんだ」

アサデも頷く。

「ああ、私もだ。だが一つ確実なのは」

アサデとヨルデは真剣な顔で見つめ合う

「私達より強い神気を持っている、計れないとはそう言う事だ」

「面白い王様、不思議だ。人がそれ程の力を持つものなのだろうか………」

こちらも考えても分からなかった。

そしてあーだこーだ議論をしているうちに時雨が戻り再び話題は赤子に移った。


エピローグ~王都を襲う讃美歌~


翌朝、国立大教会エメル像の前にて。

マーニとアイカ、それに絡み付くようにジュリア。

ジュリアはマーニとアイカのみでほぼ朝帰り状態だったのが納得出来ないらしい。

「お姉様の淫乱!女なら誰でも良いんだ!浮気者!マーニに寝取られた~、うわーん」

と、叫びながらガチ泣きし始めた時はアイカが殴って黙らせたがまだまだあやしんでいる。

「やはり私は神官を続けます。生命の誕生は素晴らしい物でした。神秘的で美しい………いえ、言葉では言い表せません。これからはもっとたくさん新しい命を掬い上げて見せます」

マーニはアイカに告げた。

「良いんじゃない?」

『良いんじゃない?』

アイカはそう答えた。マーニは神気を使いアイカの心を読んだがまったく同じだった。

(アイラ様………この人の言葉は本当に裏がありませんね)

まったくかなわないとマーニは首を振る。

「そういえば子が無事に産まれた時は讃美歌を歌う慣わしでした。あの子の時は忘れていましたが今歌いましょうか」

何故かジュリアはサッと耳を塞いだ。

マーニが大きく息を吸い込む。

そして大音量の何とも言えない雑音、騒音が響き渡る。

「………」

アイカは意識を失いかけた。うるさいだけではない。

微妙にずれた音程が気分を悪くさせる。時に低すぎるデスボイスで、時に高すぎる金切り声で讃美歌と言うより惨劇歌だ。

エメル像にヒビが入り大教会全体が揺れ始めた。

アイカは三半規管を揺さぶられへろへろになりながらどうにかマーニの口を塞いだ。

「アイラ様、まだ途中ですよ?ここからが最高潮なのに」

マーニは不満そうに振り向き呟く。

「鼓膜ないなった………ジュリアちゃん知ってたわね………何で先に言わないかな」

ジュリアはアイカの手を引き隅っこに移動する。

「お姉様。マーニは昔からクソ音痴です。ただ本人は気付いてなくてなかなか言い出せなかったんです」

「2人して何をこそこそ話してるんですか?さあ仕切り直してもう一度」

再び歌い出そうとするマーニを2人であわてて止める。

「あは、あははは。マーニちゃんの讃美歌はマーニちゃんが自分の子を産んだら歌えば良いと思うな~」

「あ、さすがお姉様。良いこと言うなあ!」

2人に言われてそれも良いかも知れないとマーニは納得した。

ちなみにこの日は大教会を中心に王都で原因不明の多数の気絶者が出た。さらに耳に何らかの異常をきたした国民も多く後に大教会から聴こえる死葬曲の変として語り継がれるのであった。


「ーーーつっ」

ヨルデが耳を押さえた。

「どうしたヨルデ、産後の体調不良か?」

時雨は自分達の娘を抱えながら問う。

「いや、何やら死神の奇声のような物が聴こえた気がした。すぐに収まったがなんだったのだろう」

首をかしげるヨルデの頭を時雨は撫でる。

「出産疲れだろう。ゆっくり休みなよ」

「そうする、だがリンデにご飯を与えてからだ」

ヨルデは時雨から赤子を渡してもらう。薄い衣から胸を出し母乳を与えた。

赤子はジーグリンデと名付けられた。ヨルデ達姉妹の祖母、ブリュンリンデから名前の一部を、それに時雨の異世界での名を繋げた。ジーグリンデ·リトルストーンリバー。強く美しく、そして努力家に育つに違いないと両親は信じている。

「ところで何でじっと胸を見ているんだ?」

「いや、その………」

「やれやれこの調子だと2人目を産む日も近そうだ」

ヨルデは半ば呆れながら呟くのであった













まだまだ続くよ

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