未亡人(とそのオマケ)、異世界に行く!
美人未亡人とそれに惚れたへっぽこ青年の異世界冒険譚第一部前編です。基本的に変なのが出てきますが時にシリアス、時にギャグ、メインは世界の命運と様々な愛です。初作品ですがよろしくお願いいたします。
第一部前編
~プロローグ~
暗闇の中で男が叫ぶ
「うおおおおお、何でお前なんだ!お前は俺のそばに居ればいい。俺にはお前が必要なんだ」
男の悲痛な叫びに女が答える
「こんな私を愛してくれて本当に幸せだったよ。だから私は大丈夫。あなたとの思い出を胸にやっていける。だからあなたは生きて、ね?」
突き放すように答え遠のいていく女。
「こんなの、こんなの納得出来るかああああああ」
喉を切り裂くような叫びを上げながら必死に手を伸ばすが届かない。
映像はそこでブツッと途切れた。
「誰やねんお前ら!」
そう叫びながら目が覚める。
「ん、くっ、頭いてえ」
リクライニングが倒された車の助手席で一人の青年が起き上がった。無造作に伸びたボサボサの髪、少しやつれぎみな表情。反して体は筋肉質だが精気を感じさせない印象だ。
「あ~ここにいるってことは'また'死んだんだな」
外を見渡せば一面緑の草原。そして遠くに山々が見える。太陽は燦々と輝き柔らかな風が頬をなでる。
「毎回毎回痛いし苦しいし気持ち悪いしもう勘弁しろよ」
青年は半ば諦め口調で言う。
「これじゃ呪いじゃねえか、あのヘボ神!」
そうぼやきながら車を降りて歩き出す。
「………何か変な夢見たな」
ふと'死んでた'間に見た夢を思い出す。
夢など生きてきたなかで何度も見ているが大概自分の脳裏に刻まれた経験や知識、妄想などそれらがごちゃ混ぜになった意味不明なものが多い。
だが今回は少し違う。まったく心当たりが無い。そのくせやけに鮮明に頭に残っている。
(いや、女のほうはどこかで見たような?ん~分からん)
記憶の中を掘り下げようとしたがすでに今しがた見ていた夢すらぼんやり霞んできた。結局夢などそんなものだ。
「まあワケわからんのは今さらか」
ため息をつきながら歩く。
「まあいい、今度こそやったるからな、クソが!」
何をどうやるのかは分からないがこの青年は前に進むしかない。
しかしこの道を歩くのは何度目か。何回目の今度こそだったか、すでに数えるのもアホらしい。
青年はすがるように一人の女性の顔を浮かべた。彼が愛してやまないたった一人の大切な女性。
それがこの青年の原動力だった。思いばかり募るだけで自分は少しでも彼女に近づいているのだろうか。そう自問してしまうときもある。
それでも青年は何度でも歩き出す。
その足取りは力強く背には決意が満ちていた。
男は願う
英雄になりたいと
女は願う
世界を守りたいと
願いは願い通りに叶えられるとは限らない。
しかして運命は廻り始める。時にいとおしく熱く蕩けるように、時に抗い冷たく凍てつく氷河のように、時に狂ったアナログ時計のように。
これは壊れそうな天秤の世界で愛するもののために闘ったものたちの記憶、記録、詩…………
なのだがだいたい運命が狂うのって神様がポンコツのへっぽこだからだよねって話
~第一章~未痴との遭遇
「うあ、夏が近いな。つか、すでに暑い。だるっ」
中途半端な都会と田舎が混じり会うような街、しいてあげるなら夏が熱い地方都市。
夕暮れ時、西日が照りつけるなか一人の青年が道路の隅を歩いていた。短めの黒髪にあまり日焼けしていない白い肌。中性的な顔立ち。ひょろっとしてやや頼りない印象だ。半袖シャツに少しダボっとしたカーゴパンツ、肩にはカバンをさげている。名前は小石川時雨。
今年度より大学に通う18歳。
世間的には大人であり子供でもある微妙な年頃。高校生ほど無知ではないが世間ではまだまだひよっこ。高校卒業時は就職を希望していたが大学に進学したばかりだ。
「大学を出て私の研究所に来い」
ある日父にそう告げられた。職場に詰めっぱなしでたいして会話する事の無い父。母も同じ職場であった。だが時雨は両親が何かの研究者だと知るくらいで研究の内容もろくに知らないし興味も無かった。
時雨は当然反発したが父いわく
「お前には私の後を継いでもらいたい」
とのこと。
「父さんは勝手だ、研究だかなんだか知らないけど僕にだって考えがある」
と散々口論になったが母からの
「なんだかんだ言って一緒に居たいのよ、父さんも。母さんも時雨が来てくれたら嬉しいし」
と、母にも言われてしまった。
母には一度だけ研究内容を聞いてみたが
「まあ将来人類を救うかもしれないし人の役には立つ研究かな~」だそうだ。人類を救うとか本気か?意味分からない、と思った時雨であったがその道の研究者の間では名を知らないものがいない程度には凄いらしい父母をそれなりに誇りに思っていたし嫌いでは無かった。しかし進路となれば話は違う。自分の人生までは決められたくなかった。研究所に詰めっぱなしの父の仕事の合間を見つけては就職して働きたい、自分の力で生きると説得したが
「お前に研究を継いでもらいたい。父親らしい事をしたことが無いと分かっている。頼めた義理も無いかも知れない、だがそれでもまっすぐ育ったお前を信用している。私の研究は信用出来るものに託したいんだ」
と頭を下げられた。研究一色の父が自分に頭を下げるなんて考えられなかった。これには時雨も感慨深いものがあったしもうひとつ進学の決め手があった。それは弟の存在。
時雨には歳の離れた弟がいる。名は快晴、よく晴れた日に産まれたから快晴。時雨は時々雨の日に産まれたからこんな変わった名前らしい。時雨と書いてしぐれ。
「まあ第二候補が太郎次郎ざえもんだったらしいからまだマシだけど」
父母は研究者としては一流だったがネーミングセンス×だった。
弟はまだ保育園児、研究所に詰めっぱなしの両親に代わり時雨が面倒を見ていた。そのせいか高校時代も部活をしたり遊んだりもあまり出来なかった。大学生であれば時間に余裕もあり弟の相手も出来る、就職してしまえば今まで以上に保育園頼みとなってしまう。
それは避けたかった。時雨自身幼少期はなかなか帰ってこない両親のせいで寂しい時期もあったからだ。
「まあ大学生も悪くないか、講義はそれなりに楽しいし気の合いそうな奴も多そうだ」
そんな独り言を言いながら歩いていると一台の車が猛スピードで突っ込んできた!これで異世界転生……とはならず目の前で車が停まる。やや型落ちの赤いハッチバックの車。
時雨はこの車を知っている。
運転席から顔を出したのはやや明るい赤みがかった長い髪に切れ長のハッキリとした目立ち、美人か美人じゃないかと問うまでもなく美人。本人にあまりこだわりがないのか髪質のせいか長い髪は所々ボサッと跳ねている。頭頂部にも球根みたいなくせ毛がありアホ毛のようになっているところも可愛い。
実はこの女性が時雨が就職にこだわった理由である。
「やっほー、やっぱ時雨くんだ」
快活な声で話す女性は小石川家の隣に住む獅童アイカであった。
「アイカさん、仕事帰りですか?」
小さい頃から顔を合わせていたので下の名前で呼び合う。
時雨の幼少期、アイカは父母が家を開けがちな小石川家によく顔を出し時雨と遊び時雨も隣に住むお姉さんであるアイカの後ろを追いかけた。仲良し幼馴染と呼んで良いだろう。アイカの両親も事情は知っており幼い頃から時雨が寂しくならないよう家族のように接してくれた。
「むう、昔みたいにアイカ姉って呼んで欲しいな、お姉さん寂しいな~」
とむくれる。
「いやいや、もう僕も大人ですから」
と少し照れながら答える。
「快晴君のお迎えでしょ?乗ってく?」
そう問うアイカ。時雨にはもちろん断る理由もなく助手席に乗る。アイカはTシャツにジーンズと言うシンプルな服装だったがシンプル故に体つきが分かりやすい。身長も女性にしては高い方、出るとこはしっかり出ており時雨はそのボディーラインを見るだけでちょっと下半身が反応した!
「お願いします。紫苑ちゃんにも快晴と仲良くしてもらってるお礼したいし」
紫苑とはアイカの娘の名である。時雨より6歳年上のアイカはすでに子を産んでいた。しかしアイカの夫はアイカの妊娠中にすぐ亡くなった。正直記憶にない。まあ要するにアイカは未亡人。
小さい頃は隣のお姉さん。思春期には何となく気になる異性。今は完全に惚れていると自覚がある。アイカが結婚したとき中学生だった時雨はメチャクチャ凹んだ。その時自分はアイカが好きなのだと自覚した。
亡くなった旦那さんには悪いが時雨は今度こそ自分がアイカと付き合い結婚して幸せにすると勝手に誓っていた。
そのためにも早く就職したかったのだ。
しかし現実は甘くなく高卒ですぐに所帯を持つのは難しい、さらに不景気な世の中どうなるか分からない。仮に告白が上手くいって結婚しても養えるとは言い切れない。
大学を出てきちんと稼げるようになったら告白してプロポーズしよう。進学を決意したあとはそう決めていた。
振られたら………は考えない。考え出すときりがないから。
「はいじゃあ車出すよ~、少し飛ばしていい?」
鼻歌混じりに車を走らせるアイカ。
「安全運転でお願いします」
若干焦りながら答える時雨。
「え~私はいつでも安全運転だけど?」
言葉と裏腹にぐんぐん上がるスピード。
実はこのアイカと言う女、結婚するまでなかなかにヤンチャしていた過去がある。
元々の快活な性格とあふれる行動力、そして際立った美貌から慕う人間が多かった。そこに腕っ節の強さも手伝って気付けは近隣の不良連中を軽くまとめあげカリスマ性も発揮。
本人いわく「ちょっとヤンチャな可愛いギャルだったよ~」
だそうだが血染めの獅子と呼ばれ数々の逸話、伝説を残している。
あの赤髪は血で染まったとか、全国の不良を一晩で血祭にしたとか目からビームが出るとか処女の生き血を吸っているとか実は未来から来た人類抹殺破壊マシンだったとかもはやオカルトじみた話が多い。
時雨が通っていた高校にも不良と呼ばれる生徒は居た。その不良達の間でも血染めの獅子の伝説は羨望の的であり世代を超えた憧れの対象だった。
ただアイカ自身は自分が不良という認識は無くただバイクにハマりスピードを求め走っていただけ、用もないのに絡んで来た火の粉をはらっていた結果、伝説になってしまった。それだけである。
アイカが高校生の頃、小学生だった時雨は幼なじみ故に恐れは無く「アイカ姉、最近帰り遅いなあ?高校生って忙しいのかな?」程度の認識だった。
そんな時雨もアイカが車の免許を取り、初めて助手席に乗った時はあまりのスピードに死を覚悟した。が、慣れてくるとアイカは速度は出すが流れるように自然な運転で不思議と不安は無かった。もちろん法定速度は守って欲しいが。
「時雨くん免許取らないの?」
アイカが問う
「取ったけど車無いから」
答える時雨
「へえ~いつの間に!私の車、運転していいよ?今から代わる?」
時雨は答えに困った。もちろんアイカを横に乗せてドライブしたい、しかしアイカの運転技術を見ると初心者の時雨は尻込みしてしまう。
「えっとそのうちね………今はまだ良いです」
そう答えるのが精一杯であった。好きな人に不恰好は見せたくは無い。
「あ~わかった!初めて横に乗せるのは好きな子って決めてるんでしょう!大学の子?」
アイカのセリフに思わず吹いてしまった時雨。
「アイカ姉!俺好きな子なんていないよ!」
(て言うか俺が好きなのはアイカ姉なんだよ)
ニヤニヤ顔のアイカを見て思わず本音が出そうになる。
「あ!やっとアイカ姉って呼んだ!時雨くん最近ほんとに大人びちゃって何か敬語使うしお姉さんほんとに寂しかったんだから、やっぱりアイカ姉って呼ばれると嬉しいな!」
そう言いながら笑うアイカを見ながら時雨は
(貴女にふさわしい大人になりたい一心で頑張ってるんですよ)
と心の中で思った。
車を走らせるアイカの横顔は本当に綺麗で時雨は息を呑む。
絶対この人と結ばれる。改めて誓うのであった。
「でも大学生か~。楽しいよ?理系のとこだっけ?大学。私もあの頃は色々やったし恋もしたし高校の時より青春って感じたなあ。」
アイカは時雨とは違う大学を出ている。
「まあ私は1年留年したけど」
グサッ
時雨の心にアイカの言葉が刺さる。
アイカが留年したのは在学中に妊娠して出産したからだ。
あの時の衝撃は思い出したくない時雨であった。
「確かに楽しそうですけど僕は早く卒業したいですね」
時雨の本音だった。
「え~?せっかくのキャンパスライフだよ~?快晴くんの事なら私も協力するしもっと楽しみなよ!勉強もだけど遊ぶことも大事だよ、あ~でも彼女出来ても避妊はしなさい!色々大変だから!」
アイカの言葉がまた時雨に刺さった。
(だから僕が好きなのは貴女で彼女にするなら貴女で!子作りだって!あ~もう今告白したい!しちゃおうかな)
と時雨が考えていると
「まあね子供は可愛いけどね。うん、在学中に産んで大変だった時も有ったけど、でもやっぱ可愛いんだ~」
アイカが母親モードになったのを時雨は感じた。
(そうだ、アイカさんと付き合うなら紫苑ちゃんの事も責任を持たないといけない。衝動に任せちゃダメだ)
「そうですね、快晴も可愛いですよ。歳離れてるせいか弟と言うより子供みたいだし。紫苑ちゃんにも仲良くしてもらってありがたいですよ。本当に」
「あはは、あらたまって何言ってるの、紫苑だって快晴くん居て楽しそうだしお互い様じゃない。何か将来結婚とかしちゃいそうなくらい仲良いじゃない!そしたら私達お隣さんから親戚になっちゃうね」
アイカは笑いながら話す。
が、時雨は複雑だった。
(快晴と紫苑ちゃんが結婚する前に僕が貴女と結婚したいのに)
つくづく男として見られていない自分に頭を悩ます時雨。笑うアイカの横顔を見ながらどうすれば男と認識されるか頭の中でうんうん唸りだした時雨は車が停止したことに気付かなかった。
アイカが何かに気付いて車を停止させていた。
「時雨くん、前見て、何かいるよね」
アイカの横顔に見いって唸っていた時雨は前を向く。
「な、へ?」
我ながら間抜けな声が出た時雨。気付けば道は一本だけになり辺り一面が青い。その道の真ん中に銀髪の女性らしきものが立っている。
「私の目が変なのかな?何か周り青いし前に変な女がいるんだけど」
アイカが呟く。
「いえ、僕にも見えてます。」
時雨はとまどいながら答える。
辺り一面の青い空間に道が一本あるだけ。まるで水の中にいるようだ。
(どうなっている?意味が分からない、理解できない)
時雨は考えがまとまらず軽くパニック状態になった。
「アイカ姉、事故じゃないよね。二人仲良く天国に来たとかじゃないよね?」
「ん~そんなヘマはしてないと思うけど………ちょっと私にも分からない………」
珍しく戸惑うアイカ。二人して考え込む。
しばらくすると隣からアイカが
「考えてもわからないや!とりあえず何だか分かんないけど進んでみよう!」
と言いながらアクセルを吹かし始めた。
「へ?アイカ姉本気?これ、絶対変だよ」
時雨が戸惑う。
「まっすぐ進んだらあの変な人にぶつかるよ?」
「道の真ん中に立ってるほうが悪い!て言うか避けるでしょ」
さくっと言い切るアイカ。
「いや、話してどいてもらうとかそもそもここどこだかあああああ」
時雨の話を聞く前にアイカは車を走らせた!
アイカは良くも悪くも明朗快活、直線街道まっしぐらな性格である。もう止められない
上がるスピード近づく女性、この速度ならぶつかればただではすまない。時雨は数秒後に来るショッキングなシーンを想像しながら目をつむる。
(頼むから避けてくれ)
と言う時雨の願いもむなしく
ゴメス!!
衝撃と共に野球の助っ人外国人選手の名前みたいな音がした。
おそるおそる目をあける時雨。
とりあえず銀髪女性はバラバラにはならず五体満足のまま仰向けに倒れていた。車も停止している。
時雨はアイカを見た。
アイカは驚いた顔で前を見ている。
「ウソでしょ?何で?避けようともしないなんて!」
アイカもさすがに焦ったのか
「うわ~ん殺っちゃった。時雨く~ん、紫苑の事よろしく、私は自首してきます」
とうるうる涙目で訴えてきた。可愛い。
「アイカ姉………どんな理由であれ人は跳ねちゃダメだよ………」
そう時雨が呟いた瞬間
「そうじゃ!人は跳ねちゃいかん!普通死ぬからな!ワシが女神で助かったのじゃ!」
アイカでも時雨でもない声。
銀髪女性の遺体方面。いや、生きてたっぽいのから声が聞こえた。
むくりと起き上がる銀髪女性。
「良かった!生きてた!」
アイカは思わず叫んだ。
近付くと分かるがこちらもかなりの美人さんだった。
周りの青い景色を反射するように輝く銀色の長い髪、スラッとした体型、そして何よりも特徴的な吸い込まれるような赤い瞳。外国人だろうか?
あとこれ大事、服着てない。ちょっと、いや、かなり胸が残念なサイズだったが時雨はまじまじと見いってしまった!愛するアイカを忘れて!
「時雨くん!痴女だ!変態だ!見ちゃダメ!」
アイカの声でハッと我に帰る時雨。
「はい!僕が見たいのはアイカ姉のです」
思わず本音をいってしまった!
「じゃなかった!あれ何アイカ姉、アイカ姉の友達?」
もうワケわからん事を呟く時雨。
「だからワシは女神じゃ!痴女でも変態でもましてやその女の友達でもないのじゃ!」
銀髪全裸女性がわめきたてた。
「頭の打ちどころが悪かったのかな。ちょっと何言ってるか分からないや」
アイカが唸る。
(こんなヘンテコ空間ですら通常運転のアイカ姉スゴいな)
時雨は妙なところで感心していた。
「んが~!ちょっとはワシの言うこと聞けぃ!ワシの名はアイネス-エメル、何を隠そうこの世界を見守る女神じゃ」
フンスと鼻息荒立てて言う銀髪女性。
「あ~ハイハイ女神様ね。スゴいスゴい、早く病院行きましょうね~」
アイカは救急車を呼ぼうとした。
一方時雨は
(得体の知れない痴女相手に退かないアイカ姉スゴいな。でもなんだろう、この空間と言いあの自称女神と言い尋常じゃないのは確かだ)
女性経験が無い時雨は自称女神の銀髪全裸女性をなかなか直視出来なかったが不思議なオーラを感じていた。恐怖は無いが何か圧力のような気配。自称女神様はともかく人間ではない何か。そう感じる。
「ムキー!ちっとは話きけい、よいか?今この世界はえらく不味い事になっとるんじゃ!お主らにも関係あるぞ?この世界の裏と言うか何と言うかどっちも表と言うかもうひとつの世界がブヘッ!」
まくし立てるように話していた自称女神の体が急に飛んだ。
アイカが思い切り顎を殴りあげていた。
「さっきから女神だの世界だの知るかっての!用があるならさっさと話せ!じゃないと殴るかんねっ!」
すでに殴ってるじゃん、と突っ込みを入れるのも気が引ける恐ろしい形相のアイカは言葉づかいも乱れだし今にも自称女神様に追い討ちをかけそうであった。
(ああこれが噂で聞いた血染めの獅子か、何か赤いオーラも見える気がする)
血染めの獅子の全盛期を知らない時雨はアイカを初めて恐れた。
(結婚したら絶対怒らせないようにしよう、うん)
「いたたた、女神を殴るとかマジ勘弁……」
よろよろと起き上がる自称女神様。
「ちょっとワシを助けて欲しいのじゃ」
「断る!」
即断するアイカ。
「娘が待ってるの。あんたの相手してる暇なんか無い!」
とりつく島もない。
「そのお前さんの娘にも関係すると言うてもか?」
この言葉にアイカは反応した。
「ちょっとどうゆうことよ?」
アイカから赤いオーラが増した。
「ウチの娘に何かあったらタダじゃおかないかんね!」
再び自称女神様に飛びかかるアイカ。
「ギャー!殴らないで欲しいのじゃ!もう痛いのは勘弁なのじゃ!きちんと説明するから話聞いて欲しいのじゃ~」
自称女神様がお願いしながら頭を下げた。
(あんな得体の知れない存在すら圧倒するなんてアイカ姉、想像以上に凄いな)
時雨は変な所で感心した。
「えっと立ち話もなんじゃからほれ」
自称女神様がそう言うと同時に机と椅子が出てきた。
「お、おう?手品?」
これにはアイカも驚いた。
「ほれ座れ座れ、ちと長くなるかも知れんし」
「仕方ないな~、短めにまとめてよ?」
仕方なくやれやれといった感じで椅子に座ろうとするアイカ。
その瞬間自称女神様の目が獲物を狙うようにキラッと輝いた。素早くアイカの背後に回り込む!
むにゅむにゅむにゅ………
「何を食べればこんなに育つんじゃろ………」
抱きつく形でアイカの胸を揉みしだいた。
メキョッ!
アイカのチョップが自称女神様の顔にめり込んだ。
「………次やったらもう絶対話聞いてやんないから」
「すまにゅ、羨ましくてつい………あまりにもワシのと違うから」
鼻血を流しながら自称女神様も座る。
机を挟んで対面する形で座るアイカと自称女神様。
「あ、そっちのボウズは特に関係ないからそこらで待っとれ」
自称女神様が時雨に向かって言い放つ。
(こんなヘンテコ空間に引きこんどいての扱い酷くない?)
と思う時雨であったが
「時雨くん車で待ってなさい!この痴女危険かも知れないしいざとなったら私一人で片付けるから」
力強く言うアイカに時雨は頷くしかなかった。
(僕がアイカ姉を守りたいのに………)
そうは思うが現状戦闘力でアイカより劣ると自負する時雨は大人しく車に乗り込みやや離れた位置からアイカと自称女神を見守る事にした。
自称女神は何やら手振り身ぶりでアイカに何かを伝えている。アイカは最初は仕方なくと言った感じで椅子に腰掛け脚を組んでいた。
が、次第にアイカが自称女神様の話を真剣に聞き始めたのが目に見て分かった。何やら頷く素振りも見える。
そして数分か数十分か、とにかくそれなりの時間がたっただろうか。
突然アイカが立ちあがりこちらに歩いてきた。
「お待たせ時雨くん、悪いんだけど紫苑のお迎え頼んで良いかな。あとウチのオヤジと母さんに帰り遅くなるって伝言頼めるかな」
いきなりの急展開だった。
「何かね、私じゃないと出来ないことあるみたい。詳しくはよく分からなかったけど本当に不味い事になってるみたい。ちょっと行ってくる」
アイカの顔は少し寂しがるような笑顔だった。
「ちょ、アイカ姉!急にどうしたの?」
時雨はアイカと自称女神様が何を話したのかまったく分からない。
ただ、アイカの決意が固いことは分かる。何より大事な紫苑の事を自分に頼むくらいだ。よほどの事だろう。
「行くってどこにさ!いつ帰るの?全然分からないよ」
時雨は焦った。何となくもうアイカに会えなくなる気がして引き留めようとした。
が、
「まあ、さくっとやって早めに帰るから。お願い、時雨くんになら任せられるから」
と言いアイカはさっさと車から離れ自称女神様のいる方へ早足で歩き出した。
時雨にはそれが決意が鈍る前に未練を断ち切る姿に見えた。
そして程無くして光に包まれると消えた。待って、と言う間もなかった。
「な、アイカ姉?ねえ、どこに………」
自称女神様が何かしたのは間違いない。しかしアイカの気配がこの空間から完全に消えたのを時雨は感じた。
時雨は車を降りて自称女神様に向かって早足で駆け寄る。相変わらず全裸なのでちょっと困るがアイカの事を聞かなければならない!
「ちょっとアンタ、アイカ姉に何したんだよ?どこやったんだよ、説明しろよ」
焦り、焦燥感からだんだん怒鳴るようになってしまった。
「うおう」
自称女神様は驚く声と共に振り返りこっちを見た。近くで見るとやはり美人だ。時雨もアイカが居なければ一目惚れしたかもしれない。例え乳が残念賞でも!
「そういえばお主がおったのか。忘れとった」
時雨の存在は忘れられていたらしい。ヒドイ。
「いや~疲れた疲れた。あの女、隙あらばワシを滅しそうな圧を出すし一通り説明するのも一苦労。ワシの巧みな話術が無ければ今頃殺されとったのじゃ!」
すっかり気の抜けた顔でぼやく自称女神様に
「アンタ何者だよ!一体なんなんだよ!」
半ば呆れながら時雨は問う。
「だから女神じゃよ?」
何を当たり前の事を聞いてるんだ?と言う顔。
もう突っ込むのもめんどくさい時雨はとっとと話を先に進めることにした。
「じゃあその女神様に質問、アイカ姉はどこに行ったのさ」
「ん~お主たちが住む世界とはちょっと違う世界、まあ近くて遠いお隣さんみたいな感じの世界じゃの。」
つまり異世界と言うことか。時雨にとって異世界なんぞ空想の物語のもの。にわかには信じがたいが実際アイカが目の前で消えたのでとりあえず納得せざるを得ない。
「それで?アイカ姉は何しにその世界に行ったの?」
「世界を救いに」
「………はあ?」
時雨は意味がまったく分からなかった。
「いやな?今その世界ちょっくらやっかいな事になっててな」
自称女神様はやれやれといった表情を浮かべる。
「その世界が危ないとして何でアイカ姉なのさ」
「あの女、自分では気付いてないのじゃが恐ろしい潜在能力を秘めておる!女神であるワシを凌ぐほどじゃ!あ、いや、ワシほどではないかの。ワシ、かなり有能なんじゃよ?頼りになる女神ランキング万年一位で殿堂入りするくらい」
自称女神様はふんぞり返った。
アイカを前にしたときと態度がかなり違う。
「じゃあアンタがその世界をどうにかしろよ!」
「そうもいかん。女神のワシがいちいちホイホイ簡単に世界に干渉するわけにもいかんのじゃ。そこでワシの代わりに世界を救える存在を探しとったらあの女から強い力を感じての~、ワシ自らスカウトしに来たのじゃ」
(異世界転生ってスカウト制なんだ………)
時雨は多少マンガやアニメを嗜んだが異世界転生は事故で死んだりとか召喚されたりとか何か衝撃的な事が起きて転生していた。少なくともスカウト制は知らない。
「お主の世界に神隠しってあるじゃろ?あれだいたいがワシのスカウト」
(何て迷惑な話だ)
心のなかで突っ込む。
つまりアイカはスカウトされて納得して異世界に行ったわけだ。
これに時雨は一つだけ疑問を感じた。
アイカは困っている人が居たら迷わず助ける性格だが娘の紫苑を放り出してまでこの胡散臭い女神の話を信じて異世界に行くかどうかだ。
「なあ女神様、アイカ姉は娘がいるんだ。凄く大事にしてる。なのにアンタの話に乗って異世界に行くとは思えないんだけど」
時雨の問いに自称女神様はやれやれ、といった感じで答える。
「無知なお主に教えてやろう。お主達の世界ともう一つの世界、色々繋がっておっての。もう一つの世界が滅びたらお主達の世界も滅びる」
今度は真剣そうな顔で答える自称女神様。
「例えばお主達の世界、最近おかしくないか?おもに自然現象、それも大量に人が死ぬ程の」
時雨は思い起こす。確かに日本だけでも水害、地震など頻繁に起きている。世界的にも最近は熱波や冷害等の異常気象で亡くなる人が居る。熱い寒いだけで大量の死者が出るのは異常だ。しかしそれは人類による環境破壊やら資源の乱用やらによるものだと言うのが通説だ。
「あれな、もう一つの世界が乱れておるのが原因なんじゃよ」
真顔で言う自称女神様。嘘ではない、時雨はそう感じた。
「お主達が地球と呼ぶ星はいくつもの可能性を秘めていた、数えきれん程に。そして最終的に強く輝く二つの世界が残った。ひとつは科学が発展した世界、これはお主達の世界じゃの。ほんでもう一つは魔術が発展した世界」
魔術!いきなりザ、ファンタジー用語が飛び出した。
胡散臭さがより上がった!
ここで自称女神様は2つの球体を取り出した。両手に一つずつ浮かべる。
「この2つの世界、通常は互いに自然に込められたエネルギーを供給しあって存在しとる表裏一体の関係なのじゃ」
球体どうしの間にもやもやした光が繋がる。
「が、どちらかが急激にエネルギーを消費した場合」
今度は球体から球体に光が流れ出す。
「このよう片方にエネルギーが流れ出し足りない分を補う。もちろん急激な消費はいつまでも続くわけでは無い、時が立てば元に戻るのじゃが」
自称女神様はため息をつく。
「今回はエネルギーの流出が止まらんのじゃよ。お主達の世界からもう片方の世界に延々と流れておる。お主達のの世界も自然エネルギーの消費は誉められたもんでもないんじゃが今はもう一つの世界のほうが大問題での、じゃからお主達が住む世界はバランスを崩しとる。供給が追い付いておらんのじゃ」
片方の球体が赤く染まる。
「この状態が続けばいずれは草木は萎え大地は枯れ空気は汚染され……」
パンっと音を立て片方の球体が破裂した。
「世界は崩壊する。ま、崩壊するときまでにすでに生物は滅んどるじゃろうがの。そしてエネルギーの供給を得られなくなった残りのこっちも」
再びパンっと音を立てもう片方の球体が破裂した。
「やはり崩壊してすべておしまいじゃ。まあ、科学と魔術、どちらが優れてるとかそういうのはワシにも分からん。ただ2つの世界がバランスを保つ事が大事なんじゃよ。ふう、話が長くなったが要するにこの話をあの女にもしたのじゃ」
そう締めくくった。
時雨は納得がいった。世界が滅びれば当然紫苑ちゃんも死ぬ。
そう聞かされたらアイカは愛娘が住むこの世界を守るために異世界に行くだろう。
(アイカ姉、何で僕には話してくれなかったんだよ………)
頼りにされなかったことが寂しかった。悔しかった。
「ほい、そんな訳じゃからお主はもう帰って良いぞ?」
自称女神様は時雨を追い払うように手をヒラヒラ振った。
「元々お主には用は無いのじゃ、あっち行けば元の場所に出れる」
指差す先には青い空間に亀裂が入っていた。おそらくそれが出口なのだろう。
だが時雨は自称女神様の肩を掴む。
「な、なんじゃ急に?は、まさかワシに欲情したか!いや、確かにワシ、超絶美人女神じゃし超魅力的なのは知っとるが!会ったばかりで抱けるほど安い女じゃ無いのじゃ!」
見当違いの方向に焦り出す自称女神様。
「ちげえよ。て言うかアンタみたいな貧乳には欲情しねえよ!」
時雨は吐き捨てた。時雨の好みはアイカ基準だ。
「ムキー!ワシの慎ましい美乳をバカにするとは何じゃ!」
今度は自称女神様が追い立てる。
「ワシだってな!自分で揉んだり摘まんだり引っ張ったり色々努力したのじゃ!」
と、ここまで勢い良かったが何か思い返したのか今度はへなへなと力無くへたりこむ。
「最終手段、魔術で大きくしようとしてもダメじゃった」
どうやら胸の話は禁句なようだ。
時雨も落ち着きを取り戻し
「アンタ服くらい着たほうがいいよ、風邪とかひいたら困るし襲われたら大変だし」
とずっと思っていたことを言う。
「女神は服着なくても平気なんじゃが………まあお主が欲情しないように着るかの」
ボフッと自称女神様が煙に包まれた!
そして煙が消えると
「どうじゃ!」
と、すっぽんぽんではなくなり白いパンツを履いていた。だがそれだけだった。パンツ一丁の変態になっただけだった。無い胸を張り純白のパンツを見せつけるように仁王立ちしている。
(全裸より何か卑猥なんだけど!脱がしたくなる不思議)
時雨の下半身が反応しかけた!
(静まれマイサン、アイカ姉一筋アイカ姉一筋………)
念仏のように唱えた。どうにか下半身は収まった!
(………とにかくこの人基本的に頭がだめなんだな)
時雨は色々と諦めた。
「あー、まあそれで良いと思う。それでお願いなんだけど僕もそのもう一つの世界ってのに行きたいんだけど」
やっと本題を切り出した。
「え、お主も行くのか?正直お主が行ったところで何もならんと思うぞ。あの女からは膨大な力を感じた。あらゆる可能性も。が、お主からはミジンコ程も何も感じぬ。あの女なら放っといても大丈夫じゃからおとなしく元の場所で待つのが良いぞ?」
ヒドイ言われようだ。確かに容姿端麗、明朗快活な上に腕っ節も立つアイカと比べほぼ平均、これと言った物はない時雨。その自覚はあるがパンツ一丁の変態に言われたくはない。
「アンタが女神だってならその辺どうにかしてくれ」
「うえ~めんどいんじゃけど。何でそんなに行きたがるのじゃ?あ、さてはお主あの女に」
「惚れてるよ!」
自称女神様が言い切る前に時雨は答えた。
「お、おう。そうか、恋慕か、きっちり言い切れるのは良いことじゃとワシも思うが」
時雨の勢いに押される自称女神様。
「まあワシは秘めた思いを相談しやすい女神ランキングでも万年一位じゃが………」
そんなよくわからないランキングはどうでも良い。
「あの女とお主、釣り合っとらんぞ?」
グサグサ!
パンツ一丁の変態にここまではっきり言われるとさすがに心に刺さる。
「それでも僕は、僕は」
(どうしたいんだろう)
時雨は悩んだ。
アイカには何やら力が有り自分が居なくても平気だと言う。
だが愛する女性が知らない世界に行ってそれをただ見送るのが男か?ただ帰りを待つだけで良いのか?違うだろ!と時雨は思った。
時雨はズボンのポケットからスマートフォンを取り出しメールフォルダを開く。宛先は母。変な空間にいるが電波は届くようだ。
「用事が出来て帰りが遅くなります。お隣のアイカさんも一緒です。快晴と紫苑ちゃんの保育園のお迎え頼みます」
と、メールを打ち送る。
研究第一の父ならまず無理だが母なら頼める。
数秒後母からすぐに返信がきた。
「おっけー。仕事は早めに切り上げるから大丈夫だよ。でも時雨から頼みなんて珍しいね。でもアイカさんも一緒なら安心かな。気を付けて帰ってきてね」
そう書かれたメールを見て時雨は安堵した。母に感謝。
これで弟とアイカに頼まれた紫苑の事は心配ない。
「うん、やっぱり行かせてくれもう一つの世界とやらに」
力強く時雨は告げた。
「僕はアイカ姉を助けたい!アイカ姉が世界を救うなら僕はアイカ姉を救う英雄になりたい!」
嘘偽りない時雨の気持ちだった。
「うむ、そこまで言うのならその願い、このアイネス-エメルの名において叶えよう」
自称女神様は時雨に手をかざした。
何かが体の中を通り過ぎて行く感覚がした。
「お主の願い、このアイネス-エメルを通して世界に受理されたぞ!それとワシから一つ特別に祝福を与えた。取って置きのを捻り出したから感謝するのじゃ!」
捻り出すって便じゃあるまいしとも思ったが
「ありがとう女神様。じゃあ行くよ」
時雨は素直に感謝して行こうとする。
いよいよ異世界だ。アイカの事は心配だし未知なる世界への第一歩だ。心臓が高鳴るのを感じる。
「特別サービスじゃ。その赤いのに乗って行くとよい」
自称女神様はアイカの車を指差した。
「え?良いの?じゃあ遠慮なく」
時雨は今度は運転席に乗り込む。ほんのり良い臭い、アイカの臭いだ。
「このまま向こうに向かってまっすぐ走れば出れるぞ」
一本しかない道、その先に青い空間を裂くように光が見える。
時雨は自称女神様に手を振ると車を走り出させる。そしてやがて光に飲まれ消えた。
残されたのは青い空間のみ。
「惚れた女のために追いかけるか………」
残された自称女神様は感慨深くつぶやいた。
「その純粋さ、決して忘れるなよ………」
~第二章~異世界探訪即終了?
「おー、凄いな」
光を抜けた瞬間辺り一面の草原に出る。時雨はいったん車を止めた。遠くには山々が見える。ここまで人工物が無い景色は生まれて初めて見る。
「正直信じてなかったけどあの人本当に女神だったんだ」
先程まで会話していた銀髪パンツ一丁女神を思い返す。
(あの女神はこの世界に問題あるって言ってたよな。全然そうは見えないけど)
柔らかな風からは豊かな緑の匂いを感じるし空気も澄んでいる。
しかし夢でなければ本当に異世界に送られた事になる。となればあれは本当に女神でこっちの世界に何かがあるのだと信じるしかない。
時雨は周りにアイカが居ないか探してみる。
「おーいアイカ姉~、どこ~?」
時雨より少しだけ早くこの世界に来ているはずだが見当たらない。わずかな時間でそんな遠くまで行ってないとは思うが返事は返ってこない。
「困ったぞ、どっちに行けば良いのか分からん。女神に聞いとけば良かった」
だだっ広い草原の真ん中に放り出されてもどっちがどっちだか分からない。下手に動いてそのまま何も見付からず遭難は嫌だ。
(アイカ姉ごめん)
時雨は心の中で謝りつつ車の屋根によじ上った。
屋根の上から見渡すと遠目に建物らしきものが並んでいるのが見えた。街だろうか?とりあえず建物らしきものが見える方角に向かうことにした。アイカも人里を見付ければそちらへ向かうと考えたからだ。目視出来る範囲に人工物が見えたのは助かった。
車の屋根から飛び降り運転席に乗り込む。エンジンをかけたところで気付いた。
(この世界、ガソリンスタンド無さそう)
燃料のメーターは半分よりやや上を指している。
未知の世界だ、いざというときのためにとっておいた方が良いと時雨は判断した。
幸いすぐ近くに背の高い草が密集している場所があった。車を走らせ草むらに突っ込む。赤いボディの車はちょっと目立ったが少しの間隠しておくには問題無さそうだ。
時雨は自分のカバンを取り出し車から降りて鍵をかけた。
そして建物が見えた方角に向かって歩き出す。
距離はけっこうありそうだが日が沈むまでにはたどり着けるだろうと考えた。
ふと女神の言葉を思い出す。
ここは魔術の発展した世界と言っていた。そして英雄になりたいと願った自分。女神の祝福を授かったのだからもしかしたら不思議パワーで目的地まで楽に行けるのではないかと思った。
(よし、念じてみよう)
プスプスプスー…………
気張って念じたら屁だけ出た!
(そううまくはいかないか)
時雨は素直に歩くことにした。
草原を歩き続けて二時間程たった。草原には大きな岩が転がっていたり途中小さな川が流れていたりしたがほぼ平坦だったので体力はそんなに減っていない。
建物の群れもだいぶ近くに見えるようになってきた。ここまで来てひときわ大きな建物が有ることに気付いた。明るい灰色の立派な建物。城だろうか?
(ザ、ファンタジーって感じだな。可愛いお姫様とか居るのかな?そして英雄の僕に惚れたりして。ごめんお姫様、僕はアイカ姉一筋なんだ)
などと時雨が妄想し始めた時だった。草むらから人影が3つ現れた。
「命までは取らねえから服と荷物全部置いてけえ!」
中心の髭面のおっさんが怒鳴る。手にはボロいナイフ。
盗賊か追い剥ぎか。ボロボロの腰ミノしか着ていない3人のおっさん連中だった。
時雨は少し驚いたがあまりにもみすぼらしい3人組から恐怖は感じなかった。むしろ異世界で最初の遭遇がおっさんだった事にガッカリした。
「オラ!早くしろ」
右側の痩せ細ったおっさんが怒鳴った。手には錆び付いたナイフを持っている。
左側のおっさんは黙っている。手にはフォーク………他に武器がなかったのか。
時雨はどうしようか迷った。もちろん荷物を渡す気はない。だが戦うのは苦手だ。アイカなら即殴っていたかも知れないが。
「いや、おっさん達さ。困ってんのは見た目から分かるけどこんなことしても何にもならないよ」
時雨は諭すように言う。が余計それが気に触ったのか中心のおっさんが突っ込んできた。
「いや、だから喧嘩とかしたくないし止め…………」
そこで時雨は息が詰まった。むせる、そして喀血する。
気が付けば錆び付いたナイフが左胸にしっかりと刺さっていた。シャツにどんどん血の染みが広がる。
(そっか………ここ、簡単に殺されちゃう世界か………)
痛い、苦しい、冷たい………やがて何も感じなくなる
(アイカ姉、ごめん)
最後に時雨はアイカの事を案じながら意識を失った。こうして実にあっさりと時雨の異世界の冒険は終わった。
終わったはずだった。
ガバッと起き上がる時雨。
そこは草むらに隠した車の助手席だった。
「はあっ、はあはあはあっ」
息が荒い。無理やり落ち着かせる。
「けほっ、うえっ」
血の混じった咳がでた。
水が欲しいが車には積んでいなかった。
(生きてる。さっきのは夢だったのか)
違う、時雨は服が無くなりパンツ一丁だった。カバンも無い。
(どうなってんの?)
混乱が収まらない。刺され生命力が失われていく感覚を体が覚えている。ゾッとした。
外は日が暮れて暗くなっている。だいぶ時間がたっているようだ。知らない世界の夜を出歩く気にはなれない。何より体がだるい。時雨は再び横になり眠りについた。
翌朝、起床した時雨はもう一度自分の体を確かめた。動かなかったり痛かったりする部分は無い。
しかしこのままではパンツ一丁の変態だ。服が欲しい。一瞬パンツ一丁で胸を張る変態女神が頭に浮かんだがああはなりたくない。
車を降りると再び昨日と同じ方角に歩き出す。途中の小川で顔を洗い水を飲むと生き返った心地がした。
さて、この少し先で追い剥ぎにあった。今日も居るのだろうか。遭遇したくは無いので慎重に進む。が、目の前に予想だにしない光景が広がっていた。
腰ミノだけのおっさん達が血まみれで倒れていた。昨日の追い剥ぎオヤジ3人組だ。一人は何かで切り裂かれバラバラ、一人は地面に槍で串刺し、一人はうつ伏せに倒れている。
「うっ」
時雨は思わず吐きそうになった。
人間の死体を見るのは初めてだ。増してやそれが凄惨な死に方をしている。トラウマ物だ。
「………いてえ、いてえよ」
うつ伏せに倒れているおっさんから声がした。どうやらまだ息があるようだ。
時雨は思わず近寄る。
「おい、おっさん!しっかりしろ」
いくら悪人だろうと見捨てられなかった。二人は明らかに絶命しているがこのおっさんだけ傷が浅い。
「お、おお、昨日殺した坊主か。つうことはここはもうあの世か……」
おっさんは自分の首に掛けていたペンダントの飾りを見た。女性を型どった飾りだった。
「おお、アイネス-エメルよ。罪深き我が魂を導いてくれた事を感謝します」
ペンダントの飾りに向かって仰々しくこうべをたれる。
(………アイネス-エメル?)
時雨の頭にパンツ一丁女神が浮かぶ。そう名乗っていたような気がした。
(本当に信仰されてる!)
本気で驚いた。あんなポンコツ感あふれる女神に感謝したところで何になろうか!
「おっさん!しっかりしろ!あんたも僕も死んでない」
おっさんが時雨のほうを見た。
「じゃあ坊主はゾンビか何かか?オラに復讐しに来たのか」
時雨は自分の左胸に手を当てる。心臓は規則正しく鼓動を刻んでいる。
「生きてる、と思う」
確かに刺されたから自分でも死んだと思っていたがどういうわけか生きている。
「そうか、そりゃ良かった。オラ人刺したの初めてだったから………すまねえ、いくらせっぱ詰まってとは言え人刺すなんてどうかしてた、この通りだ」
おっさんは頭を下げた。
「剥いだ身ぐるみも返す。オラ達が住んでた洞穴に隠してある、ついてきてくれ」
時雨は迷った。このおっさん信用出来るのだろうか。
しかしパンツ一丁で街に向かうのもためらわれる。
(ま、怪我してるし今なら返り討ちに出来るだろう)
それにおっさん達に何があったのか気になった。時雨は惨殺現場を見返した。尋常じゃない。何が起きればここまで無惨にならなければならないのかおっさんに聞くしかない。ついでにこの世界の情報も入手出来るかも知れない。
ガサガサと草むらを掻き分け進むと隠れるように洞穴があった。
おっさんに続いて中に入る。
入り口は狭かったが中はそれなりに広がっている。焚き火の跡だろうか。焦げた草木の周りにボロい木箱が三つ並んでいたけ。
「坊主、まあ座れや」
おっさんに促されて時雨は一番出口に近い木箱に腰掛けた。いざというとき逃げやすいからだ。
「ほれ、荷物返すぞ」
時雨は昨日着ていた服とカバンを取り戻した。とりあえず着るがシャツは胸のところが裂け血痕が広がっていた。
(これだけ出血してよく生きていたな)
それよりも時雨は聞きたい事があった。
「なあ、おっさん。身ぐるみ剥いだ後僕の体はどうしたの?」
気が付いたら何故か車に居たのだ。まさかおっさんが運んだとは思えない。
「その辺にスッ転がしといたぞ。確かに死んでたと思ったんだが生きとったんだな。おかげでオラ人殺しにならずにすんだ。アイネス-エメルに感謝だ」
おっさんは再びペンダントに向かって祈りを捧げる。
(だとすると僕は死んでなくて無意識で車に戻ったのか?分からない。それにしても)
「そのアイネス-エメルってそんなに信仰されてるの?」
素朴な疑問だった。アイカに跳ねられ殴られあわあわしててパンツ一丁で胸を張るへっぽこな女神が頭に浮かぶ。
「坊主、どこの田舎から来たんだ?アイネス-エメルと言えば世界中から愛され信仰される唯一無二の女神だ。いつも我々を見守ってくれとる」
(本気で言ってるよな。あれに祈ったところで何にもならない気がするけど)
「ところでさ、そのペンダントちょっと見せて」
時雨は女性を型どった飾り部分に興味を持った。アイネス-エメルがモデルなのだろうが
「あの女神、こんなに胸無いよ」
飾りを見たときからずっと感じていた違和感を口にした。
「……………………………………………………………………………」
長い沈黙。
おっさんは頭を抱えた。
「坊主、オラが言うのもなんだが世の中にゃあ言って良いことと悪いことがある、これは王都の国立大教会の大神官様より授かった聖なる加護を受けたもんだ。エメル様をバカにしたらバチが当たるどころじゃ済まんぞ」
(国立?国を挙げて奉られてんの?)
しかし時雨はエメルに会ってきたし何より
「じゃあ何でそんなに祈ってるおっさんが追い剥ぎだか盗賊だか知らないけど落ちぶれてるの?」
「…………………………………………………………………………………………………………」
再び長い沈黙。
おっさんは頭をかきむしった。
「あーそう言われると返す言葉がねえ………」
(あ、人の信仰心とか否定するのは良くないな)
時雨は反省した。おっさんが何を信じようと自由だ。他人に迷惑を掛けているわけでもないのに否定するのは理不尽だ。
「あ、まあそれより胸が残念ってだけで女神様はいるよ」
おっさんが落ち込んでしまったので慰める。
「何しろ昨日会ったばかりだもん。スッポンポンだけど元気そうだったよ」
知らんおっさんでも凹まれるとばつが悪い。あわててフォローする。また刺される可能性もあるし。
するとおっさんはガバッと立ち上がった!
「昨日会った?坊主、本当か?オラをバカにしてウソっぱちこいてんじゃねえよな、本当にエメル様に会ってきたのか!」
すごい反応だ。
時雨にとってはアイカが居なくなる原因となった迷惑極まりない存在だがおっさんにとっては大事な信仰対象のようだ。
時雨は女神との出会いをかいつまんで話した。
するとおっさんは感涙した。
「ダズ、ザイル………エメル様は居るとよ。お前たちは死んじまったがいつかこのイカれた世界を救ってくださるかもしれねえ」
ダズ、ザイル。惨殺されていたおっさんの仲間の名だろう。
「オラはな、この近くにあった村で農民をやっとった。貧しかったがそれなりに楽しく生きとった。あの日までは………」
おっさんの目に涙が浮かぶ。
「最近な、王都じゃ魔物による被害が多かったらしい。そこで王都のお偉いさん達が対策を考えた」
(魔物、やっぱり居るのか。こんな如何にもファンタジーな世界だもんな。今のところ遭遇してないのは運が良い)
時雨はアイカが気になった。いくら腕っぷしが強いとはいえそれは対人間の場合だ。
「考えた結果がだ。魔物が寄って来るのはエサがあるから悪い、ならそのエサを無くしてしまえば良いってもんだった。そのエサってのはな、オラ達が一生懸命育てた作物や家畜の事だった。確かに魔物共が家畜を襲うことはたまにあった。畑を荒らすこともあった、でも被害は微々たるもんだった」
再びおっさんの目に涙が浮かぶ。悔しさと哀しみを強く感じる。
「なのによ、ある日王国軍が来てオラ達の村ごとみんな焼いてっちまったよ、あっという間だった。いきなり火を撒いて来やがったんだ!抵抗する連中はみんな殺されちまった。王に逆らう反逆だとか言いやがって………」
おっさんはポロポロ涙を流した。
「オラの家族もみんな死んだ!火に巻かれて焼け死んだ!抵抗してもしなくてもみんな最初から殺す気だったんだ。そりゃそうだ!王都を守るために村を焼いたなんて話が広まったら王都のお偉いさん達にしてみりゃ不都合だもんな」
時雨はただ聞くしか出来なかった。話が重すぎて付いていけない。民のために民を殺したのか………
「しかもな、皮肉なことにエサ場を失った魔物どもも王都を襲うようになった!余計被害が増えただけだ!とんだお笑い草だ!オラ達は殺され損だったんだ」
おっさんは悔しげにため息をついた。
「オラはどうにか逃げ延びたが行き場がねかった。オラに出来るのは畑仕事や家畜の世話だけだ、だから似たような村を探してさまよってたらダズとザイルに会った。聞けばあいつらの村も同じような目にあったらしい。オラ達はいつかまた元の暮らしに戻れる日を夢見てここでひっそり暮らしてた。人を襲ったのも坊主が初めてだ。テンパって刺しちまった。本当にすまねえ事をした」
おっさんは泣きながら頭を下げた。
時雨はおっさんが理不尽な目にあって今の状態になったのは分かったが自分が刺されたのは納得出来なかった。
「まあおっさんの事情は分かったけど無闇に人襲っちゃ駄目だ、それじゃおっさんの村襲った連中と同じになっちゃうよ?」
おっさんは頷く。
「ああ、そんなことしちまったからバチが当たったんだろうな………今朝王国軍に見付かっちまったよ。あいつら俺達をまるで遊ぶように殺しやがった、強い魔物からはすぐ逃げるクセに弱いやつを嬲り物にしやがるんだ!」
その結果があの惨殺現場か。切り刻まれ串刺しにされた死体を思い出す。確かに執拗以上に痛め付けられていた。
おっさんが軽傷で済んだのは運が良かったのだろう。
とにかくこの国はおかしな事になってるのは間違いない。刺されたのは余計だがこの国の現状を知ることが出来た。魔物の存在におかしな方向に進んでる国。これが世界中で起きてるとしたらこの世界は終わってる。腐りきってる。
(もしかしてこの国のイカれた現状をどうにかするのが女神様からの頼まれごとだったのかな。ならばこの国を救えばアイカ姉も元の世界に帰れる)
時雨は女神の言葉を思い出す。
「女神様はさ、人間の問題にはホイホイ干渉出来ないって言ってた」
おっさんは頷いた。
「だよなあ。そんなホイホイ助けに来ちゃくんねえよなあ」
「でもここに女神様の祝福を受けた僕がいる」
時雨は女神に英雄になりたいと願った。そして願いは受理され祝福を受けた。
(国を救うなんて如何にも英雄の使命じゃないか!きっとアイカ姉も同じのはずだ)
ならば迷うことは無い。自分に力が無いのなら何も出来ないが今は違う。女神の祝福を授かった。それに英雄とか関係無くこの理不尽な国をどうにかしたい。人として。
「僕、王都に行くよ。おっさん達の無念、晴らせるかもしれない」
時雨は目的が決まった。
おそらく先に王都に行ったであろうアイカと合流してこの国の問題を片付けて元の世界に帰る。
「坊主、王都は腐ってる。危険な場所だ。それでも行くのか?」
「行くよ。実は探してる人がいて多分王都に居ると思う。何にしろ行かなくちゃなんだ」
そう答えると時雨は洞穴の出口に向かう。
おっさんが追いかけてきた。
「これ、ダズとザイルが持ってたもんだ。坊主にやる」
それはおっさんの持ってるペンダントと同じ物だった。女神を型どった飾りは手作りなのか少し形が違うがどっちも胸が大きい。
(これ、作った人が単におっぱいスキーなだけなんじゃないかな)
もちろん時雨もアイカのようなしっかり胸がある女性が好きなので別にいいけど。
「そうだ!オラの名はグレッグってんだ。もし王都にノーソーン村の生き残りが居たら教えてくれねえか?」
時雨はペンダントを2つ胸にかける。死んだ二人の思いが詰まってるせいか重く感じる。
「分かったよグレッグのおっさん。僕は…………」
(そういえば名乗ってないや。どうせならこの世界に合った英雄っぽい名前が良いかな………しぐれ………こいしがわ………シーグ……)
少し考えて
「ジーグ‐リトルストーンリバーだ」
名はなるべくカッコ良く、性は英訳した名前に落ち着いた。
「ジーグか、良い名前だ。じゃあ気を付けてな、無理はするんじゃねえぞ」
時雨は頷くと洞穴から出る。
日がまぶしい。空には鳥らしき影が見える。
昨日は途中でアクシデントがあったが今日は大丈夫そうだ。
再び空を見上げる。
(あれ?あの鳥やけにでかいな)
だんだん近くに来てる気がする。
「グレッグのおっさん、この辺の鳥ってみんなあんなにでかいの?」
振り返りグレッグを見ると震えていた。
「ひ!ありゃフレイムドラゴンだ!」
(あーよく見ると竜っぽい。女神の祝福を試すにはうってつけの相手かも)
時雨は構える。どんどん近付いて来る竜はなかなか大きい。
しかし時雨は怯まなかった。
竜殺しと言えば英雄のテンプレだ。
「かかってこい!僕が相手だ!」
時雨は手を握り力を込める。今度こそ女神から授かった英雄パワーが発動するはずだ。急降下してきた竜に思い切り殴りかかった。
グシャボキ!
骨が砕ける!時雨の右腕の!
「あ、あれ?何も出ないや。あはは」
竜の口もとが光出す。
「ジーグ!避けろ」
おっさんの声むなしく
炎のブレスが吹き出された!
「あちゃー!あちちち、やめて燃え尽きちゃう!あーあーあーーー」
身体中が熱い、熱いとかそういうレベルじゃない。肺が焼ける、呼吸すらできず苦しい。
時雨はあまりの熱さに意識を失った。肉どころか骨まで消し炭になった。
こうして時雨の異世界の冒険は今度こそ終わった。
はずだった。
ガバッと起き上がり辺りを見渡すとそこは草に囲まれた車の助手席だった。肌がちょっとチリチリするけど熱くない。
今度は服も着てるし荷物も無事だ。
「夢………じゃないよな」
首には女神を型どったペンダントが2つ掛かっている。
(どうなってるの?)
とりあえず時雨は外に出てみる。
(こんなに背高かったっけこの草?)
なんとなく草が伸びてる気がする。
(そうだ!グレッグのおっさんだ)
農民崩れのおっさんを思い出す。
(おっさんは僕に何が起きたのか見てたはずだ)
少し体がだるかったが時雨はさっさと洞穴を目指した。
「グレッグのおっさーん、いる?」
洞穴に着いた時雨は叫んだ。しばらくするとグレッグが出てきて腰を抜かした。
「ジーグ?ジーグか!お前ドラゴンのブレスを喰らって消滅したんじゃなかったのか!」
やっぱり時雨は焼かれて消滅したらしい。
「いや、自分でも何でか分かんないけどさっき目が覚めたんだよ」
何で生きてるのか自分でも不思議だった。
「さっき何が起きたかおっさんなら分かるかなと思って」
グレッグは頭に?マークを浮かべた。
「さっき?何言ってるんだジーグ。ドラゴンが来たのは3週間前だぞ」
「うえ?」
時雨にとって竜と戦った(と言うか一方的に殺られた)のは先程の出来事だった。それが3週間前だったとは。さらにグレッグに刺されて死んだと思った時と同じで車の助手席で目が覚めた。
謎が多すぎる。
(まさか……?)
時雨は確証は無いがある一つの可能性にたどり着く。
(実験が必要だがもし違ってた場合はまずいな、でもやってみる価値はある)
時雨はグレッグにその辺に転がってたこぶし大くらいの石を渡した。
「おっさん、ちょっといい感じに死ぬか死なないかくらいの力加減で頭殴ってくんない?」
「は?」
グレッグの頭に?マークがたくさん浮かんだ。
「何言ってんだ、オラ人殺しにはなりたくねえ」
「多分大丈夫だから!いいからやってくれ」
大真面目な顔でアホな頼みをする時雨にグレッグは頷く。
「恨むなよ、いくぞ!」
ゴメス!
後頭部からまた助っ人外国人選手の名前みたいな音がした。
「ガフッ!おっさん、ナイスショット…………」
良い具合にヒットしたのか時雨は死んだ。
こうして時雨の異世界での冒険は終わった。
終わったはずだがやはり
ガバッと起き上がると辺り一面の草原。またもや車の助手席で目が覚めた。
「う、頭痛い」
後頭部を触るとコブが出来ていた。
しかしこれで時雨の思いついた可能性は確証を得た。
再びグレッグの居る洞穴を目指す。
「おっさん、グレッグのおっさーん」
呼ぶとグレッグはすぐに出てきた。
「ジーグ、お前さん何者だ。さっき殴ったらやっぱり死んじまった。だが死体がペカーって光って消えちまった……」
「やっぱりそうか!僕はおっさんに刺された時も竜に焼かれた時もさっきも死んだんだよ!」
グレッグはワケわからんと言った顔をしている。
「女神の祝福だよ!僕は死んでも死なないんだ!英雄になったから。あの女神様ポンコツじゃなかった!」
「つまりエメル様に授かった力か!」
「そうだよ!こいつはスゴいよ!多分蘇生にかかる時間は死に方の酷さに寄るんじゃないかな」
消滅した時は3週間ほど時間がかかったがさっきはすぐに目覚めた。時雨の仮説はほぼ合っている。
「つまり僕は無敵って事だ!」
時雨はテンションが上がる。
だが世の中そんなに甘くはない。時雨はこの能力の欠点にまだ気付いていなかった。
~第三章~サイドA‐未亡人Aと狼と捨て犬
サクサクと草むらを歩く女性。Tシャツにジーンズというラフな格好ながら体のラインがしっかり出ており艶かしい。
所々跳ねた長い赤みがかった髪をなびかせながら進むのは獅童アイカだ。
変な女神にスカウトされて半信半疑で異世界に来たが
「ん~、これだけの物見せられると信じるしかないか~」
と呟いた。
何しろ辺り一面の草原に遠くに見える青々とした山々、日本では考えられない人工物の無さ。
「ヤッホー!」
なんとなく叫んでみる。昨今の日本では近所迷惑と言われてしまうがここだと何も邪魔するものがない。
(さて、紫苑の事は時雨くんに頼んだとは言えさっさと用事済ませて帰らないとね!)
アイカは歩き出した。
が、そこで気付いた。
「そういえばどこで何するか聞かなかった」
アイカは変な女神を思い出す。細かい所はよく分からなかったが世界は危機に直面していてほっとくと消し飛んじゃうから救ってくれと言われた。
消し飛んじゃうと困るから「世界を守りたい」と思った。
そんな事が自分に出来るかわからないが何もしないうちにある日世界が消し飛んだらたまったものじゃない!やらずに後悔するよりやって駄目なら仕方がない、とアイカは考えた。
「まあとりあえず進めば何かしらあるでしょ!」
考えたって分からないものは分からない。アイカはさっさと歩き出した。
もう少しすると同じ場所にアイカの愛車に乗った時雨が現れるのだがアイカは知るよしもない。
「うーん、多分こっち!」
適当に方向を決めると早足で歩き始めた。それはこの後現れる時雨が目指す事になる王都と正反対の方向だった!
しばらく歩くと大きな川に出た。向こう岸まではかなり距離がある。
「泳いで渡るのは無理よね」
仕方がないので橋を探して川沿いを歩く。
「お?」
橋とそれを遮るように佇む砦を見つけた。
石造りの堅牢そうな大きな砦だ。正面には数メートルはある大扉。脇に通用口がある。
「誰かいるかな?すいませーん、ちょっと道を訪ねたいんですけど~」
砦に向かって呼んでみた。
すると中から狼の顔に人間の体の生き物が出てきた。所謂ワーウルフと言われる種族だ。短刀を持ち鎧をまとっている。しかしファンタジー知識があまり無いアイカは思わず叫んだ。
「犬人間!?」
するとワーウルフがこっちを向いた。
「なんだお前、女一人か。行きずりの娼婦か何かか?ここは俺達魔族軍が占拠中だ。見逃してやるからさっさと消えなビッチ」
ワーウルフは手をヒラヒラさせて追い払おうとする。ここは数日前ワーウルフ達が王国軍から奪い取った砦だった。王国の重要な防衛拠点の一つだった。
ワーウルフにしてみれば女が一人迷いこんできただけ。
アイカなど眼中にない。それが失敗だった。
ダンッと足を踏み込み
ボグシャッとワーウルフの腹に拳がめり込む。鎧ごとだ!
「………誰がアバズレヤリマンクソビッチだオラァ」
誰もそこまで言ってないのに一瞬で血染めの獅子が目覚めた。
「グェホッ、いきなりなにしやがる」
ワーウルフは咳き込みながらへたり込む。
バキッ!
今度は首に綺麗に蹴りが入った。
「こっちゃあワケわからん世界で行くあてもなくて困ってんだ、次つまらねえ事言ったらその首飛ばすぞ!」
鬼も裸足で逃げ出す形相を浮かべ怒鳴るアイカ。
ワーウルフは初めて人間から恐怖を感じた。こいつは危険だと脳内アラームが鳴っている。
しかし砦から別のワーウルフが出てきた。
音と怒鳴り声が聞こえたのだろう。
「どうした!何があった!」
「いきなりその女が………」
アイカを指差すとワーウルフAは倒れこんだ。
騒ぎを聞きつけワーウルフがどんどん出てくる。あっという間にアイカは囲まれた。
「へへ、姉ちゃん残念だったな。俺達に楯突いたこと後悔するぜ」
すでに殴られ鼻血を出しながらグッタリしていたワーウルフAは仲間の出現に安堵したのか強気になる。
しかしワーウルフAが見たのは怯える顔ではなく目を輝かせ笑みを浮かべるアイカだった。
(なんなんだこの女は、ただの人間じゅねえ………)
ワーウルフAは気を失った。
「………ひさしぶりだなあこの感覚、敵意むき出しの肌がひりつく感じ」
アイカは拳を握りしめる。
「最近ご無沙汰だったからなまってると思うけど」
とりあえず目標を定める。
「ちょっとリハビリに付き合いな!」
言った瞬間囲んでいたワーウルフBが吹っ飛んだ。
見えない速さの顔面蹴りあげだった。
「なっ」
ワーウルフ達は何が起きたのか分からない。気付いたら一人吹っ飛んでいた。
「ふー、イマイチだったなあ。やっぱりキレが落ちたかも」
独り言をつぶやくアイカ。
他のワーウルフより少し大きいちょっと賢そうなワーウルフが叫ぶ。ワーウルフ達のリーダーのようだ。
「何をしているんだ、落ち着いて行け!」
ポカーンとしていたワーウルフ達はハッとして正気に戻る。
「オラァ!」
「甘いっ!」
殴りかかってきたワーウルフCの腹にカウンターで拳を入れる。
ワーウルフCは苦しげに転がり回る。
それを見たワーウルフDは剣を抜いた。
「死ねや!クソアマ」
しかしアイカは怯まずワーウルフDの剣目掛けて蹴りを放つ。
パキンと綺麗な音を立て剣が折れた。
「クソはテメーだ!女一人に光りもん出してんじゃねえ!」
アイカはそう吐き捨てると折れた剣を見つめてたワーウルフDの股間を蹴りあげた!
「ギャヒッ」
股間をおさえながら悶絶し気絶するワーウルフD。
他のワーウルフ達も「あれは痛いよね」と同情した。
「なんなんだお前は!」
ワーウルフのリーダーが叫ぶ。
「ただのちょっとヤンチャな可愛いギャル!って年齢でもないか………」
アイカは答えながら考えた。
「ちょっとヤンチャな可愛い未亡人だ!」
言い直した。
もうワーウルフのリーダーもよく分からなかった。王国軍相手に砦を奪い取った猛者があっという間に四人倒された。
もうなりふりかまっていられない。合図を出すと砦の屋上に弓を持ったワーウルフ達が出てきた。
「女一人に卑怯かも知れんがこっちもここを任された身なんでね。悪いが死んでくれ」
ワーウルフ達は弓を引き絞る。
(しまった!まずった!頭に血がのぼると周りが見えなくなる私の悪いクセ出ちゃった!)
発端は道を聞きたかっただけだったのに気付けば窮地に陥っている。
アイカは周りに遮蔽物がないか慌てて見渡すが何もない。せめて弓の2、3本なら躱す自信があるがさすがに飛び道具多数相手はどうにもならない。万事休すか。
(くっ、ここまでか。紫苑ごめん、母ちゃん帰れそうにない。時雨くん紫苑の事よろしく。なんなら将来嫁にしてあげてください。時雨くんなら安心して嫁にあげられます)
頭に愛娘の可愛い笑顔と少しも頼りなさげな青年の優しい笑顔が浮かんだ。
(…………………………………やっぱり)
矢がいっせいに放たれるその瞬間だった。
「やっぱり死ねるかああああああああ!」
叫びながらアイカは思い切り手を開き前に突き出した。そんな事してもどうにもならないのは分かっている。数秒後には自分の体にはたくさん矢が刺さり死ぬ。それでも諦めきれないアイカの悪あがきだった。
しかし突き出した手から砦の弓兵に向かって光が放たれた!光は砦を巻き込みながら弓兵に向かう。
壮大な爆音と共に砦が半壊した。
「………ふぇ?」
我ながら間抜けな声が出た。アイカもワーウルフも呆然としている。
「何か出た?………………うん何か出た…」
血染めの獅子伝説に目からビームが出ると言うのがあったがもちろん出したことはない。しかし手からビームは今、間違いなく出た。自分の手を見つめながら
「なんじゃこりゃ?」
アイカはワーウルフのリーダーに聞いてみた。
「俺に聞かれても………」
この世界には魔術はある。しかしそれは魔法とは違う。きちんと術式を編んで組み上げて初めて成立するのが魔術だ。
今アイカがやったのはやぶれかぶれで手を突き出しただけだ。魔術でもなんでもない。
(得体が知れぬなこの女。ただ一つ確かなのは我々では勝てないと言うことか)
ワーウルフのリーダーは少し考えると
「全員撤退!犬帝様を出せ、我々の手には負えん!」
ワーウルフ達は半壊した砦に逃げ込む。
砦の大扉が開くと黒い大きな犬が出てきた。大扉からでさえ何とか出てくるサイズ、本当に犬?って感じだ。
「犬帝様。お休みのところ申し訳ない、非常事態です。どうか我らをお守り下さい」
ワーウルフのリーダーがうやうやしく大きな犬にかしずく。
「アオーーーーン」
分かった!とばかりに遠吠えした。
それだけでビリビリと衝撃波が飛んでくる。
「ああもう!次から次へと」
アイカは大きな犬と対峙する。
正面から見るとより迫力が増した。犬の額には縦にスッと傷痕があった。こんな強そうな犬に誰が付けたのか。
(うわあ。これは不味いな。殴っても効かなそう、さっきのビームは何で出たのか分かんないし)
とりあえず迎え撃つべく構えてみたもののどう対処すれば良いか分からない。
考えてるうちに犬はアイカに向かって突進する。
(あれは止められない!受け身取らなきゃ)
ぶつかる瞬間後ろに飛ぶ。そして衝撃を緩和して立ち上がってから反撃。の予定だった。
が、犬は急ブレーキをかけた。アイカの直前で止まる。
「………まずった!」
突進はブラフ、本命は太い腕と鋭い爪から繰り出される凪ぎ払いか、それとも噛み付きか。
「………………………………あ」
目の前の巨獣はアイカを見つめている。それだけだった。
アイカも巨獣の顔を見る。つぶらな瞳は力強さだけでなく愛らしさも感じる。額の傷痕は古いもののようだが精悍な印象を与える。目の前に居るのに不思議と恐怖は感じない。
『…………アイカお姉ちゃん?』
突如脳内に直接声が響いた。
「なっ?何?」
幻聴か?とアイカは戸惑う。この世界に来てからまだ一度も名乗っていない。自分の名を知る者はいないはずだ。
『この匂い、やっぱりアイカお姉ちゃんなんでしょ?』
まただ。まるで子供が大人にたずねるような声が聞こえる。
(………黒い体………額の傷………私を知ってる、まさか!)
「チビスケなの?」
チビスケ、おおよそ目の前の巨獣には似つかわしくない名前だけどアイカは確信した。
『驚いた?僕もびっくりしたよ。まさかアイカお姉ちゃんがここに来るなんて』
「チビスケ、お前何で!どうしてこんなに大きくなって!何でこんなところに居るんだよ」
チビスケ。かつてアイカが飼っていた愛犬だった。
中学生になってすぐの頃だ。校庭に一匹の黒い子犬が迷いこんできた。ふらふらした足取りで頭から血が流れていた。
何となく授業に飽きてきたアイカは窓から外を見る。子犬を見付けた。子犬が倒れこむ。アイカは反射的に窓を開け外に出た。子犬に近寄る。制止する教師の声を無視してアイカは子犬を抱えると一番近い動物病院に駆け込んだ。
出血は縫合され収まり衰弱も点滴でどうにか持ち直した。額に傷は残ったが。念のため検査してもらったら生まれつき心臓に疾患があり長生き出来るかどうか分からないと言われた。病院代が無かったので母親を呼んだ。怒られる。アイカはそう思っていたが何故か母親に誉められ飼うことも認められた。
こうして黒い子犬は獅童家の一員となった。アイカはゴン三朗と名前を付けようとしたが隣に住む小学生、時雨に可愛くないと言われ二人で考えた結果チビスケと名付けられた。体が弱いせいなのかそれともそういう種類なのか成長してもあまり大きくはならなかった。
アイカに大層なついていた。アイカも可愛がった。アイカが家に居るときはいつも一緒に居た。帰ってくるといつも出迎えてくれた。寝るときも一緒だった。たまに心臓が苦しいのか発作を起こしアイカはひやひやした。アイカ、時雨、チビスケで散歩も多かった。楽しい時間だった。
だがアイカが高校生になって少したった頃、チビスケは突然居なくなった。どんなに探しても見付からなかった。いつか帰ってくる。アイカはそう信じた。
そして再会はまったく思いもよらず訪れた。
「本当に何でだよ、何で居なくなったんだよ、何でこんなところに居るんだよ」
思い出すとあふれる想いが止まらない。アイカの目に涙が浮かぶ。
『お姉ちゃん、僕の額に手を当てて』
ずずいっと巨獣、改めチビスケは頭を下げた。
アイカはそっと額に触れる。懐かしい温かさを感じる。
『うんそれじゃあ目を閉じて。あの日僕に何が有ったのか見せるから』
アイカは言われる通り目を閉じた。すぐに周りの音も消える。
真っ暗な静かな空間に居るようだった。
(…………………………………………懐かしい匂いがする)
真っ暗なのにどこか懐かしい雰囲気が満ちてきた。やがて
「ただいま~」
どこかで聞いた声がした途端視界が開けた。やたら床が近い。寝ていたのか。目の前には吐瀉物があった。ドッグフードだ。消化出来ずに吐いてしまったのか。
(お姉ちゃん帰ってきた!お出迎えしないと)
視界はふらふらと揺れている。調子が悪い。
「お、チビスケ!いい子にしてたか~よしよし」
ボサボサの赤みがかった長い髪の高校の制服を着た少女が頭を撫でてきた。なかなかの可愛さだ。将来はえらい美人になりそうだ。短いスカートからは黒いレースのパンツが見えていた。エロい。
(何かローアングル過ぎないか?パンツ見放題じゃないか………どこかで見たことあるなこれ)
アイカは思い出した!このパンツは高校生になったからと無理して背伸びして買った高かったやつだ!
(あれ私だ!若い!可愛い!………そうか、これチビスケの記憶か!チビスケ目線なんだ)
小型犬サイズのチビスケ目線故に床が近く女子高生アイカを見上げる形になる。
(お姉ちゃん僕、今日なんだかすごく調子悪いの)
女子高生アイカの足にまとわりつく。
「ん~どうしたチビスケ。遊びたいのか?悪いな、ちょっと出掛けるんだ」
そう言うと女子高生アイカはささっと私服に着替えまた玄関に向かう。ジーンズにシャツ。この辺は大人になっても変わらないセンスだ。
(お姉ちゃん待って、置いてかないで)
一生懸命女子高生アイカを引き留めようとする。しかし
「帰ったら遊んでやるからな~、じゃあ行ってきます!」
行ってしまった。バイクのエンジンがかかる音がする。玄関は半開きだった。外に出る。
(一人で外に出るのは初めてだ………)
一生懸命吠えるがバイクの騒音に掻き消され女子高生アイカには届かない。甲高いエンジン音と共に走り去ってしまった。
(お姉ちゃん待って!………お姉ちゃん………)
走り去った方向を見つめる。
(そうだ、この頃私はバイク買ったばかりで毎日走り回ってたんだった)
急に視界がかすみ始めた。
(どうしたんだ?)
目の前景色が歪む。しかしバイクが走り去った方向に歩き出す。
(お姉ちゃん…苦しいよ)
よろよろの足取りで進む。
途中歩いている人に何度もぶつかりそうになる、車にもはねられそうになった。視界はどんどん歪む。それでも匂いを頼りに進み続ける。
(お姉ちゃん……助けて、なんだか体がおかしいんだ……)
足取りは重い。
(お姉ちゃん…)
とうとう立ち止まってしまった。
そして倒れこむ。何度も立ち上がろうとして倒れた。
(おい、チビスケ!起きろよ!まさかこんなとこで………)
ここはチビスケの記憶の中。書き換えることは出来ない。
チビスケは分かっているのだ、自分の死が近いことを。
(最後にお姉ちゃんに会いたい。一目で良いから)
最後の力を振り絞りどうにか立ち上がる。
視界は真っ暗だった。もう目が見えていないのだ。
(僕はお姉ちゃんにもう一度会うんだ!)
走り出す!
(僕を助けてくれたお姉ちゃんにたくさんありがとうするんだ)
アイカに拾われた日からの楽しい記憶が流れる。いつもチビスケの周りは笑顔であふれていた。アイカを中心にアイカの両親や友達に囲まれてとても幸福な日々だった。誰よりもアイカが好きだった。アイカの声が好きだった。アイカの匂いも好きだった。だが生まれつきの心臓の疾患のせいか早くも別れの日が来てしまったのだ。このままではもうアイカに二度と会えない。
(神様、お願いします。最後にアイカお姉ちゃんに会わせてください)
チビスケは祈った。
最後の命の灯を燃やして走り続ける!
途端に視界が開けた。
真っ青な空間。目の前には銀色の長い髪に赤い瞳の全裸の女性が居た。美人だが胸が残念なサイズだ。
(!)
アイカこの女性を知っている。と言うか数時間前会ったばかりだ。
(あれ?お姉ちゃん?じゃないよね誰だろう)
チビスケは銀髪の全裸女性を見上げた。何故か泣いてる。鼻水流れてる。
「うう、ズビッ」
チーン。どこかからか出したティッシュで鼻をかむ。
「お主を見とったら涙が出た。お主のあるじを思う強い気持ち、この女神アイネス-エメルにしかと伝わったぞ」
(バカ!近寄るな!チビスケ目線だとあんたのアレが丸見えじゃない!パンツくらい履け痴女女神!)
アイカは唸るがチビスケの記憶なのでもちろん声は届かない。
「お姉さん誰?」
子供のような声が出た。チビスケの声だった。
「え?僕喋れる!何で?」
痴女女神は答える。
「ワシはアイネス-エメル、女神じゃ。ここは人も獣も神もない空間じゃ。お主ともちゃんと話せる」
「へぇーそうなんだ、さすが女神様だね。スゴいや!」
素直で純真無垢なチビスケは目の前の痴女をすぐに信じた。まあ実際一応本当に女神なのだが。
「お主は死ぬ寸前じゃった。お主の強い願いが聞こえた。ワシに届くとはよほど純で強い願いなんじゃろな。ワシいちいち人の願いなんて聞かないもん」
(やっぱろくな女神じゃないなこの痴女)
アイカは改めて思った。
「お姉さん若くて美人なのにお婆ちゃんみたいな話し方するね。それに裸で居ると風邪引いちゃうよ」
チビスケはズバリ正直に言った。
「はっはっは、先ほどまで自分が死にかけていたと言うのに人の心配をするとは大した者じゃ!齡3つの獣とは思えぬ」
痴女女神は感心した。
「ワシはな、女神じゃから風邪など引かぬ。え~と500年、5000年?5億年じゃったっけ?………とにかく長い間女神やっとったらこんな話し方になってたのじゃ」
チビスケは頷いた。
「スゴいや!じゃあ僕の願いも叶えて!アイカお姉ちゃんに会わせてください!」
だが痴女女神は首を振る。
「すまぬ、最初に言うべきじゃった。お主の願いは叶えられんのじゃ。今のお主では元の世界に戻った瞬間死ぬ。ワシでも死の運命は変えられないのじゃよ。お主のような小さき者の願い一つ叶えてやれんとは………本当にすまぬのう」
痴女女神自身も残念そうだった。
「そっか、仕方ないよね。僕が小さくて弱いのが悪いんだ、女神様のせいじゃないよ」
(そっかアイカお姉ちゃんにはもう会えないんだ)
チビスケは強がりを言って内心凹んだ。
「じゃがな、それはお主をこのまま元の世界に戻した場合じゃ。お主はまだギリギリ生きとる。ならば違う世界で違う形で生きてみぬか?」
違う世界。アイカのいない世界でなら生きられる。
女神様はそう言っている。
(アイカお姉ちゃんのいない世界………どんなとこだろう、でも)
「それで良いよ女神様。だってこのままじゃ僕は死んじゃうんでしょ?だったらせっかくもらったチャンスだもん!違う世界で生きるよ!」
チビスケは迷わなかった。例えアイカに二度と会えぬとも生きる道を選んだ。
(チビスケ~、お前ってやつはどこまで真っ直ぐなんだ)
アイカは感心した。
「お主………本当に大した者じゃのう。なかなかおらぬぞここまで高潔な魂を持つ者は。お主の飼い主は幸せ者じゃな」
痴女女神も感心した。
「では何か願いはあるか?」
痴女女神の問いに
「今度は強くて大きくなりたい!大事な人を守れるくらい」
チビスケにとっての大事な人とはアイカの事だ。今までは拾われ助けられ守られて生きてきた。
今度アイカのような存在が生まれたら自分が守りたい。チビスケはそう思った。
「よしわかった!お主の願いはこのアイネス‐エメルを通して世界に受理された!新しい世界に行くがよい!ワシからも祝福を授けよう!」
痴女女神はチビスケの額に手を当てた。
「ありがとう女神様。いつかまた会えたら良いね」
「うむ、またいつか会おうぞ。達者でな!」
そこで記憶映像は終わった。
『そんな訳でここに居るんだけど………って、え!』
チビスケの額に手を当てていたアイカは力が抜けたように座り込んだ。
「………最低だ」
ポツリと呟いた。
「私、最低だ」
今度ははっきりと言った。
「お前をちゃんと見てれば気付けたのに!」
さらに続ける。
「お前が大変な時に側に居てやらなかった!」
今にも泣きそうな声で叫ぶ。
「勝手にどっか行ったんだって、勝手に居なくなったんだって思ってた。お前はあんなに私を愛してくれてたのに私はお前を信じてなかった!」
ポロポロ涙がこぼれ出す。
「ごめんチビスケ~私飼い主失格だ…ああー」
とうとう本格的に泣き出してしまった。
『お姉ちゃん落ち着いて』
チビスケが慌てる。
「だって、だってお前は最後まであんなに私を想ってくれてたのに私は勝手で、うわーん」
血染めの獅子ではなくすっかりただの少女のように泣きじゃくるアイカ。
『アイカお姉ちゃんは悪くないよ、僕の寿命だったんだから』
「でも、ちゃんとお前を見ててやれば側に居た!あんな思いさせなかったのに」
『でもこうやってまた会えた。僕は嬉しいよアイカお姉ちゃん』
チビスケがペロリとアイカの顔を舐めた。
「じびじゅげ~どこまで優しいんだお前は~」
アイカはチビスケの胸に抱き付いて顔をうずめた。懐かしい匂い、懐かしい温もりに涙が止まらない。
(痴女女神とか言ってごめん。あんたのお陰でこんな奇跡が起きるなんて………)
女神に初めて感謝した。
「まさか犬帝様のあるじで有ったとは………」
ワーウルフのリーダーが呟く。
「その犬帝様って何なの?」
アイカは聞いてみた。規格外にでかいだけの犬ではないのだろうか?
「犬帝様はある日突然現れた」
「ふんふん」
「詳しい事は省くが我らは猫人族との泥沼の闘いをしていた」
(犬人間の他に猫人間も居るのか。変な世界だな)
ファンタジーに縁がないアイカはワーウルフもワーキャットも知らない。
「そこに犬帝様が現れ闘いを静めてくださったのだ。双方の顔を汚す事なく和平を結んだ。犬帝様は我々犬科の獣人だけでなく猫達にも認められている我らの恩人なのだ」
『僕はそんな大した事してないんだけど女神様にこっちの世界に送られて来た時に色々力を分けてもらったみたいで………神史の使いとか霊獣とか言われて………何だか色んな獣人さんに崇められてるんだよね………そんな偉いものじゃないと思うんだけど』
アイカはまだ鼻がズビズビ言っていたがチビスケから離れた。ティッシュが欲しいけど持ってない。
「我々を素手で倒す時点でただの人間ではないとは思ったが犬帝様よりさらに格上だったのか。」
ワーウルフのリーダーはアイカに対しても態度を改めた。どうやらアイカとチビスケの会話は彼にも聞こえていたようだ。
察するに普通の人間にはチビスケの声は聞こえないのだろう。
「そうとは知らず刃を向けるとは………犬帝様、それとアイカ殿と言ったか。大変な無礼を働いてしまった。どうか許してほしい」
深々と頭を下げられる。
さっきまで争っていたのにチビスケの存在は相当重要なのだろう。
『ベルフさん、頭を上げて』
チビスケが促す。ワーウルフのリーダーはベルフと言うようだ。
「えーと犬人間…じゃなくてベルフさん。こちらこそ暴れてごめんなさい。その………死んじゃった人とかいるかも」
ビームが出たときに殺してしまったかも知れない。アイカは頭が冷えると取り返しのつかない事をしたのでは?と思った。
「いや、こちらも殺すつもりでいたのだ。お互い様だ」
ベルフは仕方ないと納得した。
『………うん、怪我人は居るけどみんな生きてるよ』
チビスケの声に
「分かるの?チビスケ」
「本当ですか?犬帝様」
アイカとベルフ、同時に答えた。
チビスケには感覚で分かるようだ。
さらに半壊した砦から何人かワーウルフが出てきた。
「犬帝様!無事っすか………って何か和解してる?」
ワーウルフ達の頭に?マークが浮かんだ。
ベルフが簡単に事情を伝える。
「マジっすか!犬帝様のあるじだったんすか。そりゃつえー訳だ」
「犬帝様のあるじとかマジ神っす。女神っす」
「も~先に言ってくださいよ~」
何か納得された。
(戦わなくて良いのは助かるけど女神ではない、あれと一緒にされたくないんだけど)
アイカの中では女神=全裸の痴女である。
「どんだけ慕われてんの、チビスケ」
『うん、僕もちょっと困る程………そうだ!』
チビスケはワーウルフ達に顔を向ける。
『みんな、今まで世話になった!僕の本当のあるじが現れた!だから僕は行くよ』
チビスケのセリフにワーウルフ達は動揺した。泣き出すワーウルフも居た。
「犬帝様、本当に行かれてしまうので?」
ベルフの問いにチビスケは頷いた。
「うん行くよ。今までお世話になりました。でも、もちろんみんなに何か有ったら駆けつける!約束するよ」
「チビスケ、本当に良いの?私なら一人で大丈夫だよ?」
アイカは申し訳ない気がした。大事な時に側に居てやらなかったのに付いてきてもらうなんて悪い。
『さっきまで泣いてた人をほっとけないなあ~』
チビスケがからかうように言う。
「このヤロー、生意気言うようになったなあ」
アイカが笑う。チビスケも笑っているように見える。
それを見ていたベルフは意を決した。
「みんな、聞いてくれ。我々は魔族軍から離脱しようと思う」
ワーウルフ達は別に驚かなかった。
「ああ族長、俺達は森の種族だ。そもそも別に人間と争いたい訳じゃねえ」
「んだんだ!一応魔族軍の端くれってだけだ。砦は落とした。充分義理は果たしたっぺ」
ベルフは頷いた。
そしてアイカに話しかける。
「この砦は魔王様に命じられて落とした。守っていた兵士達は殺していない。犬帝様の姿を見たらすぐ逃げ出した」
(魔王とか魔族ってなんだろう?悪いやつかな?よくわからないけどまあいっか)
そんなことより再び会えた愛犬のほうが大事だった。まさか生きていて話も出来るようになるなんて。
『うん、人間は僕が怖いみたい。ちょっと傷付いた』
チビスケがショボンとした。
「何で?こんなに可愛いのに!見る目無いなあ」
『アイカお姉ちゃんはより美人になったね!』
チビスケはアイカに頭をすりすりした。そんなチビスケを撫でつつアイカはベルフに聞いてみる。
「私さ、人間とか魔族とかよく分かんないけど別にどうでも良いし!そんなんより大事な事あるんじゃない?争うのは勝手だけど命とか絆とか、無くしてから気付いても遅いよ。まあかかってくるなら相手するけどね!」
ベルフはうなる。
「さすが犬帝様のあるじ、器がでかい」
『お姉ちゃんは昔から喧嘩しても最後は仲良くなってたもんね』
チビスケが笑う。
さっきまで争っていた。しかし今は談笑している。
「そうだな。人間やら種族やらで決め付けるのは愚かだ」
ベルフは頷き他のワーウルフ達に話す。ワーウルフ達は砦に戻りやがてその向こうの橋を渡り去ってゆく。
「それでは失礼する。アイカ殿、犬帝様、またいつか会える日を楽しみにしているぞ。もし森に寄ることがあれば歓迎しよう」
『うん、他の獣人さん達にもよろしく言っといて』
アイカとチビスケはベルフを見送った。
そして二人きりになるとアイカは思い切りチビスケに飛び付いた。頭の上によじ登る。
『わ!お姉ちゃん何するの』
チビスケに顔をうずめてもふもふする。
「だって嬉しくて嬉しくてたまらないんだもん」
『僕も嬉しいよ、だってもう絶対会えないと思ってた』
チビスケは一つ気になることがあった。
『ねえ、お姉ちゃんも死にかけてこっちの世界に来たの?』
チビスケは死の寸前に女神に救われ異世界に来た。
「違うよ~、全然元気、ピンピンしてる」
アイカは女神にスカウトされて来たいきさつをチビスケに話した。車で跳ねたり殴ったりしたことは黙っておいたが。
「何か全裸ちゃんにこのままだと世界は滅ぶらしいからどうにかしてきてって頼まれたんだけど細かい事聞くの忘れた!」
(女神様まだ全裸なんだ………いつから全裸なんだろう)
チビスケは自分を救った女神を思い浮かべた。
『そうなんだ、世界が滅ぶのか~………って…えええ!』
「いやね、私も良く分かんないけどそうなんだってさ~。かといってどこで何すれば良いのか分かんないし……チビスケ何か知らない?何かおかしな事あったりとか」
チビスケは少し考えた。
『そういえば最近風がおかしいんだ』
アイカの頭にたくさんはてな?が浮かぶ。
『あ~お姉ちゃんには分からないよね。感覚的なものだから。僕はこっちの世界に来てちょっと長いから分かるんだ。風が運んでくる土や水、草の匂いが最近元気ないんだ』
「ふんふん」
アイカは適当に相槌を打つ。
『こっちの世界は魔術って言うのがあるんだけどそれはほとんどが自然の力を借りて行うんだ。だからこっちの世界の人はすごく自然の事を大事にしてる』
アイカは女神の言葉を少し思い出した。
「そういえば全裸ちゃんが言ってた!科学の代わりに魔術が発展してるって。魔術が何なのか知らないけど」
チビスケはどこから説明すれば良いのか分からなくなった。この世界に来てから感覚が前より研ぎ澄まされるようになったチビスケは理屈を飛ばして直感で魔術を理解してしまった。
『例えばベルフさん達ワーウルフは森の守人って呼ばれる種族で』
そこでアイカはショックを受けた顔をした。
「森の守人、もりのもりびと………ウチの愛犬が………親父ギャグ、ダジャレを言うようになったなんて」
『…………………………真面目に聞いてください』
「はーい、すいません先生」
チビスケに怒られた。
『で、術式を手順を踏んで行うと森の木や水の力を分けてもらって体を癒したり強化したりしてた。他にも色々出来るよ。こういうのは素質があれば人間も出来るんだ』
「へぇーそうなんだ」
アイカはだいぶ飽きてきた。やっぱり聞いてもちんぷんかんぷんだった。チビスケの背中の上に寝転ぶ。
『ただ使いすぎると自然が枯れちゃうんだ。まあそうなるその前に自然が自身を守ろうと力を分けてくれなくなっちゃうけどね。なのに今も魔術は衰えを知らない』
アイカは自分の世界を思い出す。自然を大事にしているとは思えない世界。そのせいか異常気象が頻発している。
「だいたい分かった」
アイカは頭が悪いわけではない。
「つまり自然の力がめちゃくちゃ弱ってる。なのに魔術はしっかり使えてる。それはこの世界では矛盾してる。合ってる先生?」
『さすがお姉ちゃん。そうなんだよ。いつもならここまで極端に消費されることはないし本当なら自然が自らを回復させるために魔術が使えなくなるのが普通なんだ。このままだと自然が枯れちゃう。それってもしかしたらこの世界の終わりかも知れない』
チビスケは困った顔をした。
「誰かが無理やり力を引き出して乱用してる?」
アイカが問う。
一見緑豊かなこの世界。しかし見た目では分からないダメージがあるようだ。それを感じる事が出来るチビスケ。
女神の力を分けてもらいこっちの世界に来たチビスケはやはりただの大きいだけの獣とは違うようだ。
(元愛犬って言うのもあるけど何だかチビスケのそばに居るとすごく心が落ち着くって言うか穏やかになるのよね)
アイカはアイカでチビスケから出ている柔らかいオーラを感じ取っている。
『うーん分からないけどね。勝手に法則が乱れたのか何か要因があるのか。人間と魔族が争ってるのも直接じゃないけど元をたどれば実はそれが原因かもしれない』
最終的にチビスケの尻尾にぶら下がっていたアイカは地面に降りた。
「チビスケ先生、その魔族って言うのも良く分かんないんだけど」
『そうだよね。僕もこっちに来てすぐは全然分からなかったもん』
この世界の法則を壊そうとしているのは人間か魔族かそれ以外の要因か、それを知るにはまずはこの世界の事を知らなくてはならないとアイカは考えた。行き当たりばったりではまたさっきのように無用な争いをすることになる。
チビスケは半壊した砦に向かいアイカを呼んだ。
『中に入ろうお姉ちゃん。もうすぐ日がくれる、夜はけっこう冷えると思うよ。僕は平気だけどお姉ちゃんには寒いかもしれない、続きはお茶でも飲みながら話そう?』
アイカはまた感動してしまった。まさか愛犬にお茶に誘われる日が来ようとは!
「分かった~今行く~」
チビスケと共にアイカも砦の中に入る。
砦の中は意外と広かった。広間以外にも台所らしき部屋に仮眠室、倉庫などの小部屋がある。
反対側の扉は橋に繋がっているのだろう。
「へぇー住めるなここ」
アイカの素直な感想。
チビスケは小部屋には入れないので広間で横になる。
『そっちに兵士さん達が置いてった食べ物とかあるよ』
そう言われアイカは台所らしき部屋に行く。各種食器の他に茶葉らしきもの、干し肉やらなにやら保存の効くものが置いてある。鍋やフライパンもあった。
ただ水道の蛇口はないしコンロももちろんない。釜戸があるだけだ。
『お水は川で組むの。大丈夫、この世界の川の水はキレイだから』
アイカは頷くと橋側の勝手口を開ける。水汲み場があった。鍋に水を入れ戻る。
釜戸にはまだ使えそうな薪があった。
「あちゃー、火つけるもの持ってないや。ライターくらい持ち歩くべきだった」
別にアイカは喫煙者じゃないので火を持ち歩く癖はない。
さてどうしたものかと考える。
『お姉ちゃん、ちょっと離れて』
そう言われアイカは釜戸から離れる。
『…………………ほいっ』
ボッと薪に火がついた!
「すごい!チビスケがやったの?」
『簡単な魔術なら少し使えるんだ、難しいのは無理だけど』
恐るべし我が愛犬の成長、とばかりに感心した。
『お姉ちゃんもコツを掴めばすぐ出来るようになるよ』
そう言われるがアイカにはまだ仕組みがさっぱり分からない。
とりあえずお湯が沸くのを待つ。
『チビスケは何食べるの?』
今のチビスケには大型犬用ドッグフードでも物足りないだろう。
猪とか鹿とか丸飲みしそうなサイズだ。
『あ、僕は基本的にご飯いらないんだ、何かねこの世界にいると勝手に栄養が体に入ってくるの』
アイカは驚いた。仙人は霞を食べるとか言うけど
(チビスケってもしかしなくてもかなり凄い存在なんじゃ)
本人は大したもんじゃないとか言っているがやはりそこらの獣とは格が違うようだ。
『味わうために食べる事はあるけどね。あ、ひさしぶりにカリカリさん食べたいなあ』
カリカリさんとはチビスケが食べていたドライフードの事だ。
小型犬用を食べていたが今のチビスケには袋ごとあげても足りないだろう。
「元の世界に帰ったらたくさん買ってくるよ」
『やったー!』
この辺は無邪気なままで可愛いなと思った。
「まあこっちの世界にどうやって来るのか分からないけど。全裸ちゃんに頼めば大丈夫かな」
そんなこと話してるうちにお湯が沸いた。
適当なカップに謎な茶葉を入れる。良い香りがした。
「なんだこれ、美味しい」
緑茶でも紅茶でもハーブティーでもない。不思議な甘味が喉を癒した。ついでに干し肉もかじる。こっちはジャーキーと同じ味だ。つまみに良さそう。お酒無いけど。
アイカは横になったチビスケのお腹のあたりに寄り添うように座った。
『どこまで話したっけ?』
「ん~私が宇宙怪人ボンボロゴンを倒したあたりまで」
沈黙が流れた。
『えええ!お姉ちゃん宇宙人と戦ったの?すごい!』
信じちゃった。
(妙に賢くなってたりするけどこの純粋さ。大きくなってもかわゆいヤツよのう)
アイカは内心クスクス笑った。
「いや、ごめんウソ。人間とか魔族とかそんな話」
チビスケはため息をついた。
『はあ、もう大事な話なんだからちゃんと聞いてください』
また怒られた。
「はーい先生。続き教えて下さい」
アイカは謎のお茶をすすりながら答える。
『まったくもう。えーとこの砦の出口に川あるでしょ?トーネ川って言う川なんだけどこの川を挟んで人間と魔族分かれて住んでるの』
確かに川幅はかなり広かった。この砦がある橋以外で渡るのはかなり大変そうだ。
『人間にも山の部族やらアマゾネスやら色々居るけどだいたいはこの先の街道を行った王都や近隣の街で暮らしてる』
「ふんふん、やっぱり街はあるのね」
(みんな犬人間みたいなのばかりじゃ困るけど人がちゃんと居るならまだいいや)
アイカは少し安心した。
『で、橋の向こうはほとんど魔族の土地。ベルフさん達みたいに森に住んでたり羽の生えてる種族は大きな木の上に住んでたり色々。湖や沼地に住んでる種族も居るし他にもたくさんいるよ』
(自然と共に生きてるのね、人間とは違うんだ)
アイカは何となく理解した。
『それをまとめてるのが魔王様。人間で言う王様だね』
(魔王。何か悪いヤツっぽい響きだな)
と、アイカは思ったが
『魔族と人間、そんなに違いはないよ。ちょっと前まで交流もあったし』
「なんだ、魔王とか魔族ってわりとまともなのね」
『そうだよ、人間とちょっと見た目が違ったり習性が違うだけ。彼らは彼らで懸命に生きてる』
(うーん分かりやすく何かやってそうなヤツだったらそいつを倒せば終わりなのに)
アイカは考える。とりあえず両方探るべきだろう。世界をおかしくしている要因。それがなんなのか分からないが探すしかない。世界が終わる前に。
『それとは別に魔物って言うのも居るの。こいつらは本能のままに生きてる。自然と涌き出てくるし見境なく襲って来るから気を付けてね』
人間に魔族に魔物。
大まかに別けて3つの勢力。それらのどれかか、それとも全部なのか。この世界を乱してる原因が何かあるはずだ。
その何かを見付けてどうにかするのが女神から頼まれた世界を救うと言うことに繋がるのではないか?アイカはそう考えた。
『最近は何故か魔物が狂暴なんだ。前より涌き出てくる数もたくさん増えた。これも自然をおかしくしてる要因の一つかも。いや逆かな?自然がおかしいからたくさん涌くようになったのかな。さっきも言ったと思うけど今人間と魔族が争ってるきっかけもこいつらが原因だし』
「見境なく襲うような能動的な連中なんでしょ?そんなんが何で原因なの?」
『あいつらは個々の力は大したことなかった。まとまりがないから被害が出てもそんな酷いことにはならなかったんだ。それが急に群れをなして人間や魔族を襲い出した』
「へぇーそうなんだ」
アイカは眠くなってきたのか適当に返事する。
『お姉ちゃん、もう少し頑張って。あと少しだから』
チビスケはアイカの頭を鼻で小突いた。
「だってちんぷんかんぷんなんだもん」
アイカは大きなあくびをした。
「ウチの犬が異世界でやたら賢くなってた件について」
『なにそれ?』
「そんなタイトルで本書けそう」
チビスケは首をかしげた。
『そんな本はいらないので話聞いてください』
アイカは気のぬけた返事を返した。
『群れをなした魔物に襲われて人間の街が破壊されたりした。たくさん人が死んだよ。それで今まではバラバラだった魔物をまとめて操ってるのは魔族だ~ってなって人間は魔族を敵視するようになった』
「うーんやっぱりそうなるよね」
『ところが魔族の集落も魔物の群れに襲われた。たくさん魔族が死んだよ。魔族は人間が魔物を操って攻めてきたって恨むようになった』
アイカの頭に?が浮かんだ。
「じゃあ人間と魔族って勘違いして争ってるって事?自然の乱れで増えたっぽい魔物のせいで」
チビスケは頷いた。
『断言は出来ないけどそうなっちゃってる、今は小競合いで済んでるけどこのままだと戦争になっちゃうよ。やっぱり種族が違うと仲良く出来ないのかなあ』
チビスケは悲しそうに呟いた。
アイカはスッと立ち上りチビスケの方を向いた。
「そんなことない、だって私はチビスケが大好きだ!ちっこくてもでかくても大好きだ!」
アイカは続ける。
「それに昼間の犬人間とだって話してみれば悪い連中じゃなかった!」
『犬じゃなくて狼なんだけど………でもそうだよね!話し合いで解決出来たら良いよね!』
「その通り。殺し合いじゃ何の解決にもなんないぞ!」
と言いながらアイカの元気がみるみる無くなって行く。
『どうしたの?』
チビスケが心配そうに顔を覗きこむ。
アイカは再びチビスケに背を預けて座り込んだ。
「偉そうに何言ってるんだろ私。昼間さ、犬人間と戦った時久しぶりにキレちゃって………下手したら殺してたかも知れないし殺されてたかも知れない」
『ワーウルフさんね』
「そう、それ。チビスケはもう居なくなってたから知らないと思うけど私、凄く荒れてる時期があって見境なく暴れて血染めの獅子なんて呼ばれてた」
アイカはジーンズのポケットからスマホを取り出した。
写真フォルダを開きチビスケに見せる。画面には小さな女の子が写っていた。
「これ、私の娘」
『え!お姉ちゃん子供いたの?結婚したんだ』
「うん、一応ね。旦那は妊娠中にすぐ死んじゃったからあんまり記憶もないし何か結婚したって実感無いんだけどね。娘は親父や母さんに助けてもらいながら育ててる。今4歳。紫苑って言うんだけどすっごい可愛いんだ~。娘が産まれてからは血が騒ぐ事なんて無かったのに……」
チビスケは画面に見いった。やはりちょっと赤い髪にはっきりとした目立ち、アイカの面影がある。
『お姉ちゃん、お母さんになってたんだね』
「そう、お母さんなんだよ。なのに娘のいない世界に来てはしゃいじゃったのかな、キレて暴れて………挙げ句の果てに死にかけて…………早く帰らなきゃいけないのに…………こんなんじゃ母親失格だ………」
アイカはうつむいたまま黙ってしまった。
そんなアイカを見てチビスケは少し考えると立ち上り砦から出ていってしまった。
寄りかかっていたアイカはそのまま倒れ後頭部を床にぶつけた。
「いてて、おいチビスケ。急にどうしたんだ」
あわてて追いかける。日はだいぶ傾いていた。砦から出るとチビスケがこちらに向かっておすわりしていた。口には左右が少し膨らんだ骨のような形の大きな枝を咥えている。
「あ………」
アイカは思い出した。
チビスケは昔は骨のおもちゃが大好きだった。アイカが放り投げると一生懸命追いかけ拾っては持ってきての繰り返しだ。ただ心臓が弱いチビスケを気づかい1日十回までと決めていた。
『アイカお姉ちゃん、久しぶりに遊んで!今の僕なら何度でも出来るよ』
アイカに枝を渡す。
(チビスケなりに気を使ってくれたんだろな、本当に恵まれてるな私は)
アイカは思い切り枝を投げた。やたら遠くまで投げてしまった。
(しまった!加減を忘れた!)
しかしチビスケは凄まじい速さで枝に追いつきキャッチした。
黒い風にしか見えなかった。
そしてゆっくり走って戻って来る。
『ふっふっふ、甘いよお姉ちゃん』
「むー、生意気な!もう一回だもう一回!私の本気を見せてやる」
こうして日が暮れるまで二人は遊んだ。まるでチビスケが家にいたあの頃のように。
「あー疲れた~」
アイカとチビスケは砦に戻って来た。
再び横になったチビスケにアイカは寄りかかる。
天井を見上げると崩れた部分から月が見えた。月明かりが二人を照らす。
「ありがとねチビスケ」
自分を気遣ってくれた愛犬に礼を言う。
『何の事?僕はただ遊びたかっただけだよ?』
(何て健気な、ちょっと見ないうちにジェントルメンになったのね。チビスケが人間だったら惚れるわね)
思わず感激してしまう。真っ直ぐで賢いのに可愛い所はそのままで。尊すぎる!とアイカは思った。
「そういえばチビスケ、この世界についてやたら詳しいけど何で?」
『全部見て回ったからだよ。王様にも魔王様にも会ったし』
さらっと凄い事を言う。
「あ、そうですか」
アイカは驚きを通り越して呆れてしまった。
ウチの愛犬はこの数年間でどれだけ成長したんだ。
「ぶっちゃけチビスケから見てどっちが怪しいと思う?」
一応聞いてみた。
「うーん?魔王様は強くて優しい人だよ。あと可愛い。僕を神狼と勘違いしてるのは困るけど。魔族が人間と仲良く暮らせるようにいつも考えてた。だから争いになっちゃったのはすごく残念」
(可愛い魔王って何だろう?)
アイカにはよく分からなかったがチビスケが言うからには確かだろう。
「じゃあ人間のほうは?何か王様ってふんぞり返って偉そうにしてるだけなイメージ。もしかしてクソ野郎?」
『クソ野郎って………そんなことないよ。豪快な人だった。それでいて強くて賢くて、僕を見ても全然驚かなかったどころか僕と会話も出来たんだ。僕と話せる人間はなかなか居ないから嬉しかったよ。こっちに来て初めて友達になった人間だね。お姉ちゃんと気が合うかも!』
チビスケは楽しそうに話すがアイカは困ってしまった。
どっちも怪しくないとなるとしらみつぶしに探るしかない。正直どちらかが怪しいほうが楽だったのだが
「人間、魔族、魔物。総当たりで行くしかないか~」
アイカはため息混じりに呟いた。
『僕も手伝うから頑張ろう?』
チビスケが居るのは心強い。
アイカ一人だったら総当たりで片っ端から怪しげなのを殴り飛ばしていたかもしれない。
「うん、そうだね」
そう返事を返してアイカは仮眠室から毛布を持ってきた。
崩れた天井から夜風が入ってくる。
丸くなって寝そべるチビスケの真ん中にすっぽり収まるように寄りかかる。
「まあ考えても分かんないしどこ行くかは明日決めよ?」
『うん、夜は危ないしね。そういえば天井、急に崩れてびっくりしたんだけどあれどうしたの?』
石造りの砦はちょっとやそっとじゃ壊れない。ここには爆薬はないし何で壊れたのか見ていなかったチビスケは不思議に思っていた。
「あ、あれね。何か手からビームみたいなの出て壊しちゃった。もしかしてあれが魔術って言うのかな。私、才能有り?」
チビスケは即答出来なかった。
(強力な魔術ほど術式が複雑だ。お姉ちゃんは魔術はちんぷんかんぷんって言ってる………なのに手から何か出た…………まさか!)
ある一つの仮説にたどり着いた。ある意味最悪の仮説だ。
(きっと僕の考えすぎだよね………)
懸念はあるがチビスケは深く考えるのをやめた。
『多分凄い才能あるよ、大魔術師になれるかも』
「大魔術師かあ、可愛くないなそれ。どうせならマジカル未亡人とかが良い」
そんな話をしているうちに夜が更けていく。
アイカは毛布を被るとすぐに寝てしまった。
そんなアイカを見ながら
(昔は僕がお姉ちゃんに抱っこされて寝てたのに今は逆なんて不思議だなあ、女神様ありがとうございます)
そうアイネス-エメルに感謝してチビスケも眠りについた。
幕間~珍入り参入
もはやお馴染みの洞穴。グレッグは洞穴内に吹き抜けを見つけ日が当たる場所で畑を耕していた。誰かの足音がする。
「お帰り、今回は二週間かかったな。どんな死に方したんだ?」
「でかいとかげに丸飲みされた、多分酸で溶けた」
答えるのはジーグ‐リトルストーンリバー事、小石川時雨。だいぶ伸びたボサボサ頭に擦りきれ汚れた服。もはや野盗の類いにしか見えない。
いまだに王都に辿り着く事無くどういうわけか何度も死にまくり半年くらいは経とうとしていた。
「つくづく運がねえな。もう諦めたらどうだ?」
時雨は首を振る。
「駄目だ、王都で俺を待つ人が居るはずなんだ」
一人称が僕から俺に変わるくらいは荒んだがアイカを救う英雄になることは諦めていない。だが王都を目指す度に死んでいる。毎回めちゃくちゃ痛いし気持ち悪いし苦しい。何度繰り返しても慣れない。
「そういや何かえらいべっぴんさんが訪ねて来たぞ。茶の間で待ってもらってる」
グレッグは洞穴を探索した結果いくつか広間を見つけ茶の間やら寝室やらいつの間にか作っていた。
「えらいべっぴん?まさかアイカ姉!?」
時雨は飛ぶように茶の間に向かった。
待っていたのは青い服に白の長いスカート。その上に銀の鎧を付けた銀髪に青い目が特徴的な槍を携えた女性だった。
「………誰?」
「うん?君が小石川君だな?」
時雨はこの世界に来てから一度も本名を名乗っていない。
「何者だアンタ。何故俺の名を知っている?」
邪悪な気配はしないが何者かも分からない。
「私は戦女神ブリュンヨルデ。神界より君をスカウトしに来た」
「あ、神様とか間に合ってるんでお帰りください」
即答だった。どこかの全裸の女神のせいで愛する女性を連れていかれそれを追いかけ死にまくりの時雨はもう女神とかうんざりだった。
「イヤイヤ、君のその死んでも死なない能力、神界で兵として生かしてみないか?福利厚生ばっちりだぞ!各種保険はもちろん、なんと死亡保険まで完備」
「お帰りください」
怪しい、確かに時雨は死んでも生き返るがそれだけだ。戦力としては皆無。神界に何があるのか知らないが興味無し。
「そう言わずに一緒に行こう神界。実は上司と喧嘩して腹いせにうっかり大事な槍盗んで来てしまったのだ、2本程。優秀な人材を連れていけば許してもらえる気がするから不死者みたいな君が欲しい。どんなに鍛えた兵も死ねば終わりだからな。その点生き返る君は素晴らしい。大丈夫、基本神界天国みたいなところだぞ。たまに戦争とかあるくらいで」
やっぱりろくなもんじゃなかった。
「………めちゃくちゃ個人的な理由じゃないか。あ、じゃあいい人紹介する。アンタと同じで女神なんだけどエメルって言うやつ」
それを聞いたブリュンヨルデは驚いた。
「エメル様に会ったことあるのか?そうか、その能力エメル様からもらったのか!ますますお前が欲しくなったぞ」
美人に欲しいと言われたら嬉しいが理由がクソすぎる。
「ただでさえ死にまくって嫌なのに誰が行くか」
そう告げるとブリュンヨルデはいきなり鎧と服を脱ぎ出した。
今度は時雨が焦る。
「ちょっと待て、何で脱いでんだよ!」
「男はこうすればだいたい落ちるってアサデ姉さんとヒルデ姉さんに聞いた」
「ろくな姉貴じゃねえな!俺はそんなん興味ないから服を脱ぐな!着ろ!」
と言いつつ時雨はヨルデの下着姿をしっかり目に焼き付けた。アイカと言う好きな人が居るから我慢しているが時雨だって男だ。
「何だ、私は魅力が無いのか。そうか………」
ブリュンヨルデは明らかに落ち込んだ。見てて切ないくらい。
「あ~もうめんどくさい奴だな、アンタは充分魅力的だし美人だよ。ただ俺には心に決めた人が居るだけだから」
時雨はこの世界に来た経緯を話した。
エメルに会ってから今までの事。アイカを追いかけ助けるために英雄になった事。
ブリュンヨルデは黙って聞いていた。そして一言。
「君は馬鹿なのか?」
時雨は意味が分からなかった。
「何だよ、好きな人追いかけてきちゃ悪いかよ」
「そこではない。英雄になりたいと願ったのだな、だが英雄とは何だ?君にとっての英雄とは何なのだ?そのアイカと言う人物が誰の助けも必要としていなかったら?」
(あ、そうか。そしたら俺は、俺の願いは必要ないし叶う事はない。いや、むしろそれでいいんだけど)
「救うと言うことは対象が多かれ少なかれ危険な状態にある前提があって成り立つ。君は大切な人の不幸を願うのか?」
時雨はそこまで考えていなかった。ただ少しでもアイカの力になりたかっただけだ。何も言い返せない。
「そんな浅はかな願いだからこそエメル様は君に祝福を授けたのだろうな。死んでしまっては永遠に願いは叶わぬからな。だがエメル様は叶えられぬ願いは聞かない。だからいつか必ず君が英雄になる時は来るのだろう。その時のために今出来る事を君はやっているのか?何か一つでも成したか?」
何もしていない。何も成していない。ただ会いに行こうとしては死にを繰り返す日々だ。英雄など程遠い。
時雨は打ちひしがれた。完膚なきまでに打ちのめされた気分だ。
「そうだよな、何もしないで英雄なんて虫の良い話あるわけないよな………アンタの言う通りだ。俺、とんだ勘違い野郎だ」
時雨はうつむいたまま動かなくなってしまった。
「すまない、私は人の心に疎いゆえにきつく言い過ぎたかもしれない」
ブリュンヨルデは時雨を抱き寄せた。
「何を………」
「君は酷く疲れている。それはそうだ、普通なら一度のはずの死を何度も経験したのだ。それは辛く苦しいはずだ。なのに精神が腐らず正常なだけでも立派だよ。きっといつか英雄になれるさ」
ブリュンヨルデは時雨の頭を優しく撫でる。
「私が辛い時はいつも姉さんがこうしてくれた。他に癒し方は知らぬ。今日はもう休め」
(何だよコイツ、人を神界とやらに連れていこうとしたりきつかったり優しくなったり………でも何でだろう………すごく安心する)
時雨はブリュンヨルデに寄りかかったまま寝てしまった。それくらい精神が摩耗していた。
「純粋ゆえに未熟で不器用なのだな。しかしそこまで想われる人物とはどんな女性なんだろう?気になるな」
ブリュンヨルデは自身の言葉に驚いた。
(気になる?………今まで人間の気持ちなど気にした事なかったのに。不思議だ。何なのだろう?まあいい、しばらくコイツの側にいよう。何なのか分かるかもだ。さて、他に癒しと言えば………)
ブリュンヨルデはとりあえず時雨を寝室に運ぶことにした。
時雨は夢を見た。目の前には愛してやまないアイカが居る。何故か裸だ。しかも抱き付いてきた。
(アイカ姉の夢なんて久しぶりに見るな、て言うか何てエロい夢なんだ!あ、でも夢だから良いか。あれ?アイカ姉思ったより胸ないな。もっと大きく見えたんだけどまあ良いかどうせ夢だ)
そんなこんなで色々やって夢は終わった。
翌朝、目を覚ませばいつものすでに見馴れた洞穴の天井。
「何かすごく良い夢見た気がする。何かスッキリしたし。あれ?いつの間に布団に入ったっけ?」
隣の布団にはブリュンヨルデが寝ていた。美しい銀色の髪が少し乱れているが寝顔は綺麗だ。起きる気配がない。
「運んでくれたのか。また神界とか言い出す前に起きよ」
グレッグは居ない。最近はよく畑の方で寝てたりするからまた戻らなかったのだろう。
時雨が寝室を出ていく。
時雨は心の棘がすっかり取れたかのように元気だ。まずは己を鍛える事から始める事にした。いつか本当の英雄になるために。
そして寝室にて、ブリュンヨルデはごそごそと下半身をさする。寝ているふりをしていただけだった。
「うう、腰に力が入らぬ。何か痛い………英雄色を好むと言うがあっちの方はすでに超英雄級だったとは。グングニルもロンギヌスの槍も真っ青だ。婬魔の真似事などするんじゃなかった……」
そう呟くとまた寝てしまった。
第4章~王都動乱、一日で出来た!クーデター
『朝だよ』
懐かしい匂いに包まれながらアイカは半分目が覚める。チビスケが居る。
(じゃあ私は中学生だ。学校なんか行かなくてもいいや)
もう一度眠りに入ろうとする。
(何か布団あったかいな、一枚脱ごう)
もさもさ。アイカはTシャツを脱ぎ捨てた。
『何で脱ぐの?起きて~』
チビスケは鼻でアイカの顔をつつく。
「お母さんうるさい………今日は寝る………」
『誰がお母さんなの!お姉ちゃんしっかりして!』
(うーん?チビスケずいぶん大きいなあ………あ!)
「………おはようございますチビスケさん」
『何で敬語?』
いそいそとTシャツを回収し着直すアイカ。
「今の一連の流れは誰にも言わないで下さい」
チビスケは頷いた。
『お姉ちゃん、寝起き悪いの直ってなかったんだね』
アイカは照れ臭いのか背を向けた。
「違うもん、チビスケが居るから安心してただけだもん」
何か頭から湯気でも出そうな勢いだ。
「それより今日はどうする?私は王か魔王かどっちかに会ってみようかと思うんだけど」
無理矢理話題を変えた。
『王国に行こう。僕がいるから平気だとは思うけどお姉ちゃんが今魔王様に会いに行くのは魔族を刺激しちゃうかも知れない』
「あーそっか。争い真っ最中なんだっけ」
この世界を自由に探るにはそれもどうにかしなければいけない。
(厄介事ばかり増えるなあ)
アイカは早くもめんどくさくなってきた。
「じゃあとりあえず王国に向かいますか」
気持ちが切れないうちに動き出す事にした。
勢いよく砦の大扉を開く。橋がある。アイカはさっさと渡ろうとした。
『お姉ちゃーん!反対!』
橋を渡ったら魔族領だ。
「分かってるって、ちょっと偵察しようと思っただけ」
そう言いながら顔を真っ赤にしてあわてて戻ってきた。
(お姉ちゃん、わりと危なっかしいな。なるべく目を離さないようにしよう)
チビスケは誓った。
アイカは今度こそ王国方面の扉を開ける。
チビスケが先に出て伏せをした。
『乗って』
「え、いいよ歩くから」
『いいから乗って、王都までは結構遠いよ。僕なら半日かからずに着ける』
「うん、じゃあよろしく」
何をするにしても早く着くに越した事はない。
アイカはよじ登ると両耳の間に座った。
『しっかりつかまっててね』
「了解」
アイカはチビスケの頭の毛の束を握った。
チビスケは走り出した。
『人間に見付かると面倒だから少しだけ街道からそれるね』
「ほーい、チビスケに任せる~」
アイカはチビスケの上からの流れる景色に夢中だ。
首を上げ下げしないように気を遣ってくれているのだろう。乗り心地は快適だ。
「ふんふーん私はマジカル未亡人~ララララブラブ愛犬イエー!さらに素敵なおおかみらいだ~ルルル超絶綺麗な風になる~」
『何その歌?』
頭の上から変な歌が聴こえてきたので聞いてみた。
「ん?マジカル狼ライダーの歌、作詞作曲、獅童アイカ」
天はアイカに二物も三物も与えたが芸術の才能は与えなかったようだ。
『一応確認しとくけど僕は狼じゃなくて犬だからね』
アイカは今日は偉く上機嫌のようだ。
「あ、ちゃんと掴んでるから本気で走って良いよ」
『え~いくらお姉ちゃんでも落ちちゃうよ』
「大丈夫!スピードならバイクで散々慣らしたから」
『うーん、じゃあちょっとだけね』
チビスケは地を蹴った。一度の跳躍力がおそろしく長い。走ると言うより飛んでいる。
「お?おおお?おおおおおおえおろろろれらり~」
これにはアイカも驚嘆するしかない。バイクなんかと比べちゃいけない。
『どう?お姉ちゃん息とかちゃんと出来てる?』
返事が無い、と言うか頭の上から感触が消えてる。
『やっぱり落ちたじゃないか!』
あわててUターンするチビスケ。
ちょっと手前に地面からYの字が生えていた。アイカが逆さまに地面に刺さっている。
チビスケは慌てながらも優しく咥えて引っこ抜いた。
「あはははは、落ちちゃった!」
『落ちちゃったじゃないよ!だから言ったのに!』
「いや~チビスケの言ってる事分かっちゃった。何かね、土が苦しい苦しいって言ってた!チビスケが風から感じたのと一緒」
アイカは笑いながら言う。死にかけたのに何で笑ってられるのか謎である。しかし
(土の声を聞いた?人間のお姉ちゃんが?僕だって風から違和感を感じる程度なのに。やっぱりお姉ちゃんは…………)
チビスケの懸念は深まった。でもアイカには伝える程の確信はまだ無い。
『それ、息が出来なくて自分が苦しかっただけじゃない?』
「うーんそうなのかな?そうなのかも、土が喋るわけないもんね!」
アイカはそう納得したがチビスケは自然と会話出来る存在を知っていた。ただそれは最悪の可能性になりかねない。
『ほら、頭の土落として。王都までもうすぐだよ』
チビスケに促されアイカは頭をはたいた。
「お風呂入りたい」
昨夜も入っていない。着替えもない。
『はいはい、王都に温泉あるから我慢して…………あれ?』
不意にチビスケは何かを感じ取った。
「どしたの?」
アイカは怪訝そうな顔をする。
『アイカお姉ちゃん以外に懐かしい匂いを感じたんだ。すごい昔な気がする。多分こっちの世界に来る前』
アイカには全然分からない。
「何だろう?全裸ちゃんがまた向こうの世界から何か連れてきたのかな」
全裸ちゃん事、女神アイネス-エメルは優秀な人材はじゃんじゃんスカウトしてきたと言っていた。まあスカウトされる側は迷惑極まりないのだが。
「寄り道する?」
『うん、ごめんねお姉ちゃん。勘違いかも知れないのに』
アイカはチビスケを撫でた。
「何言ってるの、チビスケは昔から我が儘言わない子だったんだから今度はもっと言いなさい」
『ありがとう、こっちから匂いがする。ついてきて』
チビスケはちょっと長い草を掻き分けながら進む。アイカが歩きやすいようにしているのだ。
(本当にジェントルメンワンコね。抱かれてもいいかも)
アイカは訳分からない事を考えていた。
『…………時雨の匂い?』
チビスケが呟いた。
「え?時雨君はこっちには来てないよ?昨日お別れしてきたもん。今日も今頃大学だよ」
『うーん時雨の匂いな気がしたんだけど。人間ってそれぞれ匂い違うし変わる物でもないから』
そこでアイカは違和感を覚えた。
お姉ちゃん、ベルフさん、王様、魔王様、時雨。
「ねえ、何で時雨君だけ呼び捨てなの?」
チビスケは沈黙した。何かもじもじしている気がする。
「おーいチビスケさんやい」
『……………………………………もん』
「ん?」
『だってお姉ちゃんは僕のお姉ちゃんなのにアイツ、アイカ姉アイカ姉ってくっついてて邪魔なんだもん!』
チビスケは恥ずかしいのかそっぽ向いてしまった。
「おやおや?まさかチビスケさんともあろう御方が嫉妬ですか?」
アイカはからかうように言う。
「時雨君にもたくさん遊んでもらったじゃない、なのに嫌いなの?」
『嫌いじゃないよ、だけどそれとこれとは別なのです』
(複雑な男ごころってやつかしら?)
チビスケを撫でる。
「でもあの気に入ってた骨のおもちゃ、買ってきてくれたの時雨君だよ?」
『え?そうだったの?………………じゃあ僕も時雨君って呼んでやるかなぁ』
(あくまで自分のほうが上な訳ね)
そんな会話をしながら草むらを進む。
『ん?何だろう?血の臭い?』
「え!まさか!」
アイカは走り出した。チビスケが追う。
草むらを抜けるとなます切りされた上に串刺しにされた死体が2つ転がっていた。
「そんな!時雨君?」
アイカは焦って近寄る。
『ひどい、誰がこんなこと』
凄惨な殺害現場にチビスケも驚いた。魔物だってここまでしない。
「………知らないおっさんだった。誰だろ?」
『分からないけどこれをやった連中はろくな奴じゃない』
「時雨君らしき匂いはどう?」
『血の臭いがきつすぎて途切れちゃった』
とりあえず時雨の死体ではないことに安心したが死体をそのままにしておくのは気が引ける。
「まあ時雨君はこっちの世界には来てないはずだしチビスケの勘違いだと思うけど………ねえ、チビスケ。お願いがあるんだけど」
アイカが言う前にチビスケは無言で近くに生えていた木の近くを掘っていた。
『埋葬してあげるんでしょ?』
(さすがチビスケ、分かってるなあ)
アイカとチビスケは知らないおっさん二人の遺体を埋めると手を合わせた。
「どこの誰だか存じませんが安らかに………」
アイカがそう呟く。
『………お姉ちゃんも本当に気を付けてね。こっちの世界ではけっこう有ることだから』
アイカが頷く。
王都を前に気が引き締まった。
「行こうか、ここに居ても仕方ないし」
『うん、もう少しで着くから説明しとくね』
再びアイカはチビスケに乗った。ゆっくり歩きながら話す。
『国の名前はフッカーヤ王国、王様はグランレイ-フッカーヤさん。とても強くて優しくて賢いおじさんだよ』
フッカーヤ王国。
(何だかネギが美味しそうな名前の国ね)
『僕の紹介ですって言えばすぐに会えると思う』
「そっか、チビスケは会った事あるんだよね。ついてこないの?」
『さすがに街中には入れないかな。人間が驚いちゃうから』
「そっか~」
『ちゃんと王様の話聞くんだよ?すぐ殴っちゃダメだからね?ハンカチ持った?ティッシュは?忘れ物ない?』
(やっぱりお母さんじゃん)
心配そうなチビスケを見てアイカは笑う。
「大丈夫、私だってもう一児の母なんだから」
『何か有ったら呼んで、すぐに駆け付けるから』
「うん、まあ何も無いに越した事無いけどもしもの時はすぐ呼ぶ」
そんなこんなで壁に囲まれた街が見えて来た。奥には一際大きな建物、城だろう。
その手前にあった大きな岩の陰でチビスケはアイカを降ろした。
『じゃあ僕はここに居るから』
「了解、ちょっくら行ってくる」
アイカはチビスケと別れ王都に入った。
場所は変わってフッカーヤ王国、王城。第一会議室。
石造りの机を挟んで二人の女性が向かい合っていた。
一人は白銀に輝く鎧を着た金髪の凛々しくも美しい女性。
もう一人は長いローブを纏った可愛らしいふんわり黒髪の女性。
王国近衛兵団団長ジュリアと国立大教会司祭長マーニだ。
ジュリアのほうはかなり苛立っている。
「まだなのか、神託にあった者が現れるのは」
逆にマーニのほうはおっとりした口調で答える。
「おかしいですね~エメル様は昨日現れると仰られていたのですが」
「王とズブズブの神官長はまったく信じられんがマーニ殿は信じられるからな、嘘だとは思わないが」
ジュリアは窓から外を見る。
一見平和な街に見えるが。
「こうしている間も民達は苦しんでいる、王国騎士団がトーネ川の砦奪回でいない今こそチャンスなんだ。夕刻までに来なければ私一人でも決行する」
ジュリアは王国でもかなり強い騎士だが王国騎士団長ゲロス-フッカーヤには一度も勝てた事はない。ちなみにゲロスは王の甥っ子で貴族でもある。
マーニが慌てる。
「ジュリアさん、それは命を無駄にするだけです。落ち着いてください」
ジュリアは遠い目をした。
「あの頃は良かった。民の笑顔が絶えず聞こえていた。それが今やどうした!悲鳴しか聞こえぬ!いや、もはや民などおらぬ、金持ちと貧乏人の二通りではないか!」
ジュリアは拳を握りしめ震える。
そこへバタバタと下品な音を立てながらひげ面のやや太り気味のおっさんが走り込んできた。
「ウィック………あ~美人が二人揃って何しとるんかな~まあいいや、どっちか俺と結婚せんか?国の安泰のために子作りしよう子作り」
昼間から酔っ払った下品なオヤジだ。二人の体を舐め回すように見ている。
ジュリアは今にも剣を抜きたくなった。
「私は剣に命を捧げた身故遠慮します」
「私は神に命を捧げた身ですから遠慮しますわ」
あっさり断られ酔っ払いオヤジはふてくされた。
「なんじゃい揃ってつれねえ女共め」
そう言い残し去っていった。
また二人残される。
「あんなのが王だぞ!下半身に脳が付いてるようなクズだ。私は我慢出来ん!刺し違えても叩き斬ってやる」
飛び出そうとするジュリアをマーニは抑えた。
「きっともうすぐ神託に召された真の王の資質を持つ御方が現れますから落ち着いてください」
マーニは一昨日の晩、神託を得た。
寝ていたら青い空間で目を覚ましたのだ。アイネス‐エメルを信仰するマーニは何度か同じ経験をしていた。若い身でありながら司祭長まで登り詰めたのも女神の声が聞こえたからだ。女神いわく、マーニとは波長が合わせやすいらしい。
相変わらず全裸で乳が無い銀髪の女神はマーニに伝えた。
「ひひおうらいらってのが」
「エメル様、食べてからで良いですよ」
女神はオヤツを食べながらふもふも話す。何やら机の上に不思議な板が立てて置いてありそこから笑い声が出ていた。
「あ~テレビは深夜に限るのう、昼間はつまらん」
食べていたスナック菓子を飲み込むとそう言った。
「てれびと云うものは存じ上げておりませんが」
マーニは困るように答える。
「あ、そうじゃったな。違う世界の話じゃった」
「本当にエメル様は変わらず可愛らしい御方ですね」
エメルはマーニを見て言った。
「お主もワシにはちと敵わぬが美しくなったのう、と言うかその乳が気に入らぬ!いつの間にかワシより大きくなりおって」
それだと9割くらいの女性、は気に入らないのでは?とマーニは思ったが口には出さなかった。
「あ~、なんじゃっけ。そうそう今日面白い人間を見付けたのじゃ、きっとお主の世界を救ってくれるぞ」
「本当ですか!ありがとうございますエメル様」
マーニは歓喜した。今、マーニの住む世界は王がアホすぎるせいか荒れていた。
「王かそれ以上の資質があるな、明日にはスカウトするからもう少しの辛抱じゃ、しばし待つが良い」
そう告げられると夢は終わった。
それを幼なじみで今は近衛兵団団長のジュリアに伝えた。
ジュリアも喜んだがなかなかその人物は現れない。
「で、何て人が来るんだっけ?」
「確か………獅子王アイラ様です」
マーニの中で「ひひおうらいら」は獅子王アイラに変換された。
「獅子王か、凄そうだな!早く来てもらいたい物だな」
ジュリアは再び窓から街を見下ろした。
「本当に見た目だけ取り繕った偽りの平和よな、陰で何人苦しんでいるのか………」
ジュリアは非番の日は街によく出る。貴族街、中央商店街あたりはまだ良い。だがその他の地域は貧民街、スラム街化しつつある。見かねたジュリアは一度だけ王に救済案を進言したが
「そんなもの全部燃やしてしまえ、キレイサッパリして余計な物も片付く。一石二鳥ではないか、げひゃひひひ」
下卑た笑い声が脳裏から離れない。
(来るなら早く来てくれ獅子王様………うん?)
貧民街の方から何かが輝くのが見えた。
(!)
「マーニ、伏せろ!」
ジュリアはマーニに覆い被さる。
次の瞬間爆発音と共にまばゆい光に包まれた。
数刻前、貧民街のとある食堂兼酒場にて。
「え!死んじゃったのグランレイさん!」
アイカは驚いた。
(チビスケ悲しむだろうなあ)
お腹が空いたので立ち寄った食堂兼酒場の女主人、メルローズより驚愕の情報を得た。メルローズはアイカより一回りくらい上の年齢だろうか。
「今はガワダーニって言うグランレイ王の妃のエンダ様の弟が王なのさ、通称ダニ王。ろくな奴じゃないよ」
メルローズはため息混じりにため息をつく。
「グランレイ王の頃はね、この辺も活気に溢れてたんだけどね。あ、元々エンダ様がお姫様だったんだけどね、グランレイ王はお婿さん。お二人共素晴らしい御方だったよ。それがダニ王になってからは荒む一方さ。民の事なんか考えてないゴミクズ野郎さね」
アイカは何となく納得した。チビスケが言う通りの強くて優しくて賢い王が納める街にしては元気がない。さらに王都に入ってから野盗、強盗、暴漢に襲われた。すべて返り討ちにしたが。
「だからか~、何か荒れてると思ってたんだ~。で、ガワダーニって奴は何かしでかしてない?例えば無意味に魔術使ってたりとか魔物呼んだりとか」
とにかくこの世界が乱れてる原因の情報が欲しいアイカは聞いてみた。
「全然、確かにダニ王はろくでなしだけど魔術なんかさっぱり使えないし剣もグランレイ王と比べたら失礼なくらいへっぽこ。強いて挙げるなら性欲がやたら強いってくらいだね。魔物は最近多いね、まだ王都じゃそんなに被害出てないから良いけどいつ襲われるか分かったもんじゃない。魔族が操ってるらしいね」
メルローズはやれやれと言った表情だ。
(チビスケ情報だと魔物を操ってるのは魔族じゃないんだけどやっぱり人間はそう思ってるんだ)
「エンダ王妃が病気で亡くなってすぐだったね、グランレイ王が魔物に襲われて亡くなったのは。あんなに良い王様居ないよ。グランレイ王が健在だったら魔族の問題もサクッと片付けてくれただろうね」
(うーん本当に魔族を敵視してるのね。さらに王がカスん子じゃあ余計荒れるわよね)
しかしどうにも肝心の情報が得られない。
「うちの息子もね、無理矢理徴兵されて王国軍に入れられちまったよ。グランレイ王は自ら先頭に立って戦う人だったからそんなことしなかった、ダニ王は自分を守るのに頭がいっぱいなんだろね」
「へー、メルローズさん息子居るんだ。旦那さんは?」
「死んだよ、だいぶ前にね。息子には早く無事に帰って来て欲しいよ」
(メルローズさんも未亡人なんだ)
アイカは少し自分の事を話す事にした。
「私も子供居るの、今4歳。メルローズさんと同じで旦那は死んじゃった」
「え?お嬢ちゃん子供が居るようには見えないね!若いよ!本当に」
メルローズは驚いた。
「えへへ、ありがとう。でも子供が居るのは本当。やっぱり一人で育てるの大変だった?」
アイカにとってメルローズは一人で子を育てた母親の先輩だ。
「そりゃあね、大変だったよ。でもね、どれだけ手がかかっても可愛いもんさ。自分の子が可愛くない親なんて居ないだろ」
アイカは頷いた。だが残念ながら子を虐待したり放置したりして最悪、殺してしまう親もいる。アイカはそんなニュースを元の世界で散々見てきた。
しかしメルローズはそんな人間では無いようだ。
「私ね、世界をす………じゃなくて仕事でこの街に来たんだけどやっぱりなるべく早く帰らなくちゃって思うの。でもなかなか上手くいかなくて………はあ」
思わずため息をつくアイカ。
「子供にとっても親ってのは大事なもんさ。特に小さいうちはね、仕事も大事だろうけど早く帰ってやんなね」
「うん、そうだよね。じゃあそろそろ行くね、ご馳走さまでした」
アイカは席を立つ。
「あいよ、えーと大盛チャーハンにこねこねにハンバーグ2つ、デラックス野菜スープに水で全部で1480エメル」
アイカの頭に?が浮かぶ。
「エメル?」
メルローズが呆れた顔をする。
「仕事で来たって言ってたけどまさかこの国の通貨持ってないってこた無いよね」
(全裸ちゃん、通貨単位になるくらいこの国じゃ人気なのね)
「あは、あははは………」
アイカは笑って誤魔化した。
(この国のお金どころかこの世界のお金持ってないよう。チビスケさ~ん助けて~)
チビスケを呼んだところでお金は持ってないだろう。いや、あの妙に賢いチビスケなら持ってる可能性もあるが。
「仕方ないね、これから昼時で忙しくなるから仕事手伝いな。それでいいかい?」
「うーすいません」
アイカはメルローズの店を手伝うことになった。
「そうだ!」
メルローズがニヤリと笑う。
「ついでにあたしが若い頃着てた給仕服を貸してやろう、ちょっとついておいで」
メルローズはアイカをカウンターの中に引っ張りこみ厨房を通りすぎて自宅に連れ込んだ。
タンスをごそごそ探る。
「はい、これに着替えたら出ておいで」
服とエプロンを渡された。
「うー嫌な予感しかしない~」
しかし無賃でご飯を頂いてしまった恩は返さなければ。
アイカは渋々服を脱ぎ渡された服に袖を通した。
「着替えた~」
アイカが店の奥から出てきた。
黒のゴシック調のワンピースに白いフリフリが付いたエプロン。これはいわゆる
「メイド服?」
「おゎー似合う似合う!」
メルローズはアイカの姿を見て興奮気味だ。
「うー、スースーする~」
アイカはメルローズより身長が高い。そのぶんスカートの丈が上がりスラッとした綺麗な足が出てしまう。
基本的にパンツスタイルを好むアイカはスカート自体ひさしぶりなのに妙な格好をさせられ顔が真っ赤だ。
メルローズはしゃがむとスカートをめくった。
「ほうほう、本当に綺麗だねえ。子供が居るとは思えないよ」
「何でめくるんですか~、どこと話してるんですか~」
あわててスカートを押さえるアイカ。
しか無銭飲食の負い目があるため強く出れない。
「お嬢ちゃん、ウチで看板娘になりなさい。毎日ご飯あげるから」
メルローズは本気だ。目が輝いている。
「ちょっとそれは無理!私やることあるから」
「ちっ、残念だね。お嬢ちゃんが居てくれたら売り上げが上がりそうなのに」
心底残念そうに呟くとメルローズは厨房に戻った。
「お嬢ちゃんは注文ね。もうちょいしたらお客さん来るだろうからそれまで好きにしてて良いよ」
そう言われたのでアイカは隅っこの席に腰掛けた。
(知ってる人が来ないのが救いね、こんな姿見られたらはずか死ぬ)
そんなこと考えていると入り口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ~」
アイカが立ち上がる。
鎧を着た男達がぞろぞろやって来た。
「相変わらず湿気た酒場かと思ったら極上の女がいるじゃねえか、どうしたババア、ずいぶん景気いいな」
男達の中でも一際体のでかい男が話す。くすんだ茶色の髪にモミアゲとつながったヒゲ。
鎧には返り血がべったり付いている。
アイカはメルローズに近寄ると男達に聞こえないように話す。
「なんだあれ?強盗か?殴って良い?」
「ダメだよ、アイツはゲロス。王国騎士団団長、殴ったら反逆罪でつかまっちまうよ」
「あんなのが騎士団長?喋るチンパンジーにしか見えないぞ」
アイツとメルローズはこそこそ話す。
「おい、何話してんだ!まあいい、今日はババアに土産があんだよ」
ゲロスはカウンターに叩き付けるように布に包まれた何かを置いた。
メルローズは恐る恐る布を開いた。
包まれていたのは生首だった。
「ーーーーー!」
メルローズは声にならない悲鳴をあげた。
「コイツお前の息子だったよな、今朝魔物に襲われてな。コイツ怪我してあまりにいてえいてえ言うから見てらんなくてな、優しい俺が首跳ねて`救って´やった!がはははは」
何がおかしいのかゲロスは笑う。周りの兵士達もつられて笑う。
メルローズはへたりこみ泣き出してしまった。苦労して育てた一人息子が変わり果てた姿、首だけになって帰って来たのだ。その衝撃は計り知れない。
メルローズはそっと包丁を握りしめた。
「この外道が!あたしの息子を返して!」
泣き叫びながらゲロスに向かって走る。
しかしアイカがその手を掴む。
「お嬢ちゃん、離しておくれよ、あたしはアイツを殺して息子の仇を取るんだ!」
しかしアイカは離さない。
「メルローズさん、あんな奴殺して手を汚す事ないよ、それに反逆罪ってのになっちゃう。抑えて」
「がはははは、小娘のほうが分かってるじゃねえか!でもおせえ、俺に刃を向けた時点で反逆罪だ」
アイカはまだ笑っているゲロスの方を向く。
「小娘って程若くは無いんだけど、まあ若く見られるのは悪くないかな」
アイカは笑顔で答えた。
「てめえみてえな下衆に言われても嬉しくねえけどなあ!」
笑顔は一瞬で消えて見えない速さの蹴りがゲロスの腹に決まる!
そのままゲロスは吹っ飛び入り口の扉を突き破り消えた。
「お嬢ちゃん………」
メルローズがアイカに近寄る。
「あはは、やっちゃった。まあ私はこの国の人間じゃないし反逆罪とか知らないし」
呆気に取られていた兵士達がそれぞれの武器を抜く。
「ここじゃ迷惑かけちゃうな」
アイカは入り口に向かって走る。それを追い掛け兵士達も外へ出る。
「お嬢ちゃん!」
メルローズも追い掛ける。
もしアイカが捕まるなり殺されるなりしたら巻き込んだ自分のせいだ。
慌てて外に出る。
「!」
メルローズはあまりに意外な光景に声が出なかった。
立っていたのはアイカと地面に突き刺さった無数の剣やら槍だけだった。兵士達はすでに倒れている。
「ふー、犬人間達と一戦交えたお陰かな?だいぶキレが戻ったかも?」
キレが良いとか悪いとかじゃない。兵士十数人瞬殺。いや全員気絶しているだけだ。
アイカはキレてはいない。意外と冷静だった。
この騒ぎに付近の住人達が出てきた。
「どうした?」
「騎士団がやられているぞ」
「まさかあの女がやったのか」
様々な憶測でざわつく。
「お嬢ちゃん!後ろ!」
メルローズの声にアイカは頷く。
「分かってる。思ってたより頑丈なんだね、さすがは団長って事かしら」
そう言いながら首だけ後ろに向ける。
後ろにはゲロスが立っていた。
「こっち向けよ、俺だってな、後ろから女襲うほど腐ってねえんだよ」
「うんそうみたいね、ずっと見てるだけだったもんね」
アイカはあっさり言い放つ。ワーウルフの時と違いアイカは至極冷静だった。冷静に`キレ´ている。ゲロスの気配もしっかり感じ取っていた。
この状態は血染めの獅子最強形態だ。頭は至極クリアに、体は至極キレる。
「気付いてたのかよ、本当に何なんだお前は」
アイカは振り向き再びゲロスと相い向かう。その姿は実に凛々しく美しく可憐でありながら底知れぬ力を感じさせる。
「ちょっとやんちゃな可愛い美人な未亡人、とでも名乗っておこうかしら」
ゲロスは笑う。
「はは、参ったね。そんな訳わからんのにうちの連中はやられたのか」
「そ、んで次はあんたの番」
アイカは構える。
ゲロスも構える。
数秒の間の後、二人が同時に地を蹴る。
「ぬうん」
「はあっ」
ゲロスが振り下ろす拳をアイカは蹴りで弾く!そのまま顔面を捕らえたかに見えたが
(浅い、重心を後ろに引いたのか。なかなかやるじゃん、ただの下衆な外道じゃないわね)
しかし周りの野次馬には分かっていない。歓声が上がる。
「いいぞ姉ちゃん!」
「そのままやっちまえ!」
「くたばっちまえクソ騎士」
「姉ちゃんパンツいろっぺえ!」
全員アイカを推している。一人変なのが混じっているが。
「アンタ、全然人気ないね」
「別にどうでもいいさ、それよかさっきからパンツ丸見えだぞ」
アイカはメイド服のまま立ち回りをしている。当然スカートはめくり上がる。
「気にするな!私の純白な天使なセクシーな光景を冥土の土産に見せてやってんの!」
「いや、黒じゃん」
アイカは自分の下着を確認した。黒だった。
「あれ?ホントだ、おかしいな」
その間にゲロスは距離を取り剣を抜く。
低く構えた突きの形を取る。隙がない。
「ただでやられる訳にはいかないからな。行くぞ!」
アイカは地面に刺さった剣と槍を抜き構える。こっちは隙だらけだ!何故二本抜いたのかも分からない。
「来い!」
(とは言ったものの剣とか槍とか全然使えないのよね)
相手は突きの構えだ。斬撃なら線、突きなら点だ。いっそ大振りしてくれたほうが捉えやすいのだが。
「はあっ!」
ゲロスが地を蹴り迫る。
(速い!コイツ強いじゃん)
「ここだ!」
狙いは剣を持つ右手。
アイカは右手に持つ槍を突き出した!しかしまったくタイミングが合っていない。しかも手から槍はすっぽ抜けた。
(あはは、やっちゃった!間合いがさっぱり分かんないや~)
が、槍は謎の光を纏いゲロスの剣を弾き飛ばしそのまま遠くの建物、城に着弾し爆発した!
「んな!」
ゲロスは驚きのけ反り引っくり返る。
「また何か出た!」
アイカ本人もびっくり!
が、好機だ。アイカは左手に持つ剣を投げ捨てゲロスに飛びかかり跨がる。完全にマウントを取った。右手で押さえつけ左手を握りしめ振りかぶる。
「姉ちゃんいいぞ~やっちまえ~」
「殺せ~」
「潰しちまえ~」
「パンツくれ~」
再び野次馬から歓声が上がる。それはいつしか「殺せ」コールになる。
「お嬢ちゃん…」
メルローズが呟く。
(コイツは確かにメルローズさんの息子さんを殺した外道、でも何か違和感あるのよね)
アイカが考える間にも「殺せ」コールは続く。
(ああもう!)
アイカは左手を振り下ろした。ゲロスはびくともしない。アイカの左手はゲロスの顔面スレスレの地面にめり込んでいた。
「………せえ」
ポツリと呟く。
「殺せ殺せうるせえんだよ!」
今度ははっきりと怒鳴った。
「簡単に言いやがるけどな、人間てのは死んじまったらおしまいなんだよ!てめえらは人殺して責任取れんのかよ!どうやったって死んじまったら帰ってこねえんだよ!殺すってのは取り返しつかねえんだよ!なのに殺すだの殺せだの簡単に言うなよ!もっと命を大切にしろよ!そのくらい分かれよ!」
今度はゲロスの胸ぐらを掴む。
「てめえもてめえだよ、何あっさり殺されようとしてんだよ。何諦めてんだよ。逃げんなよ!」
アイカは続ける。
「てめえ、私を殺す気なら後ろから斬るなり刺すなり出来ただろ!最初から剣使えば簡単に殺せただろ?何かっこつけてんだよ!何悪ぶってんだよ!」
アイカの感じた違和感はこれだ。
(最初はただのクソ野郎かと思ったけど違った、拳を交えた今なら分かる。コイツはきちんと努力してる。剣だって私より数段は上だ。ただ強いだけじゃない)
むしろ天性の才能だけで戦っていたのはアイカの方だ。
ゲロスは本気で殺す気なら何回もチャンスは有った。だがしなかった。本当に下衆な外道だったらわざわざ素手で付き合う訳がない。
「がはははは、何を言うか!笑わせるな!俺はメルローズの息子を殺したんだぞ、正真正銘の悪だよ。さっさと殺せよ!がはははは、は………チクショウ!チクショウ!………やっぱり俺の負けだよ………」
ゲロスは諦めた。本能で感じる。目の前の女は自分より遥かに格上だ。しかも心の内まで見透かされている。そんな気がした。
「団長は本当は優しいんだ。ただ言動が雑なだけなんだ」
意識を取り戻した兵士が言う。
「黙ってろ!」
ゲロスが怒鳴るが兵士は続ける。
「メルローズの息子は魔物に毒を喰らったんだ、体が腐って行くたちの悪い毒を。頭までまわったら化け物になっちまう!それを見てられなくて団長はメルローズの息子の首を跳ねたんだ!俺達にはそれしか出来なかったんだ!」
「バカヤローが、要らねえことベラベラと………」
ゲロスが呟くが兵士はまだ続ける。
「どうやってそれをメルローズに伝えるか団長は悩んだんだ。息子の死を知ったメルローズは生き甲斐をなくしちまうかも知れない。だったら自分が恨まれれば良いって。復讐心でも生きてくれれば良いって」
メルローズが近寄る。
「ゲロス!今の話は本当なのかい?」
ゲロスはしばらく黙っていたがやがて口を開いた。
「チクショウ………本当にカッコつかねえな俺は。部下一人守れねえで何が騎士だ、何が団長だ!……チクショウ」
ゲロスはしばらく天を仰いだ。そして
「おい、アンタ。いつまで俺に跨がってんだ」
そう言いながらアイカの胸を揉んだ。
ゴメス!
やっぱり助っ人外国人の名前みたいな音を立てゲロスの顔面に正拳が入った。ゲロスは気絶した。
「台無しだ~」
みんなの声がハモった。
「まったく、男ってヤツはしょうもないんだから!」
さくっとアイカは立ち上がる。
(しかしみんな殺すだのなんだの荒れてるなあ。やっぱり元凶をどうにかするしかないか)
民の心が荒むのはだいたい悪政のせいだ。圧力をかけられた人々はどこかで何かきっかけがあれば暴発する。
(あまり時間かけたくないし頼りますか!)
「チビスケ!」
アイカは叫んだ。
一陣の黒い疾風を纏いチビスケが現れる。
「はやっ!」
今になって衝撃波と破砕音が聞こえる。
「音速超えるのか、チビスケさん、もうちょい気を付けないと」
『呼ばれたから全力で来ちゃった。それで何かあったの?』
突然現れた黒い巨獸に民衆はどよめく。
「ん、あまり良い話は無いんだけどとりあえず城まで行きたい」
チビスケは伏せた。乗れって事だろう。
アイカはよじ登ると両耳の間に座る。
「メルローズさんごめんなさい、仕事手伝えない。私行かなくちゃ」
「良いよ、何してくるのか知らないけどそれがお嬢ちゃんの仕事なんだろ?行ってきな、ただし絶対生きてまたウチに来ること。約束だからね」
「分かった!」
アイカは元気よく返事した。あまり先の事は考えていないがなるようになるだろう。チビスケと言う頼りになる相棒もいる。
チビスケが地を蹴り建物の屋根の上を飛び移りながら城に向かう。巨体からは想像もつかない身軽さだ。
ほぼ一直線で城に向かった。
『………そっか、グランレイ王様、死んじゃってたんだ』
チビスケは心底残念そうだ。
『でもそんな気はした。街から悪い風が吹いてたから。グランレイ王様と会ったときはそんなの感じなかったから』
チビスケと離れていた間、あった事をかいつまんで話す。
チビスケはチビスケなりにこの国の異変を感じていたらしい。
「その悪い風の根源を絶つ。それが私の出した答え、別にこの国を救うとか大層な事は考えてないけど見ちゃった以上放っとけないから。チビスケ、協力してくれる?」
アイカが見たのは荒んだ街と荒んだ人々の心。
『もちろんだよ!王様の築いた平和な国を乱した奴を放っとけない!それに僕はお姉ちゃんの味方だよ』
(何と頼もしい味方なんだろ)
アイカはチビスケの頭にギュッと抱きついた。
「でも私が道を違えそうな時は全力で止めて」
アイカは自分が暴走しがちな事を自覚している。だからチビスケに頼んでおいた。チビスケなら止めてくれるだろう。
『分かった。ところでいくつか聞きたい事あるんだけど良い?』
「うん?何?」
『その服どうしたの?すっごい可愛い』
アイカはメイド服のままだった。
「聞くな、そもそもチビスケがお金くれなかったのが悪い」
アイカは顔を真っ赤にしつつ答える。
『あ、お姉ちゃんこっちのお金持ってなかったんだ。少し渡せば良かったね。でもそれとその服が繋がる意味は分かんないや』
アイカはだんまりだ。
(チビスケお金持ってるのか。何に使うんだろ?)
チビスケはとても似合っていて可愛いと思ったが本人は不服のようなので次の話題に向かう。
『あとお城から煙が出てるんだけど何でか分かる?』
「あ~あれね~、また手から何か出たんだけど。光がぺか~って出て城に着弾した。やっぱり魔術の才能あるのかな?」
チビスケは考える。
『だから魔術って何かとかで発動しないはずなんだけど』
「だって出たもんは出ちゃったんだから仕方ないじゃない」
(うーん、やっぱりお姉ちゃんは………)
チビスケはずっと抱えていた懸念がさらに深まった。
『まあいいや、よくはないけど。最後に、何か尻尾にぶら下がっている人居るんだけど』
「え!」
アイカはまったく気付かなかった。後ろを見ると必死にチビスケの尻尾を掴むチンパンジー、じゃなくてゲロスが居た。
「何で付いてきてんだお前は!」
いつの間に意識を取り戻したんだろうか。打たれ強い奴。
「ばれたか!いやぁお前さんの乳の感触が忘れられなくてな。また揉みたくて付いてきた。がははは」
沈黙が流れる。
『あいつ振り落として良い?』
「やって良し」
アイカの答えにゲロスが慌てる。
「待て待て待て、本当は俺なりにケジメつけに城に行きたいだけなんだ。ところでさっきからお前さん以外に誰か喋ってる気がするんだが」
ゲロスのセリフにアイカとチビスケは驚く。
チビスケの声は元々繋がりのあるアイカは別として普通の人間には聞こえないはずだからだ。グランレイ王はチビスケと話せたらしいがゲロスにもその資質があるとは。
「チビスケ、コイツ意地っ張りだけどそんなに悪い奴でもないからこのままにしといて。あくまでこのままね」
つまり振り落としはしないけど乗せてもやらないと言うことだ。
『了解、まあお姉ちゃんに手を出したら地獄谷火山の火口に死ぬまでぶら下げとくけど』
チビスケは街の外の一際高い山頂から煙を吹いている山を見つめた。地獄谷火山と言うらしい。名前からして危なそう。
チビスケとアイカとおまけのゲロスは城の入り口についた。
入り口には白銀の鎧を纏いし女騎士、ジュリアが立っていた。
「俺はアイツに用があるんだ」
ゲロスはチビスケの尻尾を離すとそう呟いた。
「獅子王アイラ様ですね!私は近衛騎士団長のジュリアと申します。ずっとお待ちしておりました。まさか本当に獅子に乗って現れるとはさすがはエメル様の御使い」
何やら歓迎された。
(名前は間違ってるし御使いじゃないしチビスケは獅子じゃないけどここで足止めされるよりは良いか)
「えっと、私そんな大した者じゃないんだけど。ちょっとやんちゃな無銭飲食した可愛いメイドです」
アイカは謙遜する。
「いえいえ!貴女からはまさに高潔なオーラを感じます!先代のグランレイ王のような」
チビスケとアイカはこそこそ話す。
「どうしよう、人の話聞かない子に熱烈歓迎されてるんだけど」
『敵視されるよりは良いと思う』
そんなやり取りをしているうちに城門は開かれた。
「さあどうぞどうぞ」
ジュリアは満面の笑みを浮かべながら中へ誘う。
「罠かな」
『そんな感じはしないけど………まあ些細な罠があっても僕が受けるから』
チビスケは勢いよく城門をくぐる。
ゴスッ!
鈍い音と共にアイカが頭をぶつけた。
『罠?』
「おおう………違う………チビスケ、人乗せてるの忘れないで………」
『ごめんなさい』
アイカは頭から血を流していた。流れた血が滴る。白いフリフリエプロンが赤く染まる。血染めの謎メイド誕生だ。
(あー、洗って返さなきゃ)
『お姉ちゃんごめんね、ちょっと待ってて』
チビスケは立ち止まると集中した。
アイカの頭がほんのり光る。血が止まった。
「魔術?」
『うん、治癒促進のやつ。大丈夫そう?』
「ほおお、凄いな、もう血が出てないし痛くない。チビスケ先生これ後で教えて」
今のところ謎の光をぶっぱなし破壊するだけのアイカとは大違いだ。
チビスケは今度は慎重に歩を進めた。
ジュリアが後に続こうとするが誰かに腕を掴まれた。
「誰だ!」
振り向くとゲロスが居た。
「何だお前居たのか。私は忙しい、離せ」
ゲロスは首を振る。
「時間はかけねえ、お前が何しようとしてるのかはだいたい分かる。ただちょっと俺と決闘してくれ」
ジュリアは腕を振り払い後ずさる。
「はあ?いきなりなんだ!結婚してくれだと!こんな時に何を言い出すんだバカ!」
ジュリア、本当に人の話を聞かない子。
「バカはお前だバカ!あ~、ゴホン、近衛兵団騎士団長ジュリア、王国軍騎士団長ゲロスの名に懸けて決闘を申し込む!」
咳払いして改めて言い直す真顔のゲロスにジュリアは答える。
「どういう風の吹きまわしか知らぬが………その申し出受けてたつ!」
二人は剣を抜き相対する。
ジュリアはゲロスに一度も勝った事はない。だが騎士の名をかけ挑まれてしまっては受けるしかない。本来なら自分が挑む方なのだが。
しばらくして激しくぶつかる金属の音色が響き渡った。
先行していたチビスケは足を止めた。
『お姉ちゃん』
「分かってる。あれがアイツの言うケジメなんでしょ、私達は私達のやることやりましょ」
もはや王までは扉一枚隔てるのみ。
謎の珍客に兵士達は立ち塞がろうとするがチビスケの前に立てる猛者は居なかった。
「よし!最後の仕上げと行きますか!」
チビスケが扉を開け王の間に足を踏み入れる。
王の間には兵士数人とローブを着た黒髪の女性、マーニと白地に金の刺繍がされたドレスを着た透き通るような金髪の少女が居た。そして真ん中には玉座に座った中年の無精髭の生えたハゲオヤジが居る。
「なんじゃい貴様らは!」
「お前がガワダーニか?」
一応確かめるために聞く。
「様を付けろ様を!我こそはガワダーニ-フッカーヤ!この国の王なるぞ!不敬者め」
唾を飛ばしながらまくし立てる。
「ふん?よく見ればなかなか良い女じゃないか!さてはあれだな?ワシの嫁候補か?よし、さっそく子作りしよう」
盛大な勘違いをしているガワダーニ、通称ダニ王。
「チビスケ、どう?」
『臭い、ダニって言うよりゴキブリ、いや腐った屍肉みたい。鼻が360度曲がりそう』
(おお、たまに出る辛辣チビスケさんだ、360度曲がったら元に戻るけど)
アイカはチビスケの上からダニ王を見下す。
「お前みたいなドグサレ変態ゲス王と誰が結婚するか。私はお前を……………………あれ?どうするんだっけ?」
(そう言えば勢いで来ちゃったけど何しに来たんだ。とにかくコイツがこの国をおかしくしてる元凶だけど別に世界を狂わしてる訳じゃ無いから私のやるべき事には関係ないんだけどでもこの国をほっとくわけにはいかないしだからと言ってぶん殴っておしまいってのも何か違うし)
「あー、えっとお前王様辞めろ。お前がアホなせいで国民が困ってる。死ぬほど困ってる」
頭の中がまとまらないので簡潔に言った。
「アホとは何だこの痴れ者が!国民なんぞ知るか!アイツらはワシのために死ねば良いのだ!ワシのために国があるのだ」
アイカはため息をついた。
「あのなあ、逆だよ逆!王様ってのは国の頭だろ?頭ってのは弱い奴らや下のもんのために体張れんのが頭なんだよ。お前にはその器がねえ。てめえがやってんのは王様ごっこだ、そんなにてめえが大事なら部屋に籠ってろオナニー野郎」
『お姉ちゃん、言葉汚い』
チビスケが嗜めるがアイカは気にしない。
「別にいいよ、コイツにどう思われようがどうでもいいし」
アイカはもう一度ダニ王に告げる。
「今すぐ去るか、この黒い獅子に潰されるか、選べ」
『ええ?僕は獅子じゃないし』
「いいからいいから、犬より獅子ってことにしといたほうが強そうで良いじゃない?」
ダニ王は激昂した。
「侮辱罪に反逆罪だ!この痴れ者共を捕らえろ!殺してもかまわん。あ、やっぱり生かしたまま捕らえろ!ワシ自ら調教?………じゃなくて拷問してやる。早くしろ!」
ダニ王の声に兵士達が反応する。
(あらら、また戦わなくちゃか)
兵士達が槍を構える。しかしアイカではなくダニ王に向かって。
「な、何をするお前ら。敵は向こうだ!誰に刃を向けている!」
(あらら~風向きが変わったわね)
兵士は王に向かって言う。
「勘違いするな。我らは国のための兵。貴様の私兵にあらず」
ダニ王はさらに激昂した。
「何を言う!国、すなわちワシだ!ワシ以外に誰が王となるのだ。グランレイもエンダももう居ないんだぞ?ワシこそが正当なる真なる王だ!」
そこへ今まで黙っていたマーニが金髪の少女と共に前へ出る。
「いいえ、王の資格を持つものは居ます」
凍りつくような冷たい声で淡々と告げる。柔らかい物腰と絶えない笑顔からは想像もつかないほどに。
「そう言えばそのガキ誰なんだ?ワシはロリコンではないぞ、いや、行こうと思えばイケるが」
どこまでもクズなダニ王の言葉にマーニは辟易した。
「分からないのですか?本当にしょうもないカスですね。この方はレイエンダ-フッカーヤ様。貴方の姉エンダ妃とグランレイ王の忘れ形見です」
「はあ?そんなもの知らぬ!」
「はい、貴方に見付かると危険が及びそうなので教会で預かっておりました」
そこでマーニはアイカを見る。
「本来ならもう少し成長してからレイエンダ様に公の場に出てもらう予定でした。しかしエメル様から神託を授かりました。この国を救う救世主にして神の遣い、獅子王アイラ様が現れると。なので丁度良い機会ですから計画を早めました。愚かなる王、あなたを引き摺り降ろす計画を。まあ俗に言うクーデターです」
マーニは相変わらず笑顔だ。ただめちゃくちゃ冷淡。
(全裸ちゃん何勝手な事を言ってんだ!名前も間違ってるし!しかしあの娘、なかなか良い度胸してるわね)
しかしこうして今ここにいる。何だかエメルの手のひらの上で転がされているようで気に入らないが
(まあそういう事なら利用させてもらいましよう)
アイカはチビスケの上から飛び降りた。
「そう、私は神の遣いなのだ!言うこと聞かないと多分おそらくきっとバチが当たるぞ!何か凄いバチが!」
だがダニ王はまだ折れない。
「ぐぬぬ、ゲロス!ゲロスはどこだ!」
丁度ゲロスとジュリアの二人がともに王の間に入ってきたところだった。どっちも傷だらけだ。
「おお、ゲロス良いところに!この場にいる不敬者共を切り捨てろ!」
しかしゲロスは王の前に立つと剣を置いた
「わりいが叔父貴、俺は先に降りるぜ。俺はやっぱり騎士だの団長だのの器じゃねえ。それに今日だけで女に二度負けた。これ以上恥はさらしたくねえ。叔父貴も男なら覚悟決めな」
ゲロスは王に背を向けるとジュリアに向かって声をかけた。
「国を頼んだぜ」
「言われずとも」
どうやら決闘の勝者はジュリアだったようだ。ゲロスはアイカとの連戦だったが充分強かったようだ。ジュリアは所々傷を負い息も上がっている。
だがゲロスは去った。とうとうダニ王は一人になる。
「さあ、大人しく去るかここで果てるか!答えを出せ」
ジュリアが迫る。兵士十数人にジュリアにマーニ、さらにアイカとチビスケに囲まれ正当なる後継者も現れた。ダニ王は完全に詰んでいる。
「ガウウウウッ」
突如チビスケが咆哮を上げた。全員がチビスケの方を見る。
「どしたの?」
『みんな離れて!嫌な予感がする』
しかしチビスケの声を聞けるのはこの場ではアイカのみだ。
マーニに至っては
「ほら、獅子皇帝様もおっしゃっています。この無能最低下衆変態ファッキング。とっととくたばれゴミクズ野郎、ケツから手突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞ、だそうです」
と勝手に解釈して言い放つ。
『言ってない~。あのお姉さん怖いよ~』
チビスケが慌てる。
「多分あの娘が言いたかった事なんでしょうね。チビスケは獅子皇帝だって。また格が上がったね」
犬帝から獅子皇帝、さらに魔王からは神狼と呼ばれている。
『うれしくない~僕はただの飼い犬だよ~多分よく分からない雑種の犬なのに~』
「バカだなチビスケ、雑種ってのは色んな血の良いところを受け継いだ最強なんだよ。サラブレッドと同じ。自分を卑下したら絶対駄目だよ」
『うん、わかった。僕はサラブレッド!それよりみんなを下がらせて!』
アイカは頷くと
「みんな下がって!そいつ危ないっぽい!」
と叫ぶ。
しかしダニ王に槍を向けていた兵士は聞かない。
「何を今さら!ああ、獅子王様直接手を下すのですね。しかしこんなダニで手を汚す事はありません。我々がやりますよ」
「違う!チビスケがそいつは危険だって」
アイカが全部言い切る前にダニ王が動いた。
「ぐふふふふ、もう遅いよん」
自分に向けられた槍を両手で一本ずつ掴む。
すると槍は腐蝕し崩れた。次に兵士の首をを直接掴む。兵士の体はみるみる痩せ細りやがて腐り果て骨まで崩れた。
「ぐふ、ぐふふふふ。久しぶりの食事は旨いなあ」
ダニ王が立ち上がる。
「お前ら全員食ってやる、ぐふふふふ」
よだれを垂らしながらフラフラと歩き出す。
アイカとチビスケ以外は見入ってしまっている。
『腐魔生物!』
「何それ?どうすれば良い?」
『魔物の一種、直接触れたら色々吸いとられてこっちが腐っちゃうやっかいなやつ!』
また兵士が一人捕まり腐り崩れていく。
レイエンダは悲鳴を上げた。アイカとチビスケ以外はあまりに異様な光景に硬直していた。
アイカはマーニに向かって叫ぶ。
「アンタはその子つれて下がって!大事なんでしょ!」
今度はジュリアに向かって叫ぶ。
「アンタは魔術使える?剣はだめ!あいつに直接触れないようにして」
「多少なら使えます。ただし剣が本職ゆえあまり期待はしないでください」
ジュリアの答えにアイカは胸を張る。
「大丈夫!私なんか全然使えないから!」
そう、アイカは謎の光こそ出せるが出る条件がさっぱり分からないし魔術はもっとちんぷんかんぷん。基本は殴る蹴るだ。相手に触れたらいけないので現状まったく役に立たない。
「チビスケ、魔物ってのは本能で生きてるんでしょ?いくらアホのクズだからって王を演じる事なんて出来るの?」
『出来ない、はずなんだけど』
チビスケは考える。
『腐魔生物が王に取りついた?いや、取りつこうとしても相手が腐っちゃうし』
「つまりチビスケにも分からない訳ね。とにかく今はここを切り抜けましょ!」
こんなところで死ぬわけにはいかない。アイカには帰りを待つ人が居るのだ。特に最愛の娘には絶対に会いたい。
(紫苑、お母さん頑張るから良い子にしててね)
アイカは念じる。
「お、女~」
ダニ王は男の兵士は無視してマーニとレイエンダに向かう。
そちらには逃げ場がない。
レイエンダはクーデターの要だ。失う訳にはいかない。
「風よ!」
ジュリアが魔術を放つ。
風の刃はダニ王の首を落とした。が、体が首を拾い上げ元の位置に乗せるとすぐにくっついた。
「マジか、そんなんありか」
今度はチビスケが吠える。
咆哮は衝撃波となりダニ王を襲う。
服が破れ肌が剥がれる。完全に腐った肉の生物となる。足元を見れば石造りの床すら腐り始めている。時間を掛ければ城が崩壊しかねない。
「性根から腐っているとは思っていましたが本当に腐った生き物だったとは………レイエンダ様だけは護ります!」
マーニは魔術で不可視の壁を作る。もはや腐った肉と化したダニ王は不可視の壁にぶつかる。そして魔術で組んだ不可視の壁すら腐蝕させていく。
(あわわわ、もう時間がないどうしよどうしよ)
さすがにアイカも焦りだした。何にしろ一番アイカが役に立っていない。せめてレイエンダを逃がす隙くらいは作りたい。
(あ、もしかしたら)
アイカはジュリアに駆け寄ると抱き上げた。
「な、獅子王殿、こんな時に何を」
ジュリアには何がなんだか分からない。ただ目の前にアイカの顔がある。
(何て凛々しく美しい方なんだ、力強い瞳、長いまつ毛、それに何だかいい匂いがする)
ジュリアはアイカに見惚れてしまった。
「ごめん、ちょっと我慢して」
「はい、お姉様」
ジュリアは目をつぶった。
アイカはジュリアの鎧の下、スカートのようになっている部分から手を突っ込みまさぐる。
(ああ!お姉様!そこはいけません。でもお姉様になら………)
ジュリアはなんだか危ない一線を超えようとしてした。
「よし取れた!」
アイカはジュリアを降ろした。
その手に握られていたのは白い布の何か。
「ほら!こっちだ。美人騎士様の脱ぎたてだぞ~」
レースのパンツが宙を舞う。
ダニ王は一目散にそれを追い掛けた。
「よし、うまくいった!やっぱり変態ダニ王の本能は残ってたのね!二人とも今のうちに逃げて!」
マーニとレイエンダは走る。王の間の入り口から外へ逃げた。
「何がうまくいったですか獅子王殿!投げるなら自分の投げれば良いでしょう!」
「それは何かやだ」
真っ赤になって怒るジュリアにアイカは即答した。
「おお、団長のパンツだ」
「バカ野郎!俺のもんだ、どけクソ化け物」
ついでにその場に居た兵士達もジュリアのパンツに群がった。
「ねえ、ジュリアちゃんだったっけ?アンタの部下、馬鹿ばっかなの?」
「何とも恥ずかしい………あ、私の事はジュリアとお呼び下さい。もしくはスールでも良いです」
何故かジュリアは顔を赤らめくねくねした。
(まあこの娘もそれなりに変な子ね)
とりあえずアイカはマーニ達が逃げた方向と逆の扉を開ける。通路の奥に階段が見える。
「チビスケ!その化け物こっちに引き付けて!街に出すわけにはいかない!」
ダニ王に色々魔術をぶつけていたチビスケが吠える。
会話する余裕もないようだ。
「よし、私達は先に行きましょ」
が、ジュリアは座り込んだ。足を見るとくるぶしのあたりが青く腫れている。
「あはは、実はゲロスと立ち会った時にちょっとやらかしまして。先に行ってください。私は後から行きますから」
顔には脂汗が滲んでいる。
「バカ!何で先に言わないの、立つのも辛いんでしょ」
アイカは再びジュリアを抱き上げる。
「獅子王殿!私は良いですから!」
「何言ってるの!こっちはアンタの魔術が頼りなんだから。いいからしっかり掴まって!」
そのまま走り出す。ジュリアの身長は170弱、アイカより少し低い。ただ鎧も付けている。かなり重量があるはずだ。
しかし軽々持ち上げ走っている。
(ああ、お姉様。何てお強いお方なんだろう。あ、お姉様の汗が落ちてきた。ペロペロ)
ジュリア、やっぱりやや危ない娘だった。
階段を登る。触れられたら負けだ。出来れば広い場所に出たい。
下からチビスケが追い掛けてきた。
『お姉ちゃん!来るよ!』
チビスケの尻尾にはジュリアのパンツが引っ掛かっている。どうやらパンツ争奪戦はチビスケが勝ったようだ。別にチビスケはパンツに興味は無いがダニ王を引き付けるのに利用した。
とうとう階段を登りきる。屋上に出た。
それなりに広いが出入口は1ヶ所しかないようだ。
アイカはとりあえず出入口から一番遠い隅でジュリアを降ろした。ここで迎撃するしかない。
「ジュリアちゃん、使える中で一番強力な魔術の準備よろしく」
「わかりました。倒せるかどうかは分かりませんが」
ジュリアは精神集中を始める。
チビスケが下から出てきた。その後ろから腐った肉の塊、ダニ王も出てくる。腐ってる割には俊敏だった。
「チビスケ!大丈夫?」
『うん、どうにか』
「しかし触れられないって厄介ね。こんな時に変な光が出せればな~」
試しに腕を振ってみたが何も出なかった。
「僕も魔術はそこまで得意じゃないから足止めくらいしか出来ないと思う」
チビスケはアイカとジュリアを庇うように背を向けダニ王と対峙する。
「……術式構成完了、いつでも行けます!」
ジュリアの魔術を放つ準備が完了したようだ。
「私が放てる最高の魔術です。今使えるのは一度きりです」
確実に当てなければならない。幸いダニ王は動きは遅い。ズリズリと引き摺るように近付いてくる。
チビスケが吠える。咆哮は衝撃波と風圧を伴いダニ王の足を止める。
「ジュリアちゃん、よろしく!」
「火炎柱!」
ダニ王の足元から炎が吹き出る。
「がアああ、アつい、ぎゃビヒ」
ダニ王が火に包まれ喚く。肉の焼ける臭いが拡がる。
「はあ、はあ、そのまま燃え尽きろ」
精神力を使い果たしたのか息も絶え絶えのジュリア。
「よくやった。ジュリアちゃん」
アイカがジュリアに肩を貸す。
しかしチビスケだけは警戒を解いていなかった。
突如炎の中から焼け焦げた肉塊が飛び上がる。肉塊から触手のように腕が生えチビスケの後ろ、アイカとジュリアを狙う。
アイカ一人なら回避出来るがジュリアがいる。
庇うようにチビスケは跳んだ。触手を体を捻り脇腹で受けそのまま腕で肉塊を凪ぎ払う。肉塊は四散した。
「獅子皇帝様!」
「チビスケ!」
チビスケはゆっくり振り返る。脇腹に穴が空き血が流れている。
『二人とも大丈夫だった?』
「それはこっちのセリフだ」
チビスケは脇腹の傷から腐り始める。
『ああ、やられたなあ。僕はここまでみたい。最後まで付き合えなくてごめんねお姉ちゃん』
アイカはチビスケに駆け寄り頭に抱きついた。
「何勝手な事言ってんだ、まだこの世界の事とか魔術とかもっと教えてもらいたいし」
そうじゃなくて
「ほら、今度は魔王と会うのにチビスケに連れてってもらわないと」
これでもなくて
「昨日会ったばかりじゃない!」
これだ。
「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!もう離れたくない!」
これが本心だ。
『本当にごめんね』
アイカが掴んでいたチビスケの毛が最後に崩れ消えた。圧倒的存在感を放っていた黒い巨体は脆く崩れ去り消えた。
「あ、あ、あああ」
アイカは膝をつく。チビスケはダニ王と相討ちしたかに見えた。
だが四散した肉が中心に集まり出す。それは一番最初の形、ガワダーニの形を成した。
「げひゅひゅひゅ、無駄死にだったな犬ッコロ。げひゃっ」
下品なガワダーニの声が響く。
アイカはガワダーニの頭上に跳んだ。
「もういいよ、お前」
手をかざす。今なら光を放つ確信がある。
「ガワダーニ、お前だけは」
手から太陽の光を遥かに凌ぐ山吹色の美しい光が放たれる。
「くたばっとけやクソ野郎!」
光はガワダーニを飲み込み城の階層をぶち抜き地面を抉る。
今度こそ腐魔生物ガワダーニは完全に消滅した。
ダニ王の統治とは呼べぬ統治はここに終わった。
~エピローグ~
王国は多大な犠牲を払いながらも腐った政治から解放された。
女は願う。黒い大きな相棒が愛したこの世界を守りたいと。
男は願う。いつか必ず女を救う英雄になりたいと。
まだ運命は廻り始めたばかり。詩は続く。
思いもよらぬ方向へ向かって
いかがだったでしょうか?拙い文章をお読み頂きありがとうございます。本来なら第一部は一本で完結する予定がまったく終わりませんでした。
早めに続き描けるよう頑張ります!