遠藤家両親の馴れ初め
「私はただ、あの人と一緒にいたかっただけなの」
どういう流れだったかはよく思い出せないのだけれど、わたしは彼女に馴れ初めを訊ねた。彼女の夫であり、血縁のない“お父さん”でもある、彼との。
そうしたら、そう返ってきたのだ。
「“お父さん”と一緒にいるのは、“お母さん”でしょ?
だから私は、お母さんになりたいと思ったの」
そうしてしつこく襲いかかり続けて今に至るのだという。
「なんてゆーか……行動力あるね。」
ありがとう、なんてハナちゃんは笑うけれど、襲われる方はたまったもんじゃなかっただろうな。ご愁傷様、とここにいない彼に言葉をかけたい。
「初めは冗談っぽくあしらってくれていたのだけれど、だんだんと本気で抵抗されるようになっちゃってねー」
「あたりまえ。」
だって、子持ちの今でさえこんなに若いのにその前だと、中学生か、下手すると小学生なんだから。冗談だと思ってた(考えようとしてた)ら本気だったって、しかも娘のような存在から。そりゃ現実逃避にも力が入るはずだ。
「ますます家を空けるようになっちゃった。」
元気に駆け回る子供たちへ笑いかけながらの言葉ではあるけれど。
内容は、とても笑えるものじゃない。
「寂しい?」
「とっても。」
ハナちゃんは頷いた。
夫の健一郎さんは、彼女に襲われる度に現実逃避のように遠くへ仕事に出かける。帰ってくるのは概ね年に一度だそうで、つまり子供も約1年おきに産まれている。どれだけ彼女の愛が熱烈か、それだけでも判るというもの。殆どシングルマザー状態で、今は3人の男の子を育み中。
「でも、ちゃんと帰ってきてくれるって安心感も今はあるから、哀しかったりはしないのよ?」
なにより、と彼女は腕の中の幼子を高く持ち上げる。
「この子たちがいるもの。」
あーわーわー。と特に表情を伴わない声を出しているのは、2ヶ月前に産まれた三男の梗一郎くん。
「嫌がってるよー梗くん」
「そうかしら?」
反応が薄いのは少し心配らしいけれど、どうやらハナちゃんの幼い頃もそうだったらしいから遺伝かも。と笑っていた。
膝の上に戻されると小さな手が空をつかむから、指を出してみたら叩かれた。
「アミちゃんもね」
ハナちゃんが笑う。
でもホントそのとおり。
こんなで大丈夫かなわたし。
「半年後には、お姉さんね」
そうなのだ。
今、わたしの母が、妊娠中。
次の冬か春には、弟か妹が、産まれる予定。
「弟かなー」
「女の子もかわいいけれどね」
「ハナちゃんは、やっぱり女の子がいい?」
「男ばっかりだとむさ苦しいもの」
タイミング良く、梗くんが「むーっ」と声を出す。
「はは、怒られてる」
「ごめんなさいねー、でも事実だから」
梗くんは小さな手でぺしんとハナちゃんのお腹を叩くけれど、それにどんな意味があるのか。
「かわいそうに」
「べつに梗が嫌いなわけじゃないのよー」
今度は頭がこつんと胸にあたった。
「眠いのかな」
「ほんとうに怒ってるだけだったりして」
言葉は解らなくても、何となく、意味は理解しているといわれるしね。
「今が素直だと、大きくなってから鬱ぎそうで心配にもなるけれど」
「そうなの?」
「そんな気がするだけ。何事にも、バランスってあるから」
何年後にか本当にそうなるのだけれど、それはまだ後の話。
「素直と……我慢?のバランス?」
「そう。思ったことを態度に出すか、出さないかのバランス」
「今でも顔にはでないけど」
「顔に出すか態度に出すかのバランスも大事よ?」
公園のベンチに並んで掛けて、遊具や広場で遊んでいる子供たちを眺めて。そういえば、私の小さい頃は別の町に住んでいたことも思い出す。小学生の頃はすでにこの町にいたけれど……いつごろ、引っ越してきたのだったっけ。
「ハナちゃんはさ、ずっとここにいるの?」
「暗くなる前に家に帰りますよー」
「そうじゃなくて……」
彼女はよく、こうやってふざける。ひとしきり笑ってから、冗談よ、と続けるのだ。
「小さい頃からこの町にいるはずよ。
少なくとも、この町の外に住んでいた記憶はない」
産まれたときどこにいたのかは、知らないけれど。
そう告げる彼女の顔には雲の陰がかかっていたけれど、やはり笑っている。
「……訊いてもいい?」
「両親とか親戚縁者のことなら訊かれても平気だけれど、何もおもしろい応えはできないわよ?」
「ハナちゃんの、お母さんは……?」
話にあがる度に、知らないと繰り返される。本当に、ただそれだけ。
「私を産んだ母親のことなら知らないわ。生きているのか死んでいるのか、どこの誰かも。
誰が相手で、どうしてどこで私を生んだのか、何も。
──私が生きていることを知っているのか、望んでいるのかさえも」
また、繰り返されるだけ。
「育てのお母さんは?」
「いないよ。」
「お父さんだけで?」
「それだけじゃなくて、お父さんの知り合いがたくさん助けてくれたけれど、それでも、“お母さん”をしてくれる人はいなかった」
「寂しくなかった?」
「お母さんがいないことに対しての寂しさはないわ。
いないのがあたりまえだったのに、どうして寂しいなんて思うの?
……お父さんがいない時は寂しかったし、それで今があるのだけれどね。」
相変わらず顔に張り付いた笑み。少し離れたところでは、手を繋いだ男の子二人がじっとこっちを見ている。あれは梗くんのお兄さんたち。双子の良一郎くんと好一朗くん。わたしが小さく手を振ると、二人で顔を見合わせてから、大きく手を振ってくれた。
「意地悪なことを言ってごめんなさいね。あることがあたりまえだと、寂しいと感じるのに。」
「……あたりまえだと思えるから、寂しいと感じるんだよね」
あるのがあたりまえだと思っているのに、そこにないから。
ハナちゃんは頷く。
わたしの考える普通から、かけ離れた彼女。
普通になりたいわたし。
どうしようもなく、これがただの現実。
変えることなんてできない。
普通なんて、本当はどこにも存在しないのだろうけれど。
手元にないと、それを求めてしまうんだ。
「知り合いのみんなも良くしてくれて、そうして、この今があるから、」
……ここに近いうちに、わたしの母と弟か妹も混ざるのだろうか。