入学式 3
アトバイスという名のSMプレイを終えた俺と久瑠美さんは石抱きに近しき仕打ちを受けた自身の両足を労いながらゆっくりとした足取りで講堂に置きっぱなしにしてしまった荷物を取りに向かっていた。
「本当に酷い目に遭いましたわね」
「私たちは無傷な上に校舎への被害もほぼゼロなのに納得出来ない」
「全くですわよね。少しばかし頭が硬いお方ですわ」
「あれはきっと危険度Sのマガツモノ、マスク・ド・エスだね」
「ああ、確かに鉄―仮面を被ったような方でしたからね。では今から倒しに戻りましょうか?」
俺はそう言うと冗談で神具を召喚する。
「······」
「······」
「ははは」
「ははは」
そして少しの沈黙の後、俺達は笑いだした。
最初は久瑠美さんの事を無表情で冗談の通じなそうな子だと思っていたがどうやらその認識は間違っていたようで、彼女は今までに俺が絡んできた女子の中でも1番と言っていいほどに話しやすかった。
···まあと言っても、悲しい事にほとんど比較対象が居ないのだが。
「いやーでも、少し興奮しましたわね。せんぱぃのっ!?」
笑っている最中、色んなことに気を良くしてしまった俺は油断してしまったのかあるいはリラックスしてしまったのかは分からないが素の感想が口をついて出てしまい、俺は急いで自身の口を塞ぐ。
「ん、なんて?興奮?先輩?」
「い、いえいえなんでもありませんわ。入学して初めてのマガツモノとの戦闘で未だに心臓が鳴っていて興奮が収まらないと言ったのですわ」
不思議そうにこちらを見てくる久瑠美さんに対して、俺はありえそうな言い訳でお茶を濁す。
「ふーん、そう。まあ吉野宮さんはかなり強かったと思うよ。それにあのダイダラカッチュウは文献で見たものよりもサイズがかなり大きかった。突然変異かは分からないけど多分危険度A+はある。油断してたらやばかった」
「そうなんですか、まあ確かに普通のマガツモノと比べて少し変な所がありましたわね」
「え、どこ?」
久瑠美さんは急に俺の顔をまじまじと見つめ訊ねてくるが、大して具体的な答えを持ち合わせていなかった俺は若干困惑してしまう。
そして。
「いやどこと言われますと···うーん、まあマインドとかソウル的な所ですかね?」
などと訳の分からない言葉を返してしまう。
不審に思われたかと恐る恐る久瑠美さんの顔を見ると、彼女はクスりと小さく笑っていた。
「···ふっ、マインドって。吉野宮さんって思ったよりもアバウトなんだ。もっときっちりした感じかと思ったよ」
「そ、そそ、そうですかわねー」
やばい、この流れは良くない。少なくとも吉野宮暁良という人間そのものが疑われている様子はないが、このままでは俺の培おうとしているキャラがぶれぶれになってしまう。
と、そんな会話をしている内に講堂へ付く、だがやはりと言うべきか、そこには誰の姿もなく自分たちが座っていた場所を確認するがそこに荷物は既に存在しておらず、代わりに1枚の置き手紙が置いてあった。
"荷物は教室まで運んでおきます。東雲"
その手紙には漢字ドリルのお手本のような字でそう書かれていて、俺達はそれに従い、広い校舎を迷子になりながら1-2の教室まで向かった。
そして、それから再び1時間が過ぎた。
「この学園で命令違反は死に直結するのだぞ。貴様らはそれをわかっているのか!!」
俺と久瑠美さんは1-2の教室の前の廊下に正座させられ担任の教師である桐原香澄教諭に説教をくらっていた。
あれ?デジャブ?
いやいや、というか正座を1時間2セットって苦行すぎでしょ?
「あ、あの先程先輩にも同じ様なご指導を頂いたのですが?」
「だからどうした?」
「えっ!?いや、だからどうしたと言われると···申し訳ありません」
桐原先生はマガツモノを眼光で殺せそうな、正しく風穴が開きそうな程に俺の目を真っ直ぐに見て、訊ね返してきたため俺はその後、何も言えなくなってしまった。
「反省している人に対して怒る事は良くない。怒るという行為は反省をしていない者や間違いに気づいていない者にのみ行うべきで、しっかりと反省しているものに対してはもっと優しく接するべき」
「まずしっかりと反省している奴からそんな言葉は出てこない」
「···ぐぅっ」
論破!
それは正しく論破であった。そして、それを受けて久瑠美さんはぐうの音しか出なくなってしまった。
「昨今、どこぞの協会とか組織とかのパワハラや体罰なんかが話題になり、そう言った事について非常に厳しい世の中になって来ているなあ。···そうは思わないか?」
「そ、そうですわね」
「そ、そうだね」
桐原先生はキョトンとしてしまっている俺と久瑠美さんを交互に見て、更に言葉を続けていく。
「しかしだ。我々御子の仕事は常に死と隣り合わせである上に、1人の失態が自分だけで無く、一般人や仲間などの多くの人間の死に直結する事もある、そんなシビアな世界だ。そうだよな?」
「···」
この前置き、つまりそういう事か?何となく着地点が見えて来てしまったぞ。
きっと桐原先生は俺達に何らかの罰を与えるつもりなのだろう。
既に執行されているこの1時間の正座がもはや純然とした体罰な気がするが、これでは無い何かを俺達に課そうとしているのでだろう。
その罰則というのが何なのかは分からないが、1つ分かることとしてはこの先生の中での俺の評価は既に"良くない"に傾いているという事だ。
そして同時に入学初日から体罰を受けてしまった俺には連鎖的に"良くない"噂が立ってしまうかもしれない。正義感が強くて頼れる優等生キャラで行こうとしていた俺にとってこれは相当痛い。
···。
やるしかないか。この状況の全てをひっくり返すあの方法を使うしかない。既に体力も失われてしまっているが仕方ない。
そう、相手の着地しようとしている所よりも更に奥、K点越えで自ら着地する!
「桐原先生。今回、私は出現したマガツモノを討伐するため命令を無視して飛び出してしまったことについて何一つ恥じてはいませんわ!もしあそこでまったく動く事が出来ずにいたなら、私はそれをこそ恥じていたでしょう」
「···なに?」
「ひぃ」
俺を睨み付けてくる桐原先生に若干萎縮し、情けない声をもらしてしまった俺ではあったが1度咳払いをして仕切り直すと再び喋り始める。
「こほん、し、しかしですわ。私の行動によって学園や先生、先輩方に多大な迷惑を掛けてしまったのは事実。よってその罪滅ぼしのため、学園中の"すべて"のトイレを掃除させて頂きたいと考えていますわ。どうか私の勝手をお許し頂けないでしょうか?」
「なっ!?す、すべてだと!?」
桐原先生は初めて動揺した様子を俺達に見せて、言葉を詰まらせた。
きっと桐原先生は俺達への罰として何処かしらの清掃などを考えていたのだろうが、俺の提案はその遥か上を行っていた。
そしてこれはもちろんハッタリというわけではない。
勿論、気持ちだけでいいと言って貰えればそれに越したことはないが、実際やれと言われても俺の持つ神具、百騎一閃の能力を使えばやってやれない事は無い。
だがその前に俺には一つ言っておかなくてはならない事があった。
「ただ今回の件に関して久瑠美さんは一切関係ありませんわ。久瑠美さんがあの場に居たのは私を止めるというただそれだけの理由でした。だから私の個人的な罪滅ぼしに久瑠美さんを巻き込む気は一切ありませんわ。どうか彼女は寮に行かせてあげてください」
俺はそう言って深く頭を下げる。···だが、下げた事で桐原先生から死角となった俺の顔は勝ち誇った様な笑みを浮かべていた。
そうこれで俺の印象は、マガツモノが近くに出現したと聞くなり直ぐに駆けつけてしまうほどに正義感と使命感が強く、また、しなくてもいい償いを自ら進んで行い学校中を掃除して周り、オマケにクラスメイトを庇うという人情に厚い一面まで持ち合わせている人物となっただろう。
完璧だ。これは完璧なる優等生だ。
正直さっきまでは危なかった···が、しかし。
入学早々、穴子下りになりかけた俺の印象をここまで完璧に持ち直すとは自分の才能が怖いまである。
それからしばらく経っても桐原先生の返答が無いのを確認し、それをGOサインであると勝手に解釈した俺は頭を上げ口を開く。
「では取り掛からさせっ」
「待って、私はあの場に自分の意思で行ってしまった。トイレの掃除は私が行う」
立ち上がりその場を後にしようとした俺を呼び止めるように久瑠美さんが声を上げる。
「く、久瑠美さん?いいのですよ。これはあくまで個人的なものなので」
「だったら私も個人的なもの」
「で、ですから···」
「ああー、分かった分かった。では2人でやれるだけやってみろ。私はもう知らん」
俺達の斜め上な口論に対し、流石にダルるくなったのか桐原先生は投げやりに俺たち2人に指示を出す。
そして頭を掻きながらその場を後にした。
「百騎一閃」
「参丁参段散弾拳銃」
俺と久瑠美さんの考えていることは一緒だったようでお互いに神具を召喚し、同時に俺は斬像を20体ほど、久瑠美さんは鎧鬼を4体ほど召喚する。
ちなみにとっさの判断を必要としない場合であるなら俺は斬像を20体前後まで、久瑠美さんも鎧鬼を4体ほどは召喚し操作できるようであった。
「私の鎧鬼は大きいから、細かい所は厳しいと思う。床とかを担当する」
「なるほど役割分担ですわね。では私はトイレを···っ!?」
あまり気にせずに言ってしまったが、よく考えたらトイレ掃除って女子トイレか。
···まあ、これは仕方ないことなんだ。それにこれは単なる清掃活動であり他意などない。
なんだか少しドキドキはするが、生憎と俺には排泄行為に興奮する趣味は無いはずだ、きっと、このドキドキはあれだ、普段は絶対に足を踏み入れることが出来ない所に入る、という事へのドキドキだ。そうに違いない。
「よし、では手分けして行きますわよ。目標は2時間ですわ」
「おー」
5時間後。
「や、やっと終わりましたわね」
「もう体力が限界」
俺と久瑠美さんは学園の掃除をようやく終えて、やっと辿り着くことが出来た学生寮の中をのそのそと歩いていた。
結果からいえば、トイレを全て掃除すると口を滑らせてしまった事が俺の完全なる敗因であった。
元来、几帳面な性格が災いし、掃除し始めたらこだわってしまい1つのトイレに時間をかけすぎてしまった。
恐らく久瑠美さんの助けがなかったら今日中に終えていたか怪しかっただろう。
「ちょっとアンタたち大丈夫?」
「心配しましたよ。ってどうしたんですか?顔色が悪いですよ」
と、ゾンビのような様子で歩く俺達に話しかけてくれたのは、二条院さんと東雲さんであった。
「え、ええ、大丈夫ですわ」
「問題無い。神具の使いすぎで意識が朦朧としているだけ」
「そうですわ。寧ろテンションは高めですわ」
苦笑いを浮かべかなり猫背になりながらも、俺と久瑠美さんは疲れた時特有の妙なテンションで二条院さんに答える。
「って全然大丈夫じゃないじゃない。ほらアンタ達の部屋はこっちよ」
二条院さんはそう言うと俺と久瑠美さんの手を引っ張って学生寮の1203と書かれた部屋へと案内する。
「お2人は同室でしたので荷物は中に入れておきました。ああ、あと。こちら預かっていた鍵です。オートロックらしいので気をつけてくださいね」
「あ、ありがとうございますわ」
俺は東雲さんから鍵を受け取るともう片方を久瑠美さんに渡し、部屋の中に入っていく。
「もし大丈夫そうなら、ご飯食べに来なさいよ」
と後ろから二条院さんが何か言っているようではあったが、今の俺の脳は限界になっていたのと、部屋の中にベットが見えたことでそこに倒れ込みたいという欲望が勝ってしまったことで、二条院さんの言葉の意味を理解する事が出来なかった。
そして、ガチャ!というオートロックがかかる音がしたのと、ほぼ同じ位のタイミングで俺と久瑠美さんはそれぞれのベットに倒れ込み、そのまま泥のように眠りについてしまった。