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三丁目の夕日

作者: 若葉茂
掲載日:2019/04/26

 湯女がピュアだと非常ですか?

 あたし、生まれ変わりたいんです、24歳。

 貴女が非常だと思われるようには、非常ではないと思います。

 「干し草と月」を読み返して、30歳。


 周りが例えどんな目で君をみようと私だけは知っている。三つ葉な言葉ばかり並べても、他人の子のために必ず描く四つ葉。暮れない夕日をくれたわと、百の夜を数えてくれた優しさ。

 時を経るごと、日を追うごと、あの時の君の微苦笑が私の心の妓生(キーセン)に触れる。

 会いたい。ただひたすら君に会いたい。

 あの黒目がちの瞳に本当の白夜を見せてあげたい。

 ただ純粋でありたいと願う者同士、影を並べて歩いていけたなら、それが私の心からの想いなんだ。


 三十の秋、私はある娘と喫茶エランで会った。恋の初めであった。

 娘が突然、首を真直ぐにしたまま袂を持ち上げて、顔を隠した。

 また自分は悪い癖を出していたんだなと、私はそれを見て気がついた。照れてしまって、苦しい顔をした。

「やっぱり顔を見すぎるよね?」

「ええ。ーーでも、そんなでもありませんわ」

 娘の声が柔らかで、言うことが可笑しかったので、私は少し助かった。

「悪いよね?」

「いいえ。いいにはいいんですけどーー。いいですわ」

 娘は袂を下ろして私の視線を受けようとする軽い努力の現れた表情をした。私は眼をそむけて夕日を見ていた。

 私には、傍にいる人の顔をじろじろ見て大抵の者を参らせてしまう癖がある。直そうといつも思っているが、身近の人の顔を見ないでいることは苦痛になってしまっている。そして、この癖を出している自分に気がつく度に、私は激しい自己嫌悪を感じる。幼い時二親や家を失って他家に厄介になっていた頃に、私は人の顔色ばかり読んでいたのではないだろうか、それでこうなったのではないだろうかと、思うからである。

 ある時私は、この癖は私が人の家に引き取られてから出来たのか、それとも以前の自分の家にいた時分からあったのかと、懸命に考えたことがあったが、それを明らかにしてくれるような記憶は浮かんで来なかった。

 ーーところがその時、娘を見まいとして私が眼をやっていた夕日は三丁目の夕日であった。この夕日が、ふと、埋もれていた古い記憶を呼び出してきた。

 二親が死んでから、私は祖父と二人きりで田舎の家に暮らしていた。祖父は盲目であった。祖父は何年も同じ部屋の同じ場所に長火鉢を前にして、東を向いて座っていた。そして時々首を振り動かしては、西を向いた。顔を北に向けることは決してなかった。ある時祖父のその癖に気がつくてから、首を一方にだけ動かしていることが、ひどく私は気になった。度々長い間祖父の前に座って、一度北を向くことはないだろうかと、じっとその顔を見ていた。しかし祖父は五分ごとに首が右にだけ向く電気人形のように、西ばかり向くので私は寂しくもあり、気味悪くもあった。西には夕日がある。西だけは盲目にも微かに明るく感じられるのだと、私は思ってみた。

 ーー忘れていたこの夕日のことを今思い出したのだった。

 北を向いてほしいと思いながら私は祖父の顔を見ていたし、相手が盲目だから自然私の方でその顔をしげしげと見ていることが多かったのだ。それが人の顔を見る癖になったのだと、この記憶で分った。私の癖は自分の家にいた頃からあったのだ。この癖は私の卑しい心の名残りではない。そして、この癖を持つようになった私を、安心して自分で哀れんでやっていいのだ。こう思うことは、私に踊り上りたい喜びだった。娘のために自分を綺麗にして置きたい心一ぱいの時であるから、尚更である。

 娘がまた言った。

「慣れているんですけど、少し恥ずかしいわ」

 その声は、相手の視線を自分の顔に戻してもいいという意味を含ませているように聞こえた。娘は悪い素振りを見せたと、さっきから思っていたらしかった。

 明るい顔で、私は娘を見た。娘はちょっと赤くなってから、狡そうな眼をしてみせて、

「私の顔なんか、今に毎日毎晩で珍しくなくなるんだから、安心ね」と幼いことを言った。

 私は笑った。娘に親しみが急に加わったような気かした。娘と祖父の記憶とを連れて、三丁目の夕日を歩いてみたくなった。

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