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ルークがレーネそしてサイラスと再び過ごすようになり一年。静かな自分達の森の家で爽やかな初夏を迎えていた。
レーネは徐々に柔らかく微笑むようになり、自分から食べ物を取るようになり、少しずつ、外に出るようになった。
カエラの家に行き、家畜の世話の手伝いをし、ブリッジ商会に顔を出し、森で見つけた貴重な素材をウダイのアドバイスで流通に乗せ、高く売れた時は飛び上がって喜んだ。
たまには遠くの街に買い出しに出ることもある。手を繋いでいればルークの移動魔法でレーネは初めてでも大抵の場所に行ける。お互い自分達の『色』と真逆な装いをすれば案外誰にも気づかれない。入門はウダイが用意した商人のプレートですんなりいく。
二人で珍しいものを食べ、ダラダラと店先を覗き、安物買いをして、帰宅後サイラスに叱られる。
穏やかな優しい日々が続くと思っていた。
このまま続けば、レーネは元気になり、信頼を取り戻せると信じてた。
(どうして…………このタイミングなんだ……………)
一ヶ月前、ゼーブからルークとサイラスに緊急の念話が入った。ここしばらく音沙汰なく、なんとか軍や魔法省だけでやっていけてるのだと思っていた。そんな中の緊急事態。彼らの手に負えない何かがあったのだ。
二人は相談し、とりあえず状況確認にサイラスだけ登城することになった。もちろんレーネには話さない。二度とレーネを戦いに駆り出さないと誓っている。
サイラスはこれまでも度々ゼーブに行くことはあったので、レーネは行ってらっしゃいとあっさり見送った。
サイラスの外出から数日後、ようやく念話が繋がった。
『……火龍だ。』
『嘘だろ…………』
火龍は一晩で世界を火の海に変える〈厄災〉。
『ルーク、今回は君は役に立たない。君の火は打ち消される。ルークはレーネの側にいてあげて。』
『でも、サイラス様!一人では無理だ』
『ルーク、私を誰だと思っている。安心しなさい。すぐ帰る。レーネを………よろしく頼むよ。』
『サイラス様!!!』
結局、サイラスはあれから帰らない。念話も通じない。
ルークはレーネの温泉のそばで地面に手をやり、目を閉じて地熱を探る。たった今も恐ろしいほどの炎が遥か南で荒れ狂っているのがわかる。季節はこれから真夏に向かう。火龍の勢いは増す。最悪だ。
レーネは何も言わない。表面上は何も変わらない。でもサイラスの話題をしなくなった。
(レーネは、やっぱり裏切られたと思ってるんだろうな………)
サイラスは事情も話さず消えたのだ。しつこいほどに一緒にいる、離れない、レーネが一番大事だ、と言いながら。
(レーネ………)
ルークはレーネを今一人にすることは、何もかも台無しにしてしまうことだとわかっている。最悪の場合、レーネの心は壊れ、また死に向かってしまう。そばにいてあげたい。ずっと一緒にいたい。レーネを穏やかに過ごさせてあげて、危険が目の前にきたらこの手で守り抜きたい。
その思いはきっとサイラスも同じ。
しかし、ルークの頭に家族の顔が浮かぶ。
(俺は、母上やポリーが焼け死ぬのを………黙ってみてられるのか?)
離れても…………わかりあえなくとも、当然家族を愛しているのだ。
ルークがため息とともに長い赤髪を搔き上げると、手首のブレスレットがシャラリとなった。
ブレスレットはサイラスからの成人のプレゼント。碧、緑、紅、黒、四人の瞳の色そっくりの宝石で出来ていて、レーネと嬉しいことにお揃い。それぞれの石に加護がついた価値の測れないシロモノ。
(俺は………サイラス様のピンチを守るんだよ………)
成人の日の誓いを思い出す。
一見何事もないこの一ヶ月、サイラス一人で抑えている一ヶ月。きっと限界だ。
もう…………一刻の猶予もない。
「腐っても〈英雄〉だからな。」
朝方のレーネを思い出す。生成りの薄手のローブ姿で、腰まで伸びた白髪をゆるく首元でねじり、傷の癒えた顔は白く、最近は頰がふっくらしほんのり赤い。ピンクの口元は緩くカーブを描き、『あった!』と嬉しそうにに薬草を摘む。一旦傷ついて、ようやく再び光が戻った、暖かみのある黒真珠の瞳。
(レーネ…………)
(とっとと討伐して帰ってきたら………また俺を受け入れてくれる?)
ルークのルビーの瞳から、決意と惜別の涙がボロボロと溢れ落ちた。
「愛してる…………」
「レーネ、今夜は一緒に寝ようぜ!」
「……………なんで?」
「…………怖い夢みたから。」
「アホなの?」
ルークはレーネの返事を物ともせず、レーネを壁側に追いたてて、レーネのベッドに滑り込んだ。
「レーネ、体調どう?どっか痛い?」
「大丈夫だよ。もう心配しなくていいって!」
「そうか?やった!」
ルークはぎゅーっとレーネを抱きしめた。
「痛い痛い痛いって!もう!」
「緩めてほしい?」
「ルーク!離して!」
「おやすみのキスしてくれたら離してやるよ。」
「はあ?い、痛い痛い!」
「サイラス様やゼンクウさんとはしてただろ!俺だけ仲間はずれするなよ。」
「してないし!」
「じゃあ、お願い。」
レーネは、はあっ、と諦めて、ルークの頰にちゅっとキスをした。するとルークがレーネに向き直り、
「あ………」
ルークはレーネのくちびるに自分のくちびるを押し当てた。
「初めてなのに。」
「俺もだよ。」
ルークは再びくちびるを重ねる。そっと、でも食べるようにレーネのそれを優しく包み込む。深紅の瞳がレーネの表情を全て記憶する。
「レーネ、かわいい。」
レーネは不安げにルークの瞳の奥を探る。いつもと違うことくらいわかる。
「ルーク…………」
「おやすみ、レーネ。」
ルークはレーネに何も話させず、レーネを自分の胸に抱き込んだ。レーネはおずおずと布団の中でルークの手を探し、しっかり繋いだ。
やがてお互いの馴染みの温もりのせいで眠りについた。
朝、やはりルークは消えていた。
机の上に束ねた美しい紅い髪と小さな木彫りの山神様の像が残されていた。レーネは…………自分の髪が一房無くなっていることに気がついた。
「ルーク………あんたが一番残酷だわ…………」
レーネは右手に紅の髪、左手に木像を握りしめ、ぼんやりと、佇んだ…………。




