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レーネは再び、サイラスの膝に戻らされた。体の自由を奪われ口以外は動かない。
そもそもレーネの魔法は大半サイラスから教授されたもの。サイラスに邪魔されれば発動などできない。よほどスピードがあれば解除される前に発動できるのだろうが、レーネはこの二年で完全に鈍っている。
「先生、解いて。」
「話が終わればね。」
(金縛り……ルークと取っ組み合いのケンカした時のお仕置き以来だよ……あの時は金縛りプラス正座で一晩中だったっけ………)
レーネは遠い目をした。
「…………先生、見てわかるでしょ。私はもう勇者じゃない。戦闘向きの身体じゃないし魔法も簡単に解除されちゃう。ウダイさんが何と言ったか知らないけど、何の役にもたたないから。」
「……………」
「だから、帰って………どんな依頼も無理だから。」
レーネの口元がガチガチ震えだす。サイラス相手に口答えしてしまったからか、サイラスを怒らせること、失望させることを怖れるためか?………突然急流に飲み込まれた自分の人生に怯えてなのか。おそらく全てなのだろう。
「レーネ、君は勇者だ。レーネが世界を救ったんだ。己の功績を軽んじるな。しかし今後、レーネを戦いに出すことはない。私で充分だからね。君の嫌がるところに引っ張りだす気もない。」
「じゃあ、ホントに何で来たの?」
「レーネに会い、レーネとのんびりしたかったから。さっきも言ったよ。」
レーネは昔、サイラスを温泉に行こうと誘ったのを思い出す。タイミングが合わないものだ。
「他の、ふさわしいかたと、どうぞ。」
「レーネがいい。」
堂々巡りだ。
「サイラス殿下、迷惑です。ここに………王都のしがらみを持ち込まないで。」
サイラスはあの手の敵意がどれほどしつこく残忍なのかわかってない。
レーネは震える唇を噛み締めて、大恩人を揶揄した。ここでの穏やかな生活だけは死守したかった。
サイラスは動けないレーネをクルリと自分と対面するように回した。親指でレーネの唇をさすり緩めさせ、滲む血を拭き取った。
「レーネを侮り、私との間に水を差す奴など、海の底に沈めるよ。今まで放置しておいて信じられないと思うが、時期にわかる。私が本気だと。レーネに迷惑はかけない。」
戦闘時以外は基本穏健なサイラスが物騒なことをいうので、レーネは目を見開いた。
「信頼している相手としか、休息にならないだろう?」
(…………そうは言っても)
レーネは常に人々の輪の中心に立つサイラスを思い出し…………イライラした。
「先生には他にたくさん信頼できる相手、おいででしょう?ご家族もユニス師も、省の皆さんも!お友達も!何で私?何でここ?選ばれて逆に惨めになります。ひやかし?」
「違うよ。」
「先生、治癒ありがとう。でももうキラキラのお城に帰って。こんなボロ屋だけど、ここが唯一私の居場所。誰にも迷惑かけてないのに何で邪魔するの?帰って!忘れて!かまわないで!」
レーネが叫び終わると、サイラスは切なそうに笑い、動けないレーネに顔をよせ、頰にキスをした。さらに頰をよせ、擦り付ける。腕をまわされ抱きしめられる。
(ヒゲが………チクチクする……)
思いもよらぬサイラスの行為に、咄嗟に浮かんだのはそれだった。
「レーネが一番だからレーネを探した。レーネが一番だから一緒にいたい。レーネが移動を嫌がるだろうからここがいい。レーネが………一番大事だ。」
突然のキス、サイラスからの初めてのキス、そしてそれに連なる言葉…………
「ウソよ………」
サイラスは愛しげにレーネを見つめ、頰を撫でる。
「愛しているよ。レーネ。」
「…………」
「レーネがここにいること、誰にも言わない。私にとっても願ったりだ。認識障害を周囲にかけてもいい。静かに過ごすことに賛成だよ。誰が来てもレーネに気づく前に追っ払う。レーネからここを取り上げるものは誰もいない、私も含めて。」
「うそよ………。」
自分が誰かの一番になるわけがない。薄汚れた自分を愛するなんてありえない。
「レーネ、私が信じられない?私は………レーネとの苦しい旅で結んだ絆は他の何よりも重いと思っているよ。」
「…………そう思ってたこともあったわ。」
「でも?」
「でも、違った。ううん、そうだったけれど、簡単に移ろうの。情勢が変わったら。」
「そうだろうか?」
「先生はどんどんもっと魅力的な新しい絆を作るわ………求められてるしね。私はその変化に乗れないの。立ち止まったまま。バカだから。でも乗ろうとも思わない。何かを達成した気持ちになって………やっぱり空っぽだったとわかるよりは、一人でこのままがいい。」
レーネの脳裏に魔獣の親子が浮かぶ。
「弔って、償って、消えていきたい…………」




