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烏の符  作者: 沼波
千都世
9/26

夜行

月は姿を変えるので、こんな風なこの人がいても良いのではないかと思いまして……。

見慣れたくない、綺麗な顔。

昔、朱がそう言っていたのを思い出していた。

雲間から覗く月影が、明るさを増したように思われる。

朗々とした美しさは、月の(おもて)などと形容するけれど、まさにその言葉が当てはまるようだ。

感情の見えない、黒い虹彩の嵌った二つの瞳が、バランスよく白い面に配置されている。

すとんと肩に流れる、()りのない絹の様な黒髪が、つくりものめいていた。

その顔に、不覚にも千都世はしばし見惚れた。

瞬時に戸を閉めるが、下駄を差し込まれ、引き戸を閉めるのは封じられてしまった。

品のいいその(おもて)とヤクザじみたやり口のギャップが、胸糞悪い。

珍しく現し身を借りてそぞろ歩きにやってきたのか、足元には黒々とした影があった。体の主のものなのか、(まと)った生気が、中身の虚ろさを際立たせる。

薄い身体を灰白のしじら織の浴衣に包み、藍鼠の帯を合わせているが、薄ら寒い今日の気候にはそぐわない気もする。

「伴も連れずに、何用です。」

手ぶらは百歩譲っても、隔離病棟を抜け出してきた精神病患者か、徘徊老人のようなカジュアルさである。

ほんまに、何しにきてん……。

神とはいえ、邪神扱いの主人の元で細々と神使の末席を温めている千都世である。数多(あまた)いる神々の名など、全て覚えているわけでもなく、そもそも付き合いが希薄だ。それでもさすがに、三貴人の一人の名前くらい知っていた。

月夜見尊(ツクヨミノミコト)。月読命とも言わ、記紀それぞれで異なるが、伊弉諾尊(イザナギノミコト)から生まれた三柱の神々の一人である。

天照皇大神(アマテラスオオミカミ)を姉に持ち、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を弟に持つが、本人曰く、貧乏くじの挟まれっ子らしい。千都世は月読が貧乏くじを引いているところを見たことがないから、それは月読の冗談だと思っている。

主人の足元でもじもじしていた白い塊が、月読の足元からひょこりと顔を出した。

「先槍に参ったのですが、主人に先を越されてしまいました」

「役立たずの兎饅頭!」

思い切り叫びたい。

聞きたくないし来てほしくなどないが、それならそうとさっき言って欲しかった。

心臓に悪いわ。

すっかり玄関先に収まった月読は、室内の蛍光灯の明かりに照らされて、少し色褪せたようだ。

何故か、その印象は朱に酷似している。

「母上の社に寄ろうかと思ったのだけど、私が行くのは障りがあるだろう?」

裏山の社の方へ、遠く視線を移した。

そんなことを気にしていたのかと正直驚く。

傲岸不遜(ごうがんふそん)で自分勝手な性格を全て、静かな微笑みと優しい口調で煙に巻くことに長けたタチの悪い御人である。

姉とはいまだ仲違い中で、父に似た(かんばせ)を母に疎まれ、夜見の国からも出禁をくらって幾久しい。

さすがに伊奘冉(はは)を祀る社へノコノコと入り込むのは躊躇われるらしく、近所の寺で狐をかまって遊んでいるということか。

姉に少し……いや、かなり執着している以外に、それと言って珍かな事はないが、他の神々と違ってどうも捉えどころがない。

三貴人の中で、最も人間に近しく、人を装うことに長けているが、月読が装うのは人の狂気であって本質ではない。

人のような温もりと、被った仮面に騙されると、ひどい目にあうのだ。

「朱は息災であったか?」

おもむろに出された名に、息がつまる。

「烏の子ぉらと楽しそうにしてはりました」

内心面白くない千都世はどうにも刺々しくなる。

別に、自分の名が出なかったことに腹を立てたのではない。自分がいなくても長閑に暮らす、朱のことを思い出したからだ。

「そう言えば、(あかね)の姿を久しく見かけないが、何処ぞへ行っているのか?」

背筋に冷たい水を流し込まれたような、下腹をぞろりとした何かが這い回るようなそんな気分だった。

「なにを、言って……?」

何処へ行ったのか、一番よく知っているのは月読のはずである。

「また、朱が隠しているのかな」

状況説明を求め、もしくは心の中の何かを紛らわせるために、千都世は兎に視線を移すが、赤い瞳を彷徨わせるばかりで役に立たない。

茜とは、朱が失った双子の片割れ。

千都世が失った、大事な大事な……。

「あんたさんが一番良ぉ、知ってはるでしょう」

「二人して私を(たばか)ろうとしているのか?」

その顔で、その声で、茜の名を呼ぶな。

血を吐く思いで口にする。

「茜はのうなりました」

「……ああ。」

千都世の言葉に虚に答えるが、その月読の姿はいっそ不気味であった。

「お前は知らないのだね?」

意味がわからへん。

茜を見捨てて、殺したのは……。

気持ちが悪い。えずくように、胸のあたりにねばねばした苦いものがこみ上げる。

今にも突っ伏して、目を閉じてしまいたい。耳すらも閉じてしまいたいが、容赦なく月読の声が耳に入り込んでくる。

「茜を連れておいで。お前にしかできないだろう?」

出来るわけないやろ。

死んでしまったのに。

いや、殺してしまったのに。

「私は、あれの烏衣が必要なのだよ」

首を傾げ、頭一つ以上も小さな千都世を覗き込む。月読の澄んだ墨色の瞳に、否やを唱えられる人間がいるだろうか。

……澄んだ?いや、濁った暗い沼のような漆黒の、穴だ。

濡れた髪が、また冷え始めている。

歯が鳴りそうだ。

全身、震えていた。

けれど、それは寒さのせいではない。

手を挙げて、怒りの限りにその頬を叩こうとしたその時

「小狐」

女の声に、千都世は意思とは関係なく動きの全てを停止した。

背中に感じる豊かな双丘と柔らかな腕の圧力で、一瞬気が遠くなる。女は、するりと千都世の腰に腕を回し、優しく抱き寄せた。

(あね)さま……」

久方ぶりの主人(ダキニ)の姿に、千都世は急に全身の力が抜けた。

「小狐に何のご用?」

月の貴人に、貴狐天王の名を持つダキニの化身が問いかけた。

腰までの波打つ漆黒の髪、青味がかって見える不思議な黒い虹彩の瞳は長い睫毛に縁取られている。露わになった琥珀色の肌が、目に眩しい。

胸元の瓔珞の触れる音が心地よくて、状況も忘れて千都世は目を閉じた。

豊かな胸と臀部に、すらりと伸びた手足。引き締まった腰回りは、いつ見ても見事としか言いようがなかった。

極限まで布地を省いた格好はいつもの事だが、口元に湛えた媚態と、振りまく色香が尋常でない。

濃く、麝香の香りをまとった熱い腕で千都世を小脇に退けると、月の化身と対峙するように仁王立つ。

「まあ。珍しいもの拾っていらしたのね?」

月読の薄い体をまじまじと眺めると、その顔に見入った。

ダキニは、メヘンディと呼ばれる刺青の精緻な模様が施された黒染めの長い指で、(ねぶ)るように(もてあそ)ぶように月読の頬をなぞるが、その手から逃れるように身を引いて眉を顰めた。

今日初めて見せた、月読の感情らしい何か。

女はそれが面白いというように、白い男の影ににじり寄り、しなだれかかる恋人のように腕を絡ませ巻きついた。

女の存在自体が疎ましいというように月読は睨め付ける。

「離せ、女狐」

「何をしにいらしたの?ここは妾のものなのに」

媚びるように、ダキニは見上げてみせる。

ぎりりと、月読が歯をくいしばる。

月の下は遍く月読のものだ。

其方(そなた)に用は無い。」

「あらぁ、小狐もダメよ?(わたし)のだもの。」

「いつ見ても暑苦しい女子じゃな」

つれない月読に、ダキニは頬を膨らませる。

そのまま伸びをして、月読の唇に口付けた。

なんで姐さん口吸うてはんの?

「そういう流れちゃうやろ……。」

足元の兎はすでに失神気味で、千都世も思わず呻いた。

「こんなにいい男、なかなかいないから味見したの」

舌を出し悪びれずに言うダキニに、先ほどとなんら変わらぬ冷たい視線を向けた月読は、その色香に迷う事なく冷たい眼差しのまま、女に向き直る。

そうして、おもむろにダキニを抱き寄せ口付けた。

何してはんの……この人らは。

「女狐、味見は良いが……私は其方らの肉など欲しくない」

「つれない方ねぇ。」

うっとりと月読にしなだれかかり、その胸元やら二の腕やらに手を這わせる主人(ダキニ)の媚態……というか醜態に、目を覆いたくなる。

席、外しましょか?と、思わず聞きたくなるが、足元の兎は、消え入りそうに身を縮ませていた。しかし、それだけではなかった。兎は半ば消えかけて(・・・・・)いた。

それに、主人(ダキニ)も気づいたのだろう。

「月が翳る。終いじゃ」

ダキニは、その態度とは裏腹に、月読に口寄せて小さく呟いた。

そのまま月読の耳朶を噛む。

痛みにダキニを引き剥がすと、月読は玄関をまろび出て空を見上げた。

あるはずの場所にそれはなく、雨粒が頬を打った。

「今度は、姉上様の目を盗んで、昼にでもいらっしゃりませ。真昼の月の出る頃に」

悔しげに、月読は顔を歪めた。

その姿はじきに薄れ、その場に溶けたように滲んだ。









兎饅頭の名前がとうとう出てきませんでした。月読さんのところでは意外に古株です。

狐のご主人様はいつも薄着です。

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