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烏の符  作者: 沼波
千都世
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雛鳥

朱以外の主観を挟まずに進めてしまっているので、当の朱の姿がぼんやりしていますが…。

狙いです、と胸を張ってまだ言えません。

頑張ります。

お付き合いいただければ幸いです。

風呂敷を紐解くと、三段重ねの漆塗りのお重が顔を出した。

嫌味なくらいに、雅やかな螺鈿の施された素敵なお重であるが、中身は一面の稲荷寿司である。

朱はひとり、このお重、返しに来いってことだよなぁ……などと顔色を曇らせていたが、隣でお重の中を覗き込んだ霧彦の喉が鳴ったのに我にかえった。

今は、美味しい稲荷寿司のことだけを考えよう。

若衆(あの子)達がこれ以上増えないうちに配ってしまわないと、朱の口には入らなくなってしまいそうだった。

若衆組稲荷寿司争奪戦なんてことになったら、後々禍根を残すことになるし、血を見ることは明らかだった。

烏達は、油揚げが大好きなのだ。殊に、稲荷寿司には目がない。朱が知る限りでは、狐が好む以上の執着を見せる。

長い菜箸を嘴の様にカチカチと鳴らせながら霧彦が社務所の戸を開けると、烏達が一斉に背筋を伸ばした。

後から続く、朱の手にしたお重に、視線が集まる。

「先ずは一列に並ん……」

霧彦が言い切る前に、烏達は一列に並んでいた。総勢で二十六羽。

「一羽一つです。ズルはしない事。食いはぐれた物に言いふらさない事…というか、自慢をするくらいなら分けなさい!あとは、誰かと分けるも良し、一人で食べるもよし。あまり日持ちはしないから、今晩中に食べる事!以上!」

霧彦の声に烏達は喉を鳴らす。

みな、一様にぱかりと嘴を開けて肩をいからせている。

何だか、餌を待つ雛の様相だ。

幼児がえりしているのがちょっと心配になる。

その並んだ一羽ずつの嘴に、霧彦は一つづつ稲荷寿司を咥えさせて行く。全員に配り終えるまでは皆一様に咥えたままの姿である。

「うわあ、間抜け……」と言うのを、朱は何とか飲み……込めずに呟いてしまったが、誰も気にしていない。皆嬉しそうに、今にも一飲みにしそうな顔をしている。

「解散!」霧彦の号令で、数羽を残しそれぞれのねぐらやらどこかへ飛び立って行った。家族と分け合うのか、こっそり一人で食べるのか。途中で落としたりしないといいけど。

境内に残ったのは、霧彦と歳の近い数羽で、それぞれお気に入りの場所へトコトコと歩いて行くと、思い思いに稲荷を頬張っていた。みな一様に、一口食べると、何とも言えない顔で朱の方を振り向いた。

ちょっと、大人の味だったのかも知れない。

「霧彦はお皿で食べる?」

そのつもりだったのか、取り皿を三枚用意していた霧彦は、器用に一つづつ皿に取り分けてくれた。残りの二つは、同じく小皿に盛り、朱が本殿の賽銭箱の上に供えた。

いくら稲荷寿司に目のない烏達でも、これを掠めとる様な不埒な輩は、この杜にはいない。

社務所の縁側で、待ちきれずに半分を口に入れた霧彦は、奇妙な唸り声をあげていた。

「あけるさま、何か入ってる!」

暫くもごもごと百面相しながら味わっていたが、口の中が空になると皿に残されたもう半分を恐る恐る覗き込んでいる。

先程の烏達の反応の意味がわかった。辛かったのだ。

「実山椒でしょう?」

「なんか、口の中ピリピリする!」残った半分をもう半分に割って、そっと口に入れた。

「でも、美味しぃい〜」どうやら気に入ったらしい。意外にも大人舌のようだ。霧彦は暫く小皿に残ったかけらを眺めていたが、やがて名残惜しそうに口に入れた。いつも瞬く間に飲み込んでしまう霧彦にしては、珍しい光景だった。よほど美味しかったらしい。

朱は、小皿の上の一つを手に取れずにいた。関東のものとは違い、薄口醤油の柔らかい色で煮てあるためか、油揚げはツヤツヤとした綺麗な、綺麗なきつね色をしている。

「あ、お湯!」

洗い場に戻すためか、食べ終わった小皿を手にして、霧彦は社務所の奥に消えた。

お茶まで入れてくれるらしい。

よくできた子である。

その隙に、朱は自分の分の一つを、元の重箱にそっと戻した。

西陽の差し込む境内は、烏達が帰ってしまうと、急に冷え込む。山の風はまだ冷たい。薄い胸元に、すうっと冷たい風が沁みた。座敷の奥に散らかしてあった羽織を羽織ると、本殿に向かった。

供えた小皿を回収してしまわないといけない。

静まり返った境内に、小学校の下校時刻を知らせるチャイムの音がうら寂しく響いた。

賽銭箱の上には、先ほどと何1つ変わらず、小皿に乗った稲荷寿司が2つ置かれている。


どなたも口にはして下さらなかった。


神使の供えたものを、主が口にしないなんて事、あるのだろうか。

胸の奥が、冷たい。襟元をかきよせて羽織を手繰ったが、暖かくなど決してならないと知っている。

その時、手水場の奥で人影が動いた。普段は人気もないため、手水場の水は止められているのだけれど、その奥、両の目を見開いてじっとこちらを伺っているのは、小学校高学年と思しき女の子だった。

朱と目があってしまい、凍りついた様にそこにいる。

今時珍しくもないが、すらりと伸びた手足と背中に背負ったランドセルがどうにもミスマッチな感じの、綺麗な子だ。

少女は、現れた青年の姿をかなり胡散臭そうに見ていたが、自分の不振さにも気づいたのだろう、慌てて背筋を伸ばすと「こんにちは」とぎくしゃくと頭を下げた。真っ直ぐな長い髪は後ろで一つに束ねられていて、肩からするりと滑り落ちた。

たまらず朱も軽く会釈する。

「日の神小の子?」

当たり障りのない事なら問題ないだろうと、軽い調子で声をかけた。杜の向こうの日の神小学校は目と鼻の先であるので、学校帰りに虫をとったりと、境内で遊んで帰る子供は少なくない。

しかしながら、見るからにそんな歳でもなさそうだし。

「あなたは?」

「え、ええと……社務所の掃除で……」

しどろもどろである。

ちょうど振り返ると、縁側で霧彦が朱を呼ぶところであった。

「朱せんぱーい!お茶が入りましたよ!」

はずかしい。

手に持ったままの稲荷寿司を、彼女が凝視している。朱がそれに気づくのと、少女のお腹が盛大な音を立てたのはほぼ同時だった。

瞬時に顔を真っ赤に染めると、彼女は参道の方へ踵を返した。

「待って!」

思わず大きな声が出てしまい、少女がばっと振り返った。

「良かったら。お供え物のお残しで良かったら食べていかないかい?」

どうか、新手のナンパみたいになりませんように、と内心ひやひやしながら、朱は続けた。

「神様の食べかけだけど」

茶化した言い方に気づいてくれたのか、見開いた目がふと緩む。

「えっと……」

そこまで言うと、はずかしい〜と呻きながら両手で頬を隠し、俯いてしまった。

大人びた外見とは裏腹に、子供の仕草をすると急に子供らしくなる。

もう一度、彼女のお腹が鳴ったのを、朱は聞き逃さなかった。

「霧彦!お茶、もう一つ入れてくれる?」

社務所の霧彦に声をかけてから、少女に耳打ちする。

「お寿司、一つづつね。あの子もこれを狙ってたから」

くすくすと笑ってしまった朱にも嫌な顔をせず、野良猫みたいに後ろをついてくる彼女を社務所まで連れて帰ると、うちの子も顔を真っ赤にしてお茶を用意していた。

縁側でお茶をすすりながら、しばし日が陰る様をぼんやりと眺めていた。緊張した面持ちで稲荷寿司を頬張る二人の姿に癒されつつ、朱は社務所の台所で見つけたスルメを裂いてかじっていた。マヨネーズがないのが残念でならない。

初めは、見知らぬ人物に呼び止められて食べ物までもらっている事に罪悪感と不審さのないまぜになった顔で硬くなっていたが、食べなれない稲荷の味と同年代と思しき霧彦の姿に、少女は気を許した様で、ポツリポツリと境内にいた経緯を話し始めた。一方の霧彦は、初対面の相手を前に、傍目にもわかるくらい膝が震えている。

残念ながら、二つ目の稲荷寿司の味はほとんどしなかったのではなかろうか。

先ほどまでの若衆頭としての威厳は、湯呑みから立ち上る湯気とともに吹き飛んだらしい。

「今朝、お母さんと喧嘩してうちに帰りたくなくて……今日、家庭訪問だったのにすっぽかしちゃったんだ」

聞きなれない少女の言葉の語彙に、霧彦は目を丸くする。この顔をすると、烏にしか見えない。もしくは、豆鉄砲をくらった鳩だろうか。ぱかりと開けたままの大きめな口にスルメを突っ込んでやり、「家庭訪問」についてそっと霧彦に教えてやる。

彼女がずっと泣きそうな顔をしていたのはそのせいだったのかと思い至る。

「お母さんも、先生も心配してるね」

「……知ってる」何か言いたそうではあったけれど、少女は言い返さなかった。それでも、言葉と裏腹に、全身で帰りたくなさそうにしていた。

思い切った様に、縁側から降りると意を決した様に告げるが、まっすぐ帰る様には到底見えない。

「そろそろ、帰ります」

「クァ…あああああああのさ、なみゃ、な、名前、なんて言うの?」

霧彦は、ちょっとびくつきながら口を挟む。若干、噛みすぎというか地が出ているが、良い質問である。

「設楽永遠子……です。」

「とわこ。」いきなり霧彦が呟くので、呼び捨てかよ、とちょっと突っ込みたくなったが、嬉しそうにしている霧彦は可愛らしい。

永遠子の方も満更ではないらしい。

「設楽さん、私は朱。この子は霧彦」

ほうっと見上げた目が、何を言いたいのかはわかったけれど、朱は気づかぬふりをする。女性は大概、朱にこんな顔をする。

「朱さん、霧彦くん」

確認する様に、口にする永遠子の声に、霧彦がぷるりと身震いした。耳まで赤く染めている。

「霧彦、今日は設楽さんを送って行ったら君もお家に帰りなさい」

意地悪かなと思ったけれど、完全に好意のつもりで背中を押した。

「かあっ⁉︎」

「かあって何。返事はハイでしょう」

「でも、あの、お重をお返ししたり……」

ベタすぎる霧彦の返事と、狐問題をすっかり忘れていた自分に内心舌打ちしつつ、それでも朱は若者の背中を押す事にした。

「明日、私が返すよ。設楽さん、霧彦は帰るだけだから一緒に連れてかえってやってもらえる?」

二人のやりとりに目を白黒させていた永遠子は、朱の勢いに飲まれて、頷いた。

結局霧彦は「また戻ってきますから!」と言い置いていくのを忘れなかった。

「設楽さん、またおいでよ〜」

朱がひらひらと手を振ると、永遠子は頬を染め、ぺこりとお辞儀した。

「朱先輩の、人たらし……」

流れる髪を、霧彦は惚けたように見つめているかと思ったら、朱にちゃっかり悪態をついている。

「ご馳走様でした」

まあ、この子がしっかりしてるから大丈夫かな……。

ナンバ歩き気味になっている霧彦の緊張が、永遠子の心を溶かしているのが微笑ましい。朱は二人の後ろ姿を見送った。



やっと出てきた狐以外の女の子のあまりに早い退場にもびっくりです。


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