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烏の符  作者: 沼波
都 春
24/26

命婦

お久しぶりでございます。ちょっと、過去の話が挟まります。ご容赦ください。

蛇足ながら文末に挿絵が追加されております。

いらんわ!といった場合は、お手数ですが非表示の設定をお願いいたします。


川向こうの五重塔が、朝日を受けて美しかった。

春先の乾いた風は、なぜか長安の都を思い出す。

肌に感じる風だけでなく、土や光にさえも水の匂いの混ざるこの国で、大陸の乾いた風景を思い出すのは、なんとも不思議であった。

きっと、この左目のせいだろう。

郷愁というには少し足りず、懐かしさといったあたたかなものでもない。

割れた茶碗を集めて合わせたような、そんな記憶である。

白玖(はく)は高台になった岩場に腰掛け、暫く惚けたように景色を眺めていたが、意識を引き戻すと手元に目をやり、口元を緩めた。

「春仔は丈夫に育つ……」

(めずら)かな伽羅(きゃら)の香りとともに知った気配を感じて振り返ると、眼が眩むような白一色の装束に身を包んだ、目当ての人物がいた。

「良い朝だね」

「おはよぉさん……こない早うに何しにおいやしたん?」

清々しいはずの白が、どうにも似合わない……年齢不詳の女である。

猫の泣くような声を聴きつけて、やって来たらしい。

白玖の腕の中ですやすやと寝息をたてる柔らかなものに目をつけると、舌舐めずりでもしそうな顔つきで覗き込んで来た。

「美味しそうでしょ」

「ほんまやねぇ」

女は顔色一つ変えず、ごくりと唾を飲む音を立てた。美味しそうだなんて、冗談のつもりだったのだけど……。

「あげないよ」

「なんや、おみやと違うんか?」

違うよと、その視線から隠すように柔らかなお(くる)みごと抱え直す。

夜通し泣き通し、先程まではしきりと手足をばたつかせていたが、やっと寝付いたところである。

女は蚕のような白い指で、ペロリとお包みをはがす。その下から現れたのは、乳を溶かし込んだような白い肌の、綺麗な人間の赤子だった。

「何や、人の子やないの。昔の馴染みにでも押し付けられたんか?」

あけすけな物言いが、何故だか胸に刺さる。

夜媧(やか)さんがね、私にくれるって言うんだよ」

苦く、話題の人物の勝手な言いようを反芻しながら、押し付けられた経緯を説明しようとして、やめた。

「姐さまがどこかで(こしら)えて来はったんやろか。それとも先を楽しみに、どっかから拐かして来たん?」

相手もまた、「姐さま」と呼んだ人物の人となりはよく知っているようで、なんとも的を射た答えであった。

「どうだかねぇ」

白玖の 生返事をどう捉えたのか、疑うような視線を感じる。

「あんさんの隠し子とも違うんか?」

「違いますよ」

赤子はふよふよとしていて、つきたての餅のよう。ようやく生えはじめた黒髪を指の先でそっと撫でる。

「とても、女の腹から出で来たものとは思われないね」

白玖の呟きに、女は眉間にしわを寄せる。

「これだから(ぼん)さんは……女の腹以外のどこから出て来たら納得しはんにゃ……」

「脇の下……?」

真面目に答えたつもりだが、不機嫌そうに鼻を鳴らされた。

女は、それが人の子と知って興味を失ったようだ。猫か狸なら鍋にでもするつもりだったのだろう。

「ご馳走やったら、よばれようと思たんやけど」

「違いますって。ただ……頂きものに、ほとほと手を焼いていて」

「ほぉか」

「どうも……腹を空かせているらしい」

女が、苛立たしげに息を吐いた。

「で、どうしはんの」

「どうするもこうするも、私では乳も出ないし……」

出る訳ないやろと、鼻で笑われた。

命婦(みょうぶ)……」

「嫌や」

「……まだ何も言ってないでしょう」

「言われんでもわかるわ」

お山(ふしみ)に、子育て中の牝狐か、もしくは……」

命婦……伏見のお山に住む化物(けもの)と呼ばれる長生きな狐達は、美女に化けるのが得意であった。その中でも、秦氏の私社であった稲荷大社の神使を務める狐たちは、淳和天皇の御代に稲荷大社が神階を授かった事により、命婦狐(みょうぶぎつね)と呼ばれるようになった。

山には元々、化物も獣も含めて狐がたくさん暮らしていたが、近頃は特に賑やかなようである。

お山のご近所に棲みはじめた大陸渡りの神を慕って、方々から化物やその予備軍の小狐たちが移り住んで来ているのだ。野狐あがりのならず者や参拝客へ悪戯する不届き者も多い中、狐たちをまとめて古参新参分け隔てなく面倒見ているのが、壹師(いちし)の命婦である。

ここに来れば、赤子を育てる手が少しはあるのではないかと思ったのだが……。

「無理や。諦めぇ」

人の仔ぉなんぞ臭うてかなわんと、取りつく島もない。

乳が出るなら何でも誰でもいいと思っていたのが、どうやらばれているらしい。

「あんさんとこのお寺さんで何とかしたらよろし」

「寺は男所帯ですから……」

「せやったら、産場稲荷に来てはる夫婦もんに……」

安産祈願に来た者に、子どもを押し付けるのもどうかと思う。お産を控えた妊産婦やらその親族が御利益を頂きに来ていなくもないけれど……。

「べつに、手放したくはないんです」

「面倒な事言わはるなぁ」

命婦は、「あて(・・)なら仰山(ぎょうさん)あるやろ」と口の端を吊り上げる。目は相変わらず笑っていない。

あて(・・)って……?」

「その面相やったら、女子のひとぉりふたぁり、孕ますんは朝飯前やろ」

「この子の糧にするには間に合いませんよ……て、そう言うことじゃなくて」

「ああ、試さはったん?」

意地が悪い。

「やってませんよ……」

「あんさんの事、坊主にしとくんは勿体無いて、姐さんも言うてはったわ」

何にするつもりなのやら。

「そっちはもう、随分前に廃業しました」

なんら後ろめたさはないが……烏帽子も何も載せていない頭に手をやる。

坊主でもないが、人でもない。

そのまま、ぼりぼりと頭を掻いた。

後ろで一つに括っただけの黒髪は、ずいぶん長くなってしまった。

「まあ、坊主には見えへんなぁ」

「でしょうねぇ」

愛おしそうに赤子を撫でる白玖の手つきを、命婦は胡散臭げな目で眺めていた。

「その子ぉは、姐さまの何や?」

「……」

「黙って押し付けるんは虫が良すぎるんとちがう?」

命婦にしてみれば、蚊帳の外であるのがどうにも悔しいのだろう。それを知ってはいたが、口にするわけにはいかなかった。

「この子が死んだら、夜媧は哀しむ」

その事実だけで、命婦が助けてくれるものと、半ば確信している。

自分も大概人が悪い。

人の世からは距離を置いてしまったため、付き合うものといえば同じような世捨て人か、化物や妖怪の類ばかりである。

先頃、熊野から京へ居を移したばかりで、親しいものもいないのだった。

今日は身寄りのない子に乳のあてを探して来たわけだが、何がしかと命婦のところを訪れることが多くなった。

「姐さまに頼まれたんはあんたさんやろ。なんも言われんのやったら、わてにとってはそこらの小汚い餓鬼となんも変わらん」

命婦の言うことは的を射ている。

ただの捨て子なら、大路を歩けば其処彼処で見かける。この子だけを助けるのは道理がない。

黙ったままの相手にしびれを切らせてか、命婦は背を向けた。

「せめて、乳を飲ませる誰か……」

すがれるものは、命婦より他にない。

勿体ぶって、ゆるりと振り返った女は、眉間の皺を一層きつくして憎らしげに言った。

「うちらも暇やないねん。お勤めもあるしな。お乳のあてはなんとかするさかい、その子ぉの垂れ流すもんの始末はしっかりしいや」

てっきり断られるとばかり思っていたので拍子抜けした。暫し言葉が出ずにいたため、またも機嫌を損ねたようだった。

「で。うちに、言いたいことないんか?」

沙珠(すみ)、ありがとう」

「その名前、こういう時につかうんはすこいいうか…」

「命婦、ありがとう……」

命婦は盛大にため息をついてみせた。

「ひと月や」

「え?」

「その子ぉを預かる期限や。それ以上は無理やしな。はよ、ちゃんとした養い親を探しぃ」

「私が、養い親(それ)な のだけどね……」

またも鼻で笑われた。

「あんさんが父親(てておや)代わりて、なんの冗談や」

それなら……。

「それなら、兄とでもしておこうかな」

白玖が浮かべた笑みを、命婦は興味深げに見つめた。

「……あんさんも、えらい顔するようになったなぁ」

しきりと感心している。

どんな顔のことだろう。

わたし(・・・)は、初めからこんなだよ」

「今も昔も面倒なところは変わってへんな」

「命婦も、変わらない」

「そうやろか」

命婦は、眩しそうに目を細めた。

白玖の聡明そうな墨色の虹彩は、山の緑が映えて不思議な灰緑色に見える。でもそれは右だけで、左の瞳は……。

「命婦」

はっとしたように、命婦は無意識に伸ばしていた手を引っ込める。しかしその目は、まだ何処か定まらず、揺れている。

「その翡翠と引き換えに……」

「み、みょ……沙珠!」

きつく、声をあげた白玖は、再び伸ばされてきた命婦の腕を握った。

「壹師の……」

絡んだ彼女の視線の先にあるのは、一粒の翡翠。

「これは、私の翡翠だよ」

白玖の左の瞳の中にはめ込まれた一粒の翡翠は、狐たちには特別なものであるようだった。

「姐さまが欲しいのは、それ」

あどけなく呟く命婦の様子に、白玖は俯き目を伏せた。

「すまない、術が切れていた」

幾度か瞬きすると、命婦はいつもの命婦であった。

堪忍(かに)してや」

そっぽを向いた命婦は、気持ちしょげている。

「そんなに……魅力的ですか」

わたしって、ととぼけた顔で続けた。

「阿保な事いいなや。そろそろあんさんは生身供(おまんま)の時間やろ」

命婦は、ひょいっと赤子を取り上げた。

「いや、連れて行きますよ」

慌てて白玖は命婦に詰め寄るが、女は地を蹴って距離をとった。

「この子ぉが口にできるようなもんあるんか?もともとそのつもりやろ。置いて行ったらええよ」

「取って喰ったりしないでしょうねぇ」

にやっと笑った命婦は、ちろっと出した赤い舌で赤子の頬を舐めた。

「うちも退屈してたとこやし、暫くは可愛がったるわ」

暫くって……。

挿絵(By みてみん)



冒頭の五重塔は、まだ出来たてホヤホヤです。

次は、烏の符と葛籠のことか……収集の付いていない神社に戻る予定です。

よろしくお願いいたします。

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