居処
色々早まりました。更新…
でも、勢いってものが肝心だと。
よろしくお願いいたします。
「言うてみるもんやなぁ」
しれっと朱の単を着くずした不遜な態度の男に、茜はまだ慣れない。
その向こうでちまちまと……甲斐甲斐しく立ち働く小烏にも。
しばらく黙っていた茜にやっと気づいたように、千都世が近すぎる距離で顔を覗き込んできた。
「なんや、腹減ったんか?」
「違います。誰も彼もあなたと同じように腹が減ると機嫌が悪くなると思わないでよ」
黙っていれば黙っていただけ、彼の距離は近くなるのを知っている。
「別に……機嫌が悪いかなんて聞いてへんやん」
馬鹿にしてもらっては困る。息を吐くように自然体で嫌味を言う種族だということは、とうに知っている。この狐は、それを決して認めない。
「顔に書いてあるのよ」
「そぉか?それはそうとあの烏小僧、なんも知らへんのな」
「……頼むから、」
「言わへんて。そんな怖い顔せんでええやん」
あざとく悲しげに伏せられた千都世の顔を、呆れて見返す。
脳裏に、何時もの可愛らしいかむろ姿がちらついた。
こうして見ると、彼の二つの姿はそれほど乖離していないのかもしれない。
「機嫌直し」
大きな手が伸ばされて茜の肩をそっと包む。
でかい。やっぱり、違いすぎる。
ふるふると首を振って先程のちょっとした気の迷いを振り払う。
ついでに肩に回された筋張った手も。
『朱くんなぁ、女の子やってんで?』
しれっとこの口が言ったのかと思うと、まだ近場でしおらしく伏せられた頬を、思い切り左右に引っ張りたくなる。
しないけども。
慌てた茜だったが、霧彦が言った言葉で、もうどうでも良くなった。
『それなら、舎弟じゃなくて番の候補に、立候補します!』
なんかもう、綺羅綺羅した目で見られるのは正直疲れる。この会話にまともに返す気力はもう、なかった。
これを始終そばに置いているらしい朱が、少し心配になった。
我が甥っ子ながら、面白可笑しく育ったものだ。
霧彦の言葉に慌てたらしい千都世は、『冗談やしな』と釘を刺した。
結局のところ、朱は夜遊びで大概夜は居ないと言うことに落ち着いたのだが、意外にもすんなり霧彦はそれを信じた。
千都世曰く、「不良烏やしなぁ」と言うことだ。
で……。
「言うてみるもんや」
「適当な事言って」
茜の知る限り、朱に夜遊びする甲斐性なんてない。
筋金入りの堅物である藍には及ばないが。
「茜さんの事かて、すんなり信じたやん?」
霧彦の中でどう整理されたのか心底心配なのだが、どうやら茜は奉公先でいじめに会い、着の身着のまま飛び出して、昔馴染みの朱の元に夜の間だけ身を寄せた謎の美女と言う事になっている。
身体のことはもちろん、朱との関係も伏せたままである。
その辺りの最重要事項は、特に掘り下げられることはなかったのだが、「奉公先」という言葉がいたく霧彦の気に入ったらしく、何故かうっとりとしていた。
朱に似て、抜けている。
時代錯誤も甚だしい阿呆な設定を口先三寸でまとめ上げたのは、高校生が浴衣を着て浮かれているようにしか見えない、頭の軽そうな狐である。
先日、勝手に暴露大会を始めたかと思えば、すっかり元の姿であるらしい青年の姿でうろつくようになった。
しきりと「心配やわぁ」なんて、思ってもいないだろうに呟いている。
「朱さま、夜は来るなって煩かったの、キャバクラ通いを隠すためだったんですね」
なにやら思案顔の霧彦が、台所で器用に桑の実をより分けながら、誰にともなく言った。
「きゃば蔵?」
「こないな田舎にあるかいな」
「違うんですか?」
「木屋場倉……」って、何よ。
「茜さんのその変換は多分間違うとる。キャバクラ言うてな、お酌しか出来へん薄着の芸妓がぎょうさんおる飯の不味い茶店みたいなとこや」
「行かれたことがあるのですか!?」
まっすぐな目をして聞いてくる霧彦に、心底嫌そうに千都世は目を眇める。
「今の聞いてたやろ。あないなとこ行ったことあるやなんて、誰が言うかいな。知るか阿呆烏。あ、今言うたんは一般的知識と僕の勝手な偏見やし、気にしやんとき」
何やら焦りながら律儀に答える千都世は、意外にも小烏を気に入っているようだった。
「薄着の芸妓……て、襦袢だけみたいな?」
思わず素で聞いてしまった。お酌しかできないのは、もはや芸妓とは言うまい。
「うっとこの姐さんみたいなんが仰山おんねん」
ああ、合点がいった。が、仮にも自分の主人に対して酷い言い様である。
そんな酒池肉林みたいなところにいる朱というのも面白い。
「行ってないで?」
誰が、とは聞かなかった。朱ではない。
「はいはい」
信じてへんよなぁなどと拗ねつつ、千都世は霧彦に向き直る。
「烏小僧、帰らへんの?」
「朱さまの大事な方をお一人にするわけには参りませんし、まだ暫く居ります」
「そもそも、夜に来たらあかんかったんとちがう?」
「お狐さまこそ、何用です」
胸をそらす姿が愛らしい。
「小烏、この狐ももう帰ると言うから、お前ももうお帰り」
若衆らしい細身の身体を、羽に沿ってそっと撫でた。
千都世は、眉をひそめる。
「烏小僧、変なこと期待してへんやろうな」
硬直していたらしい霧彦は、ふうぅっと息を吐く。
「あ、あの……茜さま?」
「ん?」
「俺は、そのう……。どの様に見えているのでしょう」
首をかしげるのは、まごう事なき烏である。
「綺麗な羽は、藍譲りね」
そう言うと、途端に脱力した様に千都世が言った。
「せやった。茜に変化は効かへんで。……こないにちまっこいのに嫉妬してもうたやんか」
あほらし、と千都世が続ける。
「え」
きょときょとと、霧彦は自分の姿を省みる。そういえば、この子は知らないのだろう。
「えええええ?」
「あなたは出鱈目もいいところだけど……」
ちらりと隣の千都世を盗み見るが、それは確かに人の姿をしていた。どうにも狐の変化は巧妙で、未だ千都世の獣型は見たことがなかった。その兄である白玖も同様で、いつでもしれっとした男前にしか見えないから、茜のこの力は狐には効かない様なのだが。
「正確には、茜さんに烏の変化は効かへんの」
何故か千都世は得意そうに言う。
茜は、烏の変化を完全に無効化してしまうのだ。
そう、朱とは正反対。
「では、朱さまとは正反対なのですね」
その言葉に、ぎょっとする。それを知ってか知らずか、千都世がきわめて呑気そうに言う。
「朱くんはそう言うとこポンコツやしなぁ」
「先輩ってば、俺がたまに母上の格好して来ても気づきませんから」
そこは、千都世に怒るべきだろうに、と小烏に言いたい。
ぶふっと、吹き出す寸前で何とか堪えた千都世は、相変わらずやなぁと、なんとも言えない顔をした。
柔らかい声。
それは、姿形が変わっても変わらない。
千都世のそばは、居心地がいい。
ふと、下腹のあたりに冷たい水の塊を抱え込んだような、そんな気分になった。
「朱の帰りは私が待つわ」
少なくとも、千都世には分かるように言ったつもりだった。
帰れと言わずとも、気づくはずだ。
向けられた千都世の双眸に、傷ついた色は見えなかった。
それにほっとした自分がいた。
千都世の、白玖によく似た薄い唇が、すっと上がる。
「僕はな、茜さんに話があんねん」
「狐さま、お送りしますよ」
一人と一羽はなかなか譲らなかった。
小烏は精一杯大きく見せるためか、羽を膨らませた。
「もう、遅いから」
今にも霧彦をつまみ出しそうな千都世を、見上げた。
なんて顔をしているんだろう。
目を合わせたことを、心底後悔した。
「茜、かにしてや」
全くもって、たちが悪い。
融通がきかない頑固者。
言うが早いか、ふうわりと茜の腰が浮いた。
ひょいっと、と言う形容が果たして正しいのか分からないけれど、いつのまにか茜は千都世に抱き上げられていた。
「烏小僧、今夜は帰りよし」
口角が上がって、大層な形相に仕上がったであろう千都世の笑顔は、幸いにも茜には見えなかった。
ひょいと空いた方の左手で、払うような仕草をした。
空気が張るような一瞬の後、霧彦は軽くよろけた。
千都世が何かしたのだ。
「ちょ、やめて」
「わるさするんと違うし、大人しゅうしとき」
可哀想に、小烏はぷるぷると震えていた。
人型を解かれたのだろう。
藍譲りの藍色に染まった首回りの羽根を逆立てて、必死で立っているらしかった。
そのまま千都世は玄関へ向かう。
「千都世、私は……」
外へは出られない。
「ここにおったら、あかん」
「どう言うこと?」
「いいから」
玄関の引き戸の向こうは薄蒼く月明かりに照らされていた。
来た時と同じように、軽快に引き戸を開けた千都世は、勢いよく外に出る。
足元で、何かが動いたのには、茜だけが気づいた。
その時にはもう、砂袋か何かのように半ば抱え上げられていたから。
「ぎゃっ」
白い塊が、境内の砂の上に転がった。
「邪魔なとこおるな、兎饅頭!」
「白桜さま?」
随分と勢いよく蹴り飛ばしたのではないだろうか。
喉の奥で悪態を吐く千都世は、茜が多少身じろいだところでびくともしなかった。
「ねちこい男はきらいやて……」
きっ、と千都世が鳥居の方へ顔を向けた。
追いかけて来た小烏の羽撃きがして、小さく風が、頬を掠めた。
「朱さま!」
声が、茜の耳を打った。
「ちゃうわ。今更見間違うて、堪忍してんか……」
「千都世、離して」
「嫌や」
強い声に、茜は身を竦めた。
「離しておやり」
その声は、茜にも聞こえた。
「忙しぃお人やなぁ」
腹の底から絞り出すような千都世の声が、触れたままの体から震えて伝わる。
何とか、その姿を認めたくて、仰け反らせた背が痛かった。
白い影が、あった。
「瞬一郎……」
バランスを崩した千都世が一瞬よろけたが、何とか持ちこたえる。
腰に廻された手が、強く茜を抱く。茜の爪先は未だ浮いたまま。
鳥居の先、境界の向こう側。
何一つ意に介さぬ冷たい瞳が、茜に向けられていた。
千都世が喉を鳴らし、歯を噛み締めた。
その名を、呼ぶのも厭わしいと言わんばかりに。
茜は、一つ、喉の奥で飲み込んだ。
朱……。
この世で一番、逢いたい人。
よく、似ている。
「朱鳥の尊さま……」
茜が一番、会いたくない人。
月読の姿は月明かりの中で、まるで幻のようだった。
あなた、葛籠の話は?って狐に突っ込みたいですが、何とかするのは自分か。
少々お待ちくださいませ




