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烏の符  作者: 沼波
千都世
20/26

果実

最近、章管理が出来ていません。申し訳ありません。

なくしてしまった方がいいのかな、と思いつつ。

「永遠子?」


居間のテーブルで宿題を片付けながら、うたた寝をしていたようだった。

向かいで同じようにレポートの資料らしきものを広げる瞬一朗が、永遠子の前髪を引っ張っていた。

「続き、明日にしたら?」

何気ない風で「早く起こしてあげるよ」と微笑んだ。

最近できたばかりの九つ歳上の兄は、永遠子にかなり甘い。その母親である(まどか)も、再婚相手の娘であるとかそういう事は一切気にしないタイプのようで、念願叶って手に入れた娘を猫可愛がりしている。

瞬一朗曰く、瞬が結婚を決めたのは永遠子の存在が大きかったのだという。

ちょっぴり、父が心配になった。

都内の大学に通う兄は、金曜の夜になると実家のあるこの町へ帰ってくる。

最近では大学の講義のない日には大抵帰ってくるので、彼女とかいないのだろうかと疑問を口にしようかと思ったけれど、愚問だろう。

母子家庭だったためか、以前からこまめに帰っていたようだが、瞬が再婚してからはより頻繁に帰るようになったらしい。親の再婚なんて、兄ほどの年の頃ならば普通は疎遠になるものじゃないかと思うが、この瞬一朗という人物は、何しろ妹に甘い。

同僚との飲み会で父の帰りが遅くなったり、看護師の瞬が夜勤の時には、永遠子が一人になってしまう事を知っているのだ。そんな時は、決まって兄は帰って来てくれる。

今夜も二人で留守番である。

(しゅん)ちゃんは、レポートいつまで?」

「来週までだから、まだまだ余裕だよ〜」

「余裕だから夜遊びしてたの?」

無邪気に口にしたつもりだったけれど、兄はちょっとだけ眉を下げた。

「夜遊びじゃなくってですね」

「千都世さんのところにいたんでしょ」

「何もしてないって。ちょっと眠くなって寝ちゃっただけで⋯⋯多分」

先日、謎の朝帰りをした瞬一朗は、のらりくらりと永遠子の追撃をかわし、今に至る。

のらりくらりと言うよりは、だいぶ狼狽気味なのだけれど。

「瞬ちゃんだってもう大人なんだから、別に言い訳しなくていいってば」

兄は、目に見えてしょぼくれた。

「永遠子ちゃん、最近瞬さんに似てきてない?」

「何?」

「お兄ちゃんて呼んでくれてたのに」

長い身体を縮めて、上目遣いに永遠子を見上げるが、全然可愛くない。

断じて。

「なんか、変な感じなんだもの」

母親を名前で呼ぶ瞬一朗も変というか、珍しいというか。

「また呼んでくれていいのに……」

ぶつぶつと呟く瞬一朗は、永遠子のぼやきを完全に聞き逃した。

「……千都世さんに呼んでもらってたら十分でしょ」

まあ、完全にやきもちである。

その辺り自覚があるので、永遠子もバツが悪い。

「千都世さんて、着物いっぱい持ってるのかなぁ」

先日、兄と一緒にいた少女。後から、瞬一朗に名前を聞いた。

永遠子とそれほど歳が違わない少女が着物姿であるのに、まず驚いた。

近々の着物の記憶といえば、夏祭りで着たいと言って誂えてもらった浴衣と、父に連れられて行った七五三のお宮参りくらいである。

着物が日常着であった時代はあまりにも遠く、千都世の姿は鮮烈だった。

それから、兄と何やら親しげなのが気になっていた。

二人の姿を思い浮かべると、胸のあたりがすうすうする。

何故なのか、永遠子にはわからない。

鴨居に吊るしてある永遠子の浴衣は、引越しの荷物の中を散々かき回して見つけたのだけれど、作ってから随分経っていて、裄も丈も足りなかった。

女の子がこんなに大きくなると知らなかった父が、腰上げもせずに作ってしまったらしい。永遠子だって、こんなに大きくなると思わなかったのだ。もうすぐ百六十を超える身長は、最近の十二歳でもやっぱり高い気がするので仕方がないのだけれど、古風な藍染の浴衣を、永遠子は気に入っていた。

着られないのは残念だった。

「今年、瞬に新しいの作ってもらおうよ」

視線の先に気づいたのか、瞬一朗がふぅわりと笑って言った。

手の先から胸のあたりまで、お湯に浸かったみたいに温かくなる。

永遠子は知らず、冷たい首筋に手をやった。

寒かったり、暖かかったり、なんだかおかしい。

「それより、瞬ちゃんの浴衣、シミ抜きしないとね」

隣に吊るされた灰白のしじら織の浴衣には、薄く泥染みが散っていた。

亡くなった父親のものだと、永遠子は瞬から聞いた。

「瞬ちゃんも、また着て見せてね」

「夜遊びするときは着ていくよ⋯⋯」

何故か瞬一朗は冗談を言って言葉を濁した。

兄の父と言う人はよく着物を着る人物だったらしく、奥の間の押入れの茶箱の中に大量の長着が入っているのを、先日の大捜索で見つけたところだった。

「よく似合うのに」

兄によく似た人が、着物を着ていたのだ。

きっと、瞬一朗も気づいている。永遠子が思い出した人物を。

その時、玄関先で物音がした。

「猪かなぁ」

それにしても、早い気がする。

まだ夜の八時を過ぎたところだ。

深夜まで起きていることの多い瞬一朗は、猪の親子が庭先に顔を出すのだと言っていた。

程なくして、知った声が玄関先で控えめに声を出した。

「永遠子、いる?」

その声に、瞬一朗はちょっぴり顔を顰めた。

「霧彦くんか」

永遠子を遮るように先に玄関に立ち、戸を開けた。

「や、ややや、夜分に申し訳ありません」

いつもの、学ラン姿である。おそるおそる覗いた瞬一朗の陰に永遠子がいるのを見つけ、霧彦は少しホッとした顔をする。

「こんばんわ。どうしたの?」

永遠子の問いに、もぞもぞと後ろ手に隠していたらしい大きめの籠を、差し出した。

「ど、ドドメ⋯⋯」

兄の不可解な単語と恐れるようなそぶりが気になったが、確かにびっくりする量だった。

ひと抱えほどもある籐籠に、何かの植物のものらしい黒い実が山盛り摘まれて入っていた。

黒々とした艶のある房状の実は、木いちごにも似ているが、小さくした葡萄のような形をしている。

「どうしたの?これ」

相変わらずの、寝癖のように散らばった前髪の奥の瞳が、キラキラと永遠子を見返した。

「どどめ!金子のばあちゃんの裏の畑の桑の実が、食べごろだったのでお裾分けです」

「どどめ?」

「ああ、ドドメって桑の実の事だよ」

差し出された籠を受け取った瞬一朗は、すごい量だね、と半ば呆れて言った。

「いい香りがする」

青臭さと、独特の甘い香りが、永遠子は気に入った。

「霧彦くん、金子さんちのおばあちゃんに気に入られてるんだね」

同情の混ざった声音の瞬一朗をよそに、霧彦は満面の笑みで答える。

「いつも、おやつをいっぱいくれるんです」

おばあちゃんの名はトヨさんと言うのだと、兄が教えてくれた。

完全におやつで買収されている発言に、永遠子は吹き出した。

金子さんちは、永遠子たち設楽家の隣のお宅で、隣といっても田舎のことだから畑や道路を挟んだだいぶ遠くにある。

瞬一朗も幼い頃は、手伝いをしては干し柿や干し芋などをねだっていたらしい。

収穫を手伝った代わりに霧彦がもらったものなのだろうが、こんなにもらってしまって良いのだろうか。

と思ったら、背中に隠れた古めかしい背負い籠に、まだ沢山入っているのだと言う。

上がっていって?と促す瞬一朗に恐縮したように後ずさる霧彦は、「朱さまのところにもお届けしないとなので」と言い置いて、そそくさと帰ってしまった。

残された兄妹は、ちょっぴり途方にくれた。

「もう、こんな季節なんだ」

「よく食べるものなの?」

「この地域は養蚕が盛んだったから、桑の木が多くて、そこら中に生ってたかな。子供の頃はおやつ代わりだね」

でも、好き嫌いはあると思うよ?と続ける。

「美味しいのかなぁ」

永遠子はおそるおそる籠を覗き込んだ。

瞬一朗は、親指の先ほどの小さな実を一つ手に取る。

「食べてみる?」

兄の手ずから差し出された黒い実に、頬を引きつらせた永遠子だが、瞬一朗は気づいてもいないかのように口の中に放り込んでしまう。

恥ずかしがったのが、馬鹿みたいだ。


口の中に収まった実は、予想以上に甘かった。

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