白兎
久々の投稿となりました。
またしばし、お付き合いいただければ幸いです。
追記(2018・5)
挿絵を追加いたしました。ご不要の場合は、お手数ですが非表示設定をお願いいたします。
あの日、冷たい土の中から見上げた顔は、月明かりに邪魔されて見えなかったのだ。
そう、言い訳した。
風が早く、雲は忙しなく姿を変え月に纏わりつく。ふと影が射したと思い顔を上げると、すでに光はなく、寝静まった山がひたすらに黒く迫る。
鳥居を少し出たところの石段に腰掛け、闇の中、目を凝らす。
何者かの幽かな気配を、手繰り寄せるように。
夜目は利くほうなのに、坂下の影が思う人なのか、それとも木の影なのか、狐が化けた何かなのかは判別がつかなかった。
とはいえ、茜は誰かを待っている、というわけではない。
境内に一つだけの、時代遅れの蛍光灯は薄暗く、雲間から時折覗く月影のように朧に灯る。
段下にそっと降ろした足先に痛みを感じ、茜は顔をしかめた。
境界がそこにあるのだ。
神使であった頃は、決して感じなった結界。
神域へ、不浄のものを入れないための装置。
茜には、何の枷にもならないはずのその仕掛けが、今は茜にとっての檻となっていた。
ここから出てしまえれば……。
そっと伸ばした指の先が、僅かな痛みと共に蛍火のように碧く光った。
「茜殿、そのようなところに座っておっては、身体に障りますぞ」
古式ばった古臭い物言いには、覚えがあった。年齢不詳ではあるが意外に良いその声は、何故か脚元の石段の方から聞こえた。
茜の脚のその先に、ちんまりと白いふわふわとした塊が擦り寄る。
それは、乾いた苔のこびりついた石段を、何とかかんとかよじ登ると、茜の横に澄まして腰を据えた。
赤いはずの瞳が、茜を見上げる。
「白桜さま」
茜は、その白い餅のような毛だまりを、掬うように抱え上げる。
じたばたともがくように動く手足は、ぬいぐるみのようで、茜は口元を綻ばせた。
膝の上に抱え上げると、何やら兎は唸り声を出す。
「いや、これは……なかなか」
柔らかな太ももの感触に我を忘れたようで、真っ赤な瞳を暫し細めたが、はたと自分の使命を思い出したようだ。
「茜殿、お探し申しておりました」
小さなため息が茜の口から漏れる。
「もう、ご存知なのね?」
「朱様には何も申し上げてはおりませんぞ。ただ、主人に嘘はつけませぬ」
「そうね」
「月下の君より言伝が……」
言いにくそうにもぞもぞとしている兎を、そっと撫でる。
今になって、なんだというのだろう。
一つだけ思い当たる節があったが、口にしなかった。
夜風はまだ冷たく、茜は心許なげに肩先を撫でた。兄のものとは違う、薄い肉のついた二の腕は、浴衣の下で冷え切っていた。
「お寒うございますか?」
そう聞いた当の兎の方が、よほど震えている。
「ありがとう。大丈夫よ」
「主人はどうにも、貴方方への執着が強すぎます」
報われぬ想いを抱えるのはあの方も同じと、いつか茜は白桜に言ったことがある。
「白桜さまが気に病むことはないのに」
会いたくないと、言わずとも白桜にはわかるのだろう。
「主人は、お会いしたいと…」
兎は赤い目を潤ませて茜を見上げる。
白桜の主人の「会いたい」は、茜のそれとは違うから。
どうして、今なのだろう。
「いずれ、主人は茜さまの元へおいでになりましょう」
今更会って何とする?
茜は、知らぬふりで首をかしげる。
「今晩は、気に入りの膰の青年が具合が良くないようでして……別のものに仮宿り頂くにしても、私では此方までお連れできませんのです」
「気に入りだなんて、妬けてしまう」
嫉妬など微塵も感じさせない声で、茜がころころと笑うので、膝上の兎は首をすくめた。
「それが、そのぅ……」
やはり、と思った。
「見つかっちゃったのね?」
「……はい」
「あの子にしては迂闊よね。今は……なんて言ったかしら」
「瞬一朗様です」
「朱なんて、こんなに近くにいても全然気づかないのにね」
「朱様は、いつも迂闊でいらっしゃいます」
「……そういえばそうね」
「いえ、あの……そう、主人がそう申しておりました」
答えの代わりに、柔らかな毛に触れる。
膝の上の暖かな毛玉は、しばらく黙ってされるがままになっていた。
時折月が隠れると、膝上の兎はふわりと透けるのだが、どうやら今夜は天気がこれ以上崩れるということもないらしく、なんとか形を保っている。
本当は知っている。月読が欲しがったのは、茜でも、ましてや茜の烏衣などでもなく、昼の陽なかに出歩くことのできる朱の身体なのだ。それがこんな事になっていると知って、さぞかし気を落としたことだろう。
朱も茜も、月読にしてみれば出来損ないである。
茜はこの社から、一歩も出る事が叶わない。烏衣を使って元の姿に戻りさえすれば簡単な事なのだが、茜はその烏衣を無くしてしまったのだ。
そして朱は、烏の姿への転身を主人から禁じられている。
烏から羽を取り上げれば、何も出来ないのと同じである。
月読はもう、瞬一朗を見つけてしまった。
自分に良く似た、身に馴染む健やかな身体。
月読が茜に執着する唯一の要因は、それだけだ。
「あの子はどうしてるの?」
しばらく黙ったままだった白桜は、長い耳を撫でる茜の手に目を細めながら、ようやく口を開いた。
「千都世様にいたくご執心のようです」
「……」
ぽかりと口を開けたまま固まった茜を気の毒そうに見上げると、白桜は一つ小さなくしゃみをした。
「今夜は冷えますな」
「千都世って……」
「たいそう可愛らしいお姿をされておりましたからな」
それは良く知っている。でも。
「千都世は……」
「私も先日、主人の使いで庫裡へ伺った際、確認いたしました」
すまして白桜が言う。
確認て、何だ?
「憎っくきは、あの野狐め……我が主人を差し置いて、瞬一朗様を手玉にとるとは。いつか、我が白き刃の錆にしてくれます」
何かを思い出したのか、白桜は眉間にしわを寄せた。たいそう白熱した台詞であるが、それ以外の表情は全く変わらない。
ふわふわ白兎は、しばらく悔しげに地団駄を踏んだ。
いつの間にやら野狐呼ばわりだし、白きヤイバって前歯のことだろうか。
「あなた、いつか千都世に食べられてしまうわよ?」
冗談ご化して白桜に言ったが、改めて瞬一朗のことを思った。
あの子もぼんやりしていたら、千都世に食べられてしまうのではないか。
「……茜殿、千都世様は雌にしか興味がないお方ですぞ」
何をもってそう言い切るのか、茜は途方にくれた。当の千都世が知ったなら、想い人のあまりの無神経さに打ち沈むであろうが……気の毒な狐である。
「現にあの野狐……失礼……千都世様は、我が主人に見向きもなさいませんから」
茜は、月面のように冷たく怜悧な月読の顔を思い出した。
「白桜さま、それ、よく分からない理屈です」
「月下の君は、たとえ男の身であれど、心惑う美質をお持ちですからな」
それに見向きもしないから、瞬一朗程度には興味はないと言いたいのだろう。
「でも、あの子は朱によく似てるもの」
ああ、と白桜が呻いた。やっとその事実に思い至ったらしい。
孫だったか……それとも曽孫か玄孫か、何代裔の子であったか数えるのもとうにやめてしまったが、確かに自分の血を引いた人の子に想いを馳せた。
「みんな、あの顔に弱いのよね」
なかなか更新できずにおりましたこと、反省をしつつ…
隔週更新を目標に頑張ります。
リハビリ兼ねて少なめの再開です。
次回は、狐ターンです。
よろしくおねがいいたします。




