塩粒
ご無沙汰しております。一週遅れの更新になります。
細々と頑張ります。
早々に朝食を終えると、朱は襷をし直して、箒片手に境内へ出て行った。
「ナメクジの気分やな……」
一人残された千都世は、小さくぼやいた。
単を払うと、小さな白い粒が未だにパラパラ落ちるのは、思いっきり塩を撒かれたからである。
溶けたりせんけどな。
つまみ出されるわけでもなく塩だけ撒かれたので、惨めというよりも何やら虚しい。
普通は、追い出した後に撒くもんや。
訳もわからず、烏と狐の幼馴染の大人気ない喧嘩に巻き込まれた霧彦は、始めこそ慌てていたが、途中からは見慣れぬ朱の姿に目を輝かせていた。
よほど楽しかったのか、今は調子外れの鼻歌を歌いながら流しで皿洗い中である。
どうやら歌っているのは「からすのこ」らしかった。
調子の外れ方といい、聴いていると力が抜ける。
腹をたてるのもバカらしくなって、ごろりと仰向けた。
開け放った戸の向こう、それほど散らかってもいない境内をいそいそと掃いて回る朱の姿に、初め感心して見ていたが、元々の不器用さといい加減さが滲み出ている。
四角い部屋を丸く掃くタイプの朱は、たいしてない木の葉やらを集めているのか散らしているのかわからない。朝のお勤めとはいっても、既に日は高い。時間に煩い北野の爺いなら、こんないい加減な神使、その日のうちにつまみ出しているだろう。相変わらずのマイペースぶりに、思わず笑ってしまった。それにしても殊勝な事。姿も見えず、供えたものさえ受け取らない主人に、どんな操を立てたのやら。
そういう千都世も、基本はいい加減である。主人へのご奉仕も気まぐれであるし、元々野弧上がりの野良狐である。不良神使なのは主も気にもすまい。もっとも、烏小僧のように犬ころじみた暑苦しい神使であれば、主は三日と経たずに饅にでもしてしまうだろう。まあ、狐の饅など食いはしないと思うが……。
そういえば、今日は沙珠が留守である。
一度帰ってお堂の掃除でもしないと、帰った時に何を言われるかわからない。
ふうっと息をする間に身体を昨晩の姿に戻し、手早く着物を着ると、借りていた朱の着物をまとめる。洗って返すつもりだった。
改めて顔を合わせると、何やら気まずい。
「朱!帰るしな。」
色々と言いたいことはあったけれど、他は何も浮かばない。
拝殿の陰から顔を出した朱は、未だ不機嫌そうに手を振った。取り敢えず、無視されたたままでは無いらしいのにほっとした。
歩くと、髪の間に紛れていたらしい塩の粒がパラパラと、また落ちる。
千都世は小さくため息をついた。
もう用はないとばかりにそっぽを向いた朱に、千都世はそっと手を振った。
参道まで来ると、昨日霧彦と一緒にいた少女に出会った。確か、瞬一朗の妹だったはずだ。
思わず身構えるが、この子は月読とは関係ないはずだし……向こうも、昨日とは姿の違う千都世を見知らぬ人と判断したらしく、小さく会釈すると軽い足取りで石段を駆け登って行った。
「そういやあの子、学校はどないしたん…」
ランドセルは背負っていたが、人の子供は学校の中で羊よろしく飼われている時間である。
朱なのか霧彦なのか、よく懐かれたものである。
「あらぁ朝帰り?」
庫裡に帰った千都世は、いると思いもしなかった相手の声に、無言で飛び上がった。
「姐さま、なんでいるん」
「なんでって、ひどぉい。沙珠ちゃんがいないし、子狐ちゃんが寂しがってるかしらと思って来てみたのに」
三和土に上がったところで、しどけなく柱に肩を預けていたのは、主人のダキニであった。相変わらず露出の多い姿で、目のやり場に困る。
「え、昨夜来はったん?」
「そぉよ?あなた、どこ行ってたの?」
千都世は思わず、後ろ手に朱の着物を隠した。
「朝帰りなんて、いゃあ〜らしい」
「そんなんと、ちゃいます」
「で?」
一瞬考えたが、結局は真実に近い事を口にした。
「あ、朱んとこで酒飲んでた……」
「へえ?」
ダキニは綺麗に口角をあげ、うっとりするような笑顔を作った。
「烏君は元気そうにしてた?」
「相変わらずや……。」
そう言って、取り敢えず手にした着物を自室に置きに行こうと居間を横切ろうとすると、朝日の当たる縁台で、白い毛影がもそりと動くのが目に留まった。
「な、なんでいるん……」
見慣れない姿だけれど、見忘れるわけもない。
猫ではない。
犬でもなく、ほっそりとした黒い手足とふんわりとした銀の毛が小々波のように光る、大きな狐が長くなって寝そべっていた。
「白玖?」
背を向けたまま、兄は器用に三本の尻尾を揺らすが、何も言わない。
「姐さま。どうしたん?この白いの。」
「ここに来てからずーっと、ああして拗ねてるの。豊川で何かあったのかと思って聞いても、何も言わないし。思春期?」
ダキニは白玖の傍に座り込むと、銀色の毛並みの中に両手を差し入れてもふもふと容赦無く揉みしだき始める。
何だか、見てはいけないものを見るような……。
白玖は無言で悶えながら、ようやく呻くような声を出した。まあ、呻くくらいしか出来なかっただろう。
「夜禍ひゃん、やめてく……だひゃ」
夜禍とは、兄しか呼ばないダキニの名である。
狐姿なので、呂律もまわっておらず、語尾が怪しい。舌の平たい動物は、基本喋るのが苦手である。
「じゃあ、なんとか言いなさいよぉ。」
頬を膨らませながら、ダキニは白玖の脇の下に両手を入れ、長い身体を膝上に抱き上げる。
なんや、イチャついてはんねや。
「や、やめて。気持ちいひかひゃ……」
悶えながらも人型にはならないつもりらしく、毛の塊はダキニのいいようにさせていた。
そう言えば千都世は、兄の人型をずいぶん見ていない。
「沙珠ちゃんどこに行ってるの?」
「ああ。今日は前橋行くて言うてたわ」
縁側で仲良く寝そべる兄たちを置いて、千都世は部屋に戻ったが、着替えて縁側に戻ると、白い塊は消えていた。
「兄貴、姐さまの浮気の現場でも押さえに来はったん?」
「浮気って、本命がいるからするのよ?」
「……せやね。」
どう言う意味やろ。兄との関係をしれっと聞こうとした千都世への牽制なのか、何なのか。
カマをかけたところで、のらりくらりとかわされるのがオチである。
ダキニがこの国に渡って来たのは平安時代のはじめの頃、八〇六年のこと。唐から帰る空海さんに連れられて、この国の土を踏んだ。
いくらええ男さんやと言っても、ただの坊主にくっついてダキニが海まで渡るだろうか。その辺りの経緯が、どうも兄の白玖にある事は薄々気づいているのだが、本人達にいざ聞こうとすると、何故かいつも適当なことを言って誤魔化されるのだ。
白玖は、ダキニが空海さんと共に海を渡って来る前から、この国にいる。付き合いで言えば、沙珠との方が長いはずだが、ダキニはそれ以前から白玖を知っているようである。
千都世の知る限り、兄とダキニの関係は、飼い主とよく懐いた狐といった間柄だ。
いや、その説明もどうかと思うけど……。
もっとも、兄とは久しく顔も合わせていなかったから、ダキニとの間柄が本当のところどうなのか、よく知らないのだ。
「兄貴、帰らはったん?」
白玖はダキニの眷属と言うわけでもない。彼女の言葉に何の拘束力はないはずだが、それでも兄の行動は眷属のそれである。
下っ端の子狐から、古株の沙珠達の世代のことまでよく面倒を見ているらしい。
全く、よくわからない。
「愚弟の代わりにお堂の掃除して来るって出て行ったわよ」
「相変わらず嫌味なじじいやな……」
「代わりに子狐ちゃんがかまってくれる?」
ダキニが手招きするが、千都世は兄の後を追った。
兄が千都世の前に姿をあらわす時は、何かしら「お土産」があるはずなのだ。
更新遅れ気味ですが、気長に見守っていただければ幸いです。
次回もお会いできますよう、頑張ります。




