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烏の符  作者: 沼波
千都世
15/26

朝餉

今週は何とか間に合いました…。

どうぞ、よろしくお願いします。

どなたか、一人でも読んで下さっていたら、幸せです。


茜の章に入りましたが、千都世さんのターンです。

さてと。これこそまさに後朝なのですが…。

どうも…そうでもないような?


目覚めると、畳の上には既に朝日が差し込んでいて、外では烏たちが騒いでいた。

一枚だけ雨戸が開けられており、歪んだ硝子のはまった引き戸の向こうでは高血圧に違いない烏達が、遠巻きに室内をのぞいているのが見えた。

「目障りやな……けど焼き鳥にしても美味(うま)ないやろな」

腕の中にあった柔らかな感触は既になく、冷えた身体には茜の物らしい紫紺色の絞りの羽織がかけてあった。

仰向けた視界に入るのは、見慣れない天井。化粧板ではなく一枚一枚板目が違い、雨漏りの跡があるのが目につく。

千都世が寝転んでいる六畳間の奥には、雨戸の閉まったままの暗い四畳半が続いており、押入れと思しき襖の前には見慣れた行李があった。

旅用の小さな物で、塗られた柿渋が時を経てほとんど黒に近く色づき、長年の手擦れでぬらりと光っている。

見覚えのあるそれは、京を出るときに、朱と茜がひとつづつ風呂敷に包んで背負って行ったもので、千都世にとっても思い出深い品だった。

足音を忍ばせ、そっと行李に手を伸ばすが、開けるのは躊躇われた。

結局、意気地がないねんな……。

茜をなくした後、朱が消えた理由を、苦々しく受け容れた。

消えるつもりだろうと、ただ漠然と思った。

(つが)う相手を亡くし、追うように死んでいった者、気を違えた者を知っている。

共に生まれた片割れを亡くすのも、その苦しみに勝るだろう。身を削ぐような苦しみは、千都世にも覚えがあったから……。

「失くさない」と思っていた(もの)を、亡くしてしまう……そんな恐怖を味わったそのすぐ後の事で、 きっと朱も失くしてしまうのだろうと、諦めたのだ。

その、凪いだ心が、心地よかった。

臆病は、感情の昂りを容易に許してはくれない。

そうして、心は押し込めた。

だから今、形を変えて戻ってきたものに、諸手を挙げて喜ぶ無邪気さはもう持ち合わせていない。

それでも、欲はある。

もう二度と失いたくない。

あの時も、あの人が言わはったなぁ。

月もないのに、月読の事を考えた。

茜の烏衣は何処かと、聞いて来たのだった。

先日のことではなく、もう、ずっと前の話だ。

茜をなくした、その後すぐ。墓の土も乾かぬうちに。

あれは、千都世だけが知る、諦めの悪い月読の姿だ。

「自分で弁解せぇへんのやったら、僕には何も言えへんのになぁ……」

意気地がないんは、僕と同じや。でも今更、あの人の出る幕と違うし、僕は譲らへんけどな……。

「僕なぁ、あんたさんの事、もう(こわ)ないしな」

意地の悪い笑みが、口元に(にじ)んだ。


昨夜、千都世が着ていた小紋と帯は、どこから出してきたのか黒塗りの衣桁に丁寧に掛けられ、シワが伸ばされていた。小物類もそれぞれまとめられ、隅に並べられていた。

ふと、寒さに身震いして自身を見下ろすと、羽織の他は、申し訳程度に腹のあたりで紬の単衣が絡まっている。立ち上がって襟を正し、帯が見当たらないので自分の伊達締めで着付けると、丈も裄もぴったりだった。陽の下で見てみれば、朱の好きな鉄紺色で、普段「女装」が多い千都世は、着慣れない紳士物の着物がなんだか気恥ずかしい。

「髪の色、も少し黒かったらええのに……」

地毛である金混じりの砂色の髪は、あまり好きではなかった。深く染んだ色の着物ほど、軽薄な髪色は似合わない。

嫌いな髪色をいつもの黒色に変え、肌の色も白に変えると、少女姿の千都世の兄か何かといった雰囲気に変わる。

まだ少し肌寒くて、茜の羽織も拝借して肩にかけた。桃色の伊達締めがどうにも緊張感がなく、暗いガラス戸に映った千都世は、遊郭の流連(いつづけ)客のようだった。

冷え切った体を伸ばしながら襖を開けると、台所では慣れない手つきで朱が食事の用意をしていた。床の軋みで千都世に気付いたのか、「おはよう」と振り返ったが、見慣れぬ姿のままの千都世に、ギョッとしたように目を剥いた。しかし何も言わず、まな板の上でまた何かを刻み始める。

その姿に、ほんのりと狂気じみた気配がある。

そこにいたのは昨日の昼に見た朱であった。寝乱れたところもなく、風呂上がりなのかやけにさっぱりとした顔をしているのも恨めしい。どうやら外身同様、中身も完全に朱のようだ。

ブランクがあるとは言え、長年の付き合いなので……朱が相当に怒っているのは察せられた。

まあ、千都世が茜に何をしたかぐらいは想像がついているのだろう。朝がた、朱がどんな顔で千都世の腕の中から抜け出たのか、不謹慎ながら想像してしまった。

後朝に顔を合わせるなら、どちらかといえば昨夜の腕の中の茜の方がいいに決まっているが、それは千都世の言い分であり、訳もわからず目を覚ましたはずの朱も、だいぶ不本意だっただろう。

そんな事を思われているともつゆ知らず、朱は包丁片手に何かを刻んでいるのだが、慣れないらしくぎこちない。

まな板の上にはどこから調達してきたのやら、干し柿と無残に崩壊したクルミのかけらがゴロゴロしていた。それを朱は、一心不乱に刻んでいるらしかった。それを、見慣れない鳥の子色のどろりとした液体の中にぶちまけている。火にかけた鍋の中では、一口大の鶏肉が茹で上がっていて、良い香りがしている。千都世としては、焼いて塩を振る程度が好ましいのだが、カラスたちのB級グルメぶりには定評がある。きっと、何か面白いものにするのだろう。

にしても鶏肉って……。

(しばら)く朱の後ろ姿をぼんやりと眺めていたが、首筋まで真っ赤に染めて千都世を気にしているらしい朱の姿に、ちょっとそそられた。

ほぼ、同じ背丈の朱の首筋に、ちろりと舌を這わせる。夜までは、我慢我慢と自省を込めて。

「ぎゃっ!」

猫を踏みつぶしたような声で叫ぶと、朱は床にうずくまってしまった。

「お前なあっ……!」

地の底から絞り出したような朱の声は、いつもの取り澄ましたものではなかったので、千都世は満足し、風呂場へ逃げた。

遠く、色魔とか、色ボケ狐とかの罵詈雑言がしばらく続いたが、千都世としては嬉しい。

別に変な趣味というのではなくて、千都世にしたら、取り澄ました顔の朱など、他人以外の何者でもない。

幼馴染の朱が欲しいのだ。ならばその、品行方正な顔の皮を剥いでやるまでだ。

もう五月であるが、山間部の朝夕はかなり冷え込む。

決して風呂は好きではないけれど、こうも身体中冷えてしまっては風邪を引きそうだった。

予想通りに、朱が朝方立て直したらしい湯はちょうど良い熱さに温められていた。

五右衛門風呂のなにがいいって、湯が冷めにくいのと、体の芯まで暖かくなるという事か。問題はその不穏な名前だけだろう。

風呂というのは不思議なもので、何を好き好んでここまで無防備になれるのか。獣の姿ならばまだ分かるが、人の身になってまで風呂に入りたがる神経は理解できないと、千都世もずっと思っていた。朱の風呂好きに引きずられ、京にいた頃は、決して近くはない温泉地に引き摺り回された。そのせいで、好きか嫌いかは別として、温泉の何たるかはわかったつもりでいたが、五右衛門風呂はまた別物だ。

そんな事をぶつぶつ言いながら、湯船に浸かる好き者は、ほうっと息を吐いた。

程よく温まってそろそろ上がろうかとしていると、脱衣所の戸が騒がしく開けたてられ、小柄な人影が風呂場に飛び込んできた。

第1ボタンまでしっかり閉めて、襟にはしっかりとカラーを入れた清潔感のある学ラン姿であるが、頭には盛大な寝癖がついている。

まるで頭からスライディングしたような様相に、思わず笑ってしまう。どんな格好で寝たのか不思議である。

「か、かぐえグググッ」

過呼吸気味なのか、顔を真っ赤にして仁王立つ少年は、昨日の烏の少年霧彦だった。

「何や兄さん、烏に戻ってるで」

湯船から長い足を投げ出した、不遜な態度の千都世をぐっと睨み付けると、霧彦は声を裏返しながらもなんとか叫んだ。

「あ、朱様がっ、狐くさいのはお前のせいかっ!」

「知るか阿保ぅ」とは、言わずにおいた。

朱の耳にも充分届いただろう。

台所で、盛大に何かをこかす音がしたが、朝食に影響がないとええな、と思った。

「烏の兄さん、昨日はどうも。朝からお疲れさんです」

板についた女のしなを作って見せるが、霧彦は唐揚げの入っていない生ゴミ袋でも見るような目で千都世を睨んだだけだった。

「あ。」

さすがに千都世も、自分の今の姿に気づいた。昨夜からずっと男の姿でフラフラしていたのだが、それがまずかった。後の祭りである。

「昨日って、誰だっけ…」

霧彦は霧彦で、天然なのか何なのか、一人でぐるぐるしている。

「あんなあ、兄さん。僕な、昨日こちらにお邪魔したあの子の兄ですわ。ほら、羊羹とお稲荷さん届けた……。僕は千都世言います。因みにあの子は、えーと、チカゲにしとくわ……」

美味しいお稲荷と羊羹のお使いにやって来たおっかない少女と、目の前の青年の関係が脳内で繋がったらしい霧彦は、慌てて風呂場のタイルの上に突っ伏すように土下座する。

妹の名前のいい加減さには気づいてない様子。

「お兄様でしたか!失礼をば!」

なにやら急に時代ががってしまった霧彦の様子は。手放しで可愛らしい。しかしただの烏に興味はないのだった。千都世に興味があるのは茜と朱だけである。

「お稲荷さん、気に入ってくれたん?」

「それはもう!」

満面の笑みで答える霧彦の、屈託なさが眩しすぎる。

「あれなあ、僕がつくったんやで。……せや」

そう言えば、昨夜はすっかり忘れていたのだが、どうせろくに口にしていないだろう朱の為にいくつかお稲荷を包んで来ていたのだった。無理やり風呂場に押し入った時には手にしていなかったから、裏戸のあたりに放置しているはずだが、無事だろうか。

気温的には大丈夫なはずだけれど、タヌキやらオオイヌ……は、もういないのか、まあ、そんな輩に食い荒らされているとも限らない。

「兄さん、ちょっとそこの裏戸の外見てくれへん?お稲荷さん待って来てたん忘れてたわ」

既に千都世に盲信した程の霧彦は、直ぐに裏戸から飛び出していく。

油揚げの魔力、恐るべし。

その後、声にならない歓喜の叫びをあげて、昨日のものより幾分小さなお重の包みを、大事そうに抱えて戻って来た。

「朱くんに渡しておいてくれるか?」

「合点承知の助!」

油揚げの魅力、恐るべし。

「あかん、早よ上がらな茹で上がるわ……」

脱衣所には、洗いざらした手ぬぐいを継ぎ合わせた大判のタオルが用意されていた。多分、あのマメな烏小僧だろうが、悪い気はしない。

ほんわかと湯気を立てながら脱衣所を出ると、味噌汁の良い香りがした。

「朱くん、ご飯に呼ばれてええ?」

嫌みたらしく聞いてはみたが、愚問であった。

雨戸を開けた六畳間には、社務所の備品である長テーブルが出され、三人分の朝餉が用意されていた。

先ほどの動揺も事なきを得たようで、はこべと大根の入った味噌汁と、のびるのお浸しとともに、先ほどの怪しげな料理も器に盛られていた。

ご飯の代わりは千都世の持って来た稲荷寿司である。

白飯はないんかい……。

稲荷がない場合はどうなっていたのか、いささか不思議ではある。

「酒くさっ。奈良漬けかよ……」

朱の目の前に陣取ると、すかさず悪態をつかれる。

ちょっとだけ、言葉遣いが荒くなっているのは気のせいだろうか。

「朱くん、奈良漬けは美味いやろ?」

「……黙って食べてください。」

「朱くん……この、白っぽいの……何やの?」

小鉢の中を覗くと、何やら酸っぱい臭いがしている。

恐る恐る聞いてみると、朱は、ぽかんとしている。すかさず、当たり前のような顔をして食卓についている霧彦が、鬼の首でも取ったように「ええええっ」と叫んだ。

高血圧阿保烏がっ!と叫びたいのを、なんとか堪えた。僕も大概沸点が低い。

「マヨネーズです!」

「何それ。」

千都世は、沙珠のご飯で出来ている。

沙珠自身、時代に即して生きていない為、料理には昔ながらの食材を使う。千都世は稲荷寿司以外は作れないので、口にするものといえば、沙珠の作る和食がほとんどである。

したがって、マヨネーズを口にした事がなかった。

「マヨネーズ、です。」

「言い直しても、分からないからね」

さすがに不毛と感じたのか、朱が我に返って嘴をはさむ。

「まずは、黙って食べて。」

霧彦がいるおかげで随分と持ち直したらしい朱だが、相変わらず千都世と目を合わせようとはしなかった。千都世は面白くない。

「鶏肉と、干し柿と胡桃を擦ったのが入ってて、味付けはマヨネーズです!」

心なしか、朱もテンションが高い。嬉しそうに口に運んでいた。

恐る恐る口にすると、確かに美味いが……油っぽい。どうしてこう、烏たちはカロリーの高いものを好むのか、不思議で仕方ない。

「マヨ何ちゃらって何なん?」

朱にきいてみるが、予想通りに烏小僧が答える。

「油と卵と酢で作るらしいですけど、どうに作っているのかはわかりません!」

「そやったら、どうやって今ここにあるん」

あくまでも千都世と目を合わせないつもりらしい朱は、半眼で菩薩か何かのような顔をしている。腹がたつ。

「霧彦にお使いを頼むと、いつもマヨネーズを買ってきてしまうんですよねー」

「烏の食卓にマヨネーズは欠かせません!これさえあれば、渋柿も酸っぱいすももも、熟れてない桑の実も、生芋だろうと金子のばあちゃんのきんぴらゴボウだって、なんだっていけますよ!」

「叫ばんでええよ……」

要は、ものすごく好きということだろう。しれっと差し込んだ「金子のばあちゃんのきんぴらゴボウ」がどんな味なのか気になるが、知らない方が幸せな事もある。

泳がせた視線が、六畳間の片隅に置かれた一升瓶を認めた。慌てて見て見ぬ振りをした。昨夜、千都世が持ち込んだものに相違ない。

住職の隠していた酒をかっ喰らい、ほろ酔い気分で社務所の裏戸に押しかけたのも覚えている。それから、何をしたのかも……。

澄ました顔の朱を前に、全ては夢だったのかとも思ってしまう。

お稲荷さん持って来てよかったわ……。

烏小僧の買収にも役立ったが、朱の態度も若干軟化したように思う。

箸づかいの怪しい霧彦とは対照的に、綺麗に稲荷寿司を切り分けては口元に運ぶ朱を、チラと盗み見た。

双子だけあって、朱と茜はよく似ている。

昨晩触れた、茜の頬を、唇の柔らかさを、じんわりと思い出していた。

惚けたように眺めていた千都世に気づいたのか、その視線を冷たい声がぴしゃりと払い落とす。

「色ボケ狐……」

はあっ?

「朝っぱらからなんて顔してるんです」

立て続けに浴びせられた朱の言葉に、返す言葉もない。

霧彦を気にしつつ、千都世は不本意ながら、自分としても大変不本意な報告をする。

「……茜には、何もしてへん。」

ぼそりと呟いた言葉に、朱がお稲荷さんを取り落す。

ざまぁ。

「え?何です?」

耳ざとい霧彦が食いつくが、朱はそっぽを向いたまま耳まで赤くしている。

「……昨日はフラれてん」

あくまでも、朱のために補足する。

「じ、じゃあなんで……」

一つ布団にいたのか、と言うのが最大の論点。

千都世としては、「何も」の何がどこまでなのかを問われると、若干厳しくなる議題である。

先日朱と同じような目に遭ったばかりの千都世である。立場は違えど、しれっとかわした千都世とは違い、ここまでの動揺を見せる朱が、何だか可愛らしい。

「そんなん成り行きや。でも、朱くんのお許しが出たらて、昨日は色々拒否られたわ」

「お、お許しって……丸投げかよ!」

「朱先輩っ?」

急に叫んだ朱があまりにも珍しかったのか、霧彦は腰を浮かせた。

「烏小僧はええから、黙ってお食べ」

いつになくにこやかに千都世が言うのに、かぶせるように朱が言う。

「黙れ色ボケ狐!」

地の底から絞り出すような声に、霧彦は完全に羽根を逆立てた。というか、黒い癖のある髪がちりりと逆立った。

かんにんな、完全にとばっちりや。

下手に何か言えば火に油を注ぎかねないのだけれど……。

千都世は縮こまりながら、残っていた味噌汁を掻き込んだ。

それでも、聞かねばならないことがある。

「朱くん僕な、茜さんと色々したいねんけど、ええ?」

空になった汁椀が千都世の額にヒットし、視界に星が飛んだ。

朱が叫ぶ。

「霧彦、塩壺持っておいで!」





千都世さんの自称についてですが、京都の男性が「僕」って使っているのを聞いていて、いいな…と。

どうしても使って欲しくて、こんな子になりました。

作者はネイティブではありませんので…、方言でおかしなところもあるかと思いますが、どうか、ご容赦ください。今更ですが…



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