黄昏
まさかの盆休み体調不良ダウンで、二週ぶりの更新になってしまいました。申し訳ありません!
分量的には…二週分のお届けです。
お読みいただければ幸いです。
「霧彦、病み上がりでしょう?今日は早めに帰りなさいね」
母の不在もあって、泊まるつもり満々だった霧彦は不満そうにしていたが、なんとかねぐらに返した。
朱尾は無事に藍の元に辿り着いただろうか。
昨夜の夜行バスで出発したらしいから、もう着いているはずだ。
厚い雲のせいか、空はぼんやりと明るくて、夕闇を遠く思わせる。
烏の気配のなくなった境内は、うら寂しい。霧彦を返したことが悔やまれたが、さすがに泊めるわけにもいかない。
いつものように、霧彦が用意しておいてくれた風呂に浸かり、息をついた。
暫くすると、屋根を打つ雨の音で、何も聞こえなくなった。
知らず冷えていたのか、熱い湯が染みる。
その時、雨音に紛れて人の気配がした。格子窓の向こうの火口の辺りで、何者かが雨を払う様子に、朱の鼓動は早くなる。
今日は朱尾も霧彦もいない……。
そもそも、このような時間に訪ねてくる烏はいない。
しばらく息を潜めていたが、朱がここにいる事はとうに気付いているのだろう。
「お湯加減、いかがですかぁ?」
普段とは……少なくとも昼間の声とは明らかに違う声の、それでも聴き馴染んだ声がして、洗い場の向こう、閂のかかった裏戸に手をかけたのがわかった。
「ま、間に合ってます」
声が上ずった。さすがに無防備な姿で会いたくない。
カタカタと、心許なく戸が軋む。閂は今にも外れそうだった。
「ほなら、お背中流しましょか?」
ちょっと棘のある京言葉。そのまま図々しく入って来るのじゃないかとヒヤヒヤする。
「お酒でもつけてきましょか?」格子窓から覗く顔は青白く、ほんのり目元に引かれた朱が色気たっぷりであった。昼間とは打って変わって妖艶な美女に扮した千都世は、いつから呑んでいるのか、かなり酔っていた。格子に映る影が揺れている。
「どれだけ呑んだの?」
「さぁ?」
薄い唇をにいっと引っ張ったように笑う。
千都世をよく知る朱からすれば、その笑みは底意地の悪い顔つきと見る。しかし、はたから見れば美女の、蠱惑的な笑みとしか思えないのだった。青ざめたような白い肌も、酔ったようには見えないからたちが悪い。
千都世は、酒に強いかどうかに関して言えば、笊である。どれだけ飲んでも翌日はケロリとしていた。しかし、量を飲めば幾分足元がおぼつかなくなるのを知っている。酔ったふりなど朱の前でわざわざしないだろうし……相当呑んでいるのだろう。
「良ぉそんな、長く入ってられるな?烏が聞いて呆れるわ」
絡んでくるのも、酔っている証拠だ。
内心、化けギツネが!と朱は悪態を吐き、格子の向こうに湯を飛ばす。
「熱っ……くないけどつめたいわ、ぼけ!」
「風呂くらい静かに入らせて欲しい」
「雨や言うてるやろ。着物が濡れる。」
そんなの知るか。
「ひつこいよ、酔っぱらい」
再度湯を飛ばす。
「やめぇさ……」
風呂場の裏の戸の閂が、ぴぃんと飛ぶ音がした。本格的に怒らせたらしい。そういえば、酔うと行動が荒くなる狐だった。
「ちょ、帰ってよ、千都世!」
「なんや?可愛い声出して。恥じらう仲でもないやろ?」
誤解を招くようなことは言わないでほしい。
湯船の中で膝を抱えて見上げると、たいそうな美女が、湯けむりの向こうでこちらを見下ろしていた。
「風呂くらい、一人で入りたいんだけど。」
「そぉか、気があうな。そうやろなぁて思ってたとこや」
人目がないのをいい事に、先日からずっと被りっぱなしだった猫がずれて、千都世本来の地が出始めているが、衣装の方は気を抜いていない。清楚ながらも色気のある、薄むらさきに染めた小紋に深い藍色の帯を、灰色の帯揚げと帯締めでまとめている。こんな状況でなかったら、思わず押し倒したい代物だったが、中身は千都世である。
「な、何しに来たの。烏はもう寝る時間だけど」
「はあ?あほなこと言いなや。久々の再会やんか。積もる話もあるやろ?あるやんな?酒でも付き合いぃさ」
細腕でひょいと持ち上げて見せたのは、この地方で有名な酒蔵の純米酒の一升瓶だった。
何で冷酒とかの小さい瓶じゃないんだよ……。
この狐は、甘いものが苦手なくせに、酒といえば甘い日本酒ばかりを飲みたがる。
しかも、つまみも無しで水でも飲むように呑むので、
本当にたちが悪い。
「もう、飲みすぎだと思うよ?」
酒の入った千都世の変わらなさにも驚くが……朱は変わってしまった。
どう説明していいのか分からないが、このまま千都世がここに居座れば、まあ、すぐに気づくだろう。
今更、逃げ場もない。
「今の今まで連絡の一つも寄越さんと、こないに辺鄙なとこにしけ込んで、何をしてるんかと思えば……呑気に烏と遊んではるし。」
粘度の増した物言いに、怒りの矛先はもっと深い部分だろうと察した。
とろりと揺れる瞳は酔っ払いのそれだったが、千都世が決して酔いきれていないのは明らかだった。
「で、昼間の態度は何や?胸糞悪い。他人事みたいな顔して。」
まくし立てる千都世の声に、朱は身を縮めた。流石に全裸で真っ向から向き合うのはどうかと思い、湯船の中で背を向けて、ぎゅっと目を瞑る。視界が消えたところで、自分は消えないのだけど。
基本的に烏は人見知りである。いくら茜の血縁とはいえ、初対面の瞬一朗を前に緊張もしていた。
それに、意地の悪い試すような千都世の言いように、苛立ってもいたのだ。
「もう、会わないと思ってた」
会えないと、思っていた。
朱の言葉に、いっそう眉間のシワを深くすると、狐は憤然と言い放った。
「会わんで済む、訳があるか。」
「……そうなんだ?」
ぽかんと見上げる朱に、何故かバツの悪い顔で千都世は目を泳がせた。
「そないな事はおいといてな、……月読は来てへんな?」
「あの方はここには来ないよ?」
昼にもした話だった。蒸し返す千都世に苛ついた。
「ここからの帰りしな、瞬一朗の中におったわ。瞬一朗も来てへんな?」
「え……」
「朝から……いや、昨夜消えたと思った時からずっと、あの人は瞬一朗の中におったんやろな。今日の話は大体聴いてたみたいや」
そう言って、少しうなだれた。
月読にまんまと嵌められたのだ。
いくら俊一朗の記憶を消したところで、月読への防御にはならなかったわけだ。
見下ろされているので、脅されているようにしか感じないのだが、懇願するように千都世が言った。
「茜はどこや?もう、隠し事はやめてくれへん?」
急にしおらしくなった狐を、心底ずるいと思う。
「もしも、知っていたとして……」
喰いつくような金の瞳が、血色をはらんで錆びつくように濁った。
「千都世に知らせてしまう事が、あの方の思う壺だとは思わないの?」
狐は、目に見えて怯んだ。
それでもなお、朱に喰いさがる。
「そうかも知れへん。」
風呂場を越して、暗い社務所の奥に目をやり、千都世は声を殺して朱に詰め寄る。すっかり板についたはずの美女らしさはかなぐり捨てている。
「正直、そんな事はどうでも……茜に、会わな……」
会いたいのか。
そんな事は、朱が一番よく知っている。
それでも……。
「茜は、本当におらんの?なあ。」
いない。今は。
「いても、会わせたくなんかないよ」
思ってもいなかった、冷たい声が出た。
薄暗がりで、朱にはもう千都世の細かな表情を見てとる事が出来ない。金の虹彩だけが、炎のようにちらつく。
「一度でええ。ただの一度、会わせてくれたらそれで」
「会わなくていい。私は、会わせたくなんかない」
でも、じきに千都世の、願いは叶う。
だからこれは、朱の意思だ。何の力もない。
夕日が山の稜線を焼き切って明日へ落ちていった。
残念ながら厚い雲に隠されて、二人にそれは見えなかった。
詰め寄った拍子に目に入ったらしく、千都世は感心したように呟いた。
「何や。朱の肌、こないに白かったか?」
何を言い出すのかと思えば……。
酔っ払いがっ!と、今度はしっかり狙って千都世に湯をかける。
「あほがっ!新調したばかりなんやから!」
小紋のシミなど知ったことか。
本気で湯をかける朱に、すっかり酔いが冷めたらしい千都世は、風呂蓋を盾にしてすっかり逃げ腰であったが、不意に攻撃が止んだ。
湯船に顔をつけるようにして、俯いた朱は動けずにいた。
「朱?」
朱の視界が暗く霞んだ。身体中の箍が外れるみたいな、奇妙な感覚。
もう、ずいぶん慣れてしまったけれど。
「見るな」
膝を抱える朱の変化に、千都世は気づいたらしかった。
「朱?お前…」
背を向けたが、千都世はその両肩を抱いて易々と朱をその視界に収める。
袖が湯船に浸かるのも、もう構っていなかった。
振り払おうとしたが、既にそれも叶わない。
「出て行って、今すぐに」
「嫌や。」
「見ないで……お願い」
頬から落ちた涙が、湯船に落ちた。
無理矢理に覗き込む、千都世の頬を押し戻した。
「あ、朱……?」
両腕で搔き抱いた胸の膨らみも、今の今まで無かったものだ。体の線も何もかも変わっている。そして、陽が完全に落ちたのか、変化の術ももう解けてしまった。湯に解けるように、黒かった髪は色を落とした。
湯船に散った白銀の髪が、体を覆う。骨ばった手足は白く丸みをもち、湯の中で光を帯びた。
全部見られてしまったのだから、もう隠しようもない。
それでも、頑なに膝を抱え、湯船で硬くなった朱は、顔を上げることも出来ずにいた。
「わるい……」
湯船の中の肢体から目を逸らした千都世は、黙って脱衣所へ回って戸を閉めた。
腕の中に現れた女の姿に、ひどく狼狽したからだ。
「かんにんな」
戸の向こうからくぐもった声がする。
しばらく湯船に浸かっていたが、戸の向こうの千都世の気配が消えないので、言葉を探した。
「昼間だけ、私は朱なの。」
それだけ言えば、千都世は気付くだろう。この、からくりに。
私、と言った。
私とは……。
長く、息を吐く。
暫しの沈黙の後に、戸の向こうで絞り出すような声がした。
「……逆上せるで。早よ上がり」
しばらくして気配が消えたので、暗い脱衣所にそっと出る。
浴衣に袖を通して濡れた髪を纏めると、薄ぼんやりとした蛍光灯の灯る台所に向かった。
「茜さん……」
金の目が二つ、茜を迎えた。
湯呑みに注がれた水を差し出され、受け取る。
狐の指先は、雨のように冷たかった。
茜がすべて飲み干すまで、憎らしいのかと言うほど強く、浴衣の袖を掴んでいた。
逃げたりしないのに。
洗い場で軽く化粧を落とし、まとめていた髪を肩に下ろした姿の千都世は、取り澄ました女らしさが抜け、やけに艶めかしくなってしまっていた。品の良い小紋にはそぐわないが、青白い光の中で綺麗だった。
それなりに反省をしたらしく、殊勝な面持ちをしている。
「朝になれば、朱に戻るよ」
「茜さんは?」
「また、消えて無くなる」
「消えて無くなるて……」
見せるつもりなど、毛頭なかった。
私は、死んだままでよかった。
「朱は?」
「今は眠ってる。」
「会わせたないて言いながら、何考えてるんやろ……」
千都世が無理やり押し入った事を、茜は知らない。
「何で、千都世がここにいるの?朱が呼んだの?」
澄んだ瞳は、今は赤く染まっている。じっと見つめられた千都世は、観念したように頭を下げた。
「茜さんに会わせて欲しいて、駄々こねた。ごめんなさい」
「朱は?なんて?」
こんな状況で会わせるなど、朱らしくない。計画性に欠けている。
「会わせたないて、言うてた」
もしも会えるのなら、文句の一つも言いたかった。
けれど、あいにく朱はいない。
「私も、会いたくなんてなかった。」
「知ってる」
金の目は、揺らがずに茜に向けられていた。
傷つけばいいと思ったのだ。
けれど、そう思ったことを、少し恥じた。
ぎりと、唇を噛む千都世の目から、先ほどまでの飢えに似た色が消えた。
「茜さん。僕はな、会いたぁて仕方なかった」
夢みたいや。
そう言って、茜の頬に冷たい手を添えた。
ついて出た茜の涙に、千登世は舌を這わせた。
「狐くさいって叱られる」
軽く、千都世を押しもどす。それをものともせずに、千都世は昼間より一回りも小さくなった茜を抱きすくめた。そのまま、六畳間の冷たい畳の上に二人で崩れる。
千都世もまた、姿を変えていた。
「何や、小さなったな」
少しも力を緩めず、茜をしっかりと長い手足で絡めとってしまう。愛おしそうに、濡れた髪に、白い頬に、唇を寄せる。
「離して。急に大きくならないでよっ」
「嫌や。」
金の瞳は変わらないが、肌の色は蜜色に、髪は砂色の混じった金に変わっていた。
その色に、見覚えはある。素の時の千都世の姿だった。けれど、何かが違う。
……茜を抱きすくめているのは、先ほどまでの美女ではなく、二十歳くらいの青年であった。
「あ。あかん……帯が食い込む。」
自分を畳に押し付けている状態の、千都世であろう青年の姿を、茜は呆然として見上げた。何だか慌てた様子なのも気になる。
見慣れぬ顔を思わず両手で捕まえる。
「なに、これ?」
悪戯っぽく口角の上がった唇の形は、少女の姿の時によく見かけるものだが、顔全体のつくりが固く、目元のあたりの彫りも深くなっている。
壹師の命婦の言葉を借りれば、バタ臭い顔、といったところか……。
何しろこれは、成人男性の顔である。
誰だ、これ。
「白玖さま?」
よく似た人物の名前を呼ぶが、手の中の顔が心底嫌そうに眉をひそめた。
「違うしな!」
がばっと身を起こすと、仰向けた茜が逃げたりしない事を確かめる。
「ちょ、待ってな!逃げんでな」
なにやら一人のたうっている。
シュッと、小気味良い音を立てて、腰回りにぎっちりと巻き付いていた帯や帯揚げを抜き取ると、漸く一息ついた。
どうやら変化の目測を誤ったらしい。
未だ巻き付いたままの伊達締めが、先ほどまでの女の姿の腰の位置で身を絞っていた。男の細腰とはいえ、無理がある。
突如始まったストリップに、茜は目を白黒させる。
「な、なにしてるの…脱ぐの?」
て言うか、なんて言うか……。
「あなた……千都世?」
「へ?」
へ?は、私の台詞だよ……。
千都世である事は間違いないのだが、その見慣れぬ姿に茜はすっかり腰を抜かしていた。
取り敢えずは、目の前で一人焦る青年の姿を眺めた。小紋の裾はすでに膝の下までしかなく、袖からは細くはあるがしっかりと筋肉のついた筋張った腕がのぞいている。
「ああっ、もうええわっ」
咆哮ともつかぬ声をあげると、腰帯に手をかける。
伊達締めを何とか緩めると、腰帯も一度抜き取った。お端折りの分を落としても、脛が見えている。
何、この状況?
心底、朱がそばにいればいいのにと思った。
説明くらいして欲しい。
いつもいつも、肝心な時にあの子はいない。
詮方ない事だけれど。
「千都世?」
「なんや?茜さん。」
茫然自失状態の茜の元へいそいそと戻ると、千都世は甘い声で聞き返す。
「何、この生き物。」
何度目かの問いを、口にした。
「僕や。千都世やで、茜さん」
分かった。でも、訳がわからなかった。
いつの間にか、胡座を組んだ中に茜を囲い込むようにして、目の前にいる。
「なんで……そんな格好してるの?」
男みたいな、格好。
「ん?何でて……なんで?」
聞く間にも、千都世は茜の首筋に鼻先を突っ込んでいる。
「だから……何してるの?千都世?」
「ええと……たぶん、欲情?」
驚くほど耳元近くで、くぐもった声がする。
内容が、まずおかしい。おかしいが……。
それは、今までに聞いた千都世のどの声とも違う声だった。
こんな千都世は、知らない。
耳朶が急に熱を持つ。
記憶の中、幼い烏の姉弟と共に、烏も狐もなく泥だらけで野山を駆け巡っていたのは、風変わりな髪色の少女だった筈だ。
唇で鎖骨をなぞりながら、千都世の頭が胸元に落ちて行く。
「待って、待って、待って!」
「いい加減、待ちくたびれたわ」
胸の奥から響くように聞こえた千都世の声が、耳元で吐息に変わる。
噛まれた耳が、熱く燃える。
千都世の長い髪に、恐る恐る指を這わせた。ほんのりとヨモギの香りがするその髪は、決して狐臭くなんかない。
「茜さん、もっと、触って?」
ふと、朱に似た男の姿が眼裏に浮かんだ。
「だめ。」
冷たかった手が、燃えるように熱い。その、千都世の節のある大きな手が、茜の頬を包んだ。
「月読が、茜さんのこと探してはった」
目を、そらせぬほどに近く、千都世の顔がある。
何処か、幼い日の姿に重なる。
「僕は、会わせたない」
駄々っ子のように、茜の髪を弄ぶ。
朱の言い分をねじ伏せた当の本人が、何を言うのか。
「会いたくなんか……」
確かめるように、金の目は茜を凝視している。
やがて、諦めたように茜を抱きしめる。
瞳の呪縛から逃れ、息をつく。
「わかった」
なにが、わかったって言うんだろう。
濡れた髪が冷えてゆく。
会いたいのかどうかなんて、もう自分でもわからない。
それに、あの方に会いたかった事など、たぶん一度もない。
「烏衣を……」
「ん?」
「烏衣をなくしてしまったの」
ゆっくりと髪を撫でる、千都世の手が止まる。
はらはらと頬を落ちる涙が、千歳の肩を濡らす。
「もう、戻れないの」
あやすように、とんとんと背を叩きながら、千都世は黙って聞いていた。
「そんな事、はよ忘れ」
笑うみたいに言った。
千都世は知っているのだろうか。
「忘れたふりをするのね」
「そぉや」
白磁みたいな白い歯を覗かせて、大きめの口を引きしぼるみたいにして笑う。
綺麗で、意地の悪い顔だったけれど、茜には見えない。
降って湧いたように腕の中にいる茜に、千都世は少し舞い上がっていた。それが、肌を伝わる。
温かい体が、眠気を誘う。
無くした片割れを思った。二度と、こんな風に抱き合うことも触れ合うことも叶わない。
微睡みながら千都世の肩に、濡れた頭をそっと乗せる。
小紋が濡れると、怒るだろうか。
しばらく二人そうしていた。
肩を濡らすのが、洗い髪だけでないと、千都世は気づいているのだろうが、何も言わなかった。
茜の匂いを確かめるように、首筋に顔を突っ込むのがくすぐったい。
「ねえ、千都世ってやっぱり女の子が好きなの?」
茜の胸元に舌を這わせていた千都世は、咳き込んだ。そのままべちゃりと力をなくし、茜の上に覆いかぶさる。
再び畳に押し倒される形になったが、茜の小さな頭を、千都世は器用に腕の中に巻き込み、体を入れ替えてしまう。
千都世の腹の上で、茜は途方にくれた。
暫く、息も絶え絶えという程で、噎せているのか分からないような引き笑いを続けている狐を、見下ろすこともできず、縋る事も出来ずに。
「あんなあ、茜さん。僕は男ですけど、今までなんやと思ってたん?」
朱の後をいつまでもついて回る、お転婆な狐だと思っていた。
出会った頃から今の今まで、千都世のこんな姿、見た事がなかった。
金の目が、上目遣いにこちらを覗く。その目が、不安そうに揺れていた。それを認めてしまった。
千都世の本当なんて、何も知らない。
「朱、朱って、ついて回るわりに、あの子とどうこうなるでもないし……」
「なんや、下世話な事言いよる」
「女の子が好きなメスの狐かと」
「なんで狐の時だけメス呼ばわりなん」
怒りの矛先が微妙にずれた。
それよりも、何よりも……。
「あなた、男の子だったのね?」
情けない、本当に情けない顔を、千都世はした。
「何それ、そこからなん?」
夜は、短い。
「いつも、女の姿ばかり」
「狐と言ったら美女に化けるのが道理やろ」
「……。」
「って、兄貴が言うてた」
「白玖さまが?」
「今のご時世、女の方が楽やし楽しい事も多いしな」
そう言えば、根っからの都育ちで着道楽な狐だった。
着物が好きで、着物を買い漁っては、新調した着物に似合う姿に化けるのが好きなのだ。
変わった狐である。
「人に化けるといつもメスだったから、ずっと女の子だと思ってた」
「朱は、会った時から気づいてはったで」
ならば、二人はわざと黙っていた事になる。
無性に腹立たしい。
甘く首筋に舌を這わせながら、千都世は囁く。
「化けるんやったら。好きなもんに化けた方がいいやろ」
「嗜好の問題だったの?」
千都世はあの、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「朱にしばかれそぉや」
独り言のように呟くと、茜に口づけた。
「あなた、いつもやってから後悔するのよね」
朱みたいな事を言った。
「そういうとこ、朱みたいで嫌や」
心底嫌そうに眉をひそめるが、茜に這わせた手はそのままだった。
いたずらっぽく茜を見上げると、愛しげに胸元に引き寄せる。そのままころりと体を入れ替え、畳に縫い止めた茜の両の脚の間に、強引に膝を割り入れる。
「もう、せんかった事で後悔するんは嫌や」
「……でもあなた、女の子とした事あるの?」
しばしの沈黙ののち、千都世は何とか立ち直ったようだった。
「ほんまに聞きたいんか?」
さあ……?
もう一度、耳元で狐が囁いた。
「ほなら、試してみるか?」
霧彦の留守中に……事件は起きていました。
次回もどうぞ、よろしくお願い致します。
次週も土曜日に、お会いできますように…




