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烏の符  作者: 沼波
千都世
13/26

執着

そろそろ霧彦の衣替えをしてあげたい……。

薬缶の湯の沸き立つ音で、朱が奥へ引っ込むと、千都世は脱力して上がり框に座り込んだ。

「話に良ぉついてかはるなぁ」

情けなく見上げた先の瞬一朗もまた、困った顔をしていた。

「ついて行かざるを得ないと言いますか……」

「せやね。」

「僕ね、昔からこういう事が多かったんです。」

「こういう事?って、自分のドッペルゲンガーみたいなのが、実は烏です〜て頭おかしい事言い出すとかそんなん?」

半ば自棄っぱちな言いように、瞬一朗は笑った。朱と千都世の砕けた様子に、少し寂しさも覚えていたのだが……。

「いつもだったら言いませんよ。違うものが見えているとは思わなかったし」

「いつもて……どういう事?」

「さっきの烏のことだって、永遠子も千都世さんも、烏が喋ってることに驚いてなかったし、これは喋る烏なんだと思ったからで」

その時湯気の立つ湯呑みを盆に乗せて、よろよろと廊下の奥から朱がやって来た。

「上がったら?」

そういう事は先に言うもんや……。

玄関の二人は、家主(?)の了承を得て、晴れて応接室に通された。

室内には臙脂色の皮のソファとローテーブルが置かれており、卓上には時代がかったガラスの巨大な灰皿が鎮座していた。

殺人事件の凶器になりがちなやつや。

普段は使っていないのか、床板が少し埃っぽい。

差し出された湯呑みの茶は、不穏な湯気を立てており、暫く口に出来そうもない。

「朱くん、熱湯注がはった?」

「え?」

何がいけない?と顔に書いてあった。

予想通りの反応なので諦めるが、一度お茶の煎れかたくらいは教えてやらないとと心を決めた。

「設楽くん、つづき。はよ。」

ぞんざいに扱われる事に特に文句はないらしく、瞬一朗は素直に続きを始めた。

「猫が話してたり、烏もですけど、鳥が話しているのを聞く事はよくありました。」

意外と鳥たちはゴシップ好きですよね、と笑う。

ないものが見えるなんてのは、日常茶飯事らしい。

朱が心配そうな顔をしたのは、霧彦達が何かやらかしているのではと思い至ったからだろう。

何やっけ、そういうの。ダビデ…やのおて、なんか人の名前。

そろ、そ……?

なかなか思い出せないので、千都世は考えるのを放棄した。

「昔母に言ったら、あなたはソロモン王の指輪を持ってるのねって言われて、そういうものかと思いました。」

「あ、それや!」

急に合点がいった千都世に、脳内事情に詳しくない二人は驚いた顔をした。

瞬一朗が大して悩まずにここまで呑気に育ったのには、大らかな母親の影響が大きい様だった。

彼の話を聞いていると、千都世達にとっての日常も、人の身であれば十分に異常な事なのだとは思うが、彼の話ぶりがいかんせん緊張感に欠ける。

神出鬼没の痴女まがいの女神とか、人の生き血で生きてるような年齢不詳の妖怪尼みたいなのは世間に氾濫している嫌いがあるが、彼の様なケースはあまりないと思う。

「そういうのは、君だけなの?」

そういえば、朱は先ほども同じことを聞いた。

「多分ですけど……父方の祖母がよく、近所の野良猫と話していたので、呆けていたのでなければ、話せたのだと思います。」

「そう」

そう口にしたきり、心ここに在らずの程。

「永遠子は、瞬一朗とは血が繋がってないんやて」

「みたいだね」

「なんやの、その知ってますアピール。」

「永遠子さんは霧彦を普通の男の子だと認識していたし、……失礼ですけど、お兄さんとは似てなかったから」

口を尖らせた千都世は、隣でまじまじとこちらを見つめる瞬一朗に気づく。

「何やの?」

「そう言えば、千都世さんてご兄弟は?今朝聞きそびれたな、と。」

なんや、そんな事かいな。

「設楽さん、この子に兄弟がいるように見えるの?」

心底びっくりした顔で言う朱が憎たらしい。

「お兄さんでも居るのかな、とは思いましたけど。」

こう思われる元凶は、生暖かい眼差しで微笑む朱である。決して、白玖ではない。

「そんなんおらんわ」

「嘘ついたらダメだよ」

鬼の首でも取ったように、烏が笑う。

「千都世にはね、年の離れたお兄さんがいてね、それはそれは甘やかされて育ってるから」

「それこそ嘘やろうが!あのじじいとは、物心ついてからは数える程しか会うてへんわ」

「だから問題はその、物心つく前。」

「なんも知らんと、よう言うわ」

「命婦様から色々聞いてるけどなぁ」

「沙珠かて知らんしな。白玖が面白がって色々言うたんやろ」

その色々とは、沙珠のみぞ知る、といったところか。

だいぶ脱線した会話は、なかなか元には戻らない。

「設楽さん、私は何に見えますか?」

窓外の灰色の光を虹彩に受けて、瞳の色は鈍色に沈んでいる。思いつめた顔。

何を言いだすかと思えば……。

朱はずっと気がかりだったのだろうか。

「人に見えます」

瞬一朗のその言葉に、何故か諦めたような息をついた。

その時、玄関の戸を引く音がして、霧彦の声がした。

「朱さま〜もどりましたぁ」

ご機嫌やな。

二人の客の事は想定済みだったようで、応接間に顔を出した烏小僧は、礼儀正しくいらっしゃりませ、と頭を下げた。相変わらず暑苦しい学ランに身を包んでいる。

行儀が良いのは、永遠子の兄が同席しているからのような気がする。ほんの少し怯えているのは烏だとバレているからだろうが、千都世のことは、相変わらず酸っぱいすももでも見るような目つきで見るので、いつか齧ってやろうと思う。

「あれ、良い香りがしますね」

すんすんと鼻を鳴らせて応接室の様子を見渡した。鼻の利く烏というのもおかしなものであるが、確かに千都世も瞬一朗も忘れていた。

「あ、沙珠さんの羊羹!」

そう言えば瞬一朗が包みを抱えたままであった。

「烏小僧も食べや」

ぽいっと包みを霧彦に手渡すと、ご用意してきます!と元気に奥へ引っ込んだ。

「なあ。今のお包み、烏が咥えてかはったん?」

「今は、何だか男の子に見えましたよ」

「え?」

「今のは、男の子でした」

どういうことや?

ちらりと窺い見た朱は、どこか遠くを見ていた。

小皿に分けられた羊羹は、千都世が辞退したので三人の腹に収まった。

甘党の朱は勿論、先程たらふく糖類を摂取したはずの瞬一朗も、干し柿の羊羹をうっとりと口にしていた。

千都世は結局、朝から何も口にしていないが、その光景に胸焼けがしそうだった。

朱は目の端を潤ませて舌鼓を打つ。やっぱり、泣いた顔しか見ていないことになる。なんだか複雑である。

「あの、朱さん。」

おずおずとした瞬一朗の呼びかけに、朱は羊羹の最後の一欠片を名残惜しそうに飲み込む。

「茜さんと、朱さんは双子のご兄弟なんですよね?て事は」

「今頃本題かいな」

また烏に睨まれた。

「朱さんておいくつなんですか?」

霧彦が不安そうに瞬一朗を窺っている。

先ほどまでの話の経緯を知らないからだろう。

「いくつに見える?」

朱の言葉に思わず茶を吹き出した。

「阿保。アラサー女子の合コンかっ」

すかさず突っ込む千都世の言葉に、烏小僧が耐えきれずに吹き出した。

朱には何のことやら分かるまい。

「朱様って、たまに恐ろしく天然ですよね。」

顔を見合わせる三人には御構い無しに、朱は途方にくれていた。

「私、いくつになるんでしたかね」

その視線は千都世に注がれていた。

この中で、朱の歳を知っているのは、確かに千都世だけであるが。

「覚えてへんよ」

思わず、突っぱねるように口にしていた。教えたくなどない。秘密で良い。

「ま、設楽くんのひい婆様よりは歳がいってるんは確かやね」

瞬一朗は宙を睨みながら、両手を駆使して朱の年齢の当たりをつけているが、だいたいが千都世の言うことも適当であるし、化け物であると言う事実以外は何もわからない。

「他に聞くことないか?」

朱に聞いた。

それで、朱は悟っただろう。

聞けることは今のうちに聞いてしまい。

「設楽さん、お父さんとは…?」

「父は五年前に、事故で亡くなりました。」

「それは…ごめんなさい。」

「いえいえ、こればっかりは」

父を亡くした後、母には頼る親戚がなかったため、父方の祖母のところに身を寄せたが、その祖母も一昨年亡くなったのだそうだ。

昨年、永遠子の父親と再婚した母親は、義理とはいえ念願叶っての娘に喜び、瞬一朗もまた、母を大事にしてくれる義父(ちちおや)永遠子(いもうと)を、本当の家族のように思っていることがうかがえた。

「残念だな……お祖母さんの話も聴きたかったんだけどね。」

その言葉で、千都世はキリをつけようと思った。

「しゃぁない。ここらで終いにしよ」

すくりと立ち上がった千都世に、霧彦は異常に反応するが、朱は黙って、ようやく冷めた苦い茶を啜っていた。

「帰ります?僕もご一緒して良い?」

瞬一朗の屈託ない笑顔を、千都世は甘い笑顔で迎えた。

「帰ろか、元のとこに」

言うが早いか、千都世は右の人差し指と中指を瞬一朗の眉間に充てがう。

「ひっ」

朱の背後に跳び退り、取り縋った霧彦が悲鳴ともつかない声をあげた。

千都世の仕草に覚えがあったからだ。

初めて会った日、霧彦達は千都世の指の動き一つで烏に戻されたのだった。

「千都世」

朱の一声で、千歳は動きを止めた。

その声に、主人(ダキニ)程の拘束力はない。

ただ、朱の声を無視できなかった。千都世には出来ない。

「なに?惜しくなったん?」

にやりと口角を上げた。自由を奪われたままの瞬一朗は、縋るように千都世を見るが、千都世は朱と睨み合っていた。

恐れたような色が、彼の目に見て取れた。

「物騒なことはせぇへんよ」

ちらりとは考えたが、するつもりはない。

安心させる様に笑って見せたが、烏小僧の反応を見るに、失敗している。

離れていた分、心も離れたのだ。

もう千都世の事が、朱にはわからないのだと、その事実に心が荒む。

傷ついた自分を持て余す。

千都世は朱に噛み付いた。

「たった一つの隠し事のそのせいで、その他すべてのことに真摯になったとしても、その分の不実は無くなる訳やない。朱のその、見当はずれな正直さは、そもそも相手を間違うとるわ」

なんや、ずっと一人で喋ってるわ、自分。

「忘れたくて、逃げたんやろ?それを今更……その子との繋がりにすがってどうする気なん?」

そんなものに縋って、何になる?

朱が逃げたいのは、千都世からなのだ。

千都世さえいなければ、朱は傷つかない。

千都世との間に、いろんなものを詰め込んで、千都世の存在を薄めたいのだ。

消えてなくなれとでも思ってるんやろか。

朱はようやく口を開いた。

「今、その子の記憶を消したところで、あの方が諦めるとも思えない」

「諦めへんやろな、あのお人は。ま、それはどうでもええ事や。質問に答えてくれへんか?」

霧彦の怯えも、瞬一朗の眼差しも、気にならなかった。

「朱?その子も烏小僧と同じように、手元に置いておく気ならかまへんけどな、このまま返してもええように使われるだけや」

だから、記憶を消してしまえばいいのだ。

しばらく(いら)えを待つが、朱はなかなか答えを出さない。

また、だんまりか。

「聞いてはります?」

「君の、気の済むようにすればいい。」

「またそれか」

「知らないとはいえ、君が見つけて、ここへ連れて来たのでしょう?」

「せやね。そぉやったわ」

本当に、朱たちと何の繋がりもないと、そう思って連れて来たと思っているのだろうか?

出会ったのは偶然?そんなはずは無く、全ては月読の所為。

仕組まれた事と知らずとも、千都世は必ず瞬一朗を連れてここへ来たはずだ。

朱と茜に繋がる事なら、千都世は無視できない。

分かりきった罠なら尚更、無視しない。

それなのに。

わかっていたはずなのに、こんなにも痛いものか。

朱の無関心が、改めて棘となって千都世に刺さった。

「勝手にさせてもらうわ。」

千都世は指先で、払うように瞬一朗の瞼を撫でる。

瞬一朗は、瞬きをして目の前の千都世に首をかしげた。

「なにか、しました?」

不思議そうに瞼をこする瞬一朗から目を逸らした。

「何もしてへんよ」

特に目に見えて何か変わったわけではなかった。何もしてない、と言うのも本当は嘘だ。でも、そう言う事でいい。

何もなかったかのように瞬一朗を伴って千都世は帰る支度をする。

「なななななな何ですか」

羽をばたつかせるように朱にまとわりつき、その背に隠れながら千都世に警戒の目を向ける霧彦は、千都世の一睨みで黙り込んだ。

「ほな朱くん、また寄せてもらうわ」

「ありがとう」

「これで良かったな?」

泣くみたいに、朱が笑った。

こういうところは聡いのにな。

この、天然ボケが。

頷く朱に、手を振った。

二人は、黙って参道を降りた。

正午近くなり、暑さはいよいよ耐え難かった。

「設楽くん、気い付けて帰りや」

ほなね、と手を振って別れた。

つもりだった。

瞬一朗は黙って頷き、ほてほてと参道をさらに下って行った。

大したことはしていない。心は残しておいた。もしかしたら夢かな、と言う程度の記憶の揺らぎを与えておいたから、今日聞いた朱の話はそのまま記憶されているはずだが、人に話すほどでもないというブレーキになるのではないかと思う。あの大らかな性格だから、勝手に夢か何かだと思うに違いない。

もちろん、月読には通用しない。

いつ、月読の手先として懐に入り込まれるか知れず、不穏分子を残す事になってしまった。

結局、朱に甘いのだ。

嫌になる。

瞬一朗の背を見送っていたが、ふいにその影が振り向いた。

「お前は、本当に詰めが甘い」

嫌な、笑い方だった。その声は耳元で囁かれたように近く、吐息さえ感じるほどだった。

気色悪い。

「なんで、おるの……」

昼日中のこんな時間に、どうして。

紛れもなく、月読であった。

先程までの瞬一朗の記憶は既に、月読に読まれているのだろう。

「茜は見つかったかい?」

「何度言うたらっ……。」

「お前はもう、朱の嘘を知っている。朱は茜を隠しているのだよ。」

汗が、首筋から背へ流れる。

目眩がする。

「引き摺り出しておいで」

朱と同じ顔で、男が言った。

そして、何事もなかったように背を向けて、離れて行った。

殺しておけばよかった。

出来もしない事を、考えた。


次回、朱さんが大事に隠してるらしい彼女が…出てこれるのかなぁ。

お読みいただきありがとうございます。

次週もまた、お会いできれば幸いです、

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