後朝
タイトル、間違えたかもしれません。
ごめんね、千都世さん。
土曜日更新を目標にしてたのですが、遅れてしまいました。今週も、頑張ります…。
「あんた、朱さん連れ込まはったん?」
沙珠の声で目覚めた千都世は、昨夜三和土に転がしておいたはずの男の腕の中で目を開けた。
これは、断じて違う。朱ではない。
悪夢や。
すよすよと寝息を立てる顔に、紅葉のような手で、べちりと張り手を見舞わせるが、寝ぼけているのか千都世は抱き寄せられてしまった。
「なんや、えらい懐かれたな」
沙珠は楽しそうに見ているだけである。
思いっきり男の鳩尾に、寝たまま拳を突き出すと、男は咳き込みながら目を覚ました。
「いい加減にっ」
「もう一発は……死ぬから……やめて」
「起きてるんやんか!」
「妹だと思いたかったんです。ごめんなさい、ごめんなさい……。」
布団の上に飛び起きると、土下座の格好で額を擦り付けたまま、彼は謝り続けた。
妹でも問題がある気がするが、気のせいだろうか。
「何でここにおるんか、わかってはります?」
それにはぷるぷると首を振る。正確には、布団に額を擦り付けているような感じだけれど。
「ひとの布団に入る必要無いやんな?」
「……寒かったんだと思います」
彼がなかなか顔を上げないから、少しほっとしている自分に気づく。
「昨日の事、覚えてはります?」
「……おぼえてはりません」
千都世の京ことばにつられたのか、変な受け答えの青年はここでやっと顔を上げた。
後ろで沙珠が、喉を詰まらせるような音を立てた。
「いつまで記憶があるか思い出せる?」
「昨夜……帰ってから夕飯作って、妹が浴衣着たいって言い出して、探すのにタンスの整理して、風呂入って……その後の記憶がない気がします」
不安そうに、千都世と後ろの沙珠をうかがい見る。
姿かたちは朱に似ているが、こちらの彼はかなり気弱な雰囲気である。
線が細いが、縦にも長い。その高い背を猫背にして、できる限り小さくなっていた。
「何や、違うんか。よう朱さんに似てはるなぁ」
沙珠の声に、すかさず言い返す。
「雰囲気だけや」
目の前の彼は、狐につままれたような顔をしていた。
「あの、僕はどうしてここにいるんでしょう?」
「悪いけど兄さん、その説明はできかねるわ。」
「できかねるて、わても知りたいわ」
沙珠の茶々に、舌打ちする。昨日、ダキニから聞いているだろうに。
「夢遊病のけでもあるんちゃいます?」
「そんな事、今までなかったんですけど」
「何にでも始めてゆう事はあります」
月読が彼を使ったのは初めてという事か……。
「あんたさんな、昨夜うちの軒下で寝てはったやろ」
「ええっ?」
「起こしても起きひんし。放っておくんも可愛そやし」
「すみません……」
「姐さんの好みやのおて残念やったな」
「すみ、余計なこと言いなや」
「今頃骨まで……」
きっと睨むと沙珠は肩をすくめた。
確かに、姐さまの好みやったら、今頃骨抜きにされていただろう。
「兄さん、どこの子ぉや?」
明らかに年下に見える少女に、子供扱いされているのが不思議なようで、彼は目をパチクリさせながら、それでも「設楽瞬一朗と言います。」と答えた。
もちろん彼は、自分のいる現在地がわかっていない。
「ここな、日の神小学校のとこに熊埜神社てあるやろ?あっこの坂下にあるぼろいお寺さんや」
千都世は、まだ寺の名前を知らなかったが、瞬一朗は知っているらしい。
「あ、永楽寺さん?」
「ぼろいは余計や。あんたも覚えときぃ。」
沙珠はさすがに知っていた。
「何やらご迷惑をおかけしまして……」
ぶつぶつ言いながら、さらに小さくなる瞬一朗は、布団の上だったことにも気づいたようで、飛び退って部屋の隅に移った。
「姐さまは?」
「わてが起きた頃には、もう出てはったわ」
何だか拍子抜けする。
「ご飯用意して来るわ」
沙珠が部屋を出て行くと、二人きりになる。
気まずい沈黙と恥じらいみたいなものが瞬一朗から感じられるが、それに拘ってもいられない。
「うち、帰らんでええの?」
「あ……。」
彼の視線が、宙を彷徨う。
「ここな、電話とかないで。お家の人心配してへん?」
帰るそぶりがないことに、不安を覚える。
「それは、大丈夫。あの、名前聞いてもいい?」
隠すことでもないから答えるが、大丈夫違うやろ。
「千都世。さっき居た尼さんが沙珠や」
「ちとせちゃ…」
「ちゃんはつけるなや。」
ギロリと睨み付けると、瞬一朗は、すくみあがった。
「は、はい。」
「で、いつ迄ここにいはるの?」
再度の質問に、瞬一朗は、困ったように俯いた。
優しく問いかけてはいるが、早く帰れと言っているつもりである。なかなか通じない。
「帰りたく……ないな。なんて」
「阿保ぅなこと、言いなや」
肝が座っているのか何なのかわからない。
何やこの、後朝な感じ。
「設楽くん、歳は?」
「十九。ちとせさんは?」
「ああ、ぼ……うちはな、ええと……十五や。」
外見年齢に限りなく近い年齢をはじき出す。
沙珠が聞いていたら吹き出していただろう。
「うちの妹より少し上かぁ」
「さっきも、妹が何や言うてたな」
「うん……母の再婚相手の連れ子だけど。日の神小に通ってる」
「……可愛い?」
「うん、それはもう。」
朱の顔して言うだけで、こないに腹の立つものかと、我が事ながらうんざりとした。
「ちとせさんは?兄弟いないの」
「千都世でええよ」
瞬一朗は顔を赤くした。
だからなんなんや、この状況は。
その時、台所から沙珠の声がして救われた。
「設楽はん、朝餉の用意したけど食べてかはる?」
困ったように千都世を見返す目は、食べて行きたそうである。数分後に後悔するだろうが。
沙珠に限って、朝食の誘いの言葉は百パーセント本気のお誘いである。
「食べて行きよし。」
こっから先は自己責任やし、知らんしな。
千都世の一声で、彼は嬉しそうに立ち上がる。
浴衣の襟を直し、台所と続きの和室に連れて行くと、卓袱台の上はいつもの朝食の風景が広がっていた。
仕方ない事だが、隣で瞬一朗が顎を落としている。
山盛りに盛られた暗い色の物体は、昨日作った餡子である。サラダのように盛られた緑色の物体は、うぐいす餡。それから、みたらし餡の団子に……こんがり焼けたトースト。
いつもながら、千都世は胸焼けを覚える。
「すんごいやろ。」
壊れた人形のように、瞬一朗が首を縦に震わせる。
「沙珠がな、超のつく甘党やねん。しかも餡子党。」
甘党はもう一羽居るが……。
「無理せんと、程々にな」
味は保証できる。しかし、甘い。
「ち、千都世……さんは、何時もこれを食べて?」
「いんや。甘いの苦手やし。朝は食べへんよ」
「ああ……」
瞬一朗は、インスマスで迷子になったみたいな顔をした。千都世は、温めのお茶をすする。
ま、程のいい沙珠への供物である。観念してたらふく食べや。
食べてくれる人がいるのはいい事だ。
沙珠の機嫌も良うなるし。
現に、目に優しい青年を前に沙珠の機嫌はすこぶる良い。しかし事あるごとに朱の名を出すので、千都世は気が気でなかった。
どうやら自分に似ているらしい人物の事を、多少は気にしているのだろうが、瞬一朗は何も聞かなかった。
不思議な子ぉや。
人懐こいと思えば、ひどく人との距離を取ろうとしているような、不自然さもある。
どちらが本当の彼なのだろう。
「わてな、昼過ぎに川越の方顔出してくるわ。明日はそのまま前橋まで足を延ばすしな。」
姐さまはどこへ行ったのか知らないが、沙珠も午後から川越へ出かけるなら、しばらくここは千都世一人になるのだ。
二人の茶々が入らずに朱のところを訪れるなら、今日がちょうど良い。
月読のこともあるし、一度朱の元に顔を出さねばと思っていた。瞬一朗を見ていると、余計に思う。今、目の前にいるのが朱の体を使った何か別の生き物で、こうしている間にも朱の中身は吹きさらされる砂のように、どこかへ消えゆくところなのではないか、と。
そんな事はないと思いつつも、また何処かへ消えてしまうのではないかという恐怖が、千都世にはある。
先日再会してからは、特にその不安が強くなった。
全ては前科一犯の朱の所為である。
「千都世さん、今日はお社へは行ってみるのん?」
「行かへんよ」
半ば反射的に答えたが、嘘である。それは沙珠もわかっているようで、
「朱さんが返しに来てくれたお重に、干し柿の羊羹詰めてあるさかい、持って行ってくれへん?」
「そんなの、沙珠が持って行ったらええのに」太らせて喰うつもりだろうか。
「阿保な子やなぁ。あんた一人手ぶらで行って、なにを話す事がありますの?あんたの事や、散々ぶすくれて嫌味だけ言うて帰ってくるのが見えてますやろ」
「そんなことあらへん」
すでにぶすくれた顔の千都世は、隣で餡トーストを頬張る瞬一朗を、横目で睨む。
「それ食うたら、早よ帰りぃ。」
「千都世さん、いけずな事言いなや」
「ち、千都世…さんたちは、西の人ですか?」
「緊張感のないやっちゃなぁ……」
人懐こいと言うか、図太いと言うか。
「わても千都世も京育ちや。」
「西の言葉ってうつりますよねぇ」
「兄さんも甘いもんいける口やな」
「意外と。沙珠さんの餡は、甘過ぎなくて美味しいです。あ、そっちのずんだもいただけますか」
「遠慮せんと。ぎょうさんあるさかい」
何故か意気投合している二人が恨めしい。
「せや、千都世と一緒に、朱さんとこ行ってきたらええよ。兄さん、暇そぉやし。」
朱さん驚かはるで、となにやら楽しげに沙珠が言う。
「これ以上びびらせてどないすんの……」
渋っていた千都世の事など御構い無しに、沙珠に持たされたお重を抱えた瞬一朗を従えて、参道の暗い石段を登ることになった。
「千都世さん、綺麗ですねぇ」
目の端を垂れ下げて、褒めちぎる瞬一朗に悪い気はしないが、千都世は不機嫌だった。この姿を見られているので化けるわけにもゆかず、浴衣を着替えるくらいしかできなかったのが不満なのである。
藍の総絞りの浴衣を下ろそうと思っていたが、この姿では裄が長すぎる。仕方なく、去年仕立てた藤色の朝顔の浴衣に、辛子色の兵児帯を合わせた。幼さが出過ぎた気もするが、似合っているからよしとする。
瞬一朗の浴衣は、案の定泥汚れが散っていたが、さほど気にならない程度だった。
棒切れみたいな細い体は、浴衣だと余計に細く見える。
「瞬一朗は、病院から抜け出したみたいやな」
真昼の幽霊とも言う。
「父の形見なんですよ、これ。」
それを聞いてぎょっとする。
「帰ったら、ちゃんとシミ抜きしいや。大事に着なあかんよ」
「ちとせさんは着物好きなんだね。あんまり着てる人いないから、珍しいよね」
「ぼ、うちからしたら、これが普通やしなぁ……」
「あ、そうだ。妹が浴衣着たそうにしてるんだけど、千都世さん着付けとか出来ないかな。母さんもそう言うの苦手で。」
「小学生?」
「歳も、ほら……千都世さんちょっと年上だし、妹もお姉さんが欲しかったと言ってたので、これもご縁だし」
仲良くしてくれるといいなぁなどと言う。
とんだ兄馬鹿ぶりである。
「着せるんは得意やないけど、できると思います。今度二人で、遊びに来はったら?」
「ありがとう!」
「よほど可愛いんやね」
「僕ね、ずっと一人っ子だったんです。小さい頃に父が亡くなったりでそれどころではなかったんですけど、ずっと兄弟がいたらなって思っていて。まさか急に妹が出来るなんて思ってもみなくて。気持ちが悪いのはわかってるんですけど、妹、可愛いんですよ。」
「……ごちそうさん」
妹として以上に執着して、嫌われていないか心配である。
「にしてもこの石段、こんなにあったんだ」
涼しい顔の千都世と違い、瞬一朗は額に汗を浮かべていた。
確かに、今日は蒸している。
木漏れ日を散らした木造の鳥居が見えて、もうすぐ境内というところ、二つの人影が鳥居を潜って降りてくるところだった。
「あ、き……あぶらげの君!」
その一人、黒い学ラン姿が小さく叫ぶのが聞こえた。
「あ、カラス小僧……」
言わずもがな、霧彦であった。
もう一人の人影は、少女であったが、
「お兄ちゃん?」
千都世の隣の人影を認めて訝しげに声をかける。
「と、永遠子ちゃん」
「なんや、知り合いか?」
「あれ、妹。」
「へえ。」
可愛いというか、綺麗な子やった。脚が。
永遠子と呼ばれた瞬一朗の妹は、二人の姿を不審げに眺めると、兄に駆け寄った。
「お兄ちゃん、昨日はどこ行ってたの?帰ってこないから心配してたのに……」
半泣きである。愛されてるやん。
「あんな瞬一朗、あんたはしばらく黙っとき。変な誤解されるだけや」
小さく瞬一朗に言い含めると、千都世は少女に向き直った。
「心配しやしたやろ。許しておくれやす。この兄さんな、昨日道に迷ってたうちのこと、家まで送ってくれはって。」
スルスルと口を出る言い訳に、瞬一朗もこくこくと頷く。聴きなれぬ言葉に、永遠子も目を丸くしていた。
「遅い時間やったし、うちの母さんが無理やり引き止めてしもうて。えらい、かんにんな」
「れ、連絡しようと思ったら、携帯忘れてて……ごめんな」
帰りたくない言うてたんは、何やったんやろ。夢遊病かもしれへんのとかは、どうでもいいんやろか。
「永遠子のお兄さん?」
カラス小僧、もとい霧彦が、緊張感のない間合いで永遠子に聞く。
それに反応したのは、瞬一朗だった。
「永遠子ちゃん、それ、どうしたの?」
カラス小僧や。それにしても、「それ」って、よほど気に入らんのやろか。
永遠子は悪びれずに答える。
「あのね、ここの神社のお掃除とかしてる朱さんのお手伝いをしてる霧彦くん。この前、友達になったの」
可愛らしく頬を染める。
「え、ああ…あけるさんて?」
「神社の社務所にいるお兄さん。」
「……?じゃあ、それは、そのあけるさんが飼ってたりするの?」
「お、お兄ちゃん?飼ってるって……失礼」
カラス小僧は目をくるくるさせている。それから、そろり、と自分の姿を確認した。
心配そうに千都世に目配せる。
うん。ちゃんと人の姿してはるしな。
でも、もしかして……。
「永遠子の友達の霧彦です!」
気を取り直して、元気よく霧彦が頭を下げる。
それを食い入るように見ていた瞬一朗は、顔を上げた霧彦にとも永遠子にともつかぬ声で言った。
「すごいね、喋るカラスって初めて見たよ」
後朝と言いながら、色っぽい事がなかなか書けなくて残念です。




