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烏の符  作者: 沼波
東国 春
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はるみつつき

準備稿。前日譚です。

まだぶれる予定です。

 板戸の隙間からそっと中を覗くと、(かす)んだ鏡が鈍く月のように光を反射していた。


「ツキカゲニ、ワガミヲカフルモノナラバ、ツレナキヒトモアハレトヤミム」


口をついて出た歌は、あまりに感傷的じゃないかと自己嫌悪に(おちい)りつつ、正面の板戸を開け放つ。

本殿と拝殿を一体化した小さな社で、常駐の宮司がおらず普段は無人である。 

正月と祭事の時には拝殿を開け放ち、隅々まで掃き清め榊も替えるが、今日のところは床の拭き掃除まで出来れば上出来といったところだ。

片付けられていない榊やら紙垂(しで)やらが目について、暗闇に浮かんだ月の姿は瞬く間に消えた。

古い木材の匂いと、少量のケモノ臭が埃とともに舞い上がる。

屋根裏に住み着いたムササビだかなんだかの親子は元気にしているだろうか。

昼日中なので息を潜めているのか、眠っているのか、裏山の烏の騒ぎ立てる声がやけに煩くて気配は感じ取れなかった。

軋む床板に小春日が影を長く引く。

無人の社務所から持ち出してきた箒と塵取りで掃除を始めると、瞬く間に辺りは埃で煙った。


 いつからだろう、誰もいなくなってしまったのは。


 がらんとした本殿の中は、陽の光に温められて眠気を誘う。

掃除が終わったら昼寝でもしようと自身を奮い立たせていると、背後に小さい影が差して、可愛らしいくしゃみが一つ、聞こえた。

ぱっと振り向いたのに驚いたのか、ポカンと口を開けた十歳にならないくらいの小さな男の子が、賽銭箱の(かたわ)らで立ちつくしていた。

杜の向こうの日の神小学校の生徒のようだが、胸元の名札には名前と学年が大きく書かれていて、そのあまりの無防備さになんだか気の毒になる。

「埃、口に入っちゃうよ?」

だいぶびっくりさせてしまったようで、申し訳なくて声をかけたけれど、余計に怯えさせただけかもしれない。しばらく二人、「だるまさんがころんだ」をしているみたいに動かずにいた。

さすがに耐え切れずくしゃみをすると、やっと呪いでも溶けたのか、身じろぎして後ずさり始めた。その姿は、路地ですれ違えない野良猫みたいだ。

「さぼり?」

逃げられるかなと思いつつ声をかけると、びっくりした顔のまま、やけにキリリとした表情で頷いた。

その仕草がリスかウサギのようで可愛らしい。

そんなに自信満々に肯定する事じゃないだろうに……。

杜の向こう、薄緑の屋根をのぞかせた体育館から、抜け出してきたらしい。

日の神小学校は全学年一クラスづつの小さな学校で、全校生徒を合わせても百五十人に満たない。

一部過疎化の進んだ集落では分校を設けるのも大変なため、そういった山間部に住む子供たちも日の神小に通っている。登下校で片道一時間以上歩く子たちもいる。

そんな野性味あふれる子供たちはよく目にするが、目の前の少年は少し様子が違った。

細く白い手足を包むのは少し大きめの体操服。まだあまり汚れていない白い上履きには、境内で付けたらしい泥汚れが真新しい。

つむじから素直に流れる柔らかそうな髪は、耳のあたりで切りそろえられていて、人形のような目鼻立ちが少し浮世離れしている。

全体的に、きれいな子供だった。

全力でかわいいと言える。

人間の子供なんて乳臭いか、泥くさいか、鼻水やら涙やら、涎やら、そんなものをいつも垂れ流しているものだと思っていた。少なくとも、私はそうだった。

「じゅ……ん、言ってた」

途切れてかすれた声は、まだ声変わりしていない澄んだもので、やっぱりかわいいなぁ、と思う。

上手く聞き取れなかったので、首を傾げていると、彼は思い直したようにハキハキとした声で言葉を続けた。

「さっき、じゅもん言ってた。開かない扉、開けてた」

どうやらずっとこちらの様子を伺っていたらしく、先ほどのつぶやきも聞かれていたらしかった。

「じゅ?呪文て……ああ、そうか。」

確かに、誰にも届かない歌は呪文みたいなものだ。

普段は開かない戸が開錠もせずに呟き一つで開いたように見えたのだろうが、実を言えば建付けが悪く、開けるのにコツがいるだけなのだ。重さもあるので、子供が開けるには難儀するはずだ。

とは言え、私は悪い大人なので、彼にいたずらっぽくウィンクして見せ、唇にそっと指をあてた。

「秘密にしておいてくれる?」

効果はてきめんで、先ほどよりもかなり力強く頷くと、男の子は瞳を輝かせた。

素直な良い子だと思う。

周り中の不思議なことを、あるがままに受け入れている。

こういう子は……好かれるだろうな、と心配になる。

「お月様みたいなの、何?」

好奇心の塊みたいなまっすぐな眼差しは、殿舎の奥に鎮座まします御神鏡に向いていた。

「お月様……」

「いつも、中で光ってるの」

その言葉に、一瞬、古い記憶の中に引きずり込まれたような気がした。

幼い頃、確かに自分もそうやって暗い殿舎の中を覗き見た覚えがあったから。

床板に反射する日の光に照らされて、ふんわりと光を放つ丸い鏡。

それはまさに、昼空に浮かぶ白い月のようだった。

本筋も、のろのろと執筆中。

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