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気の合う二人

 『囚人のジレンマ』というものを御存知だろうか。

 共犯者と思われる二人の囚人を個別に尋問し、以下の三つの条件を突きつけるものだ。

1、もしお前達二人ともが黙秘すれば証拠不十分で二人とも懲役二年だ。

2、だが相手を売ればお前を即日釈放してやる。売られた方は懲役十年だ。

3、ただしお前達二人ともが相手を売れば二人とも懲役五年だ。

 これはゲーム理論などでも有名なジレンマの一つである。

 お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる……というところにゲーム的な妙がある。

 これから私がお話しするのは、そんなジレンマに対する一つの回答である。


 あるところに二人の墓荒らしが居た。チビとノッポという、いかにもなデコボココンビだ。

チビはボーロといった。元は水飲み百姓の三男である。飢饉の折に口減らしで山へ捨てられ、木の根を齧って飢えを凌ぎながら都へ辿り着き、盗人へ身を落とした哀れな男だ。

 ただ彼は貧しい者からは盗まず、決して人を殺さず、時には乞食の子供へ食べ物や金品を分けた。卑しい身ではあったが、寡黙で実直な男であり、元の誠実さの全てを無くしたわけではない義理堅い男だった。

 ノッポはバンカといった。根っからの悪党で、人を騙す事も殺すことも何とも思わぬ男だった。一時は大勢の盗賊達を率いて街と言う街を荒らした外道者である。しかしすらりとした長躯に人懐っこい笑み、更に巧みな弁舌を持ち合わせ、人を惹き付けて止まぬ生まれ付いての人たらしでもあった。

 傍目からも二人に合い通じるものは殆ど無いように見えた。ボーロはいつも洗いざらしの古着で、バンカは流行の服をパリッと着こなしていた。人に会うにしてもボーロは無愛想なまま黙りこくり、バンカは舞台役者の如く歌い語らった。ボーロは下戸で女にもてた試しなど無く、バンカは大の酒豪で女の方から彼にすり寄った。

 だというのに二人は不思議に馬が合った。コンビを組んでからボーロは騙されることがなくなった。逆にバンカは無闇に人を騙さなくなった。

 まるで共通点のないあべこべな二人であったが、彼等はお互いをこの上ない親友と位置付けていたのである。


 二人は財宝目当ての墓荒らしとして都を賑わせたが、ある月の無い晩にとうとうお縄となった。

 ただ彼らが直に墓へ出入りした場所を見た者は居ない。そこで役人は遠く分かたれた牢の二人それぞれに向かって告げたのである。

「相手の犯行を自供すれば、お前を自由の身にしてやる」


 草木も眠る丑三つ時、ボーロは一睡もせずにかび臭い牢屋の隅でうずくまっていた。

 彼は勿論バンカを売る気など毛頭無かった。

 だが彼はバンカが自分を売ることを恐れた。バンカは頭の切れる男である。愚鈍な己など切り捨ててしまうのではないか。先に喋ってしまえば自分だけは外に出られるのだ。

 いや、だが彼は酒を飲むたびボーロに向かって言ったものだ。

「俺はお天道様に背くことはあっても、お前を裏切ることだけは絶対無いよ」と。

 だが彼は黙ったまま二年も我慢できるだろうか。一人自由の身となれば、盗み出した財宝を独り占めに出来るのだ。

 ボーロは膝を抱えて震えた。

 彼は信じてくれた友人を裏切ることに耐えられない。だが同時に信じた友人に裏切られることにも耐えられそうになかった。

 胸を引き裂かれるような夜を過ごし、夜明けとともに彼は囁きに屈した。

 彼はとうとう、その恐怖に耐えられなかったのである。


 バンカはベッドとは名ばかりの板を敷いただけ寝床に寝そべり、ぼんやりと天井を見上げていた。

 明晰な彼はボーロが決して自分を売らないであろうことを確信していた。つまり最低でも懲役二年以下は確定しているのだ。更にボーロを売ってしまえば自分は釈放される。

 彼はごろりと寝返りを打った。

 バンカの頭脳はある最適解を弾き出していた。だがそれにはある一つの懸念があった。余人が聞けば「何だそんなこと」と思うかもしれない。だがそれは彼にとって決して易々とは看過できぬ一大事だった。

 ボーロはバンカが初めて気を許した唯一人の親友である。だからこそ彼は策の実行を躊躇った。

 結局彼もまた一睡もせず、決断を下せぬまま夜を明かすこととなったのだ。


 翌朝、役人が苦々しげな顔でバンカの牢の前へやってきた。

「不景気なツラだね。奥さんと喧嘩でもしたのかい」

「釈放だ」

 彼はわが耳を疑った。


 裏切ることにも裏切られることにも耐えられなかったボーロは、自らの罪を自白してしまったのである。

 ただし彼は全て自分がやったと言って譲らなかった。

「バンカ?そんな奴知らない。あの男は偶々会っただけだ。墓荒らしは全部俺がやったんだ。あんな男関係無い。全部俺がやったことだ」

 取調室でボーロは叫び、暴れ、手を焼いた役人は彼に懲役十年を与えることとした。役人としては二人とも自白させたかったが、少なくとも一方に重い罰を与えれば帳尻は合うのである。

 役人達の詰め所から放り出されたバンカは呆然と、嫌になるほど青い空を見上げていた。


 次の晩もボーロは牢の隅で蹲っていた。だが今の彼は震えてはいない。

 彼は何度も自分へ語りかけていた。

 これで良い、これで良かったのだ。俺はバンカを守ったのだ。そもそも……土台、俺と釣り合う男ではなかったのだ。

 何度も何度も自分へ言い聞かせながら、彼はまんじりもせずに夜明けを待っていた。あと十年の夜が、一刻でも早く過ぎるのを祈るかのように。

 ただ、カチリという硬い音が彼の注意を引いた。音に釣られて顔を上げた彼は思わず叫びそうになった。

 格子戸を開き、看守に変装した何者かが中へ入ってきたのだった。

「待たせたな、ボーロ」


 三日月の控えめな灯りの下、まんまと逃げ果せた二人は街道をひた走っていた。

 ボーロは息を切らせながらバンカへ謝った。

「悪かったバンカ。俺は本当はお前を守りたかったんじゃない。ただお前を信じることが出来なかったがために罪を被ったのだ。お前に脱獄の手伝いまでさせてしまった」

 バンカもまた、汗を垂らしながら答えた。

「許してくれボーロ。俺は本当は初めからこうするつもりでいたのだ。だが一時のことと言えどもお前を売ることに耐えられなかった。いや、例え一瞬でもお前に裏切られたと思われることに耐えられなかったのだ。結局お前一人に罪を被らせてしまった」

 二人はお互いを見交わし、一瞬の沈黙の後で大きく笑った。二人の間にそれ以上の懺悔も容赦も不要だった。


 その後の二人は異国で再び捕えられ、再び同じ問いを突きつけられた。その時もやはりボーロが残り、出たバンカが脱獄の手引きをした。

 だが、その時はボーロは一切黙して語らず、逆にバンカは即座にボーロの犯行を自供したのだった。


 二人は生涯に二度捕縛され、二度とも脱獄してのけた。どちらも少なくともお互いに二年の懲役が課されるところ、結局一方にたった一日の拘留、二人で分ければ半日の拘留で済ませてしまったわけである。


 遠い異国で二人組の義賊の逸話が残っている。

旧作の『古き良き時代の大冒険活劇』中で使おうと思っていて、結局機会の無かったエピソードを短編仕立てにしたものです。

どこと無く『走れメロス』っぽくなりましたね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] にやりとさせられる話ですね。 [気になる点] 本名のくだりは冗長かな。 [一言] やる夫とやらない夫で目に浮かぶ。
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