7.悪魔は悪魔のやり方で
ラントの悲鳴が聞こえたけれど、今は気にしていられない。
兄の口内に残るハニィの魂を、必死に舌で追いかけた。
「ん……むぅっ」
舌先にとらえた魂を、何とか絡めとろうとするけれど、なかなかうまくいかない。
苦戦をしていると、兄のほうから、ハニィの魂がわたしの口内へ押し出されてきた。
「む、んぅっ!」
後頭部をきつく抱き込まれて、今度は兄のほうから舌をわたしの口内に押し込められる。ハニィの魂が、甘いあぶくのように、じわじわとわたしの口内で溶けていく。
兄を引き離そうにも、手に力が入らない。
「あ……!」
こくん、とついにハニィの魂をわたしは飲み込んでしまった。
それを確認して、兄の唇がようやくわたしから離れてくれる。
「リリ?」
震える声で、ラントがわたしの腕をつかむ。
「ハニィの魂……」
次の瞬間、わたしの背中に、大きな白い翼が生えた。
「良かったな、妹よ。念願の翼だ。ペガサスの魂は特別だからな。簡単に消えることはないだろう」
唇を舌でなめて、兄が言った。
「そんな!」
わたしは体中から血の気が引く。
こんなはずじゃない。
ハニィを助けたかったのに、わたしがその魂を奪ってしまうなんて。
「リリ……」
「リリちゃん。もう、いいんだ。得体の知れない悪魔に魂を奪われるより、良かったよ」
「そうよ、リリちゃん」
クラウスさんとユーナさんが、やさしく言ってくれる。
「でも……」
背中の翼が震えた。
生気を失くしたハニィの体が、すぐ傍に横たわっている。
声も上げず、キイスさんが涙をこぼしている。
「でも……」
もう、どうにもならないのだろうか。
ハニィの死を、受け入れるほかないのだろうか。
「……ひとつ、試してみる価値のあることならば、ある」
わたしの腕を掴む手に力を入れて言ったのはラントだ。
「え?」
「ほう?」
愉快そうに目を細める兄を、ラントはきっと睨みつけた。
「リリが魔界から戻ってきてからこっち、リリが魂を食べた際にはみ出る花等に関して調べていたんだ」
「うん……」
実験台にされていたわたしは、それを一番良く知っている。
「まだ、くわしい仕組みまでは分かっていないのだけど、これは、リリが消化しきれなかった魂が体に収まりきれず、はみ出したものだと思う」
「そうだな。特に、未熟な悪魔はまだ魂の取り込み方が分からず、よく体からはみ出してしまうのだ」
兄が肯定を示して頷く。
「魂は形を持たないものだ。それが、こうして目に見える形をとったのは、リリの魔力と反応してのことか、魂自体が、まだこの世に存在しようとするために形をとるのか、答えは出ていないのだが……」
ラントが、そっとわたしの翼にふれる。ハニィの翼とそっくり同じ、白い翼に。
「つまり?」
何を言いたいのか、と先を促すように兄が顎を上げた。
「つまり、これはハニィの魂の欠片だ。これをリリから離し、肉体に戻せばまだ可能性はある」
「!」
視線が、ラントに集まる。
「しかし、ハニィ様のこの毒に冒された体では……」
「何でもいい。依り代を用意するんだ。おそらく、似た形のもののほうがなじみやすいと思う」
「わかった」
頷いて、クラウスさんとユーナさん、それからはっとしたように、キイスさんが続いて厩舎を出て行った。
厩舎には、わたしとラント、悪魔の兄が残される。そして、動かなくなったハニィの体。
「で? 肝心の我が妹からそこのペガサスの魂を切り離す方法は?」
答えを予測した顔で兄が言った。
「……お前に、頼みたい」
悔しそうな声でラントが言う。
魂を分けて移動できるのは、わたし自身で実証済みだ。
「ほう。それで、俺に何かメリットは? お前の魂でも食わせてくれるのか?」
「お兄ちゃん!」
ラントをかばうように、わたしが前に出る。
「ああ、食わせてやるよ」
しかし、ラントはわたしの肩を押し、背中に回して言った。
「ラント!?」
「持ってきました! これを使ってください!」
ばたばたと足音がして、キイスさんたちが戻ってくる。
わたしと兄の視線がそちらにとられた瞬間に、わたしはラントに口づけられていた。
「……っ!」
押しつけられた唇は、すぐに離れて、かすかに触れながら、言葉を伝える。
「でも!」
反論を塞ぐように、ラントの唇がまたわたしに重なった。
「頷け。主人の命令だ」
嫌だ、とわたしは首を振ったのに、ラントはわたしの頭をおさえて、無理やり頷かせた。
「よし、いい子だ」
そのまま頭を撫でて、笑う。
「ずるい、ラント」
「言ったろう? 僕は悪い魔法使いになってやるって」
言って、ラントはわたしに背を向けた。
「依り代は?」
「これです」
状況に置いていかれていたキイスさんたちは、我に返って腕に抱えたものをラントに差し出した。
ほぼ等身大に近い、ハニィのぬいぐるみだ。
「私の抱き枕でした」
「変態だとは思っていたが、こんなものを隠し持っていたとは……」
「役に立ったのだから、良しとしましょう」
肩を震わせるクラウスさんを、ユーナさんがなだめた。
「よし。頼む」
ラントが頷いて、兄に目を向ける。
「やれやれ。人間の傲慢にはほとほと呆れる」
兄は肩をすくめると、わたしの肩をつかんだ。
「……」
わたしは、兄を見上げる。
端正な顔は、冷たくわたしを見下ろす。その無表情は、怒っているようにも、笑っているようにも見えた。
「命を、そう易々と操れると思うな」
「はい」
わたしは短く頷く。
それがどんなに許せない、理不尽な死だったとしても、わたしのわがままでそれを蘇らせるなんて、人の領分を越えたことだ。傲慢だ、という悪魔の言葉を否定できない。
わたしに命を救われた弟が喜ばなかったのと同じように、ハニィも決して喜ばないかもしれない。
だって、体は失われて、代わりに与えられるのは、キイスさんの抱き枕なのだ。
わたしは、間違ったことをしているのかもしれない。それでも。
「わたしは、悪魔です。医者が医者のやり方で命を救うように、わたしは悪魔のやり方でハニィを助ける。それだけです」
「……本当に、立派な悪魔になって。これは、予想外だったよ」
兄は、悪魔らしくなく目を細めると、一番最初のあの時と同じように、わたしの胸元に顔をうずめた。
胸から異空間に吸い込まれるような感覚。
兄の後ろで蒼白になったラントの顔を見ながら、魂を取り出す方法は他にもあったんじゃないかな、と最後の意識で突っ込んだ。




