2.ドクロのペンダントを手に入れました
「期間は一週間。試験官の座は俺が力づくでもぎとってきた」
悪魔の兄が、えへんと胸を張る。
「まあ、全然知らない悪魔よりは良いけれど」
「僕は新しい悪魔も見てみたかった」
ラントがわたしの背中に覆いかぶさりながら言う。体重をかけてくるので、わたしはべしょっとつぶれてしまった。
「うう。でも、人を不幸にするって、一体……?」
地面から兄を見上げるようにすると、彼は胸元からペンダントを取り出して、わたしの首にかけた。頭蓋骨を象ったそれは、見るからに禍々しい黒と紫を、マーブル模様にかき混ぜたような色をしている。呪いの一品です、と言われてもわたしは驚かなかっただろう。
「妹よ。ちょっと、この憎たらしい小僧に、大嫌いだと言ってみろ」
「え?」
「ぬなっ!? おい、リリ。悪魔なんかの言葉に耳を貸すことはないぞ! 僕は知っている。お前が僕を世界一大好きで、片時も離れたくないということを!」
「いや、そんなこと思ってないです」
冷静に首を振ると、動揺したラントの声と同時に、頭蓋骨のペンダントがカチカチカチ、と歯を鳴らした。
「ひっ!?」
「おお!」
思わずのけぞるわたしとは反対に、ラントは前のめりにわたしの胸元に下がるペンダントを凝視した。
カチカチカチ、と頭蓋骨は歯を鳴らしながら、マーブル状だったカラーリングを濃い紫へと変化させた。
「おおお、何だこれは」
ラントはペンダントを凝視するが、手は出さない。興味はあるが、触れるのは怖いのだろう。胸に下がっているわたしはもっと怖いのだけれど。
「ほほう。七十点、というところか。予想以上の効果だな」
「七十点?」
わたしの疑問符に、兄はうむ、とひとつ頷いて答えてくれた。
「それは、不幸の波動を感じ取る特殊な石でできているのだ。黒に近くなるほど、不幸度は高く、真っ黒になれば満点。つまり、そのペンダントを真っ黒に染めれば、妹は無事、悪魔としてレベルアップできるというわけさ」
「はあ……」
濃い紫だったペンダントは、またすぐに元のマーブル模様になってしまう。
悪魔としてレベルアップできれば、他の世界に渡れるようになる。他の世界とは、つまり、わたしの元いた世界も含まれるのだ。
「でも、わたしのために、誰かを不幸にするなんて……」
「そうか? 簡単なことだろう? 聡い妹ならば気がついているはず」
兄がラントの頭を片手で押しやりながら、屈んでわたしと目線を合わせた。
「可愛い俺の妹。おまえの決断は、どちらに転んでも、おまえを不幸にするだろう。ああ、楽しみだ」
うっとりと微笑んで、兄は胸元に唇をつける。舌先が触れる。そこは、魂のある場所。
「このっ!」
わたしの背後から、勢いよく風がほとばしる。
ラントの手の下には、枝で引っ掻いたような魔法陣。ラントが、風の魔法を発動させたのだ。
「おっと」
吹き飛ばされた兄は、ばさりと翼でその風をつかんで、余裕綽々と舞い上がる。
「リリは、僕の悪魔だ! リリの不幸も幸福も、僕のものだ!」
ラントはがばりとわたしを背中から抱きしめる。
「やれやれ。ずいぶんと執着されたものだ。君がもっと嫌な奴だったら、妹も悩まずに済んだかもしれないな」
同意を求めるように兄は優しく微笑むと、くるりと後ろに回転して姿を消した。
「まったく。腹立たしい悪魔だな。いつかあの羽もいでやる」
珍しく騎士のような勇ましさだが、その目的の八割は研究したいがためだろう。
「ラント。あの……」
「なんだ?」
「そろそろ腕を離してください」
背中から抱きしめる腕は、わたしの胸にぎゅっと回っている。
「……あと十秒」
「却下!」
甘えた声には、拳で答えた。
******
目の前に、生クリームのタワーがそびえている。
チョコチップやフルーツのソースが彩りとアクセントを加えているが、金魚鉢のようなガラスの器に形成された塔の主成分は生クリームだ。
見るからに胸焼けしそうなそれを、一体誰が食べるのだろう、と他人事のように考えようとしたけれど、
「さあ、どうぞ召し上がれ」
美女の微笑みが容赦なくわたしに現実を突きつけた。
この世界で、わたしの知り合いの美女と言えば、クラウスさんのお姉さん、ユーナさんだ。
ラントの家にも、頻繁に顔を見せるユーナさんだけれど、今日はわたしのほうからユーナさんとクラウスさんのお屋敷にやって来た。
悪魔昇級試験のことを相談したかったのだ。
「いただきます……」
おそるおそるわたしはスプーンを手に取る。
「私は、受けたら良いと思うわ。その、悪魔の昇級試験」
爽やかなハーブの香りがするお茶を口に運びながら、ユーナさんは簡単に言った。
「世界を渡れるようになる、ということは、行って戻って来られるということでしょう? その、リリちゃんの世界に行ったまま帰ってこないという話だったら、鳥かごにしまってしまうところだけれど」
紅い唇が妖艶な弧を描く。
「でも、それで誰かを不幸にするなんて……」
ユーナさんの言葉の後半は聞こえなかったことにして、気がかりだったことをわたしは口にした。
「そんなこと。ラントに頼めば良いじゃないの。あなたのためだったら、喜んで不幸になってくれるんじゃない?」
「それは……」
「クラウスでも良いわよ。私が許可するわ」
「いえ、それはちょっと……」
あらそう? と少々残念そうにユーナさんは肩をすくめた。
「ねえ、リリちゃん?」
「はい」
「あなたが恐れていることは何? 普通だったら迷う余地などないことのはず。どうしてあなたは、自由を得ることをためらっているのかしら?」
ユーナさんの声は優しかった。けれどもその瞳は、わたしの心を見透かすように鋭い。
わたしは浅く呼吸を繰り返す。
自由を得ること、とユーナさんは言った。わたしの気持ちを予測しているからこその言葉だ。
「わたし……」
スプーンをもつ手が震える。
「わたしは、悪魔になりたかったんです」




