11.人魚が仲間に加わった?
ラントとわたしの額に、おそろいの湿布薬が貼られたところで、庭に大きな音が響いた。
ラントと顔を見合わせると、カーテンの隙間から、顔を縦に並べて、おそるおそる庭の様子を伺う。
「な……」
「う、うわあ」
庭に掘られていた魔界行きの穴から、噴水のように水が吹き上がっている。
その勢いはすさまじく、穴をその水圧で拡張し、噴水がおさまる頃には、庭に立派な池ができていた。
そしてその池のふちに、見覚えのある犬耳と魚の尾が打ち上げられている。
「……リリ。あれは一体なんだ?」
「さあ、何でしょうね……」
わたしは現実を直視したくない気持ちでいっぱいだったけれど、好奇心の塊になったラントは、わたしの両肩に手を置いて身を乗り出し、窓ガラスに顔を押しつけている。
「やあやあ、妹よ!」
ばーん! と強い風圧と共に窓が開いて、わたしとラントは部屋の内側にころころとひっくり返った。
わたしの後ろから窓に張りついていたラントは、自然、わたしの下敷きになる。
「うぐっ」
「お兄ちゃん!?」
「ぐえっ!」
驚きのあまり、慌てて身を起こしたわたしは、ラントのみぞおちに思いきり肘を突いてしまったらしい。
「ご、ごめん、ラント」
「……僕はいつか、リリに殺されるんじゃないかと思う」
「はっはっは! 悪魔を召喚したのだ。そのくらいの覚悟は持ってもらわなければな!」
兄が高らかに笑う。
その笑みに、魔界での別れ際の冷えた狂気はなくて、わたしはちょっとほっとした。
「あの、ところで、あれは一体……」
「む? ああ。お前を助けるのに、あの湖の水をすべて干上がらせたのだが」
「え!?」
そんなことになっていたとは。初耳だ。
「魔界管理局から文句がきてな。仕方なしに戻してやったら、ちとやり過ぎたようでな」
「どこをどうやり過ぎたら、魔界からここの庭に水が噴き出すのかわかりませんけど。それで、どうしてあの、プテラさんまで……」
「うむ。結局、妹に羽をやれなかったからな。成体のプテラノギョンに羽はないが、水上の移動は速く、力もある。お前の魔法使いの水の魔法と合わせれば、馬車代わりにはなるだろう」
「え。えええ……」
表情に困るわたしの横で、「あれが噂のプテラノギョンか!」とラントにスイッチが入る。
止める間もなく、ラントは玄関から庭へ飛び出していった。どうか、先にキイスさんを助けてあげてください。
「……」
「……」
部屋に取り残されたわたしと兄の間に、居心地の悪い沈黙が落ちる。
「えっと、それじゃあわたしも庭に……」
そそくさと逃げようとしたところ、
「妹よ」
声だけで動きを止められた。
魔法ではない。
迫力がそうさせるのだ。
「はい……」
怖々と、わたしは兄に目を向ける。
「俺の妹ならば怯えるな、と言ったはずだろう?」
「勝手に妹にしておいて、無茶を言わないでください」
「そうだったか? お前が泣いて頼んだのではなかったか?」
「頼んでいません」
何なら今からでも、この意味不明な兄妹設定は解除していただきたい。
「ふむ。しかし、このように頼もしい兄ができて嬉しかろう?」
「いえ。特に、全然、まったく」
誤解のないように、きっぱりと言う。
「照れることはない。長女のお前は、兄か姉がずっと欲しかったのだろう?」
「え?」
わたしの間抜けな顔に、にやり、と悪魔が笑う。
「以前、俺が言ったことを覚えているか?」
「……」
思い出したのは、街で悪魔と再会した日のこと。
弟の事故は、彼が故意に起こしたものだと聞いた日のこと。
「君はもっと悪魔らしく、誰かの思惑にはまるのではなく、はめるにはどうすれば良いのかを考えるべきだ」
あの日と同じ言葉を、悪魔は再び口にする。
あの時は、悪魔らしくないわたしへの、小さな助言だった。
けれども今、その同じ言葉は、違う意味をもってわたしに響く。
悪魔らしく。
目の前の悪魔は、わたしのような半端者とは違い、悪魔らしい悪魔そのものだ。
「わたしが悪魔になったのも、あなたの思惑……?」
わたしの震える唇に、悪魔の親指がそっと触れる。
「可愛い可愛い俺の妹。悪魔は人の欲につけこむ生き物なのだ。悪魔も人間も関係ない、自分は自分だ、とお前は言ったね」
唇に悪魔の親指がのっているせいで、わたしは呼吸もままならない。息苦しいのはそのせいだ。
「俺はお前の欲につけこんだのさ。さあ、では、お前の欲は一体なんだったのだろうね?」
答えを知っている声で、悪魔は笑う。
「リリ! 助けてくれ! 筋肉が僕にうさぎを!」
ラントが庭で叫んでいる。
「ラント!? 何しているの? うさぎって何」
金縛りが解けたように、わたしは兄から離れて玄関へ向かった。
けれども悪魔の残した言葉は、黒い毛玉を飲みこんだみたいに、わたしの胸の中に巣くったのだった。
二章はここまでで終わりです。次回は番外を一本挟んで、三章に入ります。三章で一応完結の予定です。




