6.魔界二日目、尻尾が生える
昨夜のことだ。
やむをえない状況で、一晩同じ部屋でキイスさんと寝ることになってしまったわたしは、念のために威嚇をしておくことにした。
「キイスさん。あの、信用していないわけではないのですが、いざという時には、あなたの魂をいただきますからね!」
それ以前に、わたしはまだ魂の抜き取り方を会得していませんが! そこは火事場の馬鹿力的なことで、どうにかするつもりだ。
「はあ。では、私からもひとことよろしいでしょうか」
「な、なんでしょうか」
わたしの腕はキイスさんに掴まれている。振り払うことができないのは、わたしの背に生えた蝶々の羽のせいで、掴んでいてもらえなければ、わたしは天井に張りつくはめになるからだ。
「あなたごときの毛並みで欲情することはございません」
それから、ハニィの毛並みの素晴らしさを滔々と語ったが、わたしは左から右へ聞き流した。十分は続いたのではないだろうか。
心配事がひとつ減ったのは良かったけれど、複雑な気持ちだ。毛並みって……。
そして、問題はもうひとつあった。ふわふわと浮いてしまうわたしが、どうやって寝るか、だ。
「方法は三つですね。一つは、私につかまったまま寝る。一つは、あなたをベッドに縛りつける。最後の一つは、諦めて天井でお休みになる」
私はどれでも構いませんよ、とキイスさんはにこやかに言ったけれど、わたしはどれもお断りしたい気持ちでいっぱいだ。
「……じゃあ、二番目でお願いします」
襲われる心配がなくとも、知り合ったばかりの男性につかまって眠れるほど図太くはない。羽がいつ消えるかわからないのに、天井で眠るなんてもってのほかだ。
もう、とてもとてもやむを得ない状況で、わたしはベッドに括りつけられて眠ったのだ。
「いきなり、高度なプレイだな……」
だから、早朝に突撃してきた兄には、全力で叫んだ。
「誤解です!」
と。
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背中に生えていた羽と、頭に生えていた花は、朝になると消えていた。ほっとしたけれど、お腹も空いている。
「良いか。よーく見てみろ。ほら、この花のこの辺りが、淡く光っているだろう?」
「……わかりません」
「ふむ。やはり無理か」
兄がひょいと指を花に触れると、花びらがほどけたように地に落ちる。
「あの、せめて自分で食べます」
迷わず自分の口に向かってきた指をおさえて、わたしは言った。
「妹よ、兄の楽しみを奪うつもりか」
「わたしは楽しくありません」
きっぱりと言うと、兄は笑いながら、わたしの手に魂を落としてくれた。
やっぱり、何も見えないし、光っているのもわからない。
それでも、そっと口をつけると、しゅわしゅわと甘みが……広がらなかった。
「とっくに逃げられてしまったよ」
問うように兄を見上げると、肩をすくめて飄々と言われる。
こうして兄は、わたしに餌付けする権利を手に入れたのだった。……納得がいかない。
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魔界の街は、不思議なところだった。
建物も、道も、鉱石が主な材料になっているらしい。透明度が高く、触れると色が変化したりするので、綺麗だし、面白い。
空を滑車が行き交っているのは、いくつもの浮き島から、街が成り立っているせいだろう。羽をもった悪魔たちの移動には困らないが、荷物の運搬や、獣人たちの移動にはなくてはならないもののようだ。
暮らしているのは、悪魔よりも獣人のほうが多そうだ。尻尾や耳の生えた人がたくさんいる。
そう、だから、尻尾の代わりにお尻から花が生えた人が一人くらいいても、そんなに目立たないはずだ!
「すれ違う人たちが、みんな、リリ様を二度見しますね」
「犬の尻尾も花の尻尾も変わらないじゃないですかあー」
わたしは顔を両手で覆って嘆く。
そうなのだ。なぜか、今日は頭ではなく、お尻から花が生えてきた。
破れたわけでもないのに、ズボンを貫通して見えるのは、幽体のようなものだから、と爆笑の合間で兄が教えてくれた。
「しかし、こんなことでは、羽を得られたとしても、尻や頭から生えるかもしれんな」
「それだけは困ります! そういえば、ずっと聞こうと思っていたんですけど、羽ってどうやって、ゲットするんですか?」
わたしたちは、観覧車のような滑車の一つに乗りこんだ。島を移動するらしい。
「うん? そうか、まだ話していなかったか。まあ、食事と要領は大差ない。ただ、少し難易度が上がるとすれば、ターゲットが逃げる、ということかな」
「ターゲット? 逃げる?」
じわり、と嫌な予感が胸に広がる。
「ああ、ほら、着いたぞ」
観覧車のてっぺんで、乗っていた滑車のドアが開き、下りるように促される。
「う、わあ……」
下りた先、視界いっぱいに広がっていたのは、巨大な湖だった。
水がエメラルドグリーンに見えるのは、底で反射する鉱石のせいだろう。
「ようし、でっかいのを釣るぞー」
「待ってよ、僕が先だー」
わたしたちの後の滑車から下りてきた二人の子供が、まっしぐらに湖のほうへ駆けていく。
湖のほとりには、いくつもの手漕ぎの舟がつないであった。釣り竿を肩に担いだ少年二人は、迷わずその一艘に飛び乗り、湖の中心に向かって漕いでいく。
程よいところで舟を止めると、えいや、と二人はそれぞれ釣り竿を振った。
何とはなしに見守っていると、
「かかったー!」
という歓声が少年のうちの一人から上がり、高らかに釣り竿を引き上げる。
水しぶきとともに少年が釣り上げたのは、悪魔のような羽をもった魚だった。
まさか、と蒼ざめながら見守ると、期待を裏切らず、少年は羽の生えた魚から何かを抜き取ると、ぱくりと口に含んだ。
「やった!」
少年の背からたちまち悪魔の羽が生える。歓声を上げながら、少年は曇天の空に飛び上がった。
「ほう。彼はなかなか筋がいいな。良い悪魔になるだろう」
「……あの、まさかとは思うんですけど」
「ちょうど良く手本を見せてもらえて良かったな!」
良い笑顔で兄がわたしの肩を叩く。
「釣り竿を借りてきました」
と、いつの間にか準備をしてきたらしい、そういえば執事だったキイスさんが、わたしに釣り竿を手渡した。
「悪魔の羽って魚の羽だったんですね……」
コウモリを捕まえろと言われるよりはマシだったか、とわたしは釣り竿を握る手に力を込めた。
こうしてわたしは、悪魔の羽を得るために、魔界で魚釣りをすることになったのだった。