5.頭に花、背には蝶々の羽
頭に生えた花は、再び空腹になれば自然と消えるらしい。
良かった、と安心したけれど、食べた魂の残滓を可視化させてしまっている状態は、食べかすを口の端にくっつけている状態とほぼ同意らしいと聞いて、いたたまれない気持ちになった。せめて帽子を持ってくれば良かった! でも頭から花が生えるだなんて、思っていなかったし、仕方がない。
とりあえず、道の向こうに見える塔で入国審査を受けなければならないらしい。
こう言ってはあれだけど、しっかりと体制ができているのが少し意外だった。
「俺が妹を抱えて飛べばすぐなのだが」言って、悪魔の兄の視線が向くのは、キイスさんのほうだ。「ワンコまで抱えては飛べんな。というか、抱えたくない」
ふむ、とキイスさんがあごに手を当てて思慮深げな顔をする。
「では、リリ様が私を抱え、私を抱えたリリ様をお兄様が抱える、というのはいかがでしょう」
「いかがも何も、それ、ふたり抱えるのと変わってませんよね」
真面目な顔をして、ちょっと変なのがキイスさんだ。
「じゃあこれはどうだ! 妹か俺がそのワンコの魂を食う。俺が妹を抱えて飛ぶ」
「どんな解決方法ですか! それから、何度も言いますが、キイスさんは食べませんし、食べちゃ駄目です!」
悪魔としてのレベルが上がる前に、突っ込みのレベルが上がりそうだ。
「まあ、冗談はそのくらいにしよう。歩くと一日はかかるからな。急がぬ旅ならば問題ないが、やっかいな時間制限をつけられてしまったからな」
ラントは、三日経ったらわたしを強制送還すると言っていた。
「何か方法があるんですか?」
「妹よ。うまく生きるには、何事も応用力が大事なのだぞ」
実に悪魔らしい笑みを、兄は浮かべた。こういう時はろくなことにならない、と短い付き合いの間ですでに学んでいる。
*****
「あら、あら、あら。かーわいい悪魔ちゃんだこと。お花を咲かせて、蝶々の羽までつけちゃって。悪魔と言うより妖精みたいじゃなーい」
気安げに言って、わたしの頬をむにむにと撫でたのは、目的地であった塔の入国審査官のお姉さんだった。
美女だ。そして兄やキイスさんよりも背が高いという巨大な美女だ。
塔に無事に着いたのは良かった。
一時間ちょっとの時間で来られたのも良かった。
結果よければすべて良し、と言いたいのだけれど、果たして本当にそうなのだろうか、といささか遠い目になってしまう。
結果が得られたのは、無論、わたしのオプションとして増えた蝶々の羽のおかげだ。
ちょっと待って、というわたしに、兄は強引に蝶々の魂を食べさせたのだ。おかげでわたしのお腹は満腹である。そして美女の指摘通り、こんなにファンシーな格好になってしまった。悪魔とは一体何なのか、と空中に問いたくなっても仕方がない。
いきなり蝶々の羽が生えても、蝶々のように飛べるかというと、そううまくはいかなかった。なにしろ、羽が生えるなど、生まれて初めての経験なのだ。
それでも何とか浮くことはできたので、わたしと兄で半分ずつキイスさんを持ち、ほとんど兄に牽引されるような形でここまで飛んできた。
「可愛かろう。俺の妹だ」
「あらあら、ぴったりくっついちゃって。お兄ちゃんっ子なのねえ」
「これは、誤解です。兄のことはまったく信用していませんし、好きでもありません!」
地球まで届くほど、声を大にして誤解だと言いたい。だがしかし、兄にしっかりと腕を巻きつけた状態で言っても、説得力はないだろう。審査官のお姉さんも「照れ屋さんなのね」などと言いながら生暖かい笑みを浮かべて、わたしの頬をむにむにと撫でる。そろそろそれ、止めていただけないだろうか。
わたしが不本意にも兄にべったりくっつかなければならないのには、もちろん理由がある。背中に生えた、この蝶々の羽のせいだ。
宙に浮けるようになったのは良いのだが、今度は地上に降りられなくなってしまったのだ。
兄につかまっていなければ、天井に頭をぶつけることになるだろう。
「悪魔の羽を手に入れても、上手く扱える自信がなくなってきた……」
「残念ながら否定はできませんね」
お世辞でも否定してほしかったよキイスさん!
「滞在期間は?」
「三日だ」
「目的は?」
「羽の入手」
「滞在地は?」
「二の島の黒曜ホテルを予約してある」
わたしが世の無情さに心を馳せているあいだに、てきぱきと入国審査が進む。
「オーケイ。お嬢ちゃん、額を失礼」
「ぬ!?」
額に判子を押された。見ると、キイスさんも同じ物を押されている。丸い円の中で、ナイスバディな女性の悪魔がウインクをしているというデザインだ。
わたしはそそくさと前髪で隠したが、キイスさんは前髪を上げているせいで、そうもいかない。可哀想に。
「じゃあね、お嬢ちゃん。魔界を楽しんでね」
入国審査はそれで済んだようで、美女に、投げキッスで見送られる。
外で見た鉱石の島へは、エレベータで移動できるらしい。建物の置くにそなえつけてあるそれに、わたしたちはぞろぞろと向かった。
「こちらは、ずいぶん文明が進んでいるのですね」
エレベータの匂いを珍しそうに嗅ぎながら、キイスさんが感心したように言う。
「資源の違いとも言えるがな。あとは、人口と寿命の違いでもあるな。人的資源は多くないし、定住するものも少ない。なるべく少ない手で、街を生かすための工夫がされているにすぎん。それを研究する時間も、たっぷりとあるからな」
一方の兄は、何てことのないように言った。
エレベータは、底だけがガラス張りという作りで、わたしは下を向かないようにするので必死だった。
「どうしてこんな作りなんですか?」
「このほうがぞくぞくするだろう?」
兄が目を細めて、白い歯をのぞかせる。
悪魔の快感を理解できるほど、わたしはまだ悪魔になっていないらしい。
「羽入手は、また明日で良いだろう。今日は色々あって疲れただろうし、ゆっくり休むと良い」
「はい……」
早く羽を手に入れてラントのところへ帰りたかったけれど、心身ともにへとへとなのも否定できなかった。兄の言う通り、今日は早めに休んだほうが良いかもしれない。
「俺は自宅に帰って、また明日の朝、迎えに来るからな。ワンコ、妹を一晩頼んだぞ」
「言われずとも」
キイスさんが胸に右手を当てて応える。
「妹よ、寂しいだろうが、また明日な。ワンコに襲われそうになったら、遠慮なく魂をひと飲みにしてやれ。襲われずとも、夜中に腹が減ったら食すと良い」
「だから食べません!って、え!?」
到着したエレベータを出て、つながっていた廊下から、一つの部屋の中にキイスさんと二人、ひょいと放り込まれた。
「ちょっと! お兄ちゃん!?」
「ああ、心配しなくとも、自宅へ帰る前に、お前の主人に報告をしておいてやるからな。俺一人ならばひとっ飛びで移動できるからな。はっはっは、兄のやさしさに感動したか? 妹よ」
「報告って! ラントに現状を!?」
やめてくださいー、というわたしの叫びの届かないうちに、兄は瞬間移動のように消え去ってしまった。
「ああああ……」
わたしは顔をおおった。兄から離れてしまったために、風船のように天井に頭をぶつけながら。
「リリ様。悪魔殿の嫌がらせにいちいち反応しては身が持ちませんよ。面白いですが」
「アドバイスをありがとうございます。本音も聞こえましたが。あと、下ろしていただけますか」
その夜の夢に弟は現れず、ナイスバディの大悪魔になって、兄とキイスさんの頭にラフレシアの花を咲かせて高笑いをする、という夢をみた。