転生
身体が熱い。灼けるようだ。
「君はこの世の全ての終わりを定める冥府の神となった」
何だお前は。声にならない。息が吸えない。不思議と苦しくはない。
「神と言っても『死』はただの現象だ。世界で絶え間なく起こっているその現象を全て処理する事は君にはできない」
死とは何だ?目の前の闇に小さな光が明滅している。あれは何だ?
「しかし『死』がこの世界に存在するのはその責任者たる冥神が存在するからだ。もともとこの世界を作った者は全ての生命を愛する気の小さい奴だったからな。この世界には限界があり、限界に達する事によってこの世を地獄にする事よりも秩序ある個々の死が必要だと説いたのだが、あいつは聞き入れようとしなかった。この世のバランスを保つ機構としての死を私が担当するしか無かった。」
よく意味は理解出来ない。灼けるような痛みはまだ続いている。自分の身体は赤黒い泥に覆われていて、それが溶岩のように熱い。泥の中から眼球がこちらを見た。一つ、また一つと眼球がくるりとこちらを見る。怨嗟のこもった目で見る。これが責任か。これは俺が殺したのだ。この泥は命であった物だ。それが自分を殺した者を焼き尽くさんとしているのだ。発狂して悲鳴を上げる。誰も助けてはくれないと分かっている。それでも悲鳴を上げる。喉が焼け付いているのに、悲鳴は途切れない。
「うるさいな。こりゃどんだけかかる事やら。下手したら間に合わないな」
声の主は構わず喋り続ける。そういえば流儀は?確かそんな物が使えた気がする。さっきまで記憶を失っていた。自分の心に力を貯めて行く。自分を肯定し、想いの強さをそのまま力にする。光が自分の周りに溢れるイメージ。その光が痛みを溶かして行く。そうだ。俺が殺したんじゃない。殺したとしても、それは自らの想いに従った結果だ。自分自身を肯定する。迷いを消し去る。光が完全に灼熱の泥を消し去った。
「おや意外に早かったね。もともとその痛みは錯覚なんだ。全世界『死』が身体を通り抜けて行く衝撃に初めのうちは耐えがたい。もしかしたら壊れてしまうかもと思ったが、大丈夫だったみたいだね」
クゾーは思い出して来た。自分が何者であったか、何故ここにいるのか。しかし目の前の男が何者なのかは分からなかった。黒衣に黒髪のかなり大柄な男。その姿に、クゾーは不思議と懐かしさを感じた。
「……あんたは……」
「察しが悪いんだな。まあいきなり説明しても多分理解出来ないことだろうから、順を追って説明する。主神が人間族をこの世界の主権者にしようとしているのは知ってるね?彼はその前段階として、実験設備を整えた。知的な生命体が人間族しか存在しない世界を、この世界の他にもう一つ作り上げた。荒唐無稽極まり無いが、彼にとっては造作もない」
「もしかしてその世界ってのは……」
「そう。それこそが、クゾーくん。君のいた世界だ」
クゾーは驚愕した。自分が今まで生きてきた世界は、主神の実験場だったというのか。
「で、私は死を持たらす為にその世界へ派遣された。主神は相変わらず終わりを作っておくのが嫌いだったからね。私も当初は流儀を持たず寿命が短い種族を繁栄させて世界を最適な方向へ導く計画には賛同していた。しかしその世界へ行ってみて思ったよ。それは所詮無意味な事だとね。流儀が無い単一種族の世界だとして、それは永遠の発展と平和を意味しない。結局のところ、どんな生き物も小さな優劣を見つけ出して繁栄と衰退を賭けて争い合うというのは変えられないらしい。私から見れば何も変わらないような者たちがね。それで私は思い切って人間に混ざってみることにした。主神への最終報告の為にね。だけどそこで私も思い違いをしていた事に気がついた」
神である以上は仕方ないのかもしれないが、実に上からの目線であるとクゾーは思った。クゾーにはまだ話が見えない。この話から一体どのように現状へつながるというのだろうか。冥府の神と名乗った男はまた語り出した。
「人間も実に多様だって事に気付いたのさ。考えてみれば当たり前の事だがね。種を残す為に個性を作り出す……神が単純な種族を作ろうとしても、彼らはその殻を自力で破っていた。そしてその生命の輝きそのものが、人間族を作り出した主神の愛してやまなかった物だったんだよ。我々は視野が狭すぎたんだ。私が唯一愛した女性と会ったのもその時だった。人間の美人の基準に達していたかは知らないが、とにかく私の理想の人間像だった。あまり賢くは無いが全体の調和を取る能力に長け、人当たりが良く笑顔を絶やさなかった。何を隠そう、それがお前の母親だ」
まさか、この男は。
「こうして会うのは初めてだな。結構緊張したんだぞ?我が息子徳三よ」
クゾーは信じられなかった。自分の父親がこの世界の、ましてや神族であるなんて。この現実味の無い世界に自分のルーツが存在し、40年も真実であると信じてきた世界が実は神の気まぐれで生み出された全くの虚像であったなど、信じられる方がおかしい。しかし、クゾーには別の感情が湧き上がっていた。
「お前……母さんが1人でどれだけ苦労して俺を育てたか……!」
「やめてくれ。1人の人間の一生は神族にとっては余りにも短すぎる。それに冥神としての仕事も疎かにする訳にはいかなかった。確かに私は無責任にお前の親になったかもしれん。その代わりと言ってはなんだが、今は守りたい者がいるんだろう?元の世界もお前にとって消してしまっていい物ではないんだろう?それを守る力をお前にやろうと言っているんだ」
何を言っているのか。結局それは自分の願いを息子に託しただけではないか。だがそれは、今やクゾーの願いでもあった。しかし自分がいきなり神族になってしまった事に対する戸惑いは余りにも大きかった。
「俺にそんな事が出来るか……!そもそも冥府の神になんかなったって何をしていいかわからねえよ!」
「それなら気にするな。さっきも言ったように死そのものはただの現象だ。お前に出来るのは、生命の自然寿命を知る事、まだ生きるべきと判断した死んでいる魂を生き返らせること、生命体の量を調節することくらいだ。それだけとは言っても、長く冥神が存在しないとその世界は崩壊するから生命体の調節はマメにやっておかねばならないがな」
例えばこんな風に、といった感じで冥神は手を振った。すると、見覚えのある顔が姿を現した。エルフ族の神フレイだ。オーギュストの槍で死んだはずの彼が生き返っているのを見ると、冥神が言っている事は本当なようである。
「……僕は一体……クゾー君なのか……そこにいるのは……」
「あまり昔に死んでいると無理だが、このように完璧な状態で生き返らせる事が可能だ。使い過ぎるなよ。さあ君は現世へ行くんだ。やり残した事があるんだろ」
フレイの姿がすっと消える。冥神はクゾーの方へ向き直った。
「お前をオークにしてこの世界へ連れて来たのは、身体が丈夫で流儀の力が強いからだ。それに主神はオーク族には関心が薄かった。私が表立って動けないばかりに、お前の寿命と同時に転生させてしまったが、やってくれるか。主神を止められるのは今やお前しか居ない」
クゾーは考えた。俺はリリアムさん達を守りたい。元の世界の人間達もだ。何の取り柄も無かった俺が世界を救える。そこにもはや迷う余地は無かった。クゾーは黙って頷いた。
「決まりだな。因みにお前の名前だが、人間として、他種族として、神族として、三度徳を積んで世界を救えという意味がある。確か人間の宗教では人間が生きている間に徳を積むと神になれるんだろう?」
クゾーはただ黙って微笑んで応えた。最初で最後の、父と子の会話だった。
31話へ続く
投稿遅れて申し訳無いです。
完結までもう少しです




