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はじまりは裏切りから  作者: 真麻一花


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9/12

 この一月以上のあいだ全く顔を合わせることがなく、亮司も少しじれてきているようだ。

 時折受ける電話の声で少しいらだった様子が読み取れる。

 美夜は電話の向こうに笑う気配が伝わらないよう吐息が弾むのをこらえるが、口元は楽しげにゆがむ。

 こういうときは、逃げる側が強い。

 自分の物と思っている物に逃げられると、取り戻そうとするのが男の性だ。

 通話を切った美夜はこらえきれない笑みをこぼしクスクスと笑う。

 もっともっと焦れてちょうだい。もっともっと私を求めて。手に届きそうなのに逃げられる、そんな追いかけっこ。あなた好きでしょう?

 その為には……。


「まさか、美夜から誘われるなんて思わなかったわ」

「たまには女同士で飲むのも良いでしょ」

 ホテルのバーカウンターに女二人で座る。何度も足を運んだことのあるこの場所では、見知った顔と出会うこともある。カクテルグラスをもてあそびながら、美夜がゆったりと笑った。

「美夜となら、いい男引っかけられそう」

 そうささやいてクスクスと莉良が笑う。

「あなたののろけ話を聞きに来たつもりなんだけど?」

 片目を顰めてちくりと嫌味を言ってみれば、莉良が悪びれない顔でぺろりと舌を出した。

「もちろん彼に嫉妬してもらうためよ? ちゃんとここに来ることは言ってあるしぃ。……もちろん、美夜も一緒にって」

「そう」

 莉良の笑みが、あんたが望んでたのはコレでしょ、と言っている。

 こちらの言葉の裏を読む面倒な女だが、こういうときには都合が良い。

「彼が来るかもしれないから浮気なんてするつもりはないけど、ちょっとぐらいいい男と話しても良いと思わない?」

 そう言って莉良は、周りに目を向けて目が合った男ににこりと愛らしい笑みを向ける。目が合ったので挨拶をした、そんな雰囲気で。

 呆れたように美夜はため息をつく。

「ほんと、節操のない女ね」

「失礼ねっ」

 ぷくっと頬を膨らませて、グラスに口をつける。指先は派手ではないがかわいらしいくレースとストーンをあしらったネイルで彩られている。

 それをきれいに見せながら所作のひとつひとつがかわいく見えるように意図された物だ。本当に自分を見せるのに慣れている。

「……藤堂さん?」

 落ち着いた男性の声に呼ばれて軽く振り返ってみれば、取引先の営業の男がいた。

「お久しぶりです」

 受付から総務に移ってからは直接会うことのなかった男だ。

「わぁ、江本さんじゃないですか! こんなところでお会いできるだなんて奇遇ですね!」

 莉良がかわいらしい声をあげる。そこで男はようやく莉良にも気づいたらしい。

「えぇと……神崎さん。久しぶりだね。何か意外だな、二人、仲が良かったんだね」

 ハンターの気配を感じ取ったらしく、男が笑顔のまま少し距離を取ったのを見て、莉良が一瞬眉を顰めた。が、すぐに気を取り直し、するりと美夜の腕に抱きついてみせる。

「そうなの、私、最近美夜と仲良いんですよ」

「全然タイプが違うように見えるのに。だからこそかな?」

 男から向けられた問いかけに美夜は微笑んで首をかしげる。

「さあ、どうでしょう」

「……相変わらず、隙がないなぁ」

 男は苦笑すると美夜の隣に座った。莉良に話しかけられることを避けているのか。

「……あんた、ほんと、むかつく!!」

 莉良が小声で、美夜の耳元でわめいた。

 望んでもないことで嫉妬され、美夜はつまらなそうに肩をすくめた。

 この江本という男は、逃げる獲物ほど追いかけたくなるタイプなのだろう。かといって無理強いはしない。穏やかな表情で懐に入り込み、じわりじわりと絡め取ろうとする。

「最近顔を合わせることがなかったけど、元気だった?」

「そうですね、おかげさまでいいお取引をさせていただいております」

「会社の外でまでやめてよ」

 ははっと男が笑った。美夜は笑みを浮かべたまま男に目をやる。やり手の営業で、顔も立場も含めいい男の部類に入る。引く手あまたの男だからそれほどがつがつしているわけでもない。うまくいけばラッキーという程度の物だろう。とはいえ、これだけの男に粉をかけられるのは、決して悪い気はしない。美夜の自尊心を満足させるぐらいには。誘いに乗ったところで食われて終わるのが目に見えているので、乗りたいとは思わないが。

 莉良もいい男を屈服させたい程度の欲求だろうが、いかんせん見せてる部分の底が浅い。なぜせっかくおもしろい性格をしているのに、この手の男に対して底の浅そうな外面だけで勝負をしようとするのか。

「杉原社長、見合いをしたって聞いたよ」

「そうですか」

 さすが、耳が早いわね。

 早速揺さぶりをかけてきた営業の男に、美夜はうっすらと笑みを浮かべる。

「大丈夫?」

 美夜は笑みを崩さずグラスに口を付ける。

「ご心配くださって、ありがとうございます。でも、せっかくですから、おいしいお酒を楽しくいただける話題の方がうれしいんですが。 ……ねぇ?」

 莉良に話を振れば「そおですよぉ」と、莉良が口をとがらせた。

「美夜をいじめたらダメですよ」

 そう言って莉良が席を移動して男の左隣に移動する。

「いじめるだなんて心外だな。心配してるだけだよ?」

「本当ですかぁ?」

 疑るような口ぶりで男をのぞき込み、友達想いのアピールも忘れていない。チャンスを見逃さない辺りは見事と言うべきだろう。

 コレはなかなかおもしろい見世物だ。美夜は感心しながら二人を見る。

「本当、本当。……俺は、藤堂さんの力になりたいだけだよ」

 男が美夜を真っ直ぐに見つめてきた。

「ふふ。ありがとうございます」

 美夜が微笑んだところで、突然別の声が割って入った。

「君の力は必要ないがね」

 聞き慣れた声、それから肩に回された手と、目の端に移る見慣れたシルエットの一部。

 顔を見なくても分かる。

 美夜は肩をすくめた。

「そういうことらしいです」

 ため息をついて、ちらりと背後の男を見上げる。

 営業の男がおもしろそうに目を輝かせた。

「ご無沙汰しております、杉原社長。……最近、婚約者が出来たという話を伺っておりますが。藤堂さんとのご関係は、どのような……?」

 かき回す気満々の様子に、内心美夜は苦笑する。

「ただの友人ですよ。……ねぇ?」

 微笑んだままそう言ってやれば、頭の上で楽しげな吐息が聞こえてくる。

「そう。美夜とは長年付き合いのある、親しい友人ですので、江本さんより私が力を貸す方が、ふさわしいでしょう」

 今、亮司は感情の読み取れない穏やかな笑みを浮かべているだろう。笑顔の下で繰り広げられている牽制と攻撃のやりとりを尻目に視線をずらせば、冴島がすぐそばにいた。

 仮にも「恋人りら」が他の男に言い寄っている場面を見ておきながら、その表情は実に冷ややかな物だ。

「孝史さん、来てくれたのね!」

 莉良が立ち上がって、うれしそうに駆け寄っていく。

 体格の良い冴島と小柄な莉良が並ぶとちぐはぐさが際立つ。媚びる莉良に冴島の態度も冷たい物だ。

 できあがったややこしい状況を他人事のように眺めてから、美夜は営業の男の名を呼んだ。

「江本さん、今日は久しぶりにお目にかかれて楽しい時間を過ごせました。また機会がありましたら、ゆっくりとお話ししましょう」

 美夜は背後にいる亮司を意識しながら、わざと営業の男に向けて誘うように艶やかに笑う。

「楽しみにしてるよ」

 営業の男はそんな駆け引きを分かっているのだろう、楽しげに笑って手を振って見せた。

「それでは」

 礼をすると、美夜は営業の男に背を向ける。ちらりと亮司を見れば、ポーカーフェイスをわずかながら崩して、密かに片目を顰めている。

「……冴島」

 亮司が呼ぶと、冴島は小さなうなずきを返し、莉良を連れて立ち去った。

 冴島はどうやら美夜と亮司が会うことを邪魔する気はないようだ。美夜がここにいることを亮司に知らせたのは冴島と見て間違いない。

 冴島は絶対に清花との結婚を望んでいると思ったのだが……。それとも亮司の考えを優先して、美夜が愛人になることを望んでいるのか。もしくはあの清花では社長夫人としてふさわしくないとでも思ったのか。

 とりあえず、今回、莉良が亮司とのつなぎになることを確認できただけでも十分だろう。

 美夜はわずかに口元に笑みを刻み、亮司に並ぶ。

 去り際、莉良が美夜に満足したような笑みを向けてくる。冴島と亮司を呼び出せたのは確かに莉良の手腕だ。美夜は笑みを返し肩を抱く亮司の手をほどくと、「友人」の距離を保ったまま共にバーを出た。








「おかえりなさい」

 ドアの音がして、清花は緊張しながら立ち上がった。

「……ああ」

 父に会うのは久しぶりだ。

 家政婦の問題が発覚して以来、父親はほとんど家に帰ってこなくなっていた。たまに帰ってきていても、夜中に戻ってきて、早朝には出る。

 これほど顔を合わさないのは久しぶりだった。今日も夜中だ。

 肌のために最近は夜更かしをしないようにしていたが、今日は覚悟を決めて、待っていた。

 父親が隣をすり抜けようとするのに気付き、清花は慌てて言おうと思っていたことを口にする。

「あのね、新しい家政婦さん決まったの」

 父親は小さくうなずくだけで清花を見ようとしない。そのことが切なくて、関心も向けられないのかと胸が痛んだ。いつもなら、それで話すのをやめてしまう。

 でも、そのままじゃ何も変わらないから。ちゃんと踏み出すことが大切だって、知ったから。

 さやかは顔を上げる。そして、こっちを見てくれない父親の背中に、頑張って笑いかける。

「あのね、お父さん。……ありがとう」

 こんな態度の父だけど、でも、榊がいっていた、いつも清花のことを気にかけていると。

 それが本当かどうかは清花には知る術がない。

 けれど、すぐに家政婦を変えることを許してくれた。家の中のことなのに、清花に決めることを許してくれた。

 面倒なだけかもしれない。お金だけ渡して済ませているだけかもしれない、関心なんて、全くないのかもしれない。

 でも、今までそうやっていじけてきても、何にも変わらなくて、ずっと距離は離れるばかりで。

 そんな「今まで」を変えたかった。

 だから、清花のことを気にかけているという言葉を、頑張って信じて歩み寄ったら、もしかしたら母親がいた頃のように笑みを向けてくれるかもしれない。そんな期待をしたかった。

 今まで期待をしても裏切られた。頑張っても全部ダメになった。だから期待するのが怖くなっていた。

 でも、美夜に出会ってから、期待を持って行動すれば、叶えられることが増えた。

 本当は、頑張れば良いことがあるって、信じたかった。今なら、それが叶えられるような気がするから。

 お父さんの中に、私を思う気持ちがあると信じて、だから「ありがとう」っていうよ。

 父親が、ゆるりと振り返った。

「……ああ」

 少し驚いた顔をして、それからうなずいた父親に、少しだけほっとする。

 やっとこっちを見てくれた。

 ちょっと緊張していた笑顔が緩む。

「じゃあ、私、寝るね。おやすみなさい。最近、あんまり家に帰ってこれてないみたいだけど……体に気をつけてね」

 緊張して、少し早口になる。けれど、笑顔は頑張って保っている。耳まで熱い。

 父親は、清花を見たまま、やはり驚いた顔をしていて、けれどうなずくと「おやすみ」とつぶやいた。

「……明日からは、もう少し、早く帰ってくる」

「……! うん!!」

 ドキドキする。顔が熱い。うまく出来たかな。ううん。うまく出来なくっていい。ちゃんと頑張ったよ、美夜さん。お父さん、ちゃんと応えてくれたよ。

 じわりと視界をにじませる目元を、清花は笑顔のまま、こしこしとこすった。


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