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「美夜さん……!!」
休日、いつも通り待ち合わせすれば、清花は目が合ったとたんに立ち上がって美夜を歓待した。
清花を変えていく計画は、予想以上にうまくいっていた。
二人でランチを取るのも、定例会じみた物になっている。
そして先日、美夜の指示のもと、清花は超えるべき大きな問題を一つ乗り越えた。今日はそのお祝いを兼ねた物だった。
亮司に会えない時間を持てあますことなくいられるのは、清花を変える楽しみがあるからかもしれない。休日の昼間はすっかり清花との時間になっていた。
美夜から見て、清花はなかなか興味深い生い立ちをしていた。
社長令嬢とは思えない出で立ち、はっきりとした意見を持つ割におどおどとした態度、そして自信のなさ。何もかもに違和感があり、結果、どれを取っても使えない女だった。
亮司を取り戻すのに、清花をどうにかしなければならないのが大前提だ。かといって、結婚は清花の父親である蓮山社長と亮司との間の問題で、現時点では清花には何の権限もないのが実情だろう。今、清花自身を亮司の元から排除することには、何の意味もない。そして、美夜自身も、清花の父親に対して影響力を及ぼすだけの駒をもっていない。
だから唯一、清花自身が使える駒なのだ。それをどのように使うにしても、清花自身を改善させてからでないと役に立たない。
それでなくとも、清花の態度はことごとく美夜の癇に障り、あの性格のままでは美夜自身が清花をつぶしかねない状態だった。
だから清花が望む変化を得るきっかけを与えてやろうと思い、美夜は協力をしていたのだが。
分かったのは、清花という女性が、今まで身を置いていた環境の悪さだった。
それは虐待と言ってもおかしくないものだった。父親はほぼネグレクト。家政婦に任せきりで、その家政婦はというと暴力こそ振るっていない物の、言葉と態度で清花の心を踏みつけ続けていたのだという。母を亡くしてから十年間。ずっと。
お嬢様らしく生きていく基盤など、清花にはなかったのだ。
けれど清花は根の素直さは持ち続け、十年という鬱屈した時間を経てさえ奮起するだけの精神力もある、自分の考えを持ち続けるだけの強さもある女性だった。おそらく家政婦に会うまでの間に、人格の基礎がしっかりと築けていたのだろう。彼女は、思い出の母親のことだけは、それは幸せそうに語るのだ。母親の愛情だけがこれまで清花の十年を護り続けていたのかもしれない。
強さと弱さの入り交じったひどくバランスのおかしい清花の性格を、美夜はそう分析してみる。
清花は幸せな人生から、転落し、そしてあがいて、これから暗い人生から抜け出そうとしている。
家政婦によってゆがまされた清花の人生は、本当に興味深い。このまま美夜の思い通りに変わってゆくのなら、なおおもしろいのだが、うまくいくだろうか。
先日、清花は美夜の後押しによって一歩を踏み出した。虐待していた家政婦を清花は自身の力で追い出したのだ。
相当な荒療治ではあったが、一年という期限を考えると、最も自信をつけさせる手っ取り早い手段だった。清花に寄り添いながら、それを成し遂げさせた。
それによって清花は強い信頼を美夜にあずけるようになった。そして自分の考えを以前より伝えようとする姿勢もでてきた。以前ほど言葉にして相手に伝えることを怖がらなくなってきた。
清花に確かな変化は、ほんの一ヶ月で現れた。
本当に、興味深い子。
一週間ぶりに会った清花は、先週とうって変わって明るい表情をしている。
良い傾向だ。思った以上の駒となりそうだ。
亮司の相手が清花だったからこそ思いついた計画。それが少しずつ形になっていくのは、とてもおもしろい。
「美夜さんの、おかげです……っ」
涙をにじませて、清花が家政婦を追い出すまでの経緯を報告してくる。清花が家政婦から心的虐待を受けていたことを清花の父親は気づいていなかったらしい。清花は家政婦に反抗することでそれを父親に知らせることが出来た。正確には父親と清花を繋いでいるという秘書に気づかせることが出来た、と言うところらしいが。ネグレクトの父親は、清花に関するほぼ全てを、秘書と家政婦に任せていたらしい。
もう清花は家政婦に顔を合わせることはないという。
「頑張ったわね」
これまで自身を支配してきた人物に逆らうということが、どれほど恐ろしいことかを美夜は知っている。それを成し遂げた清花を心から賞賛していた。本能的な恐怖に立ち向かうだけの精神を清花は持っている。
美夜さんのおかげです、と、もう一度清花がつぶやいて何度も頭を下げた。
一番高い山を越えて何もかもが解決した気分になっている清花に苦笑しながら、「これからが本番よ」と声をかければ、涙をにじませた目が、不思議そうに美夜を見上げた。
「次の家政婦を選ばなきゃいけないでしょ?」
「……えっと、もう、家政婦さんは、良いかなって」
他人が家に入るのが怖いと、清花がうつむく。
「そうね、それも一つの選択ね。でも、これで終わりで良いの?」
「何の、事ですか……?」
「自信持って、顔を上げて生きるためにするのは、本当に、これだけで良いの?」
美夜の質問の意図が分からないというように、清花が首をかしげる。
「家政婦は雇った方が良いわ。あなたはこれから自分自身に自信をつけてゆきたいんでしょう? その体型も体質も改善するのには、食事の管理から生活のサポートをする人間がいた方が良いのではない? 学校へ行きながら食事制限の勉強をしてメニューを考えたり、慣れない料理をしたり、更に運動もした方がいい……そんな状態で、自分を磨くことに力を入れられるかしら?」
「あ……」
「もちろん、一人でやることも可能よ。でも、あなたはせっかくサポートする人間を雇える立場にあるの。効率よく自分を磨いていけるのよ。利用しなさい」
美夜の言葉に、ようやく清花は「これからが本番」の意味に気づいたようだ。
「せっかくだから、家政婦の面接もあなた自身でやってごらんなさい」
更にたたみかけると、清花は驚いたようにぽかんとした。
「……え?! で、でも、人を選ぶとか見る目とかそういうのは私には、たぶん向いてないと思うというか……!!」
「向いてないと思うのなら、尚更やりなさい。苦手なことこそ経験しておくことは大切よ。失敗が許されるうちにやっておきなさい。選ぶのに失敗すれば、別の人を雇い直せば良いの。あの家政婦の後だから、お父様もこれから何度か頻繁に家政婦を変えていったところで許可してくれるんじゃないかしら?」
「で、でも……」
しりごむ清花に、美夜はため息をつく。
「苦手なことから逃げると成長はないわよ。それに……あなたなら出来ることだから言っているの。わかってる? あなたが先日したことは、とてつもなくすごいことなのよ」
「せんじつしたこと……?」
「家政婦をやめさせた事よ」
「で、でも、それは、結局榊さんが最終的にやってくれたことで……」
確かに最終的に追い払ったり手続きをしたのは、その榊とかいう秘書なのだろう。けれど、そういうことではない。
美夜はほほえみかけると首を横に振って見せた。
「自分を支配していた人間に逆らうということは、死ぬ方がましじゃないかと思うぐらい怖かったはずよ。あなたはそれをやったの。それをやり遂げた自分に自信を持ちなさい。並大抵の事じゃ出来ないの」
実際、美夜はどんなにがんばっても二、三ヶ月は最低でもかかると思っていた。それをたった二週間で清花はやりとげたのだ。
「誇りなさい。たった二週間の間に、何度もあなたは大変な恐怖に立ち向かったのよ。あなたにはそれだけの度胸も勇気も強い精神力もあるの。そして対応する能力も十二分にあった。だから秘書さんに伝えることが出来たのよ」
「だって、それは、美夜さんが手段を全部考えて、教えてくれていたから……」
褒めているのに、清花の表情はだんだんと硬くなる。
「手段が分かっていることと、それを実行できることは、全くの別の能力よ。こうしたら良いと思っていても、実際には出来ない人の方が多いわ。その瞬間には何をしたら良いのか分からなくなる人だっている。でも、清花は実行に移せた。だから、あなたには出来るといっているの」
清花は途方に暮れた顔をして、それからじっと考え込んだ。
過剰に評価されている、とでも感じているのだろう。現時点では過剰な期待ではある事は否めないが、けれど最終的には美夜が期待するだけの能力は秘めていると思っている。
「急に自信を持つことは難しいわ。でもね、清花。気づいてる? 少しずつ、自分の意志を伝えるのが上手になってきてること。おどおどした仕草が減ってきてること。あなた、顔を上げてる時間も増えたわ。人間、出来ない事っていうのはたくさんあるわ。それを把握しておくことは大事だけど、そればかりを数えては、自信なんて持てないの。自信を持ちたいというのなら、苦手とか、出来ないとかいって逃げてはダメ。なりたい自分があるのなら、いろんな事に挑戦しなさい」
「……はい」
出会い頭とは打って変わったテンションの低さが、清花の心情を伝えてくる。
これだけ対人への苦手意識があるというのに、本当によくぞ行動に移せた物だと感心する。やはり清花に必要なのは、人と関わる事への慣れとそれに付随する自信なのだろう。
「新しい家政婦選びは、その一歩よ。面接をすれば、あなた自身が話しやすいとか相性を簡易的に確認できる。ダイエットの食事療法にしても、どういう方向性を提案できる人かだって、直接尋ねられる。たずねやすい雰囲気を持っている人か、自分の期待に応えてくれる人か確認できる」
「……はい」
「清花。向こうは面接される側であなたの機嫌を取ってくる人たちばかりだから、慣れない人と話をする練習とでも思いなさい。更に言うならあなたの意志に相手が従う立場にあるという、自分が人の上に立つ練習よ。偉そうな態度で良いぐらいよ。あなたは虐げられ慣れすぎて、機嫌を取るばっかりの生活に慣れてるから、いいリハビリよ」
きっとこの子は偉そうな態度を取るぐらいで、ちょうど対等ぐらいの対応になるのだろうけど。
「……リハビリ……」
「そう、リハビリ」
ふふっと美夜が笑うと、くすりと清花も笑った。
時折だが、本当にいい顔をするようになった。
「あなたのお母様は、どんな感じの方だった?」
「お母さん……?」
「そう。思い出して。どんな風に人と関わる方だった? 参考になるんじゃないかしら?」
清花の話を聞く限りでは、本当にいい母親だったらしい。そして清花にとって最も身近で、感覚的に真似やすい存在だ。手本さえあれば、真似るにしても行動に移しやすいはず。
「ね?」
清花の表情が輝く。
「……はい!!」
このまま成長を続けて欲しい。……私が、亮司と共にいられる未来のために。
美夜はゆったりと微笑んだ。
「今度はもっと、ちゃんとした人を雇いますので」
父の秘書がそう言って次に雇う家政婦の話を持ってきた時、清花は覚悟を決めてうなずいた。
「はい、お願いします。…それで、その、条件をつけたいのですが、良いですか?」
秘書の反応が気になる。
私なんかが口を出す権限はないと言うだろうか。私は関係ない、と。それともまたわがままをと、面倒そうにため息をつくだろうか。
けれど、予想に反して、秘書の反応はごく自然な受け入れる態度だった。
「そうですね。一番接する機会が多い清花さんの意見を聞いておきましょう」
榊の態度に驚く。
そういえば「清花さんはどうしたいですか」と、以前からいつも榊は声をかけてくれていたのも思い出す。ただ、いつもその答えが、榊の意にそぐわなかっただけで……いつしか黙り込むようになってからは意見を言わないことを責められるようになっていたが。
家政婦のことが判明して、榊は優しくなった。
その優しさを額面通り受け取ることは出来ないが、表面上だけでも、穏やかに過ごせるのは、やっぱりうれしい。榊が優しいのも、うれしい。……心の中では、どう思っているのかは分からないが。
「清花さんが、面接、ですか?」
「はい。ダイエットの食事や生活でアドバイスがもらえるような方が良いなって思って。でも、アドバイスをもらうのなら、話しやすい人が良いなって」
ダイエット向けの食事が準備できる人、食に関する知識が豊富な人が良いと条件を付けた上で、美夜に勧められたように自らの面接をお願いした。
照れくさそうに笑う清花に、秘書が穏やかにほほえむ。
「分かりました。では、そのように準備させてもらいます。……清花さん、最近、がんばっていらっしゃいますね。良いことです」
以前の秘書のようで、清花はうれしくなる。
「ありがとうございます」
「何か、気持ちの変化でもありましたか?」
「はい。その、ステキな女性に会って、いろいろアドバイスをいただいて……」
美夜の話を始めると、突然秘書の雰囲気が変わった。思わず清花は口ごもる。
「……そうですか、他の人間の手を借りた、ということですね……」
秘書はそう言ったきり、また清花を拒絶するように黙った。