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ふうん? あの子が、ね。
美夜の視線の先には、おどおどとした態度でうつむいて嘲笑の対象とされている女子学生がいた。
恋人であった亮司から、他の女との婚約を告げられ、関係を断ったのはほんの数日前だ。が、断ったと思ったのは美夜だけで、亮司からは、あれから何度か連絡が来ていた。
状況は別れを切り出したあの夜から何一つ変わっていない。
この数日で蓮山商事と男との関係をいろいろ調べていた。集めた情報の中に、男の婚約者の女に関する事もある。むしろそちらがメインと言ってもいい。
相手の女を見てみたいと思ったのは、ほんの好奇心だった。
美夜を諦める気も、結婚を諦める気もない男の様子に、ストレスが溜まっていたこともある。
蓮山 清花、二十歳。都内の有名大学に通い、内向的で……容姿は、下の下。
写真を見たが、ひどい物だった。そもそも二十歳には見えない。下手すると四十代のくたびれた中年女性にすら見える、年齢不詳な写真だった。
あまりにもの写真写りの悪さに、これを手渡してきた知人の悪意を感じたが、実物が写真通りだった事には軽い驚きを覚えた。
この大学の公開講座に滑り込み、そのついでに亮司の婚約者を見る事はできないかとふらりと散策していた物の、見つけたのは偶然に過ぎない。視線の先を、あの写真の女性が背中を丸めて動いているのを見たときは目を疑った。
観察してみれば、なかなか興味深い女だった。
遠くから見た彼女は、少女といっても差し支えがないほど、幼さを残した、地味な女だった。近くで見れば中年かと思うほどの年齢不詳。更に見ている美夜がいたたまれなくなるほどに、地味で見栄えが悪く鈍くさい。
これがあの自信溢れた社長の娘なのか、と本気で疑った。
服はシンプルな白のカットソーに微妙な丈の黒いスカート。どこの田舎の事務員かと叫びたくなる装いに、髪型は、髪型というのもおこがましくなるほど、伸ばしっぱなしの状態で後ろにまとめているだけ。化粧もしているのかどうかというぐらい地味で、ファンデーションを付けただけ口紅をひいただけ、という状態だった。けれど、肌の状態がよくないのだろう、ひどくくすんで見える。
何より姿勢がひどい。標準体重を大幅に超えているであろう丸々しい体型で背が小さいくせに猫背でうつむき加減で、歩き方もまるで引きずられているようだ。
美夜は観察しながら亮司の意図に思いを巡らす。蓮山清花と結婚してもいいと思った意図が、見えた気がした。
美夜の視線の先では一緒にいる友達らしき女と話すのすら緊張しているように見える清花の姿がある。
その様子は、決して楽しそうな会話をしているようではない。漏れ聞こえてくる言葉の断片は、紛れもない清花への嘲笑。さらにやってきた男に絡まれて馬鹿にされはじめたときには、とうとう美夜はこらえきれなくなって思わず一歩を踏み出した。
「ないよな、このセンス」
「ぶっさいくなこの顔にはちょうど良いんだろ?」
嘲笑混じりの言葉をぶつけられ、少女が顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「人の容姿を馬鹿に出来るほど、あなたたちの顔はいいつもりのかしら?」
美夜は歩み寄って声をかけると、少女をかばうように、前に出た。
腕を組み、ちらりとその顔に視線を向ける。容姿で言うなら、中の中。それなりに作り込んで中の上。おそらく、それは自分たちでも分かっているのだろう。にっこりと笑みを浮かべた美夜に、男達は顔を赤らめた。
美夜はクスリと笑みを浮かべる
「そんなたいしたことのない顔で、よく人のことが馬鹿に出来た物ね。自分の顔を鏡で見てから出直すことね。十人並みが粋がって人の容姿を馬鹿にしている物ほど、見苦しい物はないわ」
美夜は見下げるように艶然と微笑んで男達を見る。
美夜は自分の見せ方をよく知っていた。それは努力の結晶とも言える。迫力があると言えるほどの華やかな自分の容姿を武器にしているのだ。一般の、しかも年下の男相手なら、うまくいけばすごみ方一つで黙らせれるぐらい出来る。そのくらいでなければ、あの男の隣でパートナーをはれなかったのだから。
男達は真っ赤になって口をつぐんだままだ。
それを確認してから今度はその場にいたもう一人の女性に目を向ける。年頃としては、清花と同じぐらいだろうか。二十歳そこそこぐらいだろうか、それなりにかわいらしい姿をしている。そして少女の隣で「可哀想よ」といいながら男達と一緒になって笑っていた友人らしき女だ。
ひるんだ様子の友人らしき女を一度ゆっくり眺めてから、美夜はわざとらしくため息をつくとまた清花に視線を戻す。
「あなた、友達は選びなさい。人を見下して自分の優位性をかざすような人は、友達ではないわよ。一緒にいるとあなたにとって毒にしかならないわ。寂しいからって、こんなクズと付き合うのはやめなさい」
「な……!」
後ろで友人女性が言葉を詰まらせた。
美夜は視線だけ送ると、無表情に言い放った。
「違うの? 友達が笑われているのに、一緒になって笑うのが、友人のすること? 友達のフリして、馬鹿にして悦に入るような人間を、クズっていうのよ? 知らなかったの?」
こんな言葉を向けられた事はなかったのか、友人女性は反論の言葉を出せないようだ。
美夜は笑顔を浮かべ、しばらく男と友人女性を眺めてから、これ以上ここにいる意味はないと判断し、少女の背中に触れた。
「行きましょう。ちょっとあなたにも話があるわ」
手をつかんで歩き始めた美夜に、清花が小走りで引きずられるようについてくる。
「ちょ……っ、待って下さい」
「なに?」
「あの、さっきのはひどいと……」
少女が困惑した様子で緊張を露わにしながら美夜を見上げた。美夜はそれを見下ろしながら顔をゆがめるようにして笑った。
「ほんと、不愉快な女ね……」
「……え?」
清花の言葉がひどく愚かに思えた。自分を馬鹿にした相手を思わずとっさに気遣う愚かさ、そして。
「ひどい? ええ、私の言葉は確かにひどいかもね。でも、彼女にクズな行動を取らせる隙を与えたのは、あなたの態度にも原因があるのではない? まともな努力もせず、結果ばかりを憂うのは馬鹿のすることよ。……あなたのことだと思うんだけど、どう?」
清花が、ひゅっと息を呑んだ。顔をこわばらせて美夜を見上げた後、震えながらうつむく。
「違わないのなら、いらっしゃい」
美夜は小さく肩をすくめると、躊躇っている清花を問答無用にその場から連れ出した。清花が何度か振り返っていたが、美夜は残された彼女の知り合い達がその後どうしたかには興味がなかった。
しばらく歩いてから、美夜は少女を大学の外のカフェに連れ込むと、席に座らせてから、ジュースを二つ頼んできた。
「私のおごりよ、飲みなさい」
にっこりと笑って清花に押しつけたのは、鮮やかな緑色のどろっとしたドリンク。野菜と果物のフレッシュジュースだ。美夜が彼女に選んだのは、青汁といって差し支えがないような物になる。美夜は今そんな気分ではなかったのだが、彼女にだけやると嫌がらせのようなので、しかたなく自分も同じ物を頼んだ。けれど、こういった店のフレッシュジュースは相当飲みやすく作られてはいるのだが。
清花は小さくなって不安げに声を震わせた。
「わ、私、こういうのは……」
「あら、意外と自分の意見ははっきりいうのね。そういうの、好きよ」
美夜は笑顔を貼り付けて少女の様子を観察する。
肌の状態が非常に悪い。だからくすんで見えるし、かわいらしさが半減している。顔立ち自体は決して悪くないが、太っているせいでやはりかわいらしさが半減、肌と肉と更におどおどした様子が合わさって最終的にかわいらしさは激減。
顔立ちは日本人形のように薄いが、目元はすっきりしているし、鼻筋も通っている、唇だってかわいらしい。
そう、顔立ちは悪くないのだ。それどころか整っていると言ってもいい。なのに現状ではルックスの印象が下の下。
……これは、磨き上げて純和風に仕上げたら、面白くなるかも知れないわね。
美夜はうっすらと笑う。
まさか、あの男の相手がこんな少女のような子だなんて思いもしなかった。成人こそしているが、少女と言いたくなるほどに幼い。飾ることを知らない幼さだ。
これは思いがけない掘り出し物だ。
美夜は心の中でほくそ笑む。うまい事いけば、意趣返しが出来るかも知れない。
「ねぇ」
美夜はにっこりと笑って彼女をのぞき込んだ。
「あなた、変わりたくない?」
この先、どうなっていくのか美夜には想像もつかない。けれど、おもしろいことには成るだろう。そして状況を変えていくための駒は手に入れた。
おそらく、清花は化ける。醜い芋虫から羽化する蝶のように美しく。
賭をしましょう。期限は一年。あなたを取り戻せるのか。それとも……失うのか。
この少女は私の未来を賭ける駒。
ねぇ清花。その時あなたは、どう動く?
清花の住まいは都内にある。
父親と二人暮らしで、通いの家政婦が一人。
母親が死んでから、父親が清花に関わってくる事は激減し、小学生の頃からほぼ家政婦に育てられたような状態だった。家政婦は清花の存在を面倒がっている様子が見えて、家に誰かが……父親か家政婦がいるときは、息を潜めて生活をするようになった。
父親はほとんど家に帰ってこず、会社近くでマンションを購入し、普段はそこで寝泊まりしているらしい。
ほぼ顔を合わせる事のなかった父親が、久しぶりに清花を呼び出したかと思えば、「見合いをしろ」と言ってきた。
清花は父親への逆らい方など知らない。
嫌だと思っても、失望されるのも、これ以上嫌われるのも怖くて、「はい」と小さくうなずくしか出来なかった。
そうして出会ったのは、清花より一回りも年上の男……取引先の社長だという。
ひどく年が上で、しかも男なのにきれいといいたくなるぐらい整った顔立ちをした世慣れた男性。怜悧な顔立ちは、ほほえむとほんの少し親しみやすく見えた。
そんな人と結婚するのは想像も出来なかったが、緊張する清花に、男は優しくほほえみかけてくる。緊張をほぐし、何でもない話題を…答えやすい質問をして、返事をする度に、少しコメントを添えて返される。
「……あの、退屈ではありませんか……?」
尋ねると、男は苦笑して軽く肩をすくめて見せた。
「それは清花さんの方ではありませんか?こんなおじさんでは話し相手にはつまらないでしょう」
「とんでもないです!!」
清花は慌てて両手をぶんぶんと振る。男は「よかった」と穏やかにほほえみを返してきた。
嫌な人でなくてよかった。
ほっとしたが、やはり実感はわかない。結婚となると、実際は清花が大学を卒業してから、という話であったが、おつきあいを、しなければならないらしい。違和感しかなかった。
何より、釣り合わない。年齢的にも違和感があるが、男のスペックが清花にとっては高すぎるのだ。自分の容姿がいかに見劣りする物か、十分すぎるほど知っている。惨めさがます。
見合いの帰り道、父は既に帰っており、代わりに秘書として父のそばについている青年が送ってくれた。
彼とはもう六年の付き合いになる。何かと面倒を見てもらう事が多く、交わす言葉は父より多いほどだ。
出会った当初優しかった彼は、だんだんと清花に対して厳しくなってきた。アレがダメだ、これがダメだと、清花の自信をそいでいく。うつむいて涙をこぼせば更に文句を繰り返される。
「……ちゃんと話は出来ましたか?」
「……あちらの方が、丁寧に対応してくださったので……」
ぼそぼそと言い訳じみた答えを返せば、深いため息が返された。
何が、いけないのだろう。私は、私なりに、がんばっているのに……。
努力しても、いつだって空回りをするばかりだ。
送ってもらう車の中で、清花はこらえきれない涙をこぼした。