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はじまりは裏切りから  作者: 真麻一花


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「あなたが、藤堂美夜様、でいらっしゃいますか。初めまして。私は清花さんの生活のサポートを任されております、榊と申します」

 清花とのランチの約束の場にやってきたのは、清花の父親の秘書をしているという保護者代わりの男だった。

 おろおろとしながら秘書と美夜を往復しながら見つめる清花に、どうやらこの男は勝手に付いてきたのだろうと察する。

 清花と会っていることをあまり見られたくなくて個室にしていたのは、良かったのか悪かったのか。面倒なことを言われなければ良いが。

「その秘書さんが、こんなところまで保護者よろしく付いてきて、何の用かしら?」

「先日、長年勤めていた家政婦が、清花さんに対してひどい仕打ちをしていたことに、私どもは気付けずにいました。その時、助けてくださったのが藤堂様だとうかがいまして、お礼を申し上げに参りました」

「……結構よ。私が勝手に手を貸して、実行したのはその子よ。私はあなたからお礼を言われる筋合いはないわ」

「いえ、内輪のもめ事を助けていただいたのですから、気持ち程度ではございますがお礼を受け取っていただきたいのです。それと、申し上げにくいのですがこちらのに一筆いただきたくお願いに上がりました」

 差し出された封筒と書類に、美夜はため息をつく。

 秘書と封筒と書類を交互に眺めてから、おもむろに封筒を手にした。びりっとその場で開封し、中身を確認する。

 ただアドバイスをしただけに十万というのは、口止め料も入っているのか。これが一般家庭からの金額で、それを渡す相手が清花の友人というのなら、多くもないが少なくもない。一般家庭の子供を黙らせるには、驚かせすぎもしない適当な金額だろうか。

 けれど清花の家は一般家庭の枠を少しばかりはずれていて、そして美夜は子供ではない。

 美夜の動向を観察していた榊に視線を移せば、正面から目が合った。

 神経質そうな男だ。整った顔立ちをしているが、めんどくさそうな印象しかない。そう思うのは眼鏡の向こうから冷めた目で美夜を見ているからか。

 思惑を互いに探り合うようにしばらく睨み合っていたが、美夜は自分の魅力を知り尽くした華やかな笑顔を浮かべることで無言の応酬を終わらせた。そして、ちらりと清花に目をやれば、相変わらず困った様子で口も挟めずにおろおろしている。

 それを横目に、美夜は秘書に向けて鼻で笑うと封筒を投げ返した。

「少ないわね。この子の十年の苦しみは、たったこれだけの価値という事かしら。本当に感謝しているというのなら十倍は持ってきなさい。桁を間違えているわ」

 美夜は赤い唇の端をつり上げいっそう艶やかに笑うと傲慢に言い放つ。

 書類に目を通してみれば、家政婦の件について口外しないこと、そして清花に金銭の要求をしないことなど、これ以上関わらせたくないのが見て取れる物だった。

 清花を外に関わらせたくないのが丸わかりの内容じゃない。それで口止め料が十万程度というのは足下を見てるわね。

 美夜は誓約書の、家政婦の件以外についての部分に、さっさと線を引いて消してゆく。

「これなら、名前を書いてあげるけど?」

 榊の表情は厳しい。美夜はにっこりと笑うと誓約書を秘書の目の前に突きつけた後ぴらりと落とし席を立つ。

 そしてパニックに陥って完全に固まっている清花に向けて手を差し延べる。

「家政婦がいなくなっても、あなたの変化を妨害する人はまだいるようね」

 え、と清花が間抜けな顔をして美夜を見上げた。

「清花、行くわよ」

「……待ちなさい」

 怒りを抑えたような秘書の声がした。

「何かしら? くだらない手管は諦める? それとも百万用意する気になった?」

「用意しましょう。ですから清花さんを惑わすのはやめていただきたい」

「惑わす? 清花がそう言ったのかしら。私に金銭の要求をされていると? それとも私が清花をだましていると思われる要素でもあったかしら?」

 笑顔で見下ろす美夜を、秘書は憎しみすらこもっていると思えるほどの目をしてにらみつけてくる。

「あなたは、今、金銭を要求しました」

「お金で済まそうとしたのはそちらの方よ。私は礼なんて必要ないと一番最初に言ったわよね? それでも感謝をしているというのなら、ただ一言「ありがとう」と言えばよかったのよ。口外しないで欲しいと口頭で言えば良かったの。たったそれだけですむことに金銭を持ち出したのはそちらよ」

 睨めつける秘書に、美夜はふふっと笑うと猫なで声で彼の神経を逆撫でる。

「ねぇ、秘書さん? 私はそちらに合わせて差し上げたの。気持ちを現金ではかるというのなら、十万程度の気持ちしか持ち合わせてない物なんて受け取るに足らないと言ったのよ」

 秘書の男は美夜を見据えると、バッグから小切手を取り出した。それに一千万の金額をためらいもなく記入する。

「清花さんを助けていただいた価値は、これでは足りないかも知れませんが、どうぞお納めください。そして清花さんには二度と近づかないでいただきたい」

 口調こそ丁寧だが鋭い視線で威圧してくる秘書に、美夜はおもしろそうに口端を上げた。

「ふーん? あなたにとってこの子は八桁の価値以上があるのね」

 美夜がにっこりと笑って小切手を手に取る。一気に百倍に跳ね上がった金額を再度確認して、それから秘書に笑顔のまま目を向けた。

「これなら受け取ってあげても良いけど。ひとまずは百万で良いわ」

 目の前で一千万の小切手を破り捨てるのを見せつけてから、再び小切手を書くように促がす。一度で済ませるつもりがないと言外ににおわせた美夜に、榊が真意を探るかのように見つめてくるが、それは気づかないふりをして再度要求する。

「ひとまず必要な分だけで良いのよ」

 再び百万の数字を書き込んだものが用意されると、美夜は笑顔でそれをためらいもなく受け取った。






 清花は家政婦の面接をした時のことを美夜に話した。

 考えすぎて、どの人にしたら良いのかがわからなかった。

 どの人も良いなと思うところはあったし、悩んでしまうところもあった。清花がした質問の答えに、正反対の内容を答えた人たちもいた。どちらにもその言い分に納得するところがあり、清花自身が悩んでいる部分なので、どちらの意見が良いのかさえ判断付かない物もある。

 そんなことを話しながら、美夜に促されて、面接したそれぞれの人の話をする。どういうやりとりをしたのか、質問になんと答えたのか、どんな印象だったのか。

 話しながら、美夜がそれをメモしていく。

「これが、あなたの言ってた事よ」

 答えは出てるじゃない。差し出された紙を見て、清花ははっとする。

 人によって、書かれた分量が違うのが一目でわかる。そして、使った言葉が肯定的だったり、気を使いながら説明していたりと、美夜に説明したことで、どの人が話しやすかったのか、どの人に萎縮したのか、誰を好意的に見ていて、どの人に苦手意識を持っていたのかが明確になっていた。

「考えるだけだとわからないことでも、言葉にすることではっきりすることがあるわ。人に話すことでも良いし、日記に書いてみるのでも良い。悩んだら、言葉にしてみなさい。言葉にすることで悩んでいる内容が自分が思っている以上に明確になって、問題点もはっきりするわ。自分の気持ちに気づくきっかけにもなるから」

 そういえば、悩んだ時は悩むだけで、誰かに話したことはなかった。ぐるぐる悩んで、ひたすら落ち込んでゆく。

 こんな風に目の前が開けたのははじめてかもしれない。

 美夜に話したことで、はっきりしたことがある。

 面接をした中で、実際にダイエット経験のある人もそれなりにいた。そしてそれぞれの考え方を聞いたりする中で、一人だけ話しやすい人がいた。

 その人は体質や生活習慣など原因によってはもちろんのこと、嗜好も考慮しないと続きませんから、と、いろいろ話をして、食事内容はその時々で、一緒に考えていきましょう、と言ってくれた。

 考え方がいかにも立派な人は他にもいた。知識がもっと豊富そうな人も。でも、柔軟性があり、清花の言葉を聞いてくれそうな人はその人だけだった。年も近く、大らかに笑う女性だった。

 話しやすかったために思わずいろいろ質問をぶつけた清花に、「知りたいことがいっぱいなのね!」と面接なのに開けっぴろげに笑ったその人は、少しだけ、母の笑顔に似ていると思った。


「新しい家政婦さん、決まりました!」

 家政婦さんは、結局、一番話しやすかった年の近い女性に決めた。来てもらうようになってしばらく経つけれど、とても良い感じだ。

 最近帰りが早くなった父親と一緒に食事を取る機会も増え、話題に困った時は、新しい家政婦さんから教わった「今日はどうしてこの料理になったのか」とか、「運動した時の取る栄養」についてとか、疲れた時に取るといい食材についてなどの話しも重宝している。

 そんなにおもしろい話題でもないのはわかっているけれど、父は嫌がることなく、時々うなずきながら「そうか」と相づちを打つのだ。

 無言でリビングに居座る父にいたたまれないような居心地の悪さを覚えるが、「一緒にいれてうれしい」と言えば、「ああ」とうなずき、やはりそこに居続けてくれる。今までにはなかったことだ。なにも話さなくても、いたたまれなくても、気恥ずかしいようなうれしさもある。

 父親が帰ってくる時には家政婦は帰っている。けれど彼女といると何でもないことで笑って、小さいことは気にしなくていいのかもと楽天的になれる気がして、家の中に父と二人だけではないという気持ち的なワンクッションができており、清花にとっていい影響を与えてくれていた。

「美夜さんのおかげです」

 そう報告すれば「いいえ」と美夜が首を横に振った。

「それはあなたが築いた物よ」

 美夜が満足そうにうなずく。

「いい顔をするようになったわ。自信が付いてきたようね」

「いえ、まだ全然ダメで、自信とかは、まだないですけど……」

 思わず否定すると、「卑下する言葉を使うのをやめなさい」と注意される。

「自分が頑張ったのだと、胸をはりなさい。謙虚さと卑屈なのは別物よ。人は言われたように育つって言ったの、覚えてる? それは自分自身にも当てはまるわ。卑屈な言葉は自分自身をより卑屈にしていくの。謙虚さは持っていても良いけど、卑下する言葉を使ってはダメ。

自信っていうのは、自分自身を信じること。自信は、人に与えてもらう物ではないわ。私のおかげじゃないの。あなた自身の努力の成果。自分で築き上げていく物よ。人に与えてもらう自信なんか、クズよ。

……いいえ、クズは言い過ぎかしら。型枠ぐらいにはしても良いかしら。型枠があれば、自分で積み上げやすいのは確かだから。あなたは、自分で、何でも出来るの。それを意識して、その実感をこのまま積み上げなさい。

私のおかげじゃないわ。あなた自身の決断の成果よ。

人に言いなりになんてなる必要はないの。あなたは私の意見に左右されて決めたわけじゃないでしょう。自分をダメという言葉で否定するのはやめなさい。私のおかげというのなら私のおかげでも良いわ。でも、自分自身が頑張ったことも認めなさい。人の言いなりになったみたいな言い方をしないで。あなたは引っ込み思案で、自信がないけど、それでも自分の意見を持っている。それを訴えられるだけの勇気もある。

その自信を積み上げるのよ。

容姿を綺麗にするのだって自信の型枠を決めていくための物。人に認められるためではないのよ。自らを貶めさせないため。自分の容姿を評価の言い訳にしないため。あなたが、自分の自信を積み上げていくための防御の力にするため」

 美夜は相変わらず清花の逃げ道をふさいでゆく。後ろの逃げ道をふさいで、前向きに進める道を示す。今の清花には厳しい道だけれど、でも、逃げ道よりもずっと魅力的で、進みたいと望む道を。

「卑屈な言葉はやめなさい」

 はい、美夜さん。

「あなたは本当によく頑張っているわ。自信を持ちなさい」

 はい、美夜さん。


 私の世界は、少しずつ、明るく開けはじめている。



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